新婚生活が始まった坂場家。
なつが洗濯物を干している一方で、あの不器用なイッキュウさんが朝食を作っています。
ナレーターの父も驚くほど、器用に作っています。
手は傷だらけですが、彼は頑張って完成させました。
「おいしい!」
なつも驚いています。
ここも、結構大事なところなのですが。
漫画やアニメでもおなじみの【メシマズ】という概念がありますよね。
あれは、知識がない、非常識だから、経験不足だからということとされています。問われるのは、女性ばかりですが。
フィクションでは定番描写になりつつありますが、描く側の認識不足とテンプレのせいで、現実を反映していないと感じることがあります。
イッキュウさんのようなタイプは、不器用で怪我をしても、いいものを作るはず。
彼に調理経験があったとは思いません。
ただ、がんばって好奇心から、実験感覚で調理知識を取り入れたのでしょう。
男だから台所仕事は恥ずかしいとか。そういう偏見も彼にはありません。
はい、新展開の本編スタート。
出産育児は、魔法でも個人の問題でもない
なつは仕事場で『魔法少女アニー』の原画を手がけています。
※モデルはこちら
職場では、旧姓・奥原を使用しているとナレーションで説明されます。
「やっぱり彼の名前で呼ばれたいのぉ、愛があるから!」
****あたりではそんな論調がありましたが、個々人によります。
愛じゃなくてm社会システムの問題なんですね。
例えば、論文データベースを旧姓登録している研究者は、姓の変更により過去の実績が反映されないという、深刻な問題に陥りかねない。
旧姓を職場で利用すればいいという、それだけの問題でもありません。
女性ではなく男性が変える場合もあるという反論(※本作における剛男)もわずかながらありますが、圧倒的に女性が変えていることが多いことをふまえれば、不適切でもある。
◆女性経営者が結婚を諦めかけた理由は改姓コスト 「女性を活躍させたいなら選択的夫婦別姓を」
ここを敢えて強調することに、本作は挑んできました。
さて、なつの職場へ。
茜も動画から原画になりました。それだけではなく、妊娠もしています。
動画を描いていると、お腹の中で赤ちゃんが動く。茜がそう告げます。
「キラキラドンドン、キラキラアニメ」
なつが手にした筆記具をステッキに見立てて、そう言います。
それからこう来た。
「仕事も出産も、魔法で終わったら楽だけど、きっとつまらない……」
深い、深いぞ。
前作****では、妊婦の扱いが本当に雑でした。
ゴロ寝ベタベタで子作り過程ばかりを強調、妊娠中の長距離移動、半公開出産という、地獄みとセクハラ感と無知にあふれるもの。タップしていれば出産&育児が終わる、まるでタイマー式でした。
このあと、なつは彼女自身の出産について聞かれます。
ここもかなり注意をしているようです。
「おめでた、まだなのぉ〜」
そうニヤニヤしながら、子作りのことを聞いてきたり、腹をいきなり叩く、そういうひどい妊娠確認もあるものですが。
それとは明確に違います。
【おめでた】という単語も避けているのかな。
ともかく丁寧です。
なつはまだ考えられない、早いと言います。
理由は愛ではなく、経済の問題です。女なら赤ちゃんが欲しいはずだとか、そういうファンタジー由来ではない。
茜は鋭い。
「考えているより、早いかも……」
そうなんです。
こういうことは、なかなか狙って調整できるものでもない。
このへんも複雑な話です。
どうしたって、歴史と出産制限は関連性があります。
戦前は富国強兵、産めよ育てよ。
ところが、その結果、人口が増えすぎて、日本国内だけでは資源が足りなくなる。
だからアジア各地へ国土を広げるとか。
アメリカ大陸へと移民をさせるとか。
国策でやらねばならかった。
日系人差別が出てきたドラマがNHKでもありましたが、そこはスルーでしたね。
戦後は一転して、産児制限になる。
戦争中に子供だったなつたちは、その転換期の直撃世代と言えます。
「女の子の夢とは、お嫁さんと専業主婦になって子供を生むことだけなのか?」
そこまで考えさせる本作は、朝ドラとしては難易度が高いかもしれない。
イッキュウさんの初長編映画監督作と、同じ問題があるのかも。
子供は一人で育たないけど
噴水で、イッキュウさんの手作り弁当を食べながら昼休み休憩へ。
ちなみにお弁当を作るのは女性だという認識が強いのは、国際的に見ても日本と韓国くらい。
ヨーロッパでは、食べる人が自分で作る方が主流の国もあるとか
なつは、イッキュウさんとの新婚生活を語ります。
家事はこなしています。
