「ハッピーバースデートゥーユー♪」
昭和48年(1973年)6月1日、坂場優は5歳の誕生日を迎えました。
両親の見守る前で、誕生日ケーキのろうそくを吹き消す。
プレゼントを開ける。
幸せがそこにはあります。
馬を見ると思い出す
優は、洗濯物を干すなつの横で、雲が馬に見えると指さします。
確かに馬に見える!
走っているような躍動感すらあります。
「お馬さんに乗りたいねえ」
優がそう言うと、なつはこう返します。
「乗りたいの? 優、本当に乗りたいの?」
優は本物のお馬さんに乗りたい。
実物を見たことは忘れているんですって。2歳の時、十勝に行ったそうですよ。
なつは、十勝に連れて行って乗せてあげると約束します。
「いつ?」
「いつ? うーん、今度の夏休み」
「ママの夏休みっていつ来るの?」
「8月15日あたり!」
なつは迷って言います。
こうした二人のヤリトリも、実にさりげないけど含蓄があるんですね。
これがもし、通り一遍のダメな朝ドラだと、子供は狙ったように母であるヒロインを責めるセリフを言いますからね。
悪意のない言葉が、一番きついんですよ……。
優はなつを責める気はないものの、会話からなつがなかなか休めないことがわかりますからね。
「ありがとう、ママ!」
「優、ありがとうなんて言わなくていいの」
なつはしみじみとそう言います。
休めないことへの後ろめたさがあるんでしょうね。
と、このセリフの裏にあることを子供がわからないことも、重要です。
なつがナゼ、夏休みを取れないかって?
その答えはあります。
光子の思う教育とは?
保育園に優を送るなつ。
「お知らせの紙を忘れないでね」
細やかなセリフです。
そして仕事場に向かったあと、なつは作画監督になります。
『魔界の番長』に、乗り気でなかったとはいえ、職業人として全力で挑むのです。
堀内は、原作よりも魔人の目に人間味があると褒めています。中島ともども、彼らも成長を感じさせる。
迫力満点のアニメにして、何としてもヒットさせるんだ!
これは劇中だけでなく、本作スタッフも頑張っています。
東洋動画アニメポスター、設定、グッズ、動画まで公式サイトで公開中――どんだけすごいんだ。
パンダ諸葛孔明あたりは、フィギュアが本気で欲しくなるから困りますわ。
さて、そうして頑張った結果、なつは優を迎えに行くことすらできなくなっているんだとか。
今は茜ではなく、咲太郎と光子が優を預かっています。
咲太郎がついにここまで到達しましたね。
社長にしてベビーシッター。優は、オフィスで絵を描きながら過ごしています。
「これは俺か?」
なんて咲太郎は絵を見て思ったりして。
光子がおやつを出してくると、優はこう言います。
「コーコさん、ありがとうって言っちゃダメ?」
光子は驚きます。
「感謝の気持ちを持つことは、人間の基本です!」
あー、やっぱりお姫様ですね。
光子の言動からは、育ちの良さがにじみ出ています。先代マダムこと、祖母から教えられて来たのでしょう。
武士の娘云々を連呼していても、言動が下劣で品のない、そんな作品もありましたっけ。
そうでないんだわ。
育ちのよい光子は、なつの育児方針が気になり始めるのです。
「なっちゃんは何を考えているのかしら! 礼儀を教える気はないのかしら!」
これは、なつにも光子にも、そこまで問題はありません。
大人の間に子供が挟まることで、不器用な伝言ゲームになってしまう。育児トラブルのあるあるですね。
ナレーターの父が語ります。
優は今でも、みんなの愛情を受けて育っています。
なつは、昔の自分のようだと、時々思うのです――。
戦災孤児は、そうしみじみと思うのでした。
『夕見子の野望・製菓業』
そんなある日曜日、あいつがやって来ます。
【ジャーン、ジャーン、ジャーン!】
げえっ、夕見子!
「夕見子おばさん、いらっしゃい!」
そう、十勝の夕見子です。
慌ただしく、今の状況を説明します。
息子の雪見は元気でやっている。
元気でないと、小畑家ではやっていけないって。
まぁ、
総大将・とよ
知将・妙子
らが揃っているからにはそうでしょうね。
小畑家の育児をめぐる闘争も気になるところではありますが、これから出てくることでしょう。
夕見子、大丈夫?
