おはようございます。
たまには朝ドラに関するグッドニュースから。
◆中村倫也に出版業界が熱視線 雑誌が3日で増刷になり「出せば売れる状態」
おぉ~! マァくん、すごい!
永野芽郁さん、佐藤健さんはじめ『半分、青い。』出演者の皆様が活躍をしておられるようで何よりです。
あ、そうそう!
私はけなしてばかりじゃないですよ!
『いだてん』は絶賛応援中。
【117話の視聴率は21.5%でした】
もくじ
機密情報なんて概念は最初からありません
そして本作ですが。
◆『まんぷく』安藤サクラ、ラーメン製造工程を話す姿に視聴者がツッコミ「それ企業秘密~」|ニフティニュース
今さら何を言っているのでしょう。
本作に、機密情報なんて概念は最初からありません。
萬平さぁんが初デートで、部外者福子を会社内に連れて行ったことからも明らかです。
何が深刻かって、こういうガバガバ設定が、発明家としてのリアリティを損ねていること。
とにかく全部妄想まみれのファンタジー。
本作で凄いのは言い訳ぐらいですね。
・クリエイターとして相手にマウンティング
・クリエイターだから地道な作業はやらない
・やるくらいなら無職になる
なんせ理事長としてセレブ扱い&ウハウハのときは、発明を放り投げていたじゃないですか。
結局、気まぐれで町工場を手伝って、没頭した結果、信用組合を潰しかける。
そういや、あんときのジューサーミキサーってどうなりました?
発明は、セレブになるための手段であって、その内容に意味なんて感じていない。
だからこそ、雑な扱いになるんだと思います。
そしてもう一点、日清側の対応にも疑問があります。
そこまで苦労して得たということに公式ではなっているこの秘密を、ペラペラと何の愛着もなく垂れ流す福子に、何も疑問に思わないのでしょうか?
引っかかるんですよね。
そんな本作、今日も変わらず胸が痛い。
失敗炎上する無能経営陣を描いているドラマみたいで、もう、なんだこの無能集団は! と叩きつけたくなる。
過去のトラウマが色々と浮かんでくるのですが……よっしゃ、すべて言語化して、決別したるわ!
アカデミックを軽視して、お墨付きだけに利用
モブ大学教授はただの駒。
この人まで、麺をずるずるすすって口に入れたまま喋り散らして、気持ち悪いことこのうえありません。
その教授が国立なんちゃら研究所に持ち込んで
「三日で栄養解析します!」
とドヤ顏で言った瞬間に、この人まで大嫌いになりました。
ナゼ?
って、教授の友人だか知人だか先輩だか後輩だか知りませんが、真っ当な解析をするのであれば然るべき体制が必要でしょ。
なのに、その国立なんちゃらの研究者にスケジュールの確認すらしていないで、ラーメン食べながら二つ返事。
大学をナメきってますよね。
ほんと「◯◯帝大」とかのブランドだけが大好きで、中身は一切見ていない。
本作制作チームの学問軽視スタンスが如実に出ています。
商売が軌道に乗るキッカケ、お墨付きがあればいいだけでしょ?
軽薄なトレンディ広告マンあるあるすぎて、失笑しか湧いてきません。
急いでいるんですぅ〜〜〜!
教授に対する福子の言いようも何なんでしょうか。
んなもん、アンタの都合でしょ。知らんがな。
実際多いんですよね。
相手の仕事をナメきった客との、こんなヤリトリ。
「この書類なら、二週間ほどでできるかと思います。お待ちください」
「えー、そんなにかかるのぉ? こんな紙切れくらい、ささっと出してよ。やる気だしなよ。お願いだからさあ」
いやいやいや。
大事なデータを失敗したくないから、きちんと詰めたい。入力もや解析も手間がかかる。
紙切れ仕事だと軽視する連中のせいで、いつも業務はギチギチ詰まり気味。そんだけ一生懸命走っても、のろまだとバカにされる。
福子がドヤ顏で「急いでいるんですゥ〜〜〜」と迫るあたりから、そういうモンスタークレーマーというかプッシャーを思い出し、憤怒の形相になりました。
本気で急いでいるならば、締め切りに余裕を持って提出するくらいできないんですか?