その合間に、フリーランスで翻訳の仕事をこなしておりました。出版社勤務をしている大学時代の友人に仕事を回して貰ったんですね。
とはいえ、安定しているわけでもありません。
まだ子供のことは考えられません。
「子供は贅沢なのかも……」
なつがそう嘆くと、茜は反論します。
「子供を育てることは、自然だよ」
モモッチはこう来た。
「女が働くのは不自然なのかな……」
なつはそんなことないと反論するものの、社会の仕組みがそうなっていることは否定できません。
茜は出産を契機に退職するのか、悩んでいます。
「経済的なことを考えると辞めたくないけど」
「子供は一人で育たない……」
保育園を探したけれど、見つからない。そう困っています。
戦災孤児からこんなセリフを聞くと、どうしてもいろいろと考えてしまいます。
「子供のための漫画映画を作っているのに、子供のためにやめるなんて」
その皮肉な状況に、なつは悩まされているのです。
これは、もう誰もが納得するあるあるですよね……女性向け、母親向けの製品やサービスでも、男性だけが考えた結果、リアリティがなくなる。アニメもそういう傾向があった。
そういうファンタジーを刷り込まれただけなのに、女はこういうものだと思い込んで、そこからはみ出す現実の女を叩く。あるいは逃げる。
◆日本の妊娠出産界隈のダサピンク現象に思うこと – MAMApicks –
◆赤ちゃんを連れて電車に乗るたびに困っていた。でも金髪にしたら格段に楽になった。
うーん、やっぱり本作は凄いですよね。
短時間の中にそこまで織り込んでくる手腕は見事としか言いようがないと思います。
ナレーターの父も、先の見えない娘夫妻を見守るしかないと語るのです。
けれども、彼は二人を責めません。
見守っています。
野上の尋問開始!
そんな中、奥原家にも最後の独身がおりました。
咲太郎です。
風車プロダクションは、テレビアニメの隆盛で名前の通りフル回転。
公式サイトのレミ子の呼び方も、声優になりましたね。
劇団員の副業が、ついにここまでたどりつきました。
そんなオフィスに、あの野上がやってきて真剣な顔をしています。
「いやぁ、成功してますね。ご立派なことです」
野上は、見る目が厳しいうえに、結構な毒舌執事キャラクターです。
彼がここまで丁寧なことを言うのであれば、それはもう、何か重大事なのでしょう。
そして要件を切り出しました。
風車の立ち退きについて……。
ここで思い出すのは、風車の2階部屋で窓を開け、夕涼みをする場面です。
ああいう涼しい、江戸情緒が残る東京の破壊を、テーマとからめて出してきた。
その伏線でしたか!
いいですね、最高だ。
佐知子は暑いからと窓を開けます。
「あ〜涼しい」
そこから涼風が吹き込んでくるのでした。
あそこで咲太郎に、甲斐甲斐しく麦茶を出してきたさっちゃん。
彼女の運命は、あの場面で示唆されていたのかもしれません。
風車跡地には、再開発でデパートが建設される。
川村屋もビルになる。
何気ない場面ではありますが、これをこの炎天下の季節に流すということは、ものすごいことだと思います。
※理由は後述
「聞いています……川村屋はビルになる」
そう咲太郎が告げると、野上の目が心なしか爛々として来ます。
「聞いていらしたんですね。それであなた、どうするおつもりですか!」
ここで、確信を持って踏み込んでくる。
いつまで待たせるつもりなのか。
陰でそういう関係なのか。
お察しはついている。コソコソしようとお見通しだ。
ビルになる機会にけじめをつけるんだ。
あの人を苦しめるな。
もう若くもない。
「風車を機に、身の振り方を考えろッ!」
すっ、すごい……。
野上は捜査スキルがある。
彼は情ではなく、理詰めで来る。本作の好きな手ですね。
彼はまず、開発の件で咲太郎の反応を探っていた。
雑談をしたいわけじゃなく、自らの推理の証拠を求めていた。
そして、風車のことは知らずに、川村屋を知っていると確信して、自分の推論を並べ立てる。
俳優のスキルがともかく大事。
これだけの長いセリフを、覚えて、かつクリアに言い切るとなると恐ろしいことです。
『真田丸』班は、この人ならばできるとわかって配役をしているのでしょう。
近藤芳正さんは、その使命と期待に応えた。
ゆえに、野上なのだ。
なつが、咲太郎が反対したと言うと、そんなに遅いのに反対するのかと野上は意外そうではあります。
「だってバカだもん」
マダムが愛をこめて咲太郎をそう呼ぶと、野上はこう来ました。
「そのバカを待ちわびる不憫な人もいるかも……」
亜矢美は直感で恋心をなんとなく悟っていたけれども、野上は反応を窺いつつ、タイミングを待っていたのでしょう。すごいな。
