人間の生き方に良いも悪いもない
このあと、山田家では天陽が奮闘します。
彼の悲哀は、親にすら理解されにくいことかもしれません。
タミも正治も、親として柴田家の感情に配慮します。
芸術に生きる道を尊びたい――そういう天陽だけが奮闘するのです。
彼が説得材料として引き合いに出しのが、アニメ会社の人手不足でした。
高卒でも、女でも、芸術の技術がなくても受け入れるだろう。
母のタミが陽平に手紙を書こうか?
と言えば、ちょっと苛立ったように否定します。
なつが書かないと意味がない。
天陽は、なつを追いかけていきます。
「人間の生き方に、良いも悪いもない。人間の考えた概念に過ぎない! 自然の生き物にはない。自然の気持ちに従えばいい。悩むことなんてない!」
そう彼は言い出すのです。
治らない病気
そのころ、富士子はそっとなつのノートを見ておりました。
弥市郎が彫刻を彫る姿が、アニメのようにそこにはあるのです。
部屋にやってきた夕見子がツッコミます。
「なに、勝手にノート見てんのさ」
富士子が、なつの絵について知っているかどうか尋ねます。
「知ってるも何も、病気で治らない」
また軍師が何か言っていらぁ〜となりそうですが、軍師は軍師で、本質を突いてきます。
病気で治らない――なつの本質であって、矯正できない。
そう言い切っているとも思えます。
富士子は、これは落書きじゃないと言います。
そして顔を上げた目の前には、セル画があるのです。
「あの子は本気だったんだ……」
そう。
やっと、彼女も気づくのです。
泰樹ジジイvsとよババア@「雪月」
そのころ「雪月」では。
泰樹ジジイがとよババアに出迎えられていました。
「あーれ!」
もう、とよがテンション高くそう言うだけで、こちらも心臓がバクバクするからすごいわ。
いちいち強いんだよ、知勇兼備にもほどがある!!
これ、まぁ、昌幸vs家康みたいなもんだから。
テンションが高いと一部ニュースで言われているとよババアですが、それは呂布が強すぎるとケチをつけるレベルの話だと思います。
赤子の理屈で話にもなり申さぬ。
配偶者に先立たれた、老年期に向かう男と女。
それが飲食店で本音を語るとなれば、もっとしっとりとしているお約束があると思うんですよね。
熱燗といえばぬるめにつけてきて、言わなくても好きなツマミを出してくる。
そうやって寂しく飲む男に、そっとアルカイックスマイルを浮かべる女将。
ったく、いつまでも甘えてんじゃねえぞ!!!
んなもん、2019年ならPepper君相手にやってろ。
とよババアが粉砕していくんだわ。
そこに色気はない。
甘いといっても菓子だけだ。
このジジイめ、性格がひねくれてんだよ!
と毒舌でドスドスと抉りに来る。
実質的には、言葉を使ってボクシングジムでスパーリングをしているようなもんです。
滝行でもいいかな。
とよババアはダメ出しする師匠なんだよ。
甘えていて何か解決すると思っているのか、カーッ!
