もくじ
母でなくてもいい、おばさんでいい
富士子は反省するところがあったのか。
むやみに縛り付けず、進学を許そうとするかのよう。
そしてこう思っていると告げるのです。
「いいんだよ、もしもいざというときは母と思わなくていい」
9年間一緒に過ごしたおばさん。
それでこそ家族かも。どんなことがあっても応援するおばさん。
味方になってくれると思ってくれたらそれでいい。私はそれでいい。
「どうしてそんなこと言うの? したから私を東京に? 私をお兄ちゃんに返そうとしたの?」
なつはそう言うと、富士子にギュッと抱きつきます。
「私から母さんを取らないでよ、母さんを取らないでよ。やだよ……」
「そんなつもりで言ったんじゃない。ごめんなつ、ごめん……」
感動的な場面です。
素晴らしいと思います。
血の繋がりはあろうとも、なかろうとも。
違いに愛情や友情があればこそ、そのことで束縛してしまうこともある。操ろう、干渉しようと考えるものもいる。
そうじゃない。
ほんとうに大事な相手ならば、その自由を尊重したいということでしょう。
泰樹といい、富士子といい。そうなんですよね。
広瀬さんの演技も、松嶋さんの演技も、見ていてぐっと胸に迫ります。
ただし、これは言っておきたい。
ゆーみーこー……またお前か!
心を引っ掻き回すことに定評のある夕見子です。この場に不在でありながら、引っ掻き回したのは彼女の宣言のせいです。
この、イジワル軍師め!
しかし彼女にしてみれば、
「滅相もない。母娘和解、感動的な場面を作った功労者ではありませんか」
ぐらいに思っていそうだな、おいっ!
「雪月の夏」ひとつくれ! こっちにも!
そんな夕見子は「雪月」で雪次郎と何かを待っています。
運ばれて来たのは、大盛りのかき氷。
ここで雪之助が説明します。
氷の中にパイナップル入り。そしてリンゴのシロップがたっぷり!
こんなの説明聞くだけでも美味しそうだわ。
モデルはこちらですかね。
ぬかりのない本作は、マーチャンダイズセンスもあります。
こんなの、コラボあったら買うに決まっているでしょ!
受信料の使い道として、いいですね。北海道胆振東部地震の復興にもなるでしょう。
NHK大阪も、実在する京阪神企業の宣伝はそろそろやめて、地震や豪雨被災地ドラマでも作りませんかねぇ。
新メニュー「雪月の夏」は、氷を雪、パイナップルを月に見立ているのだとか。
「雪と夏は矛盾しているのに」
そう指摘する夕見子。趣味は矛盾の指摘なので……そこはむしろ、その発想を褒めて!
そんな夕見子に惚れている雪次郎は、自分も北大に行こうかな〜と言い出します。
お前の成績と北大じゃそれこそ矛盾、とすかさず雪之助がツッコミ。
札幌で修行もできると言い張る雪次郎に、父子二代同じ東京の店で修行させると雪之助は断言するのです。
ここで雪之助は、昭和6年(1931年)頃「川村屋」で修行していた時代を振り返ります。
夕見子が偶然に驚きます。
なつと富士子の行き先が新宿でしたね。
イジワル軍師、デレる
そこへ妙子がやってきて、忙しいのに話が長いと注意をすると……。
「忙しいのに、何油売ってんのさ」
とよも登場。
待ってました!
しかし雪之助は、過去を振り返ることに夢中です。
クリームやチョコレートを学んだなあ、とウットリしています。
ここで、帯広と新宿がつながったと言えなくもありません。
そのころ新宿では、なつと富士子が「川村屋」のクリームパンを食べています。
味は「雪月」と似ているのだとか。
これはきっとおじいちゃんが好きになるよ、あそこのシュークリームが好きだから――そう語り合っています。
その後、柴田家では、夕見子が帯広土産を持参して帰宅して、牧場で休むじいちゃんや戸村父子にこう声をかけます。
「はいっ、帯広土産。がんばって、がんばってね!」
そしてにっこり。
おっ、どうした、夕見子?
こんなにかわいい性格だったっけ?
