半分、青い。63話 感想あらすじ視聴率(6/13)青いだけじゃ済まされない現実

1990年(平成2年)の東京、夏。

魂のかたわれのような存在だった萩尾律と別れた楡野鈴愛は、心の痛みを漫画執筆にぶつけるよう、師匠である秋風羽織に言われます。

全霊をぶつけるように、癒すために、救われるために――創作へと向かう鈴愛なのでした。

【63話の視聴率は21.2%でした】

 

いつになったら『月屋根』描けるんじゃあ!

ボクテとユーコは、鈴愛の才能に感心しています。
天才かもしれない、と語るユーコに、失恋したからこそああいうことが描けるのならば天才ではないかも、と返すボクテ。

ボクテの性格がちょっと引っかかりますね。穏やかそうで何やら嫉妬深い。
二人は打倒「岐阜の猿」!を誓うのでした。

彼らの師匠である秋風羽織は、弟子たちを容赦なく焚きつけます。
鈴愛は天才にはほど遠いのです。

構成が弱い!
視点の誘導がおかしい!
見開きが弱い!
ベタががさつ!
パース取れてない!

「おんどりゃあ! いつになったら『屋根月』描けるんじゃあ! 日が暮れてカラスが鳴くぞ!」
そう羽織がすごむと、黒い羽がひらひらと落ちてきます。

鈴愛は夢の中でまで、ネームを直しているのでした。
150回くらい描きなおしているんだとか!

 

岐阜弁が出るときは、深い心情を吐露するとき

もちろんアシスタント業務も続いています。

締切前には寝袋で寝て、トーンの破片の浮く風呂に入り(気づかないうちに身体に付いていたのでしょう)、3分以上経過してのびたカップ麺をすする。
そんな生活。

そしてついにあの別れから一年が経過しました。

鈴愛はアシスタントして人物まで任されるようになります。

それでも、ふと眠れない夜があり、月の綺麗な夜には、律を思い出してしまう。
そんなとき彼女は笛を吹くのでした。

ある日、鈴愛は岐阜弁でボクテとユーコに語りかけます。

岐阜弁のときには深い心情を吐露するとき。
すでに彼女の動きを熟知していて思わず身構える二人に、鈴愛は「笛を捨ててくれ」と頼みます。

そこへ秋風が乱入。
「俺が捨ててやる」
と、笛をぶん投げてしまいます。

『月屋根』はもう修正しすぎて、羽織もわけがわからなくなっている!
このままではボクテの『女光源氏によろしく』、ユーコの『5分待って』にも負けるぞ!と発破をかけるのです。

いや……、だからって、突然、笛を投げるのはちょっと……。

 

秋風にアタってしまう鈴愛

「あの気持ちを思い出せ! あのとき食べてばっかりですごかったぞ!」
そういう羽織に、鈴愛は思わず食ってかかります。

だから笛を捨てたのか? 先生はおかしい!

鈴愛は大声で続けます。

「皆同じ、漫画家である前に人間です。先生は漫画を描くロボットだ。悲しいことを喜ぶ変態にはなりたくない。先生は漫画のために人の心を捨てた。だからいい年こいて家庭もないし、友達もいない! そんなものは創作じゃない!」

出た、鈴愛のブチ切れモード。むちゃくちゃひどいコト言うなあ。
同時に涙も一筋ポロリ……。

羽織はテトリスで遊んでいますが、心ここにあらずなのか。あっさりとゲームオーバー。
掌には、笛が隠されていたのでした。

 

笛は、投げるフリしてポケットに

ボクテとユーコは、秋風ハウスの庭で笛を探しています。
羽織がやってくると2人は思わずごまかそうとしますが、そういう小芝居はやめろと一言。そして笛を取り出します。

そもそも投げてすらおらず、ポケットにしまったのでした。
『屋根月』が完成したら返すつもりだったのだと。

「鈴愛には内緒だぞ」
やはり羽織はそこまで酷い男ではなかったようです。

「家族や友達がいなくても、私たちは先生が好きです!」
ボクテとユーコもフォローします。

そうかもしれない。いくら魂を削って創作していても、彼には人の心があるんですよね。
というか心があるからこそ、読者の胸に響く作品を作れるわけで。

ユーコは鈴愛に笛を返します。そこは内緒にしないのか。ユーコはいい子だな。

 

