天丼の味
「お待たせしました。天丼です」
最後の天丼が、ここで出てきます。
咲太郎は感極まった表情で、手を合わせます。
「いただきます……」
「おいしい!」
「本当においしい」
「おいしい!」
なつと信哉と明美が喜ぶ中。
「こんなにおいしい天丼は、初めて食べたわ」
光子がそう言います。
彼女は喫茶店のお姫様ですからね。舌が一番肥えていても不思議はない。その彼女がこう太鼓判を押すのですから、これはおいしいんですよ。
はー、今日はお昼に天丼を食べなくちゃ。
咲太郎は、興奮を隠しきれません。
「これだ、これだよ!」
「何かございましたか?」
「戦死した父の作ってくれた、天丼と同じ味なんです! 間違いなく、この味だ! 俺たちの父親は、料理人だったんです!」
なつぞら54話 感想あらすじ視聴率(6/1)仕事は裏方で作られている父の天丼が大好きだった。
どの店で食べても、あの味ではないと納得できず、だったら自分で作る方が早い。そうなったと言います。
そう言われて、千遥はちょっと戸惑っている。
そこまで記憶がないのでしょう。父の顔を覚えているかどうかすら、あやうい。
なつも、幼い時の記憶しかないといいます。
「この天丼の味が忘れられなくて、食べたくて……」
そのとき突如、なつの脳裏に記憶が浮かんできました。
当時らしいタイルがある。そんな厨房。そこでは料理人が天ぷらを揚げています。
「どうして女将にそれが作れたんでしょうね」
「不思議だ、本当に不思議だよ」
なつの記憶の中で、母の顔が浮かんできます。
和服に割烹着、笑顔で厨房にいたあの母。
「ちがう……ねえちょっと、思い出した……」
「何を?」
「お母さんだよ。空襲で死んだお母さんが、いつも作ってくれてたんだよ、天丼は……」
父が天ぷらを揚げる。母が出汁をとって、タレを作っている。
「おまちどおさま!」
そう笑顔で言う母。
「思い出した。どうしてだろう、今頃。女将さんが、それを作った母に似ていたから……それで思い出したのかもしれません」
「そうかもしれない」
なつと咲太郎。そして千遥。その姿を見て、父がこうつぶやきます。
なつよ、咲太郎よ。
父さんと母さんは、ずっとこの時を待っていたんだ――。
お留守番の彼のこと
はい、圧巻のラストに水を差すようで何ですが。
今、家で優と遊んでいる彼のことでも。
◆夫が彼だったら…『なつぞら』中川大志が働く女性を呪縛から救う理由
『なつぞら』は、もっと早く20年前にやってほしかった。そうすれば、中川大志の姿を夫に見せられたのに……。
そうなんです。
今日、まったく言及すらされないイッキュウさん。
彼が自宅で優を預かっているからこそ、この奇跡が起きた。
奇跡が美しいだけに、その闇の深さも見えてくる。
女を家庭や育児に縛り付けた結果、どれだけ奇跡が生まれなかったのだろう? どれだけの可能性が潰されてしまったのだろう?
どうしたって、近年の朝ドラは良妻賢母路線を推してきた一面がある。
それに対して『なつぞら』は反省をしていると感じます。
20年前にやってほしかった。
これは、著者の年齢によるものでしょう。
60年前にやってほしかった。
30年前でも。
10年前でも。
それをやっと終わらせる。
こういうことが進化なんです。
キャプテン・マーベルのセリフを引用するなら、こうだ!
私はあんたの戦争で戦うんじゃない、それを終わらせるのだ。
主題歌の『優しいあの子』は、新世界に踏み出す不安から始まります。
重い扉の奥。暗い道。知らない場所。厳しい風も吹いている。
でも、その先には知らなかった世界、わくわくするよい世界が待っている。そう伝えてくれる歌です。
これぞ主題歌!