「ハッ、かようなこともわからぬのか、雪見よ……」
みたいな、軍師式教育指導はやめてくださいよ。
夕見子は北大出だけに、勉学指導を期待されそうですが、性格的にむしろそこは無理だと思います。
そんな夕見子は、雪月のお菓子をお土産にしています。
これには優も大喜び。
うーん、私も食べたいんですけど……。
ここで夕見子は、イッキュウさんが日曜でも仕事をしているということに驚いています。
『三代目カポネ』はどうなったのか。きっと満を持して出してくることでしょう。
そのあと、夕見子はたんぽぽバター、そして紙パックのたんぽぽ牛乳を取り出します。
「へえ、すごい! 飲んでいい?」
三角パックの牛乳をストローでチュウチュウと……。
「ん〜、おいしい! 十勝の味だわ」
懐かしの味を楽しみ、しみじみと語るなつ。うーん、私も飲みたくなるんですが……。
夕見子は、やっと冷蔵で東京にまで輸送できるようになったと語ります。
優もせがんで飲み、美味しいとしみじみしています。
「なつの子だわー」
そう言う夕見子に、牛乳を飲めるようになったのかと聞き返します。
相変わらず無理でした。
なつはからかいます。
「あんたは誰の子? あんただけ変わってるね」
「うるさいッ!」
夕見子よ……この人は、牛乳が飲めないだけではなく、一生涯を「あんただけ変わってるね」と言われて生きてきたのでしょう。
あんただけ本ばっかり読んで、みんなと遊ばない。変わってるね。
あんただけ嫁に行くでなくて、北大に行くと言い切る。変わってるね。
あんただけ結婚しても働き続ける。変わってるね。
あんただけ子供を置いて、東京にまで行く。変わってるね。
「うるさいッ!」
何度、彼女がそう言い続けてきたことやら……そしてこれからも、そう言い続けて生きていってくれな。
そんな夕見子には夢がありました。
牛乳の東京進出です。
それが農協での最後の仕事になるんだとか。
なんでも雪月の商売が軌道に乗っているそうです。
国鉄が1960年代に提唱したキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の影響もあり、観光客が増えているとか。
こういう、その時代ならではのトレンドを入れるあたり、仕事が細かいですね。
来年の朝ドラ『エール』にもそういうシーンは出てきそうです。
古関裕而が音楽を手がけた『君の名は』も、昭和の北海道観光に影響を与えていますね。
夕見子は、雪月が好機を生かす営業力が不足していると、ドヤ顏で語ります。
ドヤァ……。結婚しようが、母になろうが、軍師は軍師だからさ。
「我が営業力で、雪月をもっと大きくするッ!」
智謀を用いて天下取りを目指す――ついに言い出しました。うーん、この先どうなるんだ。
こいつ、絶対雪月を我が城にする気満々だよ。
知略が高いから、楽しみですね。
※続きは次ページへ
物語は1970年代に入ったわけですが、本作のテーマの一つである「開拓」関連では、この時期は戦後開拓で全国に形成された開拓農協の多くが役目を終え、一般の農協に業務を引き継いで解散したり、県単位等で統合したりする時期にあたります。
この時期を単体あるいは統合して存続した開拓農協は、そのほとんどが畜産や酪農に特化したもの。特色を発揮して次の時代に進むことになります。
存続した開拓農協を次の波が襲うのは2000年代。1990年代の農産品輸入自由化等で畜産農家・酪農家が打撃を受けたところへ、BSE等の家畜病害やリーマンショックによる経済混乱、地域によっては自然災害の影響を受けて組合員の経営悪化や離農が相次ぎ、組合の経営も悪化。解散や後継組織への事業移管が相次いで、更に数を減らします。
2019年の現時点で存続している開拓農協や後継組織は、この荒波をいくつも乗り越えてきたもの。これからも後継者難や貿易問題などの難問が待ち構えています。同じ日本に生きる者として他人事ではありません。
複数農家共同での農業機械の共同購入・保有に関して言えば、集落営農の組織化・法人化の観点を、まず意識する必要があります。
