泰樹は、帰宅し牧場を手伝おうとするなつに、こう語りかけます。
「折り入って話がある」
「なんもない! 今はない、でしょ!」
泰樹のせいで緊迫した柴田家。
そしてその晩、夕食を迎えるのでした。
柴田家の食卓
柴田家のいつもより静かな夕食。
洞察力抜群の夕見子が、不穏な気配を感じ取っています。
「なんかあったの?」
そんな娘を、富士子がギラリと睨みつけます。
剛男が、食べながら喋るのは行儀が悪いだろうと最もなことを言います。
聞いているでしょうか。
食べながら喋るどころか、口の中をくちゃくちゃと見せていた前作****のスタッフさん。
まぁ、それはさておき、夕見子が反論します。
富士子ちゃんがいないと寂しよぉ〜状態だったくせに、って。普通に喋るなら別にいいとかなんとか、モゴモゴと言い返すしかない剛男です。
明美は、姉に似て知略を身につけており、なつが黙っているところに、異変を察知します。
「悩んでいることでもあるの?」
明美にそう聞かれ、なつは「ないよ」と即答します。
ここで明美は、
「お兄ちゃんの夢を見てたし」
と続けます。
さて、どっちのお兄ちゃんかな?
たまらず照男がムセています。なつは東京のお兄ちゃん=咲太郎と言い切りますが。
話の流れで、咲太郎が無実で釈放されながら、行方不明だということが剛男の口から語られます。どこにいるんでしょうかね……。
「明美は本当に余計なことを喋る」
夕見子が、お前が言うな感のあるたしなめるのですが……。
夢で会えたら
明美はさらに続けます。
なんでも担任の花村先生から、夢に出てくるのはその人が死ぬ時だという話を聞いたそうなのです。
夢占いってやつですね。北条政子なんかわざわざ買っているし。
「夢に人なんて出るべさ」
照男がここでそっけなくそう言い切ります。
すると今度は、
「お前の夢にも人が出るのか?」
照男が、剛男から突っ込まれたりして。
そんな夢問答ではなく、なつが授業でバターを作ったと言い出します。
「雪月」がバターを作ったお菓子を作りたいとも。
泰樹と照男は、ちょっとうれしそうな雰囲気です。頭の中には、なつと叶えるバターの夢が渦巻いているのかな?
本作の辛いところって、泰樹と照男の夢と愛が挫折するところかも。
かなわないとわかっていても、応援したくなっちゃうんですよね。困ったもんだ。
直後、その決定打が出て来てしまうのです。
そこでなつは出会ってしまう
なつは天陽と『ファンタジア』を見るために、映画館へ向かいます。
そこでなつは、運命の出会いを果たすのです。仲の言葉が、スクリーンを見つめるなつに思い出されて来ます。
絵に命を吹き込む。
その素晴らしさ。
魅力。
なつの脳裏に、父の絵から動き出した家族の姿が浮かんできます。
父の残した絵に、動きで命を吹き込むこと。
それこそがなつの、失ったものを取り戻す過程なのだと。
咲太郎は、物理的に取り戻そうとして、金銭面で騙されてひどい目にあっています。
莫大な借金は、彼を苦しめ続けることでしょう。
一方で、なつは別の道を目指すことになる。
そう示されて来ました。
映画が終わると「東洋映画」の新スタジオ告知とアニメーター募集の広告動画が流れます。
大杉満社長が目標を語り始めるのです
日本初の長編漫画動画を作る。漫画映画には国際性がある。世界に進出したい。
そのために、世界でも珍しい最新式のスタジオを作り上げている。
宣伝の動画には、なつがスタジオで見た姿もチラリと映されています。
記念すべき第一作は、中国古典を題材とした『白蛇姫』。
そのためにも、志のある若い人を求めている。よろしくお願いします!
※モデルとなった『白蛇伝』と比較してみましょう
なつの目がさんさんと輝き始めます。
彼女に創作の楽しさを伝えてきた。
そんな演劇部の演目と共通する、白蛇がテーマ。運命がそこにはある。そう思えて来たのでしょう。
「雪月」で妙子、そして、とよが強い!
映画を見終えた二人は「雪月」へ移動。
出迎えるのは、知将・妙子です。
「雪次郎と待ち合わせなの?」
イキナリ話を振って来ました。
本気でそう思っているかどうか、なにぶん知将なので判断がつきませんねぇ〜。何か探ってませんか?
