思い浮かべて、練習だ!
なつは、あの演劇を思い浮かべながら、『白蛇伝説』のワンシーンの動画をなぞっていました。
線がクリーンナップされていなければ、使い物にならない。
試験結果を思い出しつつ、描いていくのです。
一方、仕事場では仕上げが終わって暇になっているのです。ふわぁ〜とあくびをしても、大丈夫かな。
ここで富子が、こう宣言します。
彩色よりも難しいトレース作業を練習したい人はいるか?と。
向き不向きが出る作業です。鍛錬も必要なもの。
誰もがじっとしている中で、なつが手をあげます。
この場面が好きなんだよな〜。
この集団生活あるある。やりたくても、目立つのが怖くて、生意気と思われたくなくて、ジッとしてしまう。
夕見子タイプならば、迷うことなく挙手できるかもしれない。
けれども、なつは秘めた勇気をむき出しにする、そんな思い切りが必要だったはずです。
富子に、作画に行きたいのではないかと問われ、だからこそやりたいとなつは言います。
仕上げもきっちりこなしたい。そう言うのです。
なつにせよ、雪次郎にせよ、そこまで弁舌に長けていません。
言葉でのアウトプットが得意ではない。キャラクター設定もありますし、役者の個性も使い分けているのでしょう。
とよババアや倉田のように、はっきりきっちりとはまだ説明できません。
それでも、不器用ながら熱意や感動を伝えようとします。
そしてなつは、トレースに挑んでゆくのです。
トレースに挑め
富子の指示通り、墨をすって、正確に描いてゆくなつ。
一回ごとにスポンジで拭いて、描いていきます。
なかなかうまいと周囲が見守る中、なんともう一度。同じものをもう一度! もう一度……もう一度……そうして描きあがったものは10枚に達しておりました。
しかし、いざそのトレースを重ねてみると、線がずれまくっています。
なつよ、まだまだってことだな――。
父がナレーションで語りかける中、なつは頭を抱えるのでした。
積み重ねた自信が砕かれるように、きちんと根拠付きで「アナタはまだまだ未熟です」と示す。いいと思います。
ともかく「ダメだ!」、「天才発明者である俺の言うことがわからないのか!」という曖昧な根拠のまま怒鳴り散らした前作****の**さぁんと比べて明らかでしょう。
根拠のない叱咤はパワハラでしかありません。
これは、きちんとした指導です。
亀山蘭子を生かせぬ世界
蘭子を演じる鈴木杏樹さん、圧巻でした!
この演劇の場面は、かなり難易度が高いものです。
なつの十勝農業高校演劇部と、明確なレベルの差を見せないといけませんからね。
きっちりと見せてきた本作は、見事なものだと思います。
そして思い出したいこと。
彼女は新劇しか出番がないのです。
理由は「レッドパージ」にあります。
これほどの才能を活かせないって、しょうもない話だと思いませんか?
このころ、いや現在もか。
話題性だけで、演技の下手なアイドルや歌手に主演映画をやらせて、話題になることがあったものです。
日本だけでもありません。
「本当にくだらなかったんだよな〜」
そうしみじみと振り返る方もおります。ファン以外ではありますが。
中身はない。プロットもくだらない。
ただ主演が出てくるだけで、キャーキャー騒ぎたい。そういう層狙いの作品ですね。
一方で、本格演技派の人材がくすぶってしまう。そんな世の不条理はあるものです。
今だって、アイドルの……いや、やめておきましょう。
さて、この蘭子。
どうやってブレイクするのか。楽しみですね。
蘭子のおそろしいところは、芸術センスを持った者同士の惹かれ合いを発揮しているところです。
『ジョジョの奇妙な冒険』第4部以降で、スタンド使い同士がぶつかって大変なことになるように、狙っていなくても恐ろしいことになるような。
このシステムは、倉田と天陽、なつで発揮されていました。
雪次郎はそういうものとは違うのかと思っていたら、蘭子がやってきてしまった。
そして、雪次郎に何かが及んでいます。
どうなるんだ……ゴゴゴゴゴゴ……。
特別扱いしない勇気
蘭子が「かわいそうな相手」を特別視しないこと。
鈴愛の聴力に対する秋風とも通じるこの感覚、なかなか重要なことかもしれません。
『リアル』という車椅子バスケの漫画があります。
あの作品でも、障害者スポーツは、
「かわいそうな連中ががんばってま〜す」
だと、そういうフリをしろと主人公・清春が言いだすのです。
彼はものすごく負けず嫌いで、生意気なところもあるんですけれどね。
ハンデがあるとみなされる人って、いろいろな差別をされているんです。
