もくじ
じゃがバターを前に葛藤がある
そんな余韻をぶち壊す、剛男のセリフ。
じゃがバターが原因で、義母が死んだと勘違いしたのでした。
「これで死んじゃったんですか!」
「バカもん!」
剛男にはバカもん一喝でよい気がしますが、これもあながちそう言い切れないのもね。
「焼いたジャガイモに味噌をつけて食べると死ぬ」
そんな荒唐無稽な迷信が、一部ではかつては信じられていたのです。
ジャガイモを食べない地域もありましたし、芽は有毒です。
そういうことから、こういう迷信が発生する原因があったと言えなくもない。サツマイモにはありませんしね。
そしてここから伝わってくる、婿のとぼけぶりと、それを一喝する義父の苦労よ……婿養子は辛いと描いてきたわけですが、義父も彼なりに婿には苦労して来たのでしょう。
そして皆は、じゃがバターに舌鼓を打ちます。
「これはうまい!」
「うまいべさ!」
しかし、夕見子はじっと見ているだけ。
本当にバターの臭さが嫌であれば、もう離席してもよいところです。
この夕見子を演じる荒川梨杏さんの顔が、味噌をオソマだと思ってじっと眺めている『ゴールデンカムイ』のアシリパを彷彿とさせます。
食べたい……でも、でも!
そういう葛藤が出ています。いらないと繰り返しても、好奇心と食欲は隠せませんよ!
※気になる、気になる!
そんな夕見子もついに負けて、食べて満足します。
「うまいっしょ!」
そりゃうまいっしょ!
喜ぶ夕見子に、なつが牛乳を食べたと言うと、バターでしょと言い返すのでした。意地があるねえ。
※編集注:ふかしたジャガイモに塩辛つけるのも最高に美味です
「雪月」にはビジネスチャンスがあるッ!
柴田家は、バターを「雪月」にも届けます。
そして雪之助が作ったのがホットケーキ。
材料が無いはずなのに、ナゼ、そんなことができるのか?
ここで、雪之助のセンスとスキルが説明されます。
・東京で修行したから
・小麦ふすまを生地に使った
・蜜はビート(砂糖大根)を煮詰めた
何気ないようで、これだけ条件が揃っていれば、「雪月」の未来は明るいとわかります。
このあといきなり彼が新たなお菓子を出してきても、それは魔法でも思いつきでもなく
【理念がある】
と、わかるのです。
ホットケーキには、甘党の泰樹以下、子どもたちも大喜びです。
ここで雪次郎が、夕見子へ気持ちをアピールしています。
まぁ、夕見子はそっけないものですが、このヤリトリも楽しい場面の一つですよね。
明るく積極的な雪次郎。
母親に似てクールでプライドが高い夕見子。
子役から交替して、育った彼らが見たくてたまらなくなってきます。よい子役とは、本役への期待感も高めるものです。
そしてもうひとりのキーパーソン・とよは、バタ臭いからとあっけらかんとしています。
一方で、知将・妙子は違います。
うちのバターのおかげだと浮かれる柴田家に対して、夫の技術あってのものと静かに釘をさすのです。
このバターを生かせる製菓業者は、十勝広しといえど……わかりますね?
ここで雪之助が、バターを是非売って欲しいと言い出すのです。
よっしゃあ〜!
同盟だーっ!
同盟とはWIN-WINの関係であるべきです。
バターの販路を見つけたのか? と剛男が泰樹に確認していましたが、ここにあったというわけです。
ここから、十勝の製菓新時代が始まるのである――そう有働由美子アナウンサーが『真田丸』口調で言い切っても、違和感がない。
しかし……。
泰樹は見守る心境です。
そうなるのは、ここで笑顔になっている子供たち世代だと。彼らが大人になってからだと。
自分で何でも仕切るわけではなく、若い世代に委ねる。そんな理想の老賢者がそこにいます。
「若いものに任せよう!」
と言いながら、結局最後まで自分が仕切りたがる、そういう駄作とは違うのです。
なつが味わったおじいさんの夢。
それは、なつたち自身のものでもあります。
チャンバラー! チャンバラー!
