明美は、
「東京に行かないってこと?」
と言い出します。幼いなりの本音でしょう。
ここでなつは、ふかぶかと正座して頭を下げて、本音を語ります。
東京に行く理由は、兄ではない。やりたいことがある。
「やりたいことがあるから?」
剛男、お前な……はい、ここから先、剛男がズレまくっていますが、無視しましょう。
富士子ちゃんに任せよう!
「黙って聞いてやればいいべさ!」
漫画映画というなつの望みに、富士子は納得しています。
「やっぱり」
「知ってたのか富士子ちゃん!」
「黙って聞こう」
剛男が鬱陶しいぞ! まぁ、それもいい味。
それでこそ、わしの孫じゃ!
作れるかもわからない。
どうなっているかもわからない。
それでも挑戦したい。開拓したみたいに、挑戦したい。
「さっきやっとわかったのさ。じいちゃんみたいになりたい。それが漫画映画。無理って思おうとしただけ。無理だと思いたくない。酪農を、じいちゃんを裏切っても、私はやりたい!」
「何が裏切りじゃ! ふざけるな!」
泰樹はなつのことをじっと見つめ、そこでこう言い切ったのです。
それから両手で頰を優しく叩き、そのまま包み込みます。
「よく言った! それでこそ、わしの孫じゃ! 行ってこい、漫画か映画か知らんが、行ってこい! 行って東京を耕して来い! 行ってこい、なつ、行ってこい!」
この感動しかない場面を見て、柴田きょうだいも反応します。
照男は「それがなつの夢だったのか……」と納得。天陽との結婚ではないのだと納得した様子です。
夕見子は、相変わらずでした。
「はじめからそう言えばいいのに」
この反応も、両者の違いです。
純情で恋に一途な照男は、なつもそうだと思い込んでいた。
純情でもなければ、恋に一途でもない。
野望と大志に生きる夕見子は、
「やっとわかったのか、フッ」
といつもの軍師です。これが男なら? はい、直江兼続ですね。
これもいい悪いではない。
そういう思考というのは人によって違うものだからさ。
天陽に別れを告げて
このあと、なつは晴れ晴れとした顔で、天陽のもとへ向かいます。
そして抱きついて、じいちゃんに許されて認められたと報告するのです。
「そうかい」
「天陽くんのおかげ、ありがとう」
なつよ、それは天陽君に別れを告げることでもあるぞ――。
ナレーターである父は、そう語るのでした。
対話のある世界
本作って、皆違っていて、見ていて面白いですねえ。
こういう群像劇ぽさがある。
何度かあげている『ゲーム・オブ・スローンズ』もそうなのですが、同じ家族だろうが、経験を経たものだろうが、思考回路が違うと理解できなかったりするんですね。
それだけではなくて、違うからこそ相手を助け、救うこともできる。
そういう世界に、本作はなっていますよね。
決めつけない。
押し付けない。
本作の登場人物は、誰でもそういうところがあります。
中でも一番大きいのが、とよババアでしょう。
あくまで賢者の知恵で、秘めたるものを引き出す存在です。
天陽は結論に先にのぼりつめる特殊な存在ではあるのですが、それを説明していると感情の制御がつかなくて、突拍子もない怒り方をすることがある。
天陽が神ならば、とよは神官と言いますかね。
変な世界だからそうではなくて、そうあってほしい、対話型の社会がきっちり作られていると思うのです。
人間は自分の考えや経験で判断する
このことも、重要です。
とよババアが大賢者であることは、人生経験ゆえだとわかるセリフがありました。
とよは若い頃から、押し付けられても自分が納得できても従わない。
そういうタフで独立精神旺盛であったからこそ、あの境地に至ったのでしょう。強い!