かわいそうなんだから、そういう健気な性格でいろ。そうみなされてしまう。
皆さまのイメージする、健気な障害者なり、孤児なり、そういう存在でいろと思われるのです。
左耳が聞こえない楡野鈴愛にせよ、孤児のなつにせよ。
そこを否定する気の強さがビンビンに伝わってきて、すごくいいと思うんですよね。
この運動への反応が、なかなか象徴的でして。
ハイヒールを履いて微笑んでいて、外反母趾を無言で耐え抜く女は健気でかわいい。
それが嫌だと言い出すと、怒り出す。そういう心が狭い男、それに賛同する女が出てくる。
弱い、目下の者はおとなしく縮こまって生きていけ――そういうメッセージを発する人はどこにもいるもんだなぁ、と思いました。
が、本作はそうじゃないんだな。
孤児だから怒れ!
そういうメッセージがいつもそこにある本作は、すごいと思うのです。
『櫻の園』か『人形の家』か
さて、奇しくもNHK二枚看板で、古典的名作を扱うタイミングが重なりました。
『いだてん』第21回「櫻の園」
『なつぞら』第11週「なつよ、アニメーターは君だ」
放送時期までかぶっていて、もう対比が残酷なほどです。
それというのも、テーマの引きへの強さ。
『人形の家』を描くことで、『なつぞら』は作品を通して描いてきた【女性の解放】がきっちりと描かれています。
雪次郎の言葉とは反対になってしまうのか、ある意味補完しているのか。
「女性を解き放て!」
なんて、普通の女が発して当然だ。そういうことを自然に表現したい。そう本作も訴えているのか。
そう多層的に考えていくと、どうにも止まらずにワクワクしてくるのですが。
じゃあ、『いだてん』はどうか?
どうして『櫻の園』なのかな?
もしかして、主人公が赴任する学校が女子校だからって、まさか女生徒を花に喩えていないよね?
……と、ここまで考えると、本当にうんざりしてしまいます。
女を紅一点だの、花だの。そういう場のお飾り扱いするのって、人間扱いしていないってことで、差別ど真ん中です。
2019年ではもう錆ついてしまっている概念なんですよね。
『なつぞら』の『人形の家』は、古典文学を精読する読書家といった趣がある。
一方で、『いだてん』は、古典文学を本棚に並べてそれで満足してしまう、読書家気取りといったところ。
偶然か、それとも狙ったのか?
同じ放送局の二枚看板が、ここまで残酷な対比を見せてしまうのって、どういうことなのでしょう。
まぁ、別のドラマを語るのも何ですが、対比としては面白いんですよね。
困ったもんだ。
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
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レビューは見てませんが、『いだてん』そのものは見続けています。
初期の頃と比べて、「なんか、それはちょっと違うのでは?」という感じを受ける点は、あります。
「恋焦がれる二階堂トクヨ女史」の描写などがそうで、あまりにもやり過ぎ。笑いを取ろうとするあまり、小馬鹿にしたかのような描写にも感じられてしまう。
会見等の場での厳しい追及・持説の展開等の姿とは違和感が著しく、それで「恋焦がれる姿」等は「後から追加されたテコ入れもどき」なのでは、と感じている次第。
ただ、今のところは、全体としてはまだ面白いし、バッサリ切り捨てて視聴をやめてしまうには惜しい。そんな感じで見ています。
また、こちらのレビューは、朝ドラ『なつぞら』のレビューにしては、最近『いだてん』を気にしすぎでは?という感じをしばしば受けるところです。
蘭子さんが話していたのは「新劇になりそうな話」ではなくて「新派になりそうな話」ですよ。
新劇と新派では演劇界の中でも真逆のポジションです。かたや「櫻の園」に「人形の家」ですが、新派の代表的な演目と言えば「金色夜叉」や「不如帰」。「新派大悲劇」という言葉もあるように、観客の情動に訴える、悪くいえばお涙頂戴の要素が強いお芝居です。
当時なら、芸術性の強い新劇と比べると、ずっと大衆的というか通俗的と思われていたでしょう。蘭子さんの言葉には、咲太郎に、そんな「ベタ」な背景があったことに対する純粋な驚きが垣間見えました。ただ、それを「新派」という言葉に変換してしまうのが、全ての事に演劇というフィルターをかけて見てしまう、蘭子さんの芝居馬鹿っぷりが現れておりましたが。
女性を花に例えるのが「差別ど真ん中」とのことですが、そんなこと言ったら、その人個人の本質を言い当てる以外のその人(性)に対するあらゆる比喩表現は全て差別ど真ん中ではないですか?