学校では、なつのもう一つの夢が始まろうとしておりました。
担任の花村が、来週映画を上映すると告げます。
と、悪ガキが一人、叫び始めました。
「チャンバラー! チャンバラー! チャンバラー! チャンバラー!」
うるせーわ!
ただ、彼以外もチャンバラではないことにがっかりしたのか、反応が鈍いのです。
はい、これには理由があります。
『いだてん』天狗倶楽部の押川春浪もちょっと関係がある、かつての娯楽の話です。
国語の授業で習う作家といえば、夏目漱石、樋口一郎、森鴎外といったところですよね?
しかし、こういう純文学ではない。
ド派手で荒唐無稽!
そういう娯楽を人々は楽しんでいました。
その一人かつ代表が、押川春浪という作家なのでした。彼はSFやファンタジー寄りですけどね。
派手な話の方が、映像化作品としては人を呼べます。
そんな中で王道中の王道が時代劇。ありがちな設定はこんなところですね。
※ともかく美少年が強い。これは日本の伝統です
・ご落胤(将軍あるいは大名の隠し子とか)
・美少年(演じる役者が何歳だろうと、前髪ハラリ)
・めちゃくちゃ強い(血しぶき? 知りませんなぁ)
・ともかくあちこちで悪党を斬りまくる(しかし捕まらない)
・出てきてはやたらと死ぬヒロイン(若手女優の登竜門だからね)
何それ〜?
漫画とかアニメとかゲームでなくて?
そう突っ込みたくなるかもしれませんが、これは戦前娯楽からの伝統です。
あの悪ガキは、それが見たくて叫んでいるのです。まぁ、私たちも理解できる心情の持ち主ってことですよ。
ついでに言いますと、こういう娯楽を通して戦前の子供は「武士が何か?」ぐらい、しっかり学んでいたものです。
とある駄作が、いかにデタラメだったかご理解いただけるでしょう。
動く漫画ってなぁに?
しかし、そんなチャンバラへの熱意を無視して、漫画映画であると説明されます。
なつは、天陽にどういうことか、見たことがあるのかと尋ねます。
これもうまい。
当時の東京と北海道では、差があるのでしょう。
東京の子供である咲太郎ならば、
「チャンバラなんて古い。やっぱり映画はチャップリンさ」
と、言ってもおかしくありませんからね。
昭和時代、都市部から引っ越してきた天陽タイプは、洋楽や洋画趣味を気取っているとバカにされたりしたそうです。
柴田家は、アニメよりも実写派ですかね。
天陽は、なつの質問に答えます。
「漫画が動くんだよ」
「そうかー動くのかー。そうだと思った!」
ここでなつは、もう一つの夢を味わうことになると、彼の父がナレーションを入れます。
なつよ、さあ始まるぞ――。
なつが見る作品は『ポパイのアリババ退治』です。
アニメや漫画の歴史を誠実に振り返る
これはアニメの歴史を振り返る意味でも、重要な点でしょう。
アニメの原点は日本の『鳥獣戯画』であるという、おかしな説が最近出回っているようです。
ジャパニメーションが世界を席巻したことは、事実です。
だからといって、起源説まで日本に誘導してはいけません。****の愚を繰り返してはダメ。
ここで出てくるポパイは、太平洋戦争中、プロパガンダにも利用されています。
※『あんたは間抜けだ、ジャップ』というもの
『キャプテン・アメリカ』にせよ、第二次世界大戦中の戦意高揚を目指した出発点であったわけです。
※その原点回帰が『ファースト・アベンジャー』でした
戦後、日本人はそうしたアニメや漫画の影響を受けて、作品を生み出しました。
絵のタッチやストーリーといった要素を見ても、その影響を否定することはできません。
テレビゲームにせよ、海外の作品が先行しているものが多いわけです。
日本発の文化がいかに世界的に人気があって、それが日本人として誇らしいにしても、歴史修正はしてはならない。
ルーツを奪われる立場のことを考えれば、ご理解いただけるでしょう。
ここでポパイを選び、出してきたところから、そんな作り手の良心が推察できるのです。
ジェンダーバイアスを抜け出して