本作の場合、福子以下全員が締め切りギリギリ無能にしか見えないので、苛立ち倍増です。
会議は踊る、責任の押し付け合い
私は会議が大嫌いです。
大抵、無意味だからです。
役職のある偉い人が、どうでもエエことを延々と喋り、何の結論にも至らない。
その横で、私は解析データをみっちみちに詰め込んだプレゼン資料について考えているのですが、発表前に時間切れになるのです。
脳内で、このデータを見ていればこのプロジェクトはコケますよ、と舌打ちしているのに、警告する時間は回って来ない。
んで、案の定コケる。
本作って、こういうクソ会議みたいなことばっかりじゃないですかーーー!!
あの冒頭の、萬平と忠彦の、
「俺が悪かった」
コントはなんなんですかね。もう見ていてうんざりしました。
あるあるだよな〜ッ、こういう男同士が誰が責任を取るか譲り合って、俺らって美しいって酔いしれる三文芝居。
いらねえよ。
世良関連もそうですね。
世良って、毎回眉毛を八の字にして、顔を歪めて、偉そうに喋り散らすゲス演技ばかりで、一体どうしちゃったんですか。
そのゲス世良が作戦を思いつかないせいにされる。もうイヤすぎ。一応百貨店を紹介しているわけでして、それでもダメなら萬平以下教祖と教団幹部のせいでしょ。
無能会議あるあるの典型じゃないですか。
データや敗因の解析を分析せず、提出しても投げ捨て、誰かに責任を押し付けて、それで解決したつもりになる。
してねえよ!
スネ夫にだって「内助の功」あり
私の居場所は、本作にはありません。
みっちみちの解析データを持ち込む奴は、異端者として信者に石をぶつけられて終わる。
そんなもんです。ま、それでいいと思いますけどね。
敢えて似た視点の人物を探すのであれば、鈴ですかね。
まっとうな懸念を口にした途端、福子から悪魔のような目つきで睨まれ、妄想だなんだと罵倒されるワケで。
これも、あるあるなんですわ。
ああいう男同士の、気持ち悪い会議とセットになっているのが、空気を読める私は可愛らしくて有能で愛されているのぉ〜と思い込んでいる、福子タイプなんです。
こういう世界では、空気が読めない奴は、鼻つまみ者のバカとして迫害されるだけ。
未だに福子を「内助の功」だと思える人は、こういう人物のアシストを受けたことでもあるのかな。
「おべんちゃら使い」
「幇間」
「太鼓持ち」
「スネ夫」
アメリカ風のスクールカーストだと「プリーザー」(pleaser)だってさ。
考え方が真逆すぎて、理解できないし、したくもない層です。
バカなのか? バカなんだな!
あんまりバカと連呼したくない。
とはいえ、ろくに売れていないのに、ひたすら麺をあげる萬平には、それ以外思いつかないのです。
「常温保存できるんですぅー!」
とか言いませんよね?
思ったように商品が売れないのであれば、普通は躊躇する。
なんらかの工夫や光明が見えるまで別のところに力を入れたりするものでしょう。
しかし、そうはしない。
なぜなら設定上、売れることがわかっているから。
物語にはありえないシナリオ展開をしている、バカの極み作品です。
そして女神は降臨する
幽霊が登場するたびに囁かれる、
「御都合主義だなぁ。これはファンタジーなの?」
という取扱にウンザリしています。
いや、実際そうなんですよ。
ただ『まんぷく』の場合、キッチリとしたファンタジー作品をひたすらコケにするような仕事ぶりで怒りが湧いてきます。
ファンタジーというのは、魔法やドラゴンが出てくる。
何もかも自由に設定がぶっ飛んでいると誤解されがちですが、単純にそういうものではありません。
怪談等も読めばわかりますように、幽霊だって制限が多いのです。
嫌いなものがあると、出てこられなかったりする。
出てくるにせよ、法則性がある。
その世界の中での理屈なり、整合性なりがあります。
あの『わろてんか』ですら、一応、
・鳥の鈴という召喚アイテム
・仏壇前という召喚ポイント
があった。
これが本気のファンタジーになると、視聴者が『そこまでやらんでも』と突っ込んでしまうほど、細やかな設定がある深遠な世界観なのです。
『指輪物語』然り。
『ハリー・ポッター』然り。
そして新シーズンが待ち遠しい『ゲーム・オブ・スローンズ』然りですね。
えぇえぇ、本作の『女神・咲様』の降臨ですよ。
雑の極み。
どうしようもない。
服装と髪型までアップデートされて、困ったらホイホイ出てくるだと? 舐めとんか!
