なつは坂場にお礼を言います。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
坂場の企画を通すところから始まって、ここまで到達して、奥原きょうだいの軌跡が描かれたわけです。
父もここでこう言います。
とんでもない『ヘンゼルとグレーテル』になりそうだ。
グリムさんに怒られないか?
あっ、そこは大丈夫でしょう!
※なんせ、こんなのもありますし
※さらにはこれを見れば諦めてくれるでしょう
むしろ大丈夫でないのは、マコではありませんか。
彼女一人絶望したような、負けてしまったような……暗い顔になっています。
劇団員か、声優か?
「劇団員のサイドビジネスといえば、声優だ!」
そんな咲太郎のアイデアですが、実例はあります。
『おんな城主 直虎』では近藤康用を演じた橋本じゅんさんは『劇団☆新感線』の花形を務めております。
そして彼は声優でもありました。
彼のように関西に拠点を置く劇団出身者は、かつてSNKプレイモアのゲームで、声優を務めることが多かったのです。
アンディ・ボガードと、あのモフモフ近藤は同じ声なのですね。
『真田丸』における板部岡江雪斎を演じた山西惇さんは『そとばこまち』出身です。
ビリー・カーンの声は彼でした。
他にもいろいろとありまして。
『劇団☆新感線』出身の橋本さとしさんによるテリー・ボガードとか。
『劇団☆新感線』出身の粟根まことさんによる七枷社とか。
『そとばこまち』出身の生瀬勝久さんによるギース・ハワードとか。
「ビリー・カーンが『真田丸』で、名胡桃城を巡って舌戦を繰り広げるのか〜」
「アンディ・ボガードが『おんな城主 直虎』で、小野政次を追い詰めるのか〜」
「『べっぴんさん』のヒロインってギース・ハワードの娘なんだな〜」
そういう現象があるわけなんですね。
彼らの物語をアニメにして
何度か書いてきましたが、砂川家自身のルーツがアイヌであるかどうかは不明です。
当時は隠すことも多かったことも考えねばなりません。
倉田がアイヌの伝説を彼らに聞き取りをしたことを踏まえて、私はそうではないかと思いますが断定はされていません。
それでも、アイヌが木彫を通して魂を、カムイを表現していたことは確かです。
北海道の木彫り熊は、アイヌの伝統工芸が始まりでした。
北海道で暮らしたなつが、そんな彼らの伝統を踏まえて、自分の作風に取り込むことは素晴らしいと思います。
これもアニメの歴史からすると、重要なのです。
東映のアニメーション作品1968年(昭和43年)『太陽の王子 ホルスの大冒険』は、ユーカラを基にした人形劇『チキサニの太陽』を基にしていたとされます。
ナゼ、アイヌの物語にできなかったのだろう?
異国風ファンタジーにしたのだろう?
答えは、この対談あたりにもありまして。
◆ヴィンランド・サガ×ゴールデンカムイ:幸村誠、野田サトル対談 第2回 共通点はおっさん!? 誕生秘話も
アイヌはタブー視されていたということです。
では、誰のせいで?
彼ら自身?
それとも「日本人は単一民族だ」と言い張りたい人?
そう考えてゆくと、本作はその問いへの反省も感じさせるのです。
2019年、北海道を舞台にしながら、そこを避けて通れるはずがない。
そういう答えなのでしょう。
『永遠のニシパ』はどうなるのかな?
あと『ゴールデンカムイ』第3期ですね。
そういえば、この杉元佐一役の小林親弘さんは『演劇集団 円』所属です。
彼が声優でなくて、劇団員であることにアニメファンからいろいろな意見があるようですけれども。
前述のように、劇団員出身声優のことを知っているこちらとしましては、複雑な気持ちになったものです。
個人的には小林さんの杉元、いいと思うんですけどね。
坂場がリーダーだと困るんだよ!
坂場はあきらかに天才として設定されてはいるのですが、その問題点も見えてきました。
はい、ここで『孫子』から持ち出したい概念です。
【巧遅拙速】
いろいろな解釈があります。
ここでは、坂場ダメ出しとして使いましょう。
あなたは完璧主義者で、常に最善の結果は変わるものだと思っていますね。
思考回路の迷宮をぐるぐるとめぐり、よいものを求めてさまよっています。
それはよいことです。
素晴らしいこと。
しかし!
