1992年(平成4年)の東京。
秋風羽織の三人の弟子である楡野鈴愛、ボクテ、ユーコは漫画家デビューを目指して奮闘中です。
一歩先をいったのはユーコで、ついに『ガーベラ』デビューを果たすのでした。
【64話の視聴率は20.0%でした】
もくじ
「ええっ、鈴愛がデビュー?」
今日は梟町の「つくし食堂」から。昼間の混雑時に電話がなります。
受話器を取った晴さんは、驚きました。
「ええっ、鈴愛がデビュー?」
「ユーコや!」
鈴愛からの報告電話です。
1992年夏、小宮裕子はついにデビューを果たしたのです。
はしゃぐ鈴愛。複雑な顔をするボクテ。
そして散英社からは、担当編集もつくことになりました。
と、そこで秋風羽織は、ネームは担当の前にチェックしたいと提案します。
実は、秋風は、担当編集に恵まれない不運の時期がありました。
マンガに人生を捧げた若者を大切にして欲しい
1970年、当時、秋風30歳。
冷房もなく、金属製のタライに足を突っ込んでいたあのころです。
スポ根と時代物とナンセンスギャグを混ぜれば売れると言ってくる奴だとか。
文芸をやりたいのに少女漫画なんて嫌だ、と秋風の前で愚痴をこぼす奴だとか。
漫画家志願で自分のイメージを押し付けてくる奴だとか。
やる気がまったくない奴だとか。
そういう外れ担当が付かないよう、羽織は気遣っているのです。
この場面は、背景に漫画のような絵が貼られていて、なかなか凝っていておもしろい演出です。遊び心を感じますね。
羽織は、漫画に人生を賭け、安定の生活を捨てた勇気ある若者たちを大事にしてほしい、と念を押すのです。
散英社の新しいユーコ担当は、菓子折りだけではなく、ファンレター1号も差し出します。
昔は漫画の単行本に、ファンレターが掲載されたりしていましたっけねえ。
「大御所の穴埋めとかきにするな。これは実力だ」
そう励ます羽織です。やはり弟子には真摯に向き合いますね。
私だって“けなるい”けれど
ボクテはいただきものの菓子を食べながら、味がしないとポツリ。
なら私が食べると鈴愛が食い意地をはって迫ります。
そんな鈴愛はお気楽、嫉妬とかしないの?とボクテ。
デビューできるのはアシスタントのうち5人にひとり。
そのうちマンガで食っていけるのは、ほんの一握り。妬むよりは喜ぶべきだと鈴愛はいいます。
「おめでたいね」
「私だってけなるいよ」
ボクテにそう返す鈴愛。“けなるい”とは、岐阜弁で“すごく羨ましい”という意味でした。
「けなるい〜〜〜!」
二人はそう叫びます。
自分の名前が掲載された雑誌が日本中にある!
岐阜では晴が『ガーベラ』を読んでいます。
食堂に三冊置いて、町の本屋でも買い足そうと語る晴と宇太郎。鈴愛がデビューしたら、本棚を鈴愛まるけ(=だらけ)にしようねと語り合います。
うーんなんだろう……。
鈴愛の口からデビューの難しさが語られ、ご両親の期待が叶うかどうかちょっと怖くなってきました。
『わろてんか』ならヒロインが地蔵でも、簡単に成功できていたのに(また持ち出してすみません)、本作は、まるで先が読めない。だから引き込まれてしまうのですが。
鈴愛とユーコは、ドキドキしながら書店やコンビニを回って、『ガーベラ』を買いあさっていました。
これが日本中にある!
表紙に自分の名前が掲載された雑誌がある!
そんな喜び。
「おかしいな、私の作品が載っていたら売り切れるはずなのに」
なーんてことまで、冷静なユーコが言い始めます。
ユーコは嫉妬しない鈴愛に感謝します。
確かに先をこされたとは思っているけれども、嫉妬したら人生が半分になるという鈴愛。でも、友達に喋れば二倍になるんだ、そう語ります。
そして、律がいなくなったときも、ユーコのおかげで悲しみが半減したと続けます。
いいね、友達ってそうですよね。ユーコがデビューしたなんてむしろ自慢したいと鈴愛は屈託なく語ります。いい子だな。
「あんたとおると、こちらまで素直になるな」
岐阜弁を交えてそう言うユーコに対し、お母ちゃんが喋っているかと思ったと喜ぶ鈴愛です。
ボクテが他誌の編集者と密会……
羽織は菱本とともに、秋風ハウスのバーにいます。ユーコは実力でデビューした、と褒めます。
そんな秋風の内面に、今までとは違う変化を感じる菱本。
「一度終わったと思った命だ。若い人と生き直したい」
そういうと乾杯する羽織でした。
良い変化が起こっているようです。
しかしその頃……ボクテは「おもかげ」で見知らぬ男と会っていました。
男が差し出しだのは「草萌書房」の名刺。
他誌の編集者です。
こ、こ、これは……嵐の予感……。
今日のマトメ「増幅されるボクテの黒い雲」
うわーっ、今日も嫌な感じで「半分、青い。」です。
素直に喜ぶ鈴愛が青く、それに対してボクテは黒々とした雲。これぞ暗雲、不安です。
あのかわいらしい、愛嬌があって優しいボクテの表情の変化がすごいですね。どこか不穏です。
志尊淳さん素晴らしい演技ですね。
大げさな顔はしないけれども、どこか不穏で怖いんですよ!
でも、ボクテの気持ちもわからなくないというか……。
切磋琢磨している相手が先に進んでいったときの、あのどろりとした黒い気持ちを思い出してしまいます。
もしかしたら自分がそうなったかもしれないのに、というドロドロ感。
そりゃあ鈴愛のように思えたら幸せでしょう。しかし、そう簡単には割り切れないものです。
そしてこれが鈴愛というヒロインの業ですけれども、鈴愛って周囲にとって増幅装置なんですよね。
アンプみたいなものでして。
菱本が期待したように、羽織にとっては明るい感情を増やす役割を果たしています。
律にとってもそうでした。
朝井正人も、鈴愛と付き合う前にはフリーになったあたり、そうかもしれないですね。
しかし、増幅されるのはプラス感情だけとは限りません。
鈴愛の明るさ、透き通った無邪気さが、ひるがえって伊藤清のドス黒い嫉妬心を増幅させ、ボクテをイラつかせる。
ユーコもかつては、屈託のない鈴愛に食ってかかったものです。
以前、鈴愛には朝ドラヒロインの業が宿っていると書きました。
本当にそうだと思います。
明るく笑顔で皆を元気にするヒロインって、実はマイナス感情をもかきたてる、なかなか危ない存在です。
陳腐なドラマなら、相手が悪い、意地が悪いということにするのでしょう。
しかし、ボクテだって、あの伊藤清だって、鈴愛が絡まなければここまで厄介なことをしなかったはずです。
やっぱりこのドラマは、「半分、青い。」
これほどふさわしいタイトルもありません。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
「半分、青い」の「、」は「だけ」なのか「も」なのか・・・
あとの「半分」は何色なのか・・・
その色や割合は日々揺れ動いている
>RinQ様
ご指摘ありがとうございます!
こちら文脈からして「生き直したい」っすね^^;
修正させていただきました。
今後もご愛顧よろしくお願いしますm(_ _)m
いつも拝見して、解説に感心しています。
秋風先生、「行き直したい」だったんでしょうか。終わったと思った命、だから「生き直したい」と聞こえました。まあ、どちらでも視聴者に聞こえる方が正解なんだと思いますが。