「女らしいところを初めて見た!」
これにはそう戸村父子もびっくりしています。
照男も言います。
「母さんとなつがいないとこうなるのか」
おいっ、夕見子!
どんだけ日頃無愛想なんだよ!
「もったいなくて食えん」
土産のシュークリームを見つめる泰樹。その割に、いきなりガブッ!
言動不一致こそ彼の個性です。
そしてこう言うのです。
「おい、あとふたつしかないぞ」
ん?
個数がおかしいような。夕見子よ、慣れないことに間違えたのかな?
夕見子がおもしろいので、それだけでも【いいね!】ボタンがあれば連打するところですが。
大森氏のことですから。
「雪月」と「川村屋」で伏線を張りつつ、敢えて夕見子のデレで弱めようとしたのもしれません。
伏線がガッチガチの本作。
入り組んだ設定も多く、情報量もかなりあります。
それを感受性の赴くままに描くと、読みきれない視聴者クレームやSNS投稿が殺到するかもしれない(『半分、青い。』がその一例)。
そこで、大森氏や『真田丸』から流れたチームとしては「ヒントがわかりやすすぎるだろ〜」と思いつつも、そういう配慮をしているのではないかと感じます。
咲太郎は浅草にいる!
翌朝、クリームパンを食べているなつと富士子のもとに、信哉がやって来ます。
なんでも「ムーランルージュ新宿」から、浅草に流れた者が多いとか。
そこを重点的に聞いていたそうです。
なつは、そんな信哉に感謝し、こう口に出してしまうのです。
「本当かい?」
あー、これが北海道弁です。
「本当?」
「本当に?」
「本当なの?」
「本当なのか?」
ではない。
「本当かい?」
これね。これですよ!
そしてここの描写も、本当に短いけれどもうまくて。
ぬるい駄作だと、
「偶然浅草で見つけた!」
「きゃー!」
となりかねない。大森氏はそうしない。
ナゼ浅草なのか?
その答えをちゃんと入れて来ます。
咲太郎は、浅草「六区館」におりました。
この浅草というのも、ポイントですよね……。
浅草、それは魅惑の街
浅草!
江戸時代の吉原から続く、粋な文化の中心地でえ!
幕末では新門親分が典型例ですが、将軍様のお膝元。
江戸っ子の中心地といえば、浅草です。
『いだてん』では小梅が浅草で芸者をしておりましたね。
ただ、ランクとしてはちょっと低い。
浅草芸者は、庶民を相手にしているものです。
のちに古今亭志ん生となる美濃部孝蔵が、うろうろするのも納得の街。庶民の街でして。
『いだてん』では、浅草で遊んだらしき美川が、鬼教師・永井に肋木捕まりの刑罰を受けます。
けしからんということだけではなく、深刻な意味があります。
「梅毒に罹ったらどうする! 遊ぶならもっとランクが上の女にしなさい!」
ちなみに、浅草で生まれ育った友人によりますと、アウトローも結構、気質が違うとか。
粋な江戸っ子、新門親分以来の伝統があるせいか。
庶民にはそんなに絡まないらしい……かといって、清廉潔白だとは言いません。
いわれてみれば、アウトローを扱うフィクションでも、舞台は新宿あたりが多いものです。
浅草のアウトローは、三社祭で神輿を担ぐ。
そういう姿もあるものですね。
朝ドラからかなり脱線しましたが、ともかく!そういう浅草に、咲太郎はおりました。
どうなったのだ、咲太郎
そして、朝ドラとは思えないほど露出度の高いダンサーも映ります。
浅草の説明ですので「エロで釣る気か?」という批判にはあたりません。
浴衣。褌尻。アトリエで踊るマンボダンサー。
****でダメだったのは、何の脈絡も必要性もなく出てきたから。
なつの兄・咲太郎は、島貫という芸人の付き人をしておりました。
「師匠!」
そう呼びかけると、役者だという師匠は寝転がったままブツクサ言っております。
なんでも松井という相方がいないそうです。
「どうせ博打だろ」
島貫は不機嫌そうに言います。
そうそう、浅草は江戸時代から賭場も多いものですね。
この時代、浅草の男なら博打くらいしてこそ、ってなもんかも。
古今亭志ん生も、弟子にまで花札を勧めて妻を怒らせていたそうで。
そんな島貫は、咲太郎に向かって「お前がステージにあがれ」とぶん投げるわけです。
森繁久彌のモノマネでもやれ、って。
しかも役者もやめてやるって。
いいからやってこい。そう言われる咲太郎。
ここでナレーターである父が語ります。
なつよ、覚悟はいいか――。
父もつらいよ
これまたうまい。
なつと咲太郎の父は、断片的でありながらも、実は人物像が見えてきてはいます。
・絵がうまい
・こっそりと上官をおちょくった似顔絵を描き、戦友である剛男を笑わせていた。ユーモアセンスあふれるお調子者
・我が子にタップダンスを習わせるほど、モダンで流行を追いかけるタイプ。エンタメが好き
・彼は江戸っ子では? そうなると、結婚後はさておき、独身時代に江戸っ子の嗜み【飲む・打つ・買う】と無縁だったと言い切れるのか?