それが二人で映画帰りとみるや、
「雪次郎を誘わなかったの?」
と言って来ます。
これもデートだと判断したいがゆえの質問と見た。
「冗談よ、いーわねえー。映画どうだった?」
「いかったですよ」
「なまらいかったさ」
妙子はさらに映画なんてどうでもいいくせにぃ〜と振ってくるわけです。
変なことを言っている、と戸惑うなつ。
お返しとばかりに、痛いところを突きます。
「(妙子さんは)とよさんに似て来ましたね」
「本当に? 嫌なこと言うねえ!」
これには妙子もちょっと動揺したかもね。まぁ、そこは突かれたくないもんね。
夕見子に鍛えられたなつも、言われっぱなしでは終わらなくなって来たのでしょう。
そこでタイミングよく、とよが登場!
呼ばれてないけど、呼ばれたようにドドン! 毎回、存在感ありすぎですってば!
とよは、天陽のことを絵描きと呼びます。
「絵は描くけど、絵描きではないです」
そう言う天陽に、
「理屈っぽいねえ」
と返すとよ。
理屈っぽいというか、天陽ってちょっと不思議なところがありますもんね。
返す刀で、とよは泰樹ジジイが元気かどうか、なつに聞いて来ます。
「じいちゃん元気? にがーい顔して、砂糖舐めてんのかい?」
そう言っておきながら、一人でこう言い出すという。
「あれ、私、邪魔かい? 邪魔邪魔、またあとでね」
なんて言いつつ、褒めているけど映画はどうでもいいもんね、イヒヒと意味深に笑うとよババア。
今朝も強かった……。
※続きは次ページへ
十勝編は、とにかく巧みなんです。
東京編のように無駄に引き画を多用して、余計なものまで写し込んでしまうこともなく、街角や列車の内外など、部分的なシーンの積み重ねで、うまく雰囲気を出してしまう。
こういうスキルがあれば、無駄に大規模なセットを作る必要もない。
ちなみに、前作レビュー・コメントで絶賛された『めんたいぴりり』も、ロケ以外の撮影は、驚くほど狭い屋内スタジオを駆使して行われていたそうです。
十勝編に比べ、東京編のなんとはなしの雑さは、私も感じています(笑)
何年も消息不明の兄ちゃんはすぐ見つかるし、天陽の兄ちゃんともあっさり会ってしまうし。
十勝編頑張りすぎてしまったか?
上京後の本格東京編での挽回を期待しています。
閑人様。
ご意見を拝読しました。
私は、東京編と十勝編では何か描く姿勢に大きな違いがあるように思います。セットをどこまで作れるか、というのはそのとおりかも知れませんが、十勝編ではそういう制約を超えて、的確な描写をしているのに、東京編では何か勘違いし、おかしくしてしまったように思います。
詳しくは、第32話のコメント欄に記させていただいていますのでご参照ください。
ちなみにあの路面電車は、地方であのタイプが実在した土地ならともかく、場面が「東京」で、「都電であるべきもの」なのにあの体たらくである、という点で、私は「アウト」としています。
確かに、なんでも原点に戻せば良いという発想では単なるノスタルジーになりかねませんね。
監督やスタジオにブランド力があれば高リスク、高コストの作品にも資金が集まり、末端の作り手にまで売上が還元される仕組み作りは不可能ではないはず。作家性に重きが置かれすぎた面もあったでしょうが、ジブリが目指したのはそれでした。最初の資金の一部をクラウドファンディングで集めた「この世界の片隅に」の例もあります。
きっと色々な関係者が危機感を持って改善に努めていることと思います。アニメーション業界が置かれている課題がこのなつぞらで多くに共有されて、より良い改善に繋がるキッカケになったら素敵です。
蒸し返すようですみませんが、時代考証の件、私はあまり深刻なもので無ければ間違い探しくらいの感覚で楽しむことにしています。
時代考証にどこまで厳密性を持たせるかは、受け取る側の個人差もありかなり難しい問題だと思います。
資金と時間が無尽蔵であれば、万人が納得するものをとことん追求できますが、実際には不可能で、どこかで妥協は必要です。
アナログの時代であれば、細かいとこは見えないので何とかなりましたが、デジタル、ハイビジョン、4K8Kと、どんどん見えなくていいものまで見える時代になって、制作側にはつらい時代ともいえます。