律のいないまま時は過ぎ1992年へ

再び、アシスタントでの奮闘生活が始まります。

伸びたカップ麺をすすって更に一年が経ち、時は1992年へ。
時間はサラリと流れてゆき、律と鈴愛が再会することはなくなんだかんだで上京から二年が経過します。

律は大学三年生ですね。
彼のことに全く触れないので少し心配ではあります。

93~94年ぐらいから就職氷河期が本格化し始め、1997年には山一證券などが潰れるなど、戦後、日本が経験したことのないような暗い時代へ突入していきます。

まぁ理系だから院へ進む可能性もありますね。
少しでも早めに職に就いた方がいいのですが、ロボット開発に勤しんでいるのだとしたらどうなることやら。

清とのお付き合いなども一切不明で、なんだかちょっと怖い気がするのです。
清は広告代理店やテレビ局など当時まだ華やかド真ん中の世界に就職して、案外、アッサリと律を捨てたりして……。

閑話休題。
ユーコは、大御所のピンチヒッターとして『ガーベラ』デビューを飾ります。

タイトルは『5分待って』。
おめでとう!

三人はハイファイヴして喜びますが、ボクテは嫉妬心を隠せず、ついにユーコに指摘されてしまいました。

 

今日のマトメ「現実は青いだけじゃない」

表面的には明るい。されど空には黒い雲も見えている。
そんな不安定な状態です。

あそこまで苦しい思いをしても、それを表現する技巧が伴わなければ虚しいというこの現実。
感性だけ優れていても、それだけではクリエイターにはなれないのでしょう。

仮にクリエイターになれたとしても、秋風羽織のように魂と引き換えに創造するような人はどこか寂しく欠けてしまうのかも、ということもあったりして。
豊川悦司さんはユーモラスな中に、どこか暗さを醸し出す――その雰囲気が抜群ですね。

本作で描かれる「クリエイターの業」というのも毎回恐ろしいものがあります。

私たちは作者と作品を切り離そうとしている、あるいは気づいてないだけ。
作り手は、自分の描く世界や物語に、自分の性格、感性、経験といったものが少しづつ注入されていると自覚できるわけです。

それって恐ろしいことではないですか?
そんなふうにさらけ出すって業が深くはないですか?

私は正直、ここまで創作の業を語る本作が恐ろしいです。
半分は綺麗な青の青春物語でも、もう半分はそういう深さが常にまとわりついている気がします。

不穏といえば、明るく優しいボクテにも、嫉妬深い一面があることが見えてきました。

星野源さんの明るい歌声、永野芽郁さんの笑顔で始まる本作は、常に『半分、青い。』爽やかな世界です。
そしてもう半分は何か別の、時々、ゾッとするほど暗い色が入っている。

だからグラグラしていて、毎朝とても気になってしまう。

全部、青いなら、こんなに胸にひっかからないのに!

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
NHK公式サイト

 

3 Comments

管理人

>rokoさん
修正あざっす!
私も「ハイファイブ」、この記事を公開するときに初めて知りました^^;
著者が英語得意なんですね。

こういう経緯で知った言葉って、
活きた知識となって身につきますよね~。

roko

>あそこまで苦しい思いをしても、それを表現する技巧が伴わなければ虚しいいうこの現実。

こちらの文章で初めて「ハイファイヴ」という言葉を知りました。
日本語でさえ難しいのに…。
勉強になります。ありがとうございます。

たうら

秋風先生に当たって、酷い事を言ってしまう鈴愛。まだ20歳くらいの、もともと思った事を言葉に出してしまう(よくも悪くも)性格としては、さもありなんの展開。自分も相手を傷つけている事に気がつくのはいつになるのか。

でも、そこをフォローするボクテとユーコのシーンがよかった。きっと鈴愛よりも人間関係に傷ついてきただろう分だけ、哀しい気持ちへの繊細さと優しさが発達してるんでしょうね。
二人の真っ直ぐな笑顔とセリフ、秋風先生の素直な嬉しそうな表情に、いいものを見た気がしました。

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