経験で、物事を見ているのです。
その点、夕見子は、賢く気が強いものの、まだ圧倒的に経験不足です。
だから答えはわかっているのに、うまく説明できないし、なつの本音を引き出せない。かえって怒る。
これは少女時代からそうで、本音を言えずにぐるぐる回るなつに、イライラしておりましたね。
思春期を過ぎて、そこまでストレートに怒らないものの、内心イラ立ってはいるのでしょう。
夕見子に人生経験を加えれば、それはもう大軍師降臨です。
本作って、人生経験の長さが正しいと必ずしも描いていないことが、面白いとも思います。
とよババアは大賢者ですが、そうとも限らない年配者もいまして。
戸村父子もその一例でしょう。息子の方が柔軟性があります。若い世代だからこそ、改善できている部分もある。
かといって、上の世代の経験も否定できない。
皆違って、皆よい。
それを認め合う理想が、そこにはあるのです。
現実か、大志か
ものの見方もそうです。
【現実】を見て、目の前のことをこなして生きてくべきか。
もっと大きな、理想や夢、【大志】を見て生きていくか。
そこの思考回路は、どうしても違ってしまいます。
どちらがいいか、悪いか。そういうものでもありません。
大志というと、なんだかかっこよく思えるんですけれども、世の中そう甘くはないのでありまして……。
【現実】側から見れば、【大志】に生きるタイプはふらふらしていて、わけがわからない。
煙に巻くようならことを言いおって、なんだこいつは! と、なりかねない。空気もしばしば読めません。
暴走すると、大群衆を巻き込んで爆発するのも、得てして彼らです。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のデナーリスが典型例ですね。
私の理想のためなら片っ端から焼いて、そこから綺麗な世界にするの! しかしその結果が大変なことに……。
本作のなつは、まだ自分のそういうところに無自覚で、押し殺していましたが。
そこを全開にする夕見子は毒舌炸裂ですし、天陽もあの通りです。
剛男もそういう傾向があります。だから時々スッとぼけてしまう。
倉田もきっとそう。ゆえに、ときに指示が雑。
【大志】側は、夕見子のように、高みに立って見物する軍師になるか。
誰かが高みに登ってこないか待ち望む、天陽になってしまうか。
剛男のようにすっとぼけるか。
なつのように【現実】と折り合いをつけようと迷走するか。
迷いに迷って、なつはやっと自分の本質を見つけたのでしょう。
大きな夢を取り戻して
そしてその結果、泰樹も思い出してしまった。
若き日、北海道にやって来たあの日のことを。
ここを開拓するんだ。
広い大地。
どこまでも続く青い空。
あの日に見た夢。
厳しい自然と現実の中で生きてきて、目の前の牛や家族だけを見てきた。
生きるためには、そうするしかなかった。
そして、大きな心で世界を見つめることを失ってしまった。忘れてしまった。
現実とともに生きること。
それは悪いことじゃない。
けれども、いつしか何か大きなものを失ってしまった。
農協への反発も、そうだったのかもしれない。
自分の狭くなった世界と、意識に閉じ込められて、意地を張ってしまったのかもしれない。
血の繋がりではない。
そういう大きな夢を思い出させてくれる何か。
それをなつに見ていたからこそ、後継者にしたかったのではないか?