『ゲーム・オブ・スローンズ』で今は無双を決めているドラゴンだって、物語が後半に突入したからようやく使えるのであって。
最初は猫サイズでしたからね。
『まんぷく』のように甘っちょろい設定の作品、やっぱりお約束ですが、燃やすしかない!
※アーチチ! アーチチ!
※続きは次ページへ
『べっぴんさん』の大急百貨店なら、そもそも世良のような人物は遠ざけていたでしょうね。
多分あの作品世界の中でなら、五十八も大島社長も、五十八の兄の長太郎も、あのような大言壮語ばかりの怪しげな人物は、近づけないであろうところ。
実際、世良は、塩の横領などをはたらく輩だったのですから。
恐らく、潔や栄輔ですら、ああいう手合いには警戒して近づかなかったろうと思われます。
あ、でも栄輔は、
…いかん、ネタバレになりますね。
どうしたわけか、『まんぷく』の世界では、商工会議所会頭の近くにまで出入りしてましたが。
これではね…
この作品が『べっぴんさん』の小山たちがいたら、早期に販売が打ち切られるだけでなく、福子だけでなく、世良も大急から出禁にされそうだな。
随分前に離脱し、今は週一程度の確認視聴していますがレビューは毎回楽しみに拝見しています。
いつも感じるモヤモヤを、はっきりとわかりやすく解説していただき大変勉強になります。
先日NHKのねほりんぱほりんを見ていたら、タレントのYOUさんが映画「誰も知らない」出演時に助演女優賞を受賞した事に言及されていました。
確かにあの映画の母親は妙にリアリティがあり、生活を覗き見するような感覚になったことを覚えています。
最近たまたま別ドラマで、子供を捨てた母親役を演じたYOUさんを見たのですが、まー、ド下手(失礼)でビックリしました。
結局、“演技派” “演技が上手い”って何なんでしょう…。映画やドラマの評判がいいと俳優の演技が絶賛されますが、演出・脚本・スタッフのやる気などが全部関わって、相乗効果が生まれて初めて演技が上手いってなるわけで、俳優ひとりの力量ではないよなぁ、と思うこの頃です。
かく言う私は万引き家族を見ていないので偉そうなことは言えません。あの映画中の安藤サクラさんは絶賛されて然るべきなんでしょうが、まんぷくは……ホントに同じ人なの?と思ってしまいます。
今日の『べっぴんさん』第117話。
就職しようとするさくらと健太郎。
「うーん…なんでこんな風に育っちゃったかな…」というところ。
本放送当時、私にとっては、彼等の高校生時代以上に苛立たしさに耐える時期でした。
従業員に動揺が拡がりましたが、よくわかります。
とは言え、これもまた未熟さゆえのこと。創業者子女に起こりそうな事象をプリミティブな形で示していますが、どう乗り越えて成長していくか、もう一度見直してみたいと思います。
思えば、人はその生涯を終えるまで、常に成長を続けるもの。それは親となった人とて変わるものではなく、すみれたちも、子に手を焼きながら成長していました。
こういうことを考えられるのも『べっぴんさん』ならでは。
『まんぷく』では無理ですね。
誰も成長しない、と言うより更に悪いことに、ご都合主義的にキャラがぶれるので、同じ人物なのに統一感がない登場人物が多すぎます。
朝ドラでちゃんとしたファンタジーなら、「純と愛」を挙げたいですね。
主人公の夫は、双子の弟が死んでから「周囲の人物の心の声が聞こえてくる」という現象に悩まされていました。
ドラマでは、その声が聞こえなくなる過程を通じて、主人公の変化を描いていました。
見ていた当時はそのようなよくわからない設定についていけない思いもありましたが、
今思えばそれは朝ドラに「ファンタジー」を持ち込むという革新的な試みだったのですね。
今さら分かりきったことを、ときっと言われるに違いないけど、改めて痛感したので記しておきます。