大抵の農協には、地区・集落単位の組織として、「営農組合」などの名称の組織が構成されています。合議体としての性格にとどまることも多いですが、農作業・生産活動について、農家個別から共同化・組織化を図る際に、集落単位でこの既存の枠組みを活用したり、別に新たな組織を構成したりして共同化・組織化し、更に権利義務関係の明確化等を図るために農事組合法人や株式会社などの法人格も取得することがあります。
農作業・生産活動の共同化・組織化の中で、高性能農機を共同で保有する機運が高まれば、それが図られることになります。
投資負担軽減・リスク軽減等の観点の他に、集落営農の組織化の観点も考慮しなければ、十分な理解とは言えないでしょう。
単に「個人で所有するには高価だったから」云々は、それこそが「分かってる気になって」そのものだと思います。
アニメがテーマというのは、確かにゴールがわかりにくいと思います。というか、そもそも分かりやすいゴールを設定することが難しいのです。何が正解で何が成功なのかが定義しにくい。
言ってみれば、明確なゴールのない物語がなつぞらです。
正直、物語としての訴求力は弱いと思います。それを補う脚本かと言われると、そうでもないと思います。それは視聴率が物語っています。
ただ、なつぞらにはその弱点を補う良さがあると、個人的には思っています。ひとつは、このサイトでも言及されているとおり、働く女性、母の現実にしっかり踏み込んでくれたこと。なつをはじめとする主要女性像に、いわゆる好感度上げを意識したステレオタイプのいやらしさがないことです。
なつの衣装が、視聴者および登場人物からまず好感を持たれないであろう派手なものであったことがそのひとつで、私は、周囲の目など気にするな、好きな服を着て自分らしくあればいいという、作者のメッセージを感じとりました。
なつの生き方は、今を生きる私たちにも色んなメッセージを投げかけてくれると思っています。
亜矢美さんが去ってからだいぶ回を重ねました。さほど時を置かずに再登場してくれるかなと思っていたので、ちょっとさびしくなってきたところです。
亜矢美さんが風車から姿を消し、旅に出ていたシーンを見たときは、亜矢美さんが乗っていた列車を「北海道の客車のように見える」と思いましたが、同時期にこのタイプの客車が使われていた地域を考えると、例えば、全く逆方向の「肥薩線で人吉や霧島へ」ということもありうるな…などと想像を楽しんでみたりもします。
トラクターの所有形態について、まるで「組合形成による共同所有」が一般的だったかのように書いている投稿がありますが、そのような理解は実態と異なると思います。
個人による所有は一般的でした。だからこそ、営農に出費がかさむようになり、「機械化に投資をしたために、かえって現金収入の確保に奔走させられ」、機械化で浮いた時間を兼業に充てねばならないことになっていきます。
こういうこともあり、また他に、共同で投資することで、個人購入より大型・高効率だが高価な機械を導入できるようにすることも視野に入れて、複数農家が機械利用組合を形成して大型の農機を購入することが行われるようになります。
作中の天陽くんも、あくまで「自分の家の馬が死んでしまったので、トラクターを買わなければならない」としか言っていません。共同で購入することを窺わせる内容は全くなかったと思います。
「SNS上で批判が…」というのは、個人的にはあまりあてにならないと思っています。
もちろん、そういう意見が存在すること自体は事実でしょうが、群衆心理的に煽られる現象もありますし。媒体によっては「複数アカウントを使って嫌いな作品を貶める投稿を書きまくり、あたかも多数派のように装う」行為の存在も指摘されています。
作中のなつの育児の描写は、現代の課題を際立たせる意図で、あえて作中に表現しているもの。
「当時の実態とは違う」という反応が出るのは織り込み済みでしょう。
制作側が「分かってる気になってやってしまった」などというものではないと思います。
国鉄が「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンを開始したのは1970年10月からです。
作中の時点は、1973年6月ですから、夕見子がディスカバー・ジャパンに言及しているのは時期的に何の問題もありません。
レビュー本文で「1960年代から」と記したのが、違っていますね。