・そして語るのが、コメディ出身の内村光良さん
絵のセンスをなつが引き継いだのであれば、お調子者の部分は兄がそうかもしれない。
そしてあの年齢で、新宿に浅草。
優等苦学生・信哉コースではありえないわけです。
覚悟はいいか?
それは、ナレーターが自分に言い聞かせているセリフでもあるかもしれません。
我が子が浅草ではじけちゃってて、それを見る羽目になって、しかもナレーター。
第三者視点でも、天から見る視点でもない。
そういうナレーターは、感情移入するところがおもしろいんですよね。門倉番長の告白にも、戸惑っていましたし。
お父さん、がんばって!
朝ドラはダークサイドを描けるのか?
さて、元号が変わりました。
そのあたりでもちょろっとだけ。
回想番組を見ていると、こうして一区切りすることで、なんとなくいい時代だったと流されてゆくのだなぁ……と思ったものでして。
そんなことない――と言っておきたい。
平成の持つ毒や残酷な一面に、翻弄された当事者が声を上げると、いかに潰されるか。
それを痛感したのが、ある意味『半分、青い。』バッシングです。
まーた出たよ、という方はここまで。
あの作品において、1971年生まれの楡野鈴愛と萩尾律たちが味わった苦難は、平成のリアルでした。
就職や転職であぶれた者の直面した低賃金。
LGBTへの無理解。
シングルマザーの孤立無援。
リーマンショックで切り捨てられる部門。
東日本大震災。
彼らも好きで職業を転々としたわけでもなければ、目標のない生き方をしていたわけでもない。
その姿を赤裸々に、リアリティを持って描いただけで、わけのわからん批判があったものです。
わがままだの、母親失格だの、自分勝手だの、何を目的として生きているのかだの。
昭和と高度経済成長期に現役だった層はともかくとして。鈴愛と同世代でもぶっ叩いていたのはちょっと理解が難しい……。
好き嫌いならそれでいいとして。あてつけのように嘘と差別まみれの****を絶賛していた層はもう理解が追いつきません。
そういう意味で、****は朝ドラの使命を果たしていたとは思います。
『あまちゃん』や『半分、青い。』にあった、平成の若者の直面するリアルを受け止めきれない。
嘘まみれの昭和ノスタルジーにどっぷり浸っていたい。そういうファンタジー大好きな視聴者層を慰撫する。
そういう役目もあるんだなと。
何十年か後には、
「平成って素敵! 誰もが自由に生き生きとできた、差別なんてない時代でした!」
というお気楽ファンタジードラマが放映されているかもしれません。
そういう意味では、本作と『いだてん』は挑戦的です。
昭和のダークサイドにも踏み込んできています。
戦災孤児の境遇、女子の大学進学をめぐる描写の時点で、こりゃいけると思ったものですが。
期待を裏切らない。
そういう手応えが強くなるばかりです。
ストリップや博打という単語が出てくる。浅草のショーのいかがわしさ。
しかも、アウトローど真ん中の人物も出てくるそうです。
ノスタルジーではない、東映実録路線を思わせるような、昭和のドロドロした部分を朝ドラでどこまで迫れるのでしょうか?