西郷どん、わろてんか、まんぷくのようなダメ台本の会話には明確な共通点があり、今週に入って「まんぷくラーメンがなぜ売れないか」の口論にはそれが特に顕著に表れていますね。つまり、AがBに問題点を指摘する。するとBはノーと言って否定する。AはBのノーに対するノーを言い、にらみ合うだけ。「なぜ、どこがどのように違うのか」互いに一切言わないから、話は全く発展しない。CもDもみんな同じ。強い口調で否定だけはするが、ではどうすれば良いかという代案はちっとも出さない。たまに代案が出て来ても、たとえば忠彦画伯様がせっかく改訂版デザインを描いて夜中に持って来てくれてるのに、福子奥様は「現在のパッケージは何も悪くない!」と根拠もなく言い張り、「そんな別案なんか要らない」とにべもなく突き返す。何だよそれ、本当にひどい。傍観者として見てても実に不快なシーンです。いつもいつもそんな場面ばかり。こちとら、昔のドリフ大爆笑の長介さんみたく思わず「ダメだこりゃ」とつぶやいてしまう。
これら駄目脚本家殿はたぶん「テーゼ→アンチテーゼ→アウフヘーベンしてジンテーゼ」という近代的思考手順の原理とかもあまりよく知らないんじゃないでしょうかね。
脚本家って、本当に大変な仕事だと思う。半端無い人生経験も凄く幅広い知識教養もなきゃいけない。そこから卓越した想像力と創造力がおもむろに湧き出て来るのでしょう。やっぱり秋風羽織先生のさまざまな厳しい言葉が嫌でも思い出されて来る昨今です。
「この自己愛は、TV界を滅ぼす」
なんつって
個人的な印象ですが、
昭和期のいわゆるTV業界人の誇りは、「自分達の仕事」=作品 にあったような。
だから、他者の作品に対しても相応の敬意があったような。
それに対して、昭和末期~平成期には、「仕事した(つもりの)自分達」=自分達自身 に誇りを持ってる人があったような。
何となくですが、バブル期頃の作品には、中身ではなく「こんな俺達が関わってるんだぞ」と言いたげな空気を振りまいているものが時々ありました。
だから、そういう作品を送り出した人々にとって、作品は単なる手段…自分達がおごりたかぶるための…でしかない。
作品を見る人々のことなどどうでも良い。下手すると「こんなものマジで見てるの?」などと嘲りすらあったかも。
自分達が関わった作品にすらこうだから、他者の作品に払う敬意など微塵もない。
視聴者のことなど眼中にないかのような雰囲気や、先行諸作品への敬意の欠如など…
え? 『まんぷく』のことかって?
さあ…?(笑)
Yahooの記事についている
萬平ラーメン教信者さんたちのコメントが気持ち悪いです…
そもそもこの作品が「日清の」「ラーメン開発」コンセプトで始まっているのだから、チキンラーメンがイメージされるのは当然ですし、ドラマを忌々しく感じる私ですら、久々に一つ買ってみようかと思うくらいですから、宣伝要素があり、ある程度市場が動くのは想定内でしょう。ただ、もっと細かなエピソードや機微を散りばめて作られたドラマなら、安藤氏の発明ではない、という意見さえも工夫して展開に盛り込まれていたら、もっともっと好意的、積極的にチキンラーメンはクローズアップされたことでしょう。前作で、五平餅が人気になったように…。
スーパーでチキンラーメンが品切れ、とか言うネットワーク記事がありますが、Twitterの投稿を取り上げての記事ですね。
Twitter投稿するならスーパーに並んでいるチキンラーメンを一時取り出し、写真を撮ってから棚に戻して、チキンラーメン爆売れ、という投稿してるかもしれないですよ。
もしそうなら、Twitter投稿等何の信用もないことは明らかで、それを真に受けてネット記事にするなど、それこそ信用出来ません。
世の中にあふれる記事。何を信用するかは自分の感覚でしかないのですが、本作を視聴して素直な感想は、すべて武者さんが書いてくれています。