本作サイトを見ていると、いかに過去朝ドラ出演女優が多いか、あらためて驚かされてしまいます。
そして気づいたのですが、クレジット順序がちょっと独特ですね。
夫婦で【妻→夫】という順番が多いのです。
柴田家は婿養子だからかな、と思いましたが、朝ドラ出演者を先に出しているようです。面白いなぁ〜。
そんな本作制作チームが、強く意識していそうなニュースがありました。
まずはこちら。
◆「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」。漫画家・楠本まきはなぜ登場人物にこう語らせたのか
直接自分に向かって言われたりされたりしたことはなくても、大きなコンテクストでの不平等はもちろん、常に経験していたわけですよね。たまたま私の家庭環境はそうではなかったけれど、世間では「女の子なんだからそんなに勉強できなくていい」とか、「女なんだから家事をして当たり前だ」とか、溢れかえっているじゃないですか。何十年も前から変わらず。それは常におかしいと思っていました。
最近になって、医学部の不正入試問題などあまりにひどい出来事が続いているので、やっぱり黙っているのは、何かを放棄していることになるなと思って、思っていることをきちんと書いておこうと思いました。
少女漫画だけではなく、朝ドラでもそこを意識している。
そう確信した記事がこちらです。
◆北川悦吏子さん、山内マリコさん、速水健朗さんらが「東京の恋愛ドラマ」を語る。
北川さんは「『半分、青い。』は朝ドラの中ではっきり異端でした。担当プロデューサーが女性だったからなのか、彼女は思い切りが良くて、上長の顔色を見ないで「これがやりたい」とはっきりおっしゃる。すごい。この人、出世しなくていいんだ、と思ったのを覚えています(笑)。結果、数字を取ったので出世するかもしれないけれど。
私自身は、脚本を書くことになるまで朝ドラを観たことがなかったのが、勝因だったと思っています。妙な刷り込みがなかった。戦争、実在の人物が鉄板の枠で、それを踏襲しなかったのは、でも、賭けでした」
意識的に型破りにいった。これは興味深い指摘だと思います。
そして『なつぞら』は明らかにこの破った型を踏襲した作品ではないでしょうか。
『半分、青い。』では、鈴愛の言い方がきつい、生意気だというバッシングがあったものです。
年上で父親のような秋風羽織に、食ってかかるような物言いがありました。
それで懲りたか?
逃げたか?
違いますね。
富士子は「頑固ジジイ!」と言い切りました。
あの型破りの延長上に『なつぞら』はあるのです。
朝ドラは、女性を応援するという作品としての特性がありました。
働く女性。
良妻賢母。
内助の功。
しかし、応援どころか、ジェンダーバイアスの再生産をしているとは、私もはっきりと感じてきたことです。
働く女性が、育児ができないことに悩む。子供がグレる。
嫁姑問題はじめ、女性同士の対立。
どんなに聡明なヒロイン設定であれ、理詰めで相手、特に男性に迫るような場面を避ける。
困ったとき、いざとなれば男性を頼り、大仰に持ち上げ感謝する。
独身だろうが、働いていようが、良妻賢母になることが夢だと説明される。
男性にとって脅威となるような、そういう要素は除去される。
これは、特に近年のNHK大阪は必ず織り込む要素でした。
史実におけるモデルには、そうした部分がなくとも。
時代背景としておかしくとも。
まるでノルマであるかのように、入り込みます。
それが数字を取る鉄板であろうと、ジェンダーバイアス刷り込みという観点から【有害である】と私は思っていたのです。
こうしたヒロインって、まるで【爪を抜かれた猫】のようではありませんか。
猫カフェは、猫を愛する人向けの場所とされます。
そんな猫カフェに、客をひっかくと危険だからと、爪を抜かれた猫がいたとしたら?
どう思いますか。
猫にとって重要な一部を、客を笑顔にするために取り除くこと。
それが猫にとってよいことだと思いますか?
むしろ虐待ではありませんか?