個人的にはもちろん期待しております。
※昭和はヤクザの抗争で犠牲者が出まくった時代。NHK大阪でも広島舞台にしてやらんかーい!
【注】編集部より
5/6より本コーナーを武将ジャパンに移動して連載させていただきます。
突然で申し訳ありませんがよろしくお願いします。
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
「あまちゃん」という物語は、天野アキという少女の5年足らずの迷走が、結果として「潮騒のメモリー」を巡る春子、太巻、鈴鹿の三人の因縁や蟠りを解いて、彼らが新たな人生の一歩を踏み出すに至らしめた、という極めて意識的にかつ精密に作り上げられたファンタジーなのではないでしょうか?
スポニチアネックスの記事に、草刈さんのインタビューがありました。
意識的に真田昌幸に寄せている事や、とにかく脚本が良いとの語りが。
渡された本を読んで、涙される事も多々あるのだそうです。
演者からこのような話が出るのは、当たりドラマのあかし?
以前にも投稿させていただいたことがありますが、
最近のTVドラマは、「現実世界では実在した不快なやりとりや理不尽な抑圧」等を、作品中で描写することを不自然に避ける、当たり障りのないような表現に逃げる、「マイルド化」してしまう、という傾向がかなり強く見られます。
「不適切な表現で視聴者に不快感を与える」のとは異なり、描写自体には問題はないのに、「そんなシーンは嫌だ」というワガママ視聴者?のクレームを気にしすぎるあまり、マイルド化に逃げ、本来描くべきものから逃げ回っているかのようです。
そういう傾向とは一線を画し、作中の時代に実在した様々な不合理に向き合って描写しようとしているのが、朝ドラ『なつぞら』と、昼ドラ『やすらぎの刻~道』です。
両作品には、今後も大いに期待を持っています。
少し先の話をします。
なつが東映動画(ドラマでは東洋動画)に入るのが昭和30年代前半。ディズニー越えを目指すクリエイター集団で、また手間暇かけて良いものを作る事への会社側の理解もあった幸せな時代でした。
貫地谷しほりさんの役が後に虫プロに移籍される女性だと思うのですが、となると、手間暇かけずにグッズや権利販売を前提に赤字でもテレビシリーズの受注を独占しようとしたなどのドロドロ話も書く覚悟なのでは?と思えてなりません。
制作陣は小田部さんを始め当時の東映動画の人達にかなり綿密な取材をされているそうですから、大森さんなら暗部も描き切ってくれるかもしれません。
夕見子が泰樹らにシュークリームを届けてきたシーン。
見ている当方もズッコケそうになりました。
いつも「キッ」としている人から、なんの前触れもなく優しくされたり、可愛らしげな一面を見せられたりすると、どう応じるべきかわからず戸惑ってしまう。
で、その出来事は忘れられないものとなってしまう。
意外に日常生活あるあるな出来事では?
今回のシーンと近い時代の東京の洋食屋と言えば、
『ひよっこ』のすずふり亭ですね。
すずふり亭の気取らない雰囲気、誠実なシェフ。
良かったなあ。
本作の川村屋はどんな魅力・面白さを見せてくれるでしょうか。
因みに、私の閲覧環境では、六花亭の箇所は何ら異常なく閲覧できています。
富士子となつに、確固として結ばれた絆。
つい、ドラマ版『火垂るの墓』での、同じ松嶋菜々子さん演じた鬼叔母・久子の姿が頭をよぎってしまい…
時代が時代なら、あるいは、あの重なった不運の一部でも避けられていたなら、
節子も久子に慈しまれて育つことができただろうに。
久子も節子に愛情をそそぐことができただろうに。
とても切なくなりました。
それはそうと、
『なつぞら』が、『いだてん』の舞台の一つの浅草の演芸界とも関わるようになってきましたね。
今回の咲太郎?の姿は、『いだてん』の五りんとも重なるような…
五りんも確か戦争で父を亡くし、空襲で形見の品もほとんど失っていたし。
両者、互いに場面のどこかですれ違っていたりして?
管理人様
度々すみません。
本日分でまた六花亭のかき氷『六花氷』の紹介囲みで
本文が隠れてしまっています。
善処をお願いします。