おはようございます。
先日こんなことを書いてしまったわけですが。
大変申し訳ございませんでした。
記事は訂正せず、こちらで謝罪させてください。
NHK側の取材による解錠に関しては、そもそもセキュリティがなかったと続報が出ました。
◆京アニ、事件当日はセキュリティーを来客のため解除したと言ってたが、システム自体がなかったと訂正 – Togetter
あまりのことに言葉を失います。
企業としてありえない。
京都アニメーションに支払った金は、スタッフの安全策には使われていなかったと?
復帰を願う、応援をする「クラウドファンディング」そのものは、美談といえばそうです。
ただ、安全管理の杜撰さを踏まえますと、それでいいのかという疑念も湧いてきます。
社員の安全にしかるべき金を出さない。
それは企業としてありえることなのでしょうか?
吉本と『わろてんか』。
本作と京都アニメーション事件と続いたことから、朝ドラの呪い云々も語られています。
が、非科学的な話です。
そういうことではないでしょう。
吉本の場合、悪質な企業体質が有名であったにも関わらず朝ドラにした。
本作は、『なつぞら』モデルたちが奮闘したような、そんなアニメ関係者労働問題がおろそかにされた結果の先に、事件があります。
ドラマを含めたエンタメとは、この世界と完全に隔たっているはずがないのです。
そのことが、皮肉にも証明されたのかもしれません。
アニメーターやアニメスタッフが快適な環境であってこそ、実力が発揮できるはず。
そのことを、私はずっと考えていきたい。
楽しいアニメを見る。
推しが尊い。
美声が素晴らしい。
それだけじゃない。それだけじゃないことを、もっとこれからも考えていきたいと思うのです。
かぶき者は歳をとらぬものよ
昭和39年(1964年)、正月。
そろそろ気になるなつの年齢ですが、27歳になりました。
朝ドラの加齢描写には制約があるものです。
本作は脇役も含めて、的確なメイクと衣装、それに演出と演技で経過がわかります。
その例外が、亜矢美です。
なつに年齢を確認したと会話でわかるのですが……。
「このまま花嫁衣装を着ないつもり?」
「亜矢美さんこそ結婚しないんですか?」
そうなつから逆襲され、亜矢美はこうきっぱりと言い切ります。
「結婚? 忘れた! 歳も」
「いつ忘れたんですか?」
そう突っ込まれつつ、豪快に吹っ飛ばす。それが亜矢美です。かぶき者だから。
まぁ、前田慶次も『花の慶次』のおかげで年齢不詳。永遠の青年ですけれども、史実では大暴れした慶長出羽合戦当時、おじいちゃんですからね。
前田利家と、そんなに年齢差がありません。
フィクションだと親子ほどの差がありますが、実際は兄弟程度です。
それでも暴れてかぶいていたわけですから、かぶき者はある意味、永遠に若いんです。
年齢不詳――だがそれがいい。
※前田慶次には二人だった説もあります、リンク先記事参照のこと。
個性が強いぞ、東洋動画のみんな
なつが晴れ着だった理由は、1月3日に行われる東洋動画新年会のためでした。
女性だけ晴れ着ってどうよ。
と、現代ならばそうなりそうですが、そこは昭和ですので。まぁ、普段、私服の男性陣もスーツは着ておりますね。
ここで一瞬、映し出されるおせちの仕事が細かい!
色合いも素材も、昭和のおせちでしょう。
コンビニカタログめいたものだったらがっかりさせられるところですが、今朝もディティールがいいですね。
『きょうの料理』はじめ、資料もスタッフもあるわけですから、できて当然といえばそうです。
それができないドラマがあったものですからね……前作****とか。
あらためて服装に着目してみますと、なつと茜の晴れ着もよいですが、男性のスーツ姿も個性が出ています。
井戸原:スーツだけど、ネクタイとベレー帽に個性を出している
仲:スーツの下はノーネクタイ、タートルネックのセーター
坂場:平常心、行事への意識が薄い。こだわりが何もなさそうだ……
神地:英国紳士風。ベストに蝶ネクタイ、柄入り。見るからに個性が強い!