猫だけの話じゃない。そんなものしか安心して膝に乗せられないなんて、かっこ悪いにもほどがありますよ。ぬいぐるみで満足しておけと。
朝ドラヒロインに対して、私はそんなことをずっと考えていました。
それを力強く打ち破ったのが『半分、青い。』であったと感じたのです。
鈴愛は、爪で引っ掻き、噛み付く暴れん坊でした。
『なつぞら』は、そこをはっきりと意識して、かつ前へと踏み込んでいます。
女性が強い言葉をきっちりと言う。
鈴愛バッシングをふまえると、勇気ある選択だと思います。
そんな女性へのエールのみならず、男性をも応援している本作。
これこそが、女性にエールを送ってきた朝ドラ100作目の、新たな時代の始まりだと思うのです。
泰樹を筆頭にして、男性のロールモデルがともかく素晴らしい。
そして以前も指摘した、ナレーターです。
母が我が子を見守る声はあったものの、父はなかったのです。
これは男性にとって、差別的なこと。
自らが血を残し、愛を注ぎ、育ててきた我が子を、女性しか見守れない。それも不公平ですよね。
俺は男だから。
父親と母親とはやっぱり違う。
そんな固定概念を否定し、まっすぐな愛を描く。
『なつぞら』は、女性だけではなく、男性の可能性も引き出す。そんな力があります。
これに対し山内さんは「朝ドラは女性の自立を描くことがミッションのはずなのに、揺り戻しみたいに保守的な作品が出てくる。『半分、青い。』にはアンチもいたけど、もし『まんぷく』と放送の順番が逆だったら、鈴愛(すずめ)の自由さはアナーキーな女として歓迎されたのではないかと思います。少なくとも鈴愛は、自分の人生の主役でしたから」と語った。
前掲記事でのここの指摘のように、なつは****のあとだからこそ、受け入れられる可能性も高い。
ここだけは素直に、****の*ちゃんには感謝します!
雑な世論誘導はバレとるぞ
はい、最後に蛇足です。
いつものように黒い感情渦巻くかもしれませんので、嫌いな方はここまでです。
既に『なつぞら』に対して、わけのわからない幼稚なハッシュタグ、前作ハッシュタグをつけて、くだらない誹謗中傷をする信徒が確認されているそうです。
本作を褒める記事のコメント欄も、異常な状態です。
・前作が批判された時代考証ミスを踏まえて、そのまま返している
→北海道独特の史実と、本州を混同している。間違っているのはむしろ批判側。本作の時代考証は、ミッチミチにこだわり抜いています。
・前作がやらかし、かつ見逃されたミスを、本作がやらかしていると針小棒大にあげつらう
→伏線回収前段階で叩いていることも多い。意図的な制作側の作りを理解せず、反射的に叩いている心理が見えます。
しかし、こういう大量投稿、自作自演はもう底が割れています。
◆クラウドワークス「個人の誹謗中傷に関する記事作成案件」を掲載停止に ネットでは「羽生結弦選手の中傷依頼」が物議 – ねとらぼ
大森氏を筆頭に、本作チームは軒並み知略が高い。雑な批判は得策ではありませんよ。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
※数字も好調ですね
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
…と思っていたら、4月11日付で新しい解説が。やはりバターについてでした。農水省さんもいい仕事してますね。
農水省公式サイトでの『なつぞら』解説は、今のところ先週の第5話までで止まっているようです。今週前半は酪農そのものから話がやや離れたからかもしれませんが、今回あたり、「日本でのバター生産の歴史」といった感じで解説してもらえたらいいですね。
今日の『やすらぎの刻~道』第4話。
主人公が脚本を精緻に練り上げていたにも関わらず、広告代理店サイドの意向、それも「この女優を推したい」だの「視聴率が取れない」だのといった理不尽な横槍で、別作品に差し替えられ、ボツに。
前作の如き不可解な作品が生み出されてしまう背景について、また一つ有力なヒントが示されたように思います。