どんなに自分ではフェミニンな表現をしたつもりでも、結局受け取る方の感覚次第なんですから、その気になれば発言者の意図とは180度違う意味に結論づけられてしまうこともあるのではないでしょうか?
少なくとも私の周りでは、女性を花に例えるのが差別的だ!という女性はいませんでしたが、それも男性の論理で洗脳された差別を差別と気付いていない哀れな女性だということなんでしょうかね?
なんかそういう決めつけがあるとすればその方がよほど差別的な気がします。
私のコメントを訂正いたします。
萌えアイドルは気持ち悪いという発言が、仮に武者様のご本心であるなら、それ以上の釈明も訂正も必要ございません。
これまで個人に限らず女性やその他のマイノリティへの偏見に批判的だった武者様ですから、本心からの発言であるはずがない、という私の買い被りでした。
もし武者様がアイドルへの偏見を訂正なさらなければ、考えが違うのだと思い黙って去ります。言葉足らずで誠に失礼いたしました。
萌えアイドル的なものは気持ち悪いという発言に関して釈明や訂正を求めている方がいらっしゃいますが、必要ないと思います。
個人やマイノリティを誹謗中傷したわけでもあるまいし。
なつぞらもいだてんも面白いですよ。
なつぞらは良い朝ドラです。
いだてんは大河ドラマの枠を超える傑作です。
なつぞらの感想で、そこまでいだてんを叩いてもしょうもないのでは?
よほど金栗四三のドラマでのキャラクター設定が気に入らないのでしょうね。(苦笑)
度々失礼いたします。『なつぞら』と『いだてん』中の【女性の解放】描写に関し、武者様のスタンスをお示しいただきありがとうございます。
私としては、気に入らず期待もしない作品の感想を、人に見せる意思も無く続けるくらいなら、絶賛していらっしゃる動画配信サイトの時代劇レビューだけ書けば良いのに、と僭越ながら考えてしまいますが、色々事情がおありなのでしょう。
またアイドルに関して、
「本格演技派の人材がくすぶってしまう。そんな世の不条理」
との具体的問題点のご指摘感謝いたします。実力者が機会に恵まれないのは私も残念に思います。
以上が議論の本質ならば、いだてん第22回感想の
「現在の萌えやアイドル萌え〜に近づけたような、気持ち悪さ」
という発言はそれと無関係な、感情に訴えた論点すり替えだったのでしょうか?
武者様ともあろう方がそんな稚拙な論法を放置しておくとは信じ難いです。
恐れながら、いだてん感想中の萌えアイドルは気持ち悪いという発言に関して釈明なさることをご期待申し上げます。せめて該当箇所の訂正だけでもしていただければ幸いです。
>匿名様
ご指摘ありがとうございます!
修正しました。
今後もご愛顧よろしくお願いしますm(_ _)m
昨日から日付がずれています。宜しくお願いします。
どうやら、『いだてん』は武者氏の逆鱗に触れてしまったようですな。
初期にはあれだけ絶賛していたのに。
少し前から『いだてん』レビューは見ていません。惨状は想像できるし、ご本人も推奨していませんので。
初期の頃、低視聴率だの何だの報じられて、「テコ入れ」の話も出ていましたが、それで見当違いの「テコ入れもどき」をやらかし、この状況に至ってしまったのだとしたら、残念至極としか言えません。