100作目で、重い扉が開かれました。
その先はきっと、悪いことばかりじゃないよ。
変わることは、怖くないよ。
そう歌いながら、今日もこのドラマは新しい世界に挑んでいきます。
ちなみにちょっと補足。
イッキュウさんは、働く女性だけの救いでもないのです。
これは公式発表もされないでしょうけれども、彼の仲間にとっても救いになっている。
イッキュウさんは、なつや優や仲間だけでなく、彼自身も救って、救われている。
そういう人物です。
今日の天丼から記憶が蘇る描写も、覚えておきたい。
記憶が薄いなつが、どうして思い出したのか?
味覚が答えでしょう。
あの味がなければ、蘇らなかったのです。
五感から何かを生み出し、記憶し、思い出す人々。
できない人からすればわけがわかりませんが、そういう人はいます。
来年の『エール』主人公も。
彼は絵を見ただけで、脳裏に音楽が浮かぶのです。
彼女はそこにいた あなたが気づかなかっただけ
そして、今日はなつたちの母も出てきました。
感無量です。
この笑顔が、空襲の中で消えてしまった。天ぷらを揚げていた父も、満州で亡くなってしまった。
◆「なつぞら」なつの母親は「ええにょぼ」の戸田菜穂「不思議な気持ち」歴代朝ドラヒロイン15人
戦争の被害を描くこと。
死者の無念を描くこと。
それは何も、直接的な死や暴力でなくてもよいのです。あの笑顔が消えてしまったことこそが、悲しいのだと描くことはできます。
それにしても、この母はすごい設定です。
ナレーターとしては、ずっと父がいた。
母も彼の言葉からすると、そばにいるらしい。
でも、どうして聞こえないのだろう?
私は、ナレーターは男女逆転の結果だと思っていました。親族女性のナレーションは、朝ドラでも定番でしたからね。
なつぞら6話 感想あらすじ視聴率(4/6)想像力とその欠如のもたらす悲劇
今日ではっきりと、そこにいても気づかなかっただけだとわかった。
女性の声が消えてしまう。見えなくなる。そういう現象はある。
これは千遥の境遇にも重なってくる。
彼女が店に立って調理していても、【主人】は男。店は男のもの。ひどい話であり、偏見である。
そう思うわけですが、咲太郎にすらそういうバイアスはあった。私の中にもあった。
千遥は確かに母親に似ている。
料理人としての手柄を奪われる、そういう女という姿が一致するのです。
今年話題になったベストセラーに、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』があります。
この作品では、女性には固有名詞がついているのに、男性はそうではないのです。
「なんとかの父」
「なんとかの弟」
そういう風に記載されている。ぎょっとするし、気持ち悪くもある。
これは皮肉であり、告発なのです。
昔、百人一首を覚え始めたとき。何かうっすらと、気持ち悪さを覚えたものです。
言語化できない。もやもや。なんだこれ?
今ならわかります。
「なんで本人でなくて、なんとかの母って呼ばれんの? いい歌残しているんでしょ? 女って付録かよ……」
儒教文化圏はそういう呼び方をするもの。
キリスト教文化圏だって、なんちゃら夫人だし。
女がつまらない付録だから?
もらい感情でラリパッパしかできない、無能だから?
それとも社会のせい? 偏見?
NHK東京は答えをしっかり出してきているのでしょう。
あー、やっぱりこれは、初めは冗談半分だった朝ドラでの『ゲーム・オブ・スローンズ』ですわ。
あの作品も、女性君主を意図的に増やす。
海外フィクションでは結構ある。むしろメインストリームです。リメイクだと、原典の男性を女性に変換するとか。
はにゃーんとした女体化と違いますよ。
強く賢くたくましく――そのまま変換するんです。
隠されて抑圧されていた彼女らをそうして浮かび上がらせる。
2019年にきっぱりと追いついた。
そういう作品に、朝から驚かされっぱなしです。
※イケメン騎士の女になりたいんじゃない、私自身が騎士になる
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
清原果耶さんは、既に先日まで放送されていたBS時代劇『螢草 菜々の剣』(全7回)で主演されてますよ。ちなみに私はかなりの好演であったと思いました。
「もうオファーがあったりして」なんて呑気なことを言っている場合じゃないです。