なつぞら134話 感想あらすじ視聴率(9/3)涙も号泣もない 遺影とのリアルな再会

昭和48年(1973年)夏の終わり――山田天陽は馬の絵を描きあげました。

妻の靖枝は、じっと見入っています。
それからこう言うのでした。

「あ! 大変、病院に戻らなくちゃ!」

しかし天陽は、畑を見に行くと告げるのです。
もうすぐ収穫だから、見たいのだと。靖枝がついて行くと言うのも止めます。

もうすぐ親父が搾乳に来る。ちょっと見るだけだ。
お袋と子供達を頼むって。

今だけなのか。
これからずっとなのか。
天陽は畑に立ち、土に触れます。

「あったかいな……」

それからかぶっていた帽子を投げるのです。
帽子が飛んでいって着地するとほぼ同時に、後ろ向きに倒れました。

それは、夏の終わりのことでした――。

ナレーションがそう語る中、まるで飛び立つ天陽の魂が、彼自身の肉体を見下ろすように、カメラは上へ。

信じられない、もう彼がいないなんて

東京で、なつは仕事中。
そこへ穏やかならぬ表情の陽平が来て、あの噴水へ誘い出します。

「なっちゃん……」

「どうかしたんですか?」

なつは、陽平まで辞めるのかと尋ねます。マコプロに行くのかって。

「なっちゃん、落ち着いて聞いてくれ」

「もう何を聞いても驚きませんから」

「天陽が、死んだんだ。今朝早く、亡くなったって」

「何を言っているんですか?」

「信じられないけど。嘘じゃないみたいだ……」

あまりに衝撃的な知らせです。

なつが冷たい、薄情な女。
そういうバッシングが想像がつきますが、これもリアルな表現っちゃそうですよね。

・まだ天陽は若い。靖枝はじめ、周囲の人びとすら予想できなかったこと

 

・神っちやイッキュウさんら【魔王】の手下のせいで混乱中

 

・作画監督として、それだけ仕事に真剣に取り組んでいる

なかなか残酷な重ね方をしてきたとは思います。
同じような経験のある人には、胸に刺さるのではないでしょうか。

陽平にせよ、なつにせよ。
涙がこぼれないところもリアリティを感じるんです。

そう、あれがママの家

なつはやっと、柴田牧場へと向かいます。
まとまった夏休みが取れたのは、9月になってからのことでした。

現在の東京なら9月でも暑いですが、当時の十勝でしたら、もう秋の気配が濃くなっています。
昭和40年代でしたら、真夏でも涼しいのが北海道の気候ですから。

「あっ、牛さんだ!」

「そう、あれがママの家」

優にそう示すなつ。
短い言葉ですが、これにどんな深い意味と感慨があるか。このドラマを最初から見ていれば、おわかりいただけることでしょう。

おじいちゃんとおばあちゃんのこと。ひいおじいちゃんのこと。
2歳の時以来だから、覚えていないか、となつは優を気遣います。

これは、なつが特に冷たいってわけじゃないんだわ。

SNSどころかインターネットもない。
おまけに東京と北海道。そうであれば、このくらいの距離感でいいんでないかい。

「広いね!」

「広いでしょ」

「お馬さんもいるの?」

「いるよ。見に行こうか」

なつと優はそう語り合います。
広瀬すずさんが母としての愛を感じさせて、感慨深いものがあります。演技ってこういうことですね。

「ただいま〜」

なつとまず顔を合わせるのは、砂良です。これは靖枝もそう。
地方のお母さんが、ちょっとオシャレしたエプロンを見につけている。そんな雰囲気が出ているんですよね。

とよ世代は割烹着だし、富士子世代とも違う。
機能性とオシャレしたい気持ちをあわせた、そういう衣装なんです。スタイリストさん、今日も本気ですね。

忘れられるじいちゃんの悲哀よ……

「ついたのかーい! おかえり!」

富士子と剛男も、孫に大喜び。

「優ちゃん、お帰り!」

「おばあちゃん、ただいま!」

これにはなつも驚いています。
2歳なら覚えていないと思ったのに、ちゃんと記憶にあります。ばあちゃんのことを絶対忘れないって約束したと、富士子はすっかり喜んでいます。