そういう役目を、とよババアにやらせる。
それを泰樹ジジイに受け止めさせる。
本作って、計算づくでお約束を粉砕していると思います。
※アメリカプロレス界ヒールレベルの強さを発揮するとよババアである
天陽に何を求めているのか
天陽はなつに語り続けます。
できるかどうか、わからなくても、泰樹は海を越えて北海道へ、たった一人でやってきたはずだ。
それが見本だべ、誇りだべ。
なら、なっちゃんがどうするべきかわかるだろ。
なっちゃんは、信じたことをやればいい。
「わかったから、もうわかったから。天陽君。そんなに応援しないでよ。さよなら」
そう告げるなつ。
ここで、ナレーションが入ります。
なつよ、君は何を求めて天陽君のところへ行ったのか――。
一番自然な気持ちが、一番不自然なこともあるよな――。
天陽はとんでもない存在
天陽はとんでもない存在になりつつあります。
ここで、「とんでもない」と出て来たついでに、今年の大河への疑念が湧いたことでも触れてみたいです。
『いだてん』をご覧になっていない方、申し訳ありません。
あの主人公・金栗四三は「とつけむにゃあ」が口癖です。
「とんでもない」ということです。
彼自身が「とつけむにゃあ男」と誘導されていますが、これはもう天陽の前だと霞んでしまうんだ――と今日気づきました。
金栗はじめ、当時はそんなものだと言えばそうですが。
とつけむにゃあ行動のために、女のサポートを使っているわけです。
自分が無我夢中になることで、女がどれだけ苦労するか。無関心なように思えます。
彼の愛妻は天使というか、あまりに御都合主義な良妻に見えなくもない。
魅力的ではあるのですが……2019年としては、ちょっと古い。
大森氏脚本の『精霊の守り人』の方が、よほど綾瀬はるかさんの魅力を引き出していると感じてしまうんですよね。
これは前作****もそうでしたね。
**さぁんの無鉄砲さにニコニコ従う――そんな構図です。
それを天陽は、ひらりと超えて来てしまった。
彼は女だろうと、なつの夢を邪魔することはない。
彼女の支えを必要としない。
結婚して夫婦で芸術を追いかけようとは言いださない。
これぞ2019年ではありませんか?
以前、とある女流作家のインタビューを読んで驚いたものです。
彼女の夫は、自分に尽くすことを求め、妻が家事の後に小説を書くことを全否定してやめさせたというのです。
彼女のデビューは、夫の死後でした。
何が衝撃的か? って、彼女自身がそれを美談として語っていること。夫に恨みはないと言い切っていたことです。
しかし、私はそうは思えなかった。
夫は、自分に尽くさせることで、何十年にもわたって妻の才能を浪費させた、悪党にしか思えなかった。
それは芸術世界への反逆にすら思えたのです。
この構図をさらに暴いて来た。
もっとえげつないやり方で暴いた映画が、今年公開されています。
もうすぐフィナーレを迎える『ゲーム・オブ・スローンズ』では、デナーリスが切々と愛を訴えてくるジョンに冷たい顔を見せます。
愛ではなくて、王座が私の望みだ!
愛なぞいらぬ!
【権力を求め愛を拒否する】
その代表的存在といえば、かつては『北斗の拳』のサウザーくらいでした。
2019年だと違うのです。
女なら男に尽くせ。
女なら愛にだけ生きろ。
そのことが、この世界にとってどれほどの損失であるか――そこを考えてこその2019年でしょう。
本作はきっちりと考えています。
そしてそんな彼を演じる吉沢亮さん、お見事です!
天陽の孤独と悲しみ
ただ、そんな天陽は圧倒的に悲しいと感じます。
自分の気持ちを隠してきた照男が、恋を見つけたように思えるとなると、より孤独が際立ちます。
思い出したのは、『ゲーム・オブ・スローンズ』のブラン・スタークです。
彼は世界を見通す能力を得た結果、人間の理解者を失いました。
家族ですら、知性的なティリオンすらそこを理解できず、ブランはどこか寂しそうな顔を時々見せます。
そんな彼が哀切な同情を見せたのが、彼自らを殺すべく迫ってきたナイツキングでした。
理解者がいない者同士の切なさが、そこにはある。
芸術に生きることを求めた結果、絵を描くことは便所に行くようなこと。
そこまで昇華された結果。
天陽は孤独な世界に上り詰めてしまいました。
ときどき、その高みに手を伸ばす人が出てきます。
倉田然り。
なつ然り。
そういう相手を見つけたとき、天陽は嬉しい。
ブランがナイツキングに同情を感じたように、孤独な世界を理解する手応えを感じて、ホッとしてしまうのでしょう。
けれども、なつはその高みを理解できていないのではないか?
そうなると、天陽はイライラと怒りを感じてしまうのです。
結局、自分と同じ世界に生きていないのか。
そうわかってしまうと、たまらなく寂しいのです。
あの温厚でボケーっとした天陽がナゼ、怒るの?