考えてみれば、神地って服装に個性があります。
あの当時なのに癖っ毛と茶色みを帯びた髪型、カラーシャツも多い。反抗心が出ているなぁ。
そういう意味では、坂場と対照的かも。
だからこそ気があうところもあるのでしょう。
演説を機に、謀反を決意するのか?
はい、ここから大杉社長のスピーチです。
「漫画の皆さん! あけましておめでとうございます!」
このスピーチがうまいんですなぁ。
スピーチの内容そのものには全く感動をおぼえませんが、不穏な要素がゴロゴロとあるのです。
分析しましょう。
・漫画のみなさん!
→なつが嫌っていた「作り手への敬意がない」話法です。
・社長は辞めるが、会長になる
→大杉による院政が続きます。会社方針は刷新しない。
・映画よりもそろばんが好き
→芸術性より金儲けが大事。清々しく宣言したァアアアアア!!
そういう理解も適性もないということです。
・神地と坂場の顔
→そろばんと聞いた瞬間に、顔が歪む神地。
坂場は無表情というか、ちょっと変な顔。
それがいつも通りと言えばそうですが。
・よい鉄道はたくさんの人が利用する。よい車両を作るだけでなく、利用者の多い街を作ろう
→『シムシティ』みたいな話ではあるのですが、これは経営者目線では定番のセオリーです。
『わろてんか』でそのあたりを無視された、小林一三もそういうやり方です。
大杉が意識していてもおかしくはありません。
宝塚歌劇団も、そういう理念から誕生しました。
・家を建てる。街を作ってこそよい鉄道マン! 子供の喜ぶ街を作れ!
→そこから続く大杉自信満々の理念ですが、坂場と神地にとっては逆効果でつきささった可能性があります。
坂場「いや、僕がなりたいのは鉄道マンでなくて、芸術を作りたいので……」
神地「俺はッ! よい車両を作るエンジニアを目指したいんだッ!」
・新時代は金儲けの時代か? マウンティング思考がそこにはある
→大杉は、新時代到来、テレビ時代の到来だと高らかに告げるわけですが。
どうしたって、そこにはマウンティング思考があります。
新メディア時代にどんな可能性があるか。
そういうことよりも、映画や芝居といった既存メディアを見返してやるというマウンティング思考が見えます。
坂場も神地も、どうでもいいと思っている。そんな思考です。
「競争じゃない、生きるのは」
先週土曜日の天陽のセリフも、伏線となって生きてきます。
なつぞら102話 感想あらすじ視聴率(7/27)生きるのは競争じゃない・でも、予算と期日は守ること!
→そしてとどめです。
坂場と神地にとって、それはもはや切腹しろ宣言に等しい……?
散々、自分にとって気持ちよくスピーチしてから
「今年もよろしく! 乾杯!」
そう上機嫌で締めくくりました。
みんな乾杯して、おせちを食べて、隠し芸を見て、楽しそうではあるのですが、まぁ、不穏ですよね。
井戸原あたりは納得していますし、仲も落ち着いているようです。
ただ、神地は露骨に不満そうなんですね。
あそこまで清々しく金儲けを前面に出すな! と。
そこへ大杉が、挨拶にやってきます。
坂場は紹介されてもきょとんとしているというか、ありのままなのです。
坂場のこういう態度。嫌う人も社会でいるはずです。
威厳を感じるとか、遠慮するとか、照れるとか、光栄だと驚くとか、そういうことができません。人間関係の上下をあまり理解していない。
そこを重んじる者から見れば、なめとんのか! と、そうなりかねないのです。
坂場の特殊性は、他の人と比較するとわかります。
露骨におかしいわけではないのですが、微かにおかしい。
他の人は、社長の前ではやはり態度が変わります。
強弱はあれど、愛想笑いをするなり、緊張感が宿る。それが坂場はフラット。目線も合いにくいのです。
そしてこのあと、なつの元へもやってきます。
「奥原なつさん……あっ! あーたのお兄さんね!」
「思い出していただけましたか」
「あーたを面接で落とさなくてよかったよ。アハハハハハ!」
なつぞら51話 感想あらすじ視聴率(5/29)コネなど不要、実力で勝負だおいおい!
記憶の改ざんと言いますか、歴史修正と言いますか。
自分の偏見で結果に割り込み、なつを落としたことを忘れています。
本当にムカつく奴だな。これは謀反の気配がありますぞ……。
どうして本作は、朝ドラでこんな乱世っぷりを発揮するのでしょうか。
※こういう不穏さが……
神地よ、いつの間に!