世の中には締め切りがあります。
チームメンバーにも経験を積ませなければなりません。
ここはもっと改善できるとか。納得できないとか。もっと練りこみたいという気持ちはわかります。
ただ、拙くても速く(拙速)、前進しなくちゃいけないときがある!!
自分自身の労務管理もお粗末ですので、病気にも倒れかねません。
困ったリーダーではあるのです。サポートがないと。
なつに、そういうことは期待できそうにありません。
絶望しているマコが、適任かとは思いますが……全く別のマネージャーですかね。
『半分、青い。』では、暴走気味の秋風を菱本が支え、病気の検査や治療もさせていました。
スパロウリズムも、あの鈴愛と律だけでは暴走気味ですので、ムードメーカー津曲が加入していましたっけ。
チームの管理は大事です!
一人一人、支え合ってこそチームでしょう。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
阿川父は戦前東京で教師をやっていたと言ってましたね。
その時代に東京に移住して教職に就けたのでしょうか。
阿川家(砂川じゃないですね)のルーツというのは、無いのではないでしょうか?
確か、阿川親子も道外からの疎開か何かで移住してきたと記憶しております。
そもそもアイヌ出身でのUターンとかいう設定の可能性もないとは言い切れませんが…。
ちなみにマコの鬱屈が魔女の進化によって変われば面白いなとも思います
結末はたった1人の魔女が、少しチート過ぎるような。動かなくなっちゃう終わり方は美しいですが、今度は、では魔女って何者だろうと思います。
見ぬふりをしがちだった市井の人々の象徴なら、クライマックスを飾るに足るパワーにも、やや納得です。
つまり劇中劇に真剣に考えるくらい、わたしには面白いです。壮大なスケールのヘンゼルとグレーテル、見たくなりました。
神地さんはモデルが宮崎駿さんとの話を聞きましたが、話の膨らませ方がぽくて面白いですね。
坂場くんのモデルとなった高畑勲さんは、ご自身の完璧主義が招く個々のスタッフの自己犠牲的な過重労働のマイナス面を差し引いても、世界名作劇場での集中制作体制がもたらしたものを驚くべき快挙だとしています。困ったものですね(笑)。
でもそれがなければ歴史的な作品になるどころか、分担体制だったら高畑さんは降板する事を選ぶ、そんな人だったようです。
かぐや姫の物語のメイキングも見ましたが、基本は同じでした。遅れに遅れたとこも。面白いなと思ったのは、今話での坂場くんと同じく作りながらの閃きというかライブ感を大事にするのですね。
高畑・小田部・宮崎さんご三方によれば、例えばハイジのような名作は、スタッフの献身的な自己犠牲と熱気なしには成立しなかったと口を揃えます。技術や理屈は二の次で、その瞬間の「やろう!」という強い気持ちが一番だと。
三人のメインスタッフが集中管理して全話を担当する、正気とは思えないめちゃくちゃな体制で作られたのがハイジで、ヤマトを打ち切りに追い込んで世界的に知られる名作となりました。
今回の二人での徹夜作業はそんな実話エピソードを思い起こさせます。エネルギーこそが理屈を超越する、そんな熱い流れに乗り切れないマコさんには何が足りないのでしょうかね。何も間違えてはいないのに。
下手な市場調査や、作業スタッフの折り合いをつけたような、結局本気で作りたいと思っている人が誰もいないようなものづくりではなく、物語や制作過程そのものに制作者自身の人生(魂)を織り込んでいく姿勢に感動しました。体調管理だの働き方改革だの言ってる場合じゃないというか。少なくとも板場やなつにそれを求めるのはナンセンスだと私は感じます。その役目は別にできる人がいるだろうし、だからこそのチームでの作業だと思うし。二人には魂の赴くままに作り続けてほしいと思いますし、このままお互いを支えあう良いパートナーに公私ともになっていくと思うのですがどうでしょう。
あと、麻子さんは、絶望ではなく、本当に物語に感動して、自分のスタイルとの整合性をまだ租借しきれてないだけじゃないかと感じます。そもそもの魔女造形は彼女のもので、そこから物語は動き始めてるのだから、彼女の魂に火が付くのも時間の問題じゃないかと思います。
ともあれ、今後の展開に目が離せない「なつぞら」です。