「じいちゃん、覚えてる?」

が、剛男は覚えられていないんだわ~。
しかも、優ちゃん、嫌がってる。リアリティのある反応だわ。

この現場、どういうレベルの演技指導してんのよ?
とは、再三指摘していますが、子役は演技指導の鏡。半端ないわ。これは半端ない。

思えば本作の凄みを最初に確信したのは、剛男が復員した場面でした。

なつぞら1話 感想あらすじ視聴率(4/1)タンポポ食べるヒロインに期待♪

離れていた期間が長い家、父との別れがあまりに幼いときだと、認識できないわけですよ。
子供にとっては
「気持ち悪い、一方的にベタベタしてくるやつれたおっさん」
になると。

でも、復員兵の父を嫌がる子供ってさ。
マスコミとしては感動ネタにならないんですよね。そこで、新聞記者は話を盛るわけです。

娘の明美ちゃんは、「お父さんに会えて嬉しい」と大喜びであった。

ってね。

ドラマもそれを踏襲することがある。
でも、本作は違った。ゆえに、これはなんだか凄そうだと感心したものです。

今はマスコミ志願だという明美も気になるところですが、まずは目の前のことからですね。

なつは、働く者たちの場所、酪農へと向かいます。

本当になるのが怖かった

そこには、照男や泰樹、戸村父子もおりました。

どんだけ仕事細かいのよ、っていうのは戸村悠吉の耳に、鉛筆かペンらしきものが挟んであるところですね。昭和のおじいちゃんだ。

この悠吉にせよ、そして泰樹にせよ。
引退後のおじいちゃんが、茶を飲んでいる感が出ています。

かつての泰樹は、西部劇風、独自のファッションセンスがありました。
そうではなくて、今は普通のおじいちゃんです。
眼光も穏やかになりました。

照男は電話してくれれば迎えに行ったと言います。

地方だなぁ~。
駅まで車で行くことは、お出迎えの第一歩だからね。バスだなんて、ちょっと水臭いんでないかい。そんなニュアンスもあるんですよ。

優は人見知りをしているのか、泰樹にちょっと怯えています。
なつは、名付け親だと説明します。

「おいで!」

「……ただいま」

「おかえり、優! はははっ、重くなったな!」

ここでなつはこう切り出します。

「じいちゃん、照男にいちゃん、私……」

「うん……」

照男も、誰も彼もが驚いている。
信じられないのです。

なつは忙しいこともあったけれど、本当になるのが怖くて、来られなかったのです。
葬式すら出ていません。

葬式は、新聞もテレビも駆けつけたそうです。信哉もその中にいたかもしれませんね。

「あんなに偉い画家だったなんて……」

皆そう驚いています。
そういうところはひとつも見せなかった。威張らない。生活を変えない。ありのまま、彼らしく生きていたのだと。

「なつ、まぁ、ゆっくりして。それから会いに行けばいいべ」

照男がこう話を変えます。

「あっ、なつ、牛舎見るか?」

そしてなつは、牛舎へ。

人馬、天上での再会

そこにあったのはミルカー。搾乳機でした。歴史を調べてしまいました。

◆ミルカー(搾乳機)の歴史とその技術進化

柴田牧場では、3台導入しました。
お陰で搾乳時間が劇的に短縮されたと言います。

菊介はそのことを自慢し、おかげで親父は乳搾りをしなくなったと。

腰痛もあり、高齢の悠吉が引退することは、よいことではあるのですが……。

モモッチも、機械導入で仕事を奪われたと嘆いていましたっけ。何事も、よいこともあれば、そうでないこともあるものです。

なつはここで、泰樹に馬に乗りたいと言います。

「残念、馬はもう売ってしもうた」

今はもう、車とトラクターの時代です。
馬車で移動する時代じゃない。天陽もそうだったと、泰樹は語ります。

しかし天陽の馬は、昨年死んでしまいました。

「25年以上、長生きだった」

馬の25歳は、人間の72歳以上。長生きではあります。
競走馬の場合は、ちょっと特別ですからね。

「今頃はまた、天陽と会ってるべ……」

泰樹はしみじみとそう言います。

山田家を泰樹が救い、馬を買い与えたあの日。
あの日は、遠くなりました。

なつぞら11話 感想あらすじ視聴率(4/12)「この土に、勝ちたいよ、くそっ!」

この土に勝ちたいと悔しがっていた、幼い天陽。

彼は土のぬくもりを感じつつ、世を去ってゆきました。
そして今頃、あの馬と会っているのでしょう。
※続きは次ページへ

1 Comment

匿名

悠吉さんが耳に挟んでいるのはタバコですね。
うちの死んだじいちゃんもよくやってたっけ。
(剛男さん世代だけど)
懐かしいなあ。

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