しかし、それはなつを縛り付け、支配し、その夢を奪うことだった。
そのことを、思い出させてくれたなつ。
迷走していたのは、なつだけではなかったのです。
それでこそ、わしの孫じゃ――。
泰樹が一方的になつを教え、送り出すのではない。そんな世界。
世代を超えて教え導き、幸せな世界へ向かう。
自分自身を取り戻す。
そんな圧巻の美しさが、そこにはあります。
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
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「まんが映画」という「新天地」を耕してくる、それと同時になつの中にある新しい世界、まだ自分でもわからない才能や技術の成長の余地、そういうものを耕して見つけて育ててこいという、いかにも泰樹らしい激励ですね。「耕す」という言葉も、脚本の大森氏が考え抜いて選び取った含蓄ある言葉なのだと改めて理解できます。なつのこれからの成長が楽しみです。
東京に出て、アニメ、いや「漫画映画」という当時はまだ海のものとも山のものとも知れなかった文化の作り手になろうとするなつ。
文化、英語で言えば’culture’の語源は、「耕す」’cultivate’と同じ。
これから新しい文化に挑もうとしているなつにとって、泰樹おんじの言葉は最大のはなむけになったと思います。
泰樹の来歴。
富山県から単身北海道に渡り、未開の地を自らの力で切り拓いて、耕すことのできる、実りを生むことのできる土地に変え、生きる場を自ら築いてきた。
そういう泰樹に受け入れられ、弟子として育てられてきたなつ。
単に、身につけた技を伝授されただけではなく、自らの力で生きる場を切り拓き、築きあげる精神を、泰樹から受け継いだ。
このことは、泰樹には、牧場を継いでくれるのには優るとも劣らない、いや恐らくは、継いでくれる以上に嬉しい、誇らしいことだったでしょう。
なつは、正に、東京に「開拓」に行く。そう表現するのに、何の不思議も違和感もありません。
一ヶ月半にわたって展開した十勝編は、十分な意味を持っています。
発想力、表現力を育て、磨きあげていくこと。
そうして、育った土地を離れて、自らの力で生きる途を切り拓いていくこと。
それこそを、まさに「耕す」「開拓」という言葉に例え、象徴して語られていたということ。
そういう読解力、想像力が、この作品の視聴には必須。
言葉の表面しか追えず、理解できない人には、この作品は不向き。
的外れで揚げ足取りにしかならない投稿をされるより、理解できないなら視聴を控えるのが良いでしょう。
東京に戻る、新宿に行くのに開拓とか耕せというのはいかがなものか どこかずれていないか?
泰樹さんが反省して学ぶことを、
びっくりしながら見ていました。
相手を思えば、年長者も成長できる。
遠慮ばかりしていていいのか、
逆に失礼だ!と叱られた気持ちでした。
幸せになれば親孝行なんだ、忘れるな!
の言葉は、心をひっぱたかれました。
視聴者の私まで救ってくれました!
なんでも言わなければ、心がしばれてしまう。これにもパンチを食らいました。
とよ婆ちゃん、ありがとう!
天陽君の励ましはもう。辛くないの?
なつはアニメの開拓者になるんですね。
開拓者達のドラマ、覚悟して見ます!
柴田家がついにここまで辿りついた!
目頭が熱くなるのに、清々しい。
そして、作り手の皆さんに感謝しながら視聴できることが何とも有り難く、朝から幸せでした。
ただ、思いを天上のものに昇華してしまった天陽はどうなるのか。
もはや神や精霊に近いように思える彼を人の世界に結びつけてきたのは、なつ。
迷いを抜けたなつは天陽と何を話すのか。
明朝しっかり見届けたいと思います。
ただ、少し時間を置いて、冷静になってみると、
なつの
「作れるかもわからない。どうなっているかもわからない。
でも、挑戦したい。開拓したみたいに、挑戦したい。」
という言葉。
十勝編で視聴者への真剣勝負に挑んだ本作十勝編スタッフの心意気も、このようなものだったかもしれないと思えます。
第27~31話の東京編スタッフは、心が咎めるのではないでしょうか。
今回は…
見ていたら、もはや、
胸が破れ、心が溢れ、涙がこぼれて…
こういう心の状態、感情を言葉で表現するのが、私は本当に下手で、何を書いても薄っぺらで白けてしまいそうで…
見終わったときは、軽い放心状態のようだったかも。
圧倒されました。
本日の「それでこそわしの孫じゃ」は、第1週の「それでこそ赤の他人じゃ」との対比ですよね。本日は、本作が(泰樹が?)「家族」と「他人」に宿す意味合いが知りたくなりました。
「家族」はポジティブな意味合いですが、対比された「他人」も本作においてネガティブな意味合いには思いづらく…
どちらにしても昨日の「それも親孝行」にしても、響く台詞ばかりですね。
「家族」にしても「他人」にしても、本作では相手の人格へのリスペクトが根底にあるようには思えます