※続きは次ページへ
自分が一人暮らしを始めたときと、坂場が同じことを言ってて驚きました。塩少々って何グラムだよ。適量ってそれを教えてくれよ。って思ってました。あと強目の中火とか、パニックです。
↓ また嫌がらせだよ。
掌返しはいいけど、拗ねて駄文書いちゃイカンでしょw
連投かつ私見に過ぎない内容で申し訳ありません。ご笑覧いただければと思う次第ではありますが。
前の方の仰るように、作品の受け止め方・感じ方は様々あって当然であり、どれが正しいなどと言えるものでもないでしょう。
作品に対する論評の文についても同じことが言えるでしょう。
「この評者の主張なら信用できる。だからどの作品についての論評も全面的に受け入れる」という立場もあれば、
「この評者の、この論評は自分と同じだ。賛同する。だが、この論評はあまりに違い、自分とは合わない」という立場もあるでしょうし、
そして、「この評者は自分と同じ意見だと思っていたのに、この頃あまりに違うことを書くようになった。もう全面的に受け入れられない」という立場も当然存在してしまうでしょう。残念ながら。
このレビューを「絶不調」とするのは、何を指標・根拠として判断されているのか、私にはわかりませんが、もし、そう判断したくなるような状況があったとしても、
レビューという「作品」にも様々な受け止め方があることを是として、それでもレビュー筆者の思うところをありのままに書く、というのをコンセプトとするのなら、その結果も受け止めるしかないでしょう。
だからと言って、「好調」にするために論調を変えるとか、そんなことをしては存在意義を全く失ってしまうのですから。
ただ、「違う立場の者を攻撃する」のは論外。
自分と合わなければ、離れればいいのに。
いつも楽しくレビュー拝見しております。……社交辞令ではなく、本心から(笑)。
「なつぞら」のリアリティーのある変人描写(褒め言葉です)も、こちらのレビューの的確な分析も、毎日楽しみに読ませていただいておりますよ。むしろ絶好調では?
「いだてん」絡みで色々あるようですが……。
どんな素晴らしい作品でも質が低下することはありますし、そうなった作品を「叩く」のではなく、根拠を明確に示しながら評価すること。それを「掌返し」とは言わないと思います。
それこそ武者様の言う「受容と理解」にも通じる話ですね。
つまり、「1度好きになった作品はけして悪く言わない」という信念を持つファンも居れば、「好きな作品だったからこそ、黙っていることはむしろ裏切りだ」と感じるファンも居る。
どちらが正しいとかいう話ではありません。どっちもありでしょう。なのに、自分と違う意見を持つ他者に対しては異常なほど攻撃的になる……。
そういうのはもうやめましょうと言いたい。世の中全体が息苦しくなるだけで、結局、誰の得にもならないんですから。
メシマズは「公言されていないけど、実は女の子のADHD(あるいは ADD)のキャラクター」という設定なのだずっとと思っていました。
…何故って、そういったメシマズキャラってADHD(ADD)の特性が「これでもか!」とばかりに描写されているから。そして原作者がADHDを公言していたりしたからです。
「◯◯も私とおんなじADHDなんだ…。きっと作者の経験が投影されているんだな!一人じゃない。そして女の子のADHDも多いことが解って勇気が出てきた!!」
と長年思って過ごしていただけに「無知故のテンプレ」もかなり混じっていたという鋭い指摘にははっとさせられました。
そうだよなぁ、男の子のメシマズが少ないのは「ADHDキャラ」のリアルを反映してないよなぁ。
「このレビューが絶不調」?
そうかな?私は楽しみに見てますが。
ただ、コメントはめっきり少なくなった。
私見ですが、このレビュー自体の原因ではないものの、同じ武者氏が執筆されている『いだてん』レビューでの「掌返し」の影響は少なくないかもしれません。ちょうどその頃から、こちらのコメントも少なくなったように思いますし。
武者氏が思ったことを書くのがコンセプトなのでしょうから、そういうこともあるのでしょうが、『いだてん』レビューの論調の急変ぶりは、私には受け入れ難かったです。何か変に現状の政治情勢に影響されてしまったかのようで。
私は現実の情勢とは切り離して、オリンピック参加史の作品を楽しんでみたかっただけなのですが。
あの「掌返し」で、不信感というか、違和感を強く感じてしまい、こちらのレビューもそれまでと同じ気分では読めなくなってしまった方もいるでしょう。