それは寂しさゆえでしょう。
天陽は、兄・陽平と違って学校へ行きません。
しかし、それが正解でしょう。
授業では教えられない、型にはまらない、そういう芸術性、生まれながらの天衣無縫が彼にはある。
だから陽平は、そんな弟をずるいと言ってしまうのです。
クリエイターは寂しい
天陽と同じような感情の爆発は、『半分、青い。』の「秋風塾」にもありました。
どうせ犬しかわかりあえないと、どこかひねくれている秋風羽織。
ボケーっとしているようで、自分の世界に侵犯されると激怒する鈴愛。
寂しいんだよ……こいつらは寂しいんだ。
そうしみじみと思えたものです。
だからこそ前作****の**さぁん以下、自称クリエイターどもには怒りが爆発したものです。
クリエイターにありがちな、孤独と絶望、空気の読めなさがどこにもねえ!
そういうギリギリの絶望感はないくせに、クリエイターであることを言い訳にして、義務をサボる。
暴言を吐き散らし、周囲に迷惑をかける。
あの作品の画伯は、クリエイターだもん♪ と、女を性的に搾取することに開き直っていた。
天陽がもしも同じなら、なつにエロマンボを躍らせてウハウハしていたことでしょう。
愛も、創造性も、芸術性もない。
あの作品にあったのは、つがいが欲望を撒き散らす害毒だけ。公園の池で鴨でも観察するほうが、有意義な時間の使い方であったことでしょう。
少なくとも鴨は、怒鳴り散らしたり、顔芸を見せてはきませんしね。
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
今回も、一升瓶詰めの牛乳が描かれました。
本作では、確か泰樹がなつを初めて雪月に連れて来たとき以来、たびたび登場した十勝編必須のアイテムの一つ。
現在ではまず見ることのない、当時の生活風景の一つですね。
朝の牛舎。
謝るなつを、泰樹が受け入れないのは、やはりなつの本心がそこにはないことを見抜いているからでしょう。
「本心」が何なのかまではわからないでしょうが。
山田家で、
「泰樹を裏切ってまで踏み切っても、成し遂げられるかどうかわからない。そんな状態では、口に出せなかった」というなつ。
「本当にやりたいことなのなら、たとえ裏切ることになってでも。その覚悟がないなら成し遂げられないし、東京に行く意味はない」という天陽。
なつをどんどん後押ししていくよう。
余談ながら、「覚悟」を語る天陽の台詞。本作第27~31話の東京編スタッフには突き刺さってしまう言葉なのでは。皮肉ながら。
後半の武者様の話は、某大御所女性脚本家の話に似た感じです。日経の連載では、このことについて触れる可能性はありそうです。
今作や●●●●に関する武者さんの考察には同意したり教えられたりするところが大部分なのですが、いだてんのスヤさんに関して、クドカン氏はもう少し先を見ているのではないかと、個人的には思っています。
シマやトクヨという常識にチャレンジする群像を描いた上で、これまで「破格の女性」を演じてきた綾瀬さんに「主人公を支える模範的家庭婦人」を演じさせることにこそ、大きな意味を見いだしているのではないでしょうか。
世の中、みんながみんなヒーローになれるわけでもないし、清さんみたいにヒーローに自分を投影して、何かを感じ取ろうとする人もいます。性別役割分担論という問題を考える時、「女だから家事をやって子育てをして夫を支える」ということと「料理をしたり、人を育てたりすることが生き甲斐だからそうしている」ということは、同じことをやっていても同じ意味合いではなく、後者を否定することは、今ある「性別役割分担」を逆転させるだけで、新たな分担論を生み出す、という可能性も含んでいます。どちらも(筆致として)否定しないというクドカン氏や制作スタッフのバランス感覚を(特に●●●●の関係者と比べて)信頼に値する、と私は思っています。
人それぞれのフィーリング、という問題もありますので、これ以上は申しませんが、そういう見方をする人間も存在するということで一言、記してみました。