あのじゃがバターの美味しそうなこと。ホットケーキのシーンも併せて、新鮮なバターの美味しさが画面から溢れんばかりでした。
小学校で映画の上映会があるという話。昭和50年代に離島で小学生時代を過ごした私にも、似た記憶があります。おいそれと本土に映画を見に行けない島の子供達のために、年に何回か、町民ホールで、本土で上映の終わったアニメ映画の上映が行われていました。年配の人達は、リアルで「まんが映画」という言葉を使っていたようにも思います。
ジェンダーバイアスの刷り込みについて、これはよくやって下さった!と拍手を送りたい。
一昔前の少女漫画を見ると、フェミニズムやウーマンリブ、戦争や差別への反対、ヒューマニズムを訴える作品が思いの外多く、それも今でも十分通用するものばかり。
それが下って現代…いつのまにやら見えなくなってしまって、それどころか目立つのは『女子力』とか『恋愛』といった文字ばかり。
とても悲しかったのです。
とはいえ『さよならミニスカート(牧野あおい)』のような深い作品も絶えてはいないので、この輝きを維持して欲しいなぁと願っております。
(個人的な話で恐縮ですがLGBTや性同一性障害への抵抗感を無くしてくれたのが少女漫画だったので、なおのこと。)
「日本初のアニメ映画」を将来作ることになるヒロインですから、流石にそこらへんは歴史に忠実にしなければいけないでしょう。監修は小田部羊一氏だし。
言われてみれば、そこら辺は前作の「台湾起源隠し」とは一線を画すといえますね。あれは酷かった。
ビデオゲームもアタリが無かったらファミコンは生まれなかったし、ウィザードリーが無ければドラクエも生まれなかった。
この時代、なんといっても、アニメは、ディズニーかなぁ、と思います。
戦前、戦中にはダンボ、白雪姫、ピノキオ、バンビなどそうそうたる作品が生まれ、戦後すぐにシンデレラ、不思議の国のアリス、ピーターパンなどの名作が次々と上映されます。
実写とアニメの融合も凄く、「南部の唄」は今でも視聴に耐える名作。ポリコレの諸事情により、歴史から封殺はされますが。
そういえば、ディズニーも戦中プロパガンダ映画は結構あります。
日本への空襲作戦を提唱したアニメ映画「空軍力の勝利」は大戦を決定づけるほどの影響力を持っていたらしいですし、ホセ、パンチートなどの可愛いキャラクターで有名な「三人の騎士」も南米との同盟関係の一貫で作られたものと言われています。
それと、今回は「アニメーション」ではなく「まんが映画」とちゃんと言っていました。初回、アレェ?と思ったのですよ。ちなみに私の母は今でもアニメを「まんが」呼ばわりしてます。
>匿名様
ご指摘ありがとうございます!
確認しましたら「わしも」ですね^^;
修正させていただきましたー!
ちなみにU-NEXTで見ましたです。外に居ても直せて便利♪
いつも楽しく拝読しています。
すみません、つまらないことですが、
目次と本文の2か所に「明日もうまいバターを・・」と出てきますが、おんじは「明日も」うまいバターを作りたい、ではなく、「ワシも」うまいバターを作りたい、と言っていたと思います。
聞き間違いかと。ご確認願います。
NHK大阪は、『カーネーション』の終盤のヒロイン交代時と『純と愛』の批判から、変な意味で保守的になりましたね。後者に至っては再放送もされていません。そろそろ再放送をしてほしいのですが、本放映時に見えなかった点が見えると思いたいのですが。
今朝おしんの前に起きてしまった(なつぞらの新しい回が早く見たくて早ぞら前に起きてしまう)ので、おしん(その前のぐっさん台湾トラック旅からですが)から見てみました。
圧倒的に違うのは劇伴の豊かさですね。たぶん劇伴をシーンごとに分析しても、劇伴文法が全然違っていると思います。懐旧的におしんを持ち上げるコメントがTwitterでは目立ちますけど、ぼくはあらゆる面でなつぞらの方を推すと思います。今のところ。
それはそうと今日は開拓一世泰樹さんヒストリーがぽつぽつと語られて非常に興味深かった。その流れでこのレビューを見に来たら分析が素晴らしいので満足です。