はい、喫茶店に移動しました。
これは完全に謀反の気配ですわ。
坂場も、長編に戻れない、もう芸術は作れないと新年早々落ち込んでいます。
芸術家の野心あってこそ、作品はよくなるのに、って。
空気は……読めんよね……正月早々何してんすか!
NHK東京でよかった。
放送日が実際の正月と重ねられるNHK大阪ですと、こういう不穏な正月はやりにくいかもしれません。
経営者目線で見ると、こやつらは最低最悪です。
うまい料理を出して、乾杯して、気合いを入れることを言ったはず。これ以上、お前たち部下の機嫌をどうやってとれというのか。むしろお前たちがやれ!
そんな風に思われかねません。
茜がここでこう言います。
「経営者目線なのよ」
「さすが茜ちゃん!」
神地がすかさずアピール。
慌てて堀内が「バカにしているのか!」というのですが、もう遅い。
いつの間にか二人はこうなっています。
「してませんよぉ」
「ねっ❤︎」
神地よ、あんた……やるじゃない!
距離感の取り方がおかしいものの、そういう予兆はあったものです。
この二人以外は、まだモヤモヤしています。
「ディズニーを目指したのではなく、そろばん……」
そんな無粋な大杉に嘆く坂場。
なつは諦めと怒りが混じった感情です。
「そろばんがわかれば、ここにはいないんだわ」
※続きは次ページへ
失礼しました。笑)
あつがなついぜ様でしたね。
とにかく爽快でした。
ここのコメントも楽しみにしています。
ちなみに私は
「あつがなついぜ!」
です(笑
なつがあついぜ!様
運営様
ありがとうございました。
武者さん、応援しています。
「ゲゲゲ」では、紛い物や子ども騙しのストーリー、かっこいいストーリーとして戦争を描くことを良しとしない水木しげるの姿が描かれます。
明るいだけではウソです、つまらんです、という意味の台詞も出てくる。
坂場と対談させてみたいと思いました。どんな話になるか、ワクワクします。
「ゲゲゲ」のオープニングには紙芝居の前に集まる子ども達の資料映像がでるんですよ。
「ゲゲゲ」では、紙芝居からテレビや貸本、貸本から週刊誌漫画へ、子どもの娯楽の変遷が、「紙芝居や貸本で飯を食っていた人間」の実体験目線から生々しく描かれていました。
それを見てからなつぞらを見ると、漫画映画、テレビ時代に突き進む姿が描かれていて、感慨深いものがあるんですよねえ。
子どもを奪われ、貧乏に喘いでいた水木しげるをはじめとする貸本漫画家の受難の一方で、新時代に突き進むなつたちがいたわけですよね。
おもしろいです!
何故か経営者目線の労働者が多い…これは、しつけの問題でしょう。
海外(主に欧米)が『自分にとって得か否か』を自分の頭で考え判断させる教育を施すのに対して(要は革命上等!な教育)、アジア圏は『目上の人にちゃんと従いましょう!』(論語の教え的な教育)と教え導きますからね。
とりわけ本邦は戦国時代の下克上マンセーな世の中に懲りたのか、比較的遅くまで流浪の民等の『まつろわぬ民』が生き残っていた為か、はたまた国民皆兵の名残か、『目上の人に!!』という縛りがキツイ気がします。
前回・前々回のコメント欄での、ある投稿者の他者への攻撃・嫌がらせは目に余るものでした。
このレビューは、そもそも『なつぞら』を楽しむ趣旨で運営されているもの。読者も『なつぞら』を探求して楽しみたいから読んでいます。
その空間に、番組への嫌悪丸出しで全否定し攻撃する投稿をするのは、それ自体筆者・読者への嫌がらせに他なりません。
テレビ番組にどんな感想を持とうと、それは当然自由です。ですが、『なつぞら』嫌いの人向けのサイト・投稿空間はいくらでもあるのですから、どうしても『なつぞら』が嫌なのなら、そこに投稿すれば良いはず。
それをせず、ここで筆者・読者をわざと不快にさせる投稿をする行為は、嫌がらせ以外の何物でもありません。