それでも小物であれば、美術や小道具担当さんの熱意と努力でかなりのレベルまで行けるとは思いますが、大物(建物とか車両とか、あるいは街並み全部とか)になると個人レベルでの頑張りではなんともできなくなります。
しかも、建物とか車両って年代で結構変化があって、わかる人には違いがわかるんですよね。私も詳しいほうなのでよく気になっています。ただ、専門家やマニアレベルまで満足させるのは結構大変です。今はCGという手もありますが、CGも精巧なものはかなりの時間と費用が掛かりますので、数回使うか程度の場面まですべてCGというのも無理な相談でしょう。
問題の路面電車ですが、私も“あれはちょっと”と思いました。ただ、調べてみると、昭和30年代だと各地の路面電車でまだあのようなタイプはかなり走っていたようなので、ギリギリセーフなのかもしれません。それでも都電ではないし、ましてやあの塗装はもうちょっと何とかしてほしいとは思いました。
また、新宿にバスで到着するシーンですが、はるばる到着した感を出したかったものの、駅のシーンにする時間も予算も無かったのだろうと思っています。駅、それも新宿駅となるとかなりの大きさのセットを組んでも、それなりに見せるのは結構大変です。
“ひよっこ”の上京時に上野駅が出てきます。かなり手の込んだもので見ごたえはありましたが、スケール感という点では、現実の上野駅と比べて微妙なところです。
BSの“おしん”を見ると、ロケはかなり少なくオープンセットは無し、ほとんどが室内や家回りのセットで進んでいきます。今はどうだか知りませんが、NHKの看板商品の朝ドラでも昔は予算は少なく、ロケ日数やセット数も最小限で回していたと何かで読みました。アナログ時代なので、精緻さなどは現代作品と比較になりませんが、ドラマ本体が面白ければ、そのあたりはあまり気にはなりませんね。
ポプテピピックは非常に手の込んだアニメでしたね
余計なお世話ですが、近作で評判の良いアニメも鑑賞されても良いかと
3D作画作品のケムリクサなんていかがですか
アマゾンプライムで見られると聞きましたよ
昨日も申し上げましたが、黒人の女の子をヒロインの一人に据えたり、LGBTを出したり、様々な国籍の人間を登場させるキャロル&チューズディのような意欲作も作られているにはいるんですよね。
ホントに頑張ってもらいたい!!
前述の書籍はインタビュー集で、なつぞら第31話には少なくともそのうちの3人が登場していました。仲努=森康二、下山=大塚康生、なつ=奥山玲子。
私が森康二さんの項で印象的だったのが、人や動物が痛みを受ける描写がどうしても嫌で、仲間が描いたそんな絵にすら拒絶反応を起こす、そんなクリエイターとしての神聖な姿勢にです。
私個人は、この時代の東映とは対局ともいえるあしたのジョーやヤマトにガンダムも好きだった口なので、そんな綺麗なものは持ち合わせません。曰本独自の方向へ進んだジャパニメーションにも勿論良い面も沢山あります。でもふとおもうのです、あぁアニメーションって、本来は子ども向けに作り手たちが情熱を注いできたものだったのだなと。。
日本のアニメーションに原点回帰してもらいたい。その為に、東映動画の前史から含めて、黎明期の頃の志し高く輝いていた時代から描き始め、やがて日本のアニメーション産業が陥る「漫画原作ありの無難な、暴力やエロなど気が引ければなんでもありの、なるべく動かさずに低予算で作れる」路線への変節と、やりがい搾取の横行が招いた高齢化により自らを滅ぼさんとする暗黒面も、このドラマではきちんと描いて欲しい。
この負のスパイラルから抜けて原点回帰を果たせたのが、時代考証役の小田部さんなのてす。この方はそんなタイミングで任天堂に出会い、そこに日本アニメ草創期のような健全な息吹を見ます。自らスタジオを起こして原点回帰を図った宮崎駿さんとの対比も面白そう。
何だか偉そうな事ばかり書いてしまいましたが、久しぶりに書籍「日本のアニメーションを築いた人たち」を読んだ受け売りです(汗)
なつぞらを機に重版かかるといいでねー