「ディスカバー・ジャパン」は1960年代ではなく1970年からです。
同年に開催された大阪万博が終了後、旅客の落ち込みを押さえるため当時の国鉄が始めたキャンペーンですから。余談ですが、キャンペーンソングの「遠くへ行きたい」もいい歌ですよ。
まず夕見子がたんぽぽ牛乳の営業で東京に来ているという設定。
モデルになったよつ葉乳業の社史を見たら1972年に道外で牛乳の販売開始とありました。ドラマの世界では1973年なので、生乳工場設立に関わった農協の職員が乳製品の売り込みのために東京に来ていてもおかしくはないですね。
そのころは大都市郊外に次々に開発されたニュータウンにスーパーマーケットが建てられ、牛乳屋さんがビン入りの牛乳を毎朝家庭に配達してくれる時代からスーパーマーケットで紙パックの牛乳を購入する時代への過渡期でもありました。
もひとつ、入院中の天陽が「馬が死んでしまったので、トラクターを借りるためにお金がいる」というようなことを言っていました。
なつが育った1950年代までは農作業の主力は馬でしたが、その後農業の機械化が進んでトラクターなどが使われるようになると、農用馬は不要となり急速に数を減らしました。反面トラクターのような大きな農業機械は個人で所有するには高価だったため、農家が集まり組合を作って機械を購入、必要に応じて貸し出す体制をとっていました。馬から機械への転換期やトラクターの共同利用といった当時の農業をめぐる背景をしっかりと踏まえたセリフで、さすがに農業関係は考証がしっかりしてるなと思った回でした。
その一方でなつの育児の場面に対して批判の声がツイッター等では出ているようです。これは前にも書いたような気がするのですが、酪農とか北海道の生活については現代の東京で暮らしているスタッフには分からないことだらけなので考証の先生の話に素直に耳を傾けてそれを踏まえて描く。しかし育児となると、なまじっか身近な事柄ゆえに分かってる気になってしまい、昭和の時代の話なのについ現代の価値観が出てしまう。そのためドラマの時代に子育てした人とか、現在進行形でワーキングマザーしてる人の中には違和感を覚える人がどうしても出てきてしまうのでしょう。
そこらへんが本作のちょっと残念だったところだと思います。
いよいよ北海道産牛乳の東京出荷が始まることになりました。ただこの頃はまだ比較的少量で高級品扱い。タンクコンテナによる大量の出荷が始まり、普及品となるのは青函トンネル開通以後となります。
未だ揉め続ける青函トンネルの新幹線走行問題。合理的に考えれば「貨物列車存続」以外の結論はないのに。議論にもならない馬鹿な話をするのは早く終わりにして落ち着かせてほしい。
天陽と雪次郎の会話に、離農が続いている話や、副収入がないと経営が成り立たない話もありました。昭和40年代後半、農業が厳しくなる時期です。夕見子が農協を辞めるのも、人員削減に応じたということかも知れません。
「ディスカバー・ジャパン」にせよ、三角パックや湯沸し器にせよ、作中の時代に合わせた的確な周辺描写をしてくるのは、実に見事と言う他はありません。
このところいつも感心させられているところ。
昨日今日始まったことではなく、基本的には番組開始当初から続いてきたことでした。
だからこそ、新宿編屋外ロケの、
「都電の末期なのに明治の最初期の電車で強引に済まそうとする」
「似つかわしくない街並みを『新宿だ』と言い張る」
というひどい手抜きぶりは、作品全体の水準からはあまりにかけ離れた異質なもので、異常さが際立つこととなってしまいました。
どういうわけか、この当時NHKはロケ施設「ワープステーション江戸」の使用に異常にこだわり、本来なら無くて何ら差し支えない筈の「新宿の街角」シーンを、無理矢理屋外ロケで制作して押し込んできていました。
『なつぞら』の数少ない、しかし致命的な大きな欠点です。どんな事情が介在したのかは知りませんが、極めて残念です。
夕見子が持ってきたたんぽぽ牛乳。三角パック。
最近はごく少なくなりましたが、やはり昭和50年代頃まで一人分の飲料パックとして定番の製品でした。子供の頃、この三角パック入りのコーヒー牛乳が好きで、よく買ってもらっていました。
しかし…
来週、天陽君が…