半分、青い。78話 感想あらすじ視聴率(6/30)きみは逃げずに戦った

お気楽なバブルは既に遠い1999年(平成11年)。
連載を打ち切られ、アシスタントや挿絵の内職で苦しむ鈴愛には、目の前に三十路が迫っております。

七転八倒する鈴愛に届いた、一枚のハガキ。
それは萩尾律の結婚報告でした。

愕然とした鈴愛は、オフィスティンカーベルの誰にも告げずに、ハガキに書かれた住所へと向かうのですが……。

【78話の視聴率は21.5%でした】

 

和子さん、来てたか、アワワワワ

今日は本編の前に、オープニングについてちょっと書いてみたいと思います。

目玉焼き、焦げたパン、重ねた皿。
日常生活にある何気ないものが、鈴愛の想像力を通せばさまざまなものに見える――律は、そういう鈴愛の想像力を通して見える世界が必要で、とても好きだったのでしょう。

ただ、律は鈴愛を失いました。
彼は二度と、雲がクジラに見えることも、電線が音符に見えることもないのです。

そんな爽やかなオープニングすら辛い今週。
鈴愛は、大阪にある新婚の萩尾家まで来てしまいました。

律の妻・より子に声をかけられ、思わずコンビニの場所を聞いてごまかす鈴愛。
駅の近くにあると答えるより子は、鈴愛が手にしたハガキに目を留めます。

「律のお友達ですか」
「近くにいらした際にはぜひお寄りくださいとあったので」

そう誤魔化す鈴愛。
家にあがっていってください、律ももうすぐ帰って来ますから、と告げるより子。
そして、家の奥からは、和子さんの声まで聞こえてくるではあーりませんか。

「いいです、コンビニ寄りますんで、さよなら。行かなきゃ」
そういうと鈴愛は立ち去ってしまうのでした。

どうです、この行動。

ドラマ的には惜しいと思ってしまいませんか?
伊藤清とのドロドロ対戦のように、鈴愛とより子が和子の前で火花を散らすほうが、見応えあると思いませんか?

しかし、本作はそうしない。
遠くから狙撃兵に撃ち抜かれた敗残兵のように、鈴愛はただ撤退するしかない。

対峙を避ける遠隔戦闘ですよね。

このへん、大河ドラマの『西郷どん』、朝ドラ前作『わろてんか』は近接戦闘しかないタイプで、ともかく顔をくっつけあわせて唾が散りそうなほど怒鳴らせたり、刃物や銃を突きつけさせたり、女同士がキャーキャーキャットファイトしたりとか、そういうのばかり。

でも、本作のように、遠くから少し話すだけで、凄まじい痛みや緊張感を描くこともできるのです。

 

ネームそのものが問題だ

一方、秋風ハウスでは?
ボクテが、鈴愛の食べかけの皿を片付けるべきかと羽織に問います。

状況証拠じゃあるまいし、と一蹴する羽織。

ボクテの気持ちもわかりますよ。ただの食べかけの皿じゃなくて、何かの心象風景みたいで手をつけたくないんでしょうね。

そもそもハガキが届いたかもわからない。
ただ一時的にいなくなっただけかもしれないと羽織は冷静さを保とうとします。

そこで深刻な、もうひとつの問題を発見。
描きかけのネームは、ひどい代物でした。

鈴愛の携帯電話は通じません。
そうそう、この時代には既にガラケーが普及していましたね。
ピンクの電話に硬貨を何枚も入れる時代は終わってます(途中にはテレフォンカードの時代がありますね)。

しかし、これが通じないようです。

 

いつからなんだ あいつはもうダメなのか

ユーコが秋風ハウスの電話を取ると、晴からでした。
思わずユーコは、鈴愛は近所の喫茶店でネームをやっていると嘘をつきます。

羽織はネームを見て、話になっていないと困惑。
あいつはもうダメなのか、律くんが結婚したからそうなのか、と羽織。
その前のネームも実はうまくいっていませんでした。

連載後に掲載された読み切りを、羽織に見せるボクテ。
羽織は多忙で、弟子の作品を全てチェックしていたわけではなかったのです。

『一瞬に咲け』は最後まで読んだけど、ここまでではなかったぞ、と羽織。
ボクテが鈴愛の才能への懸念を口にすると、羽織は激怒します。ボクテに評価する資格はない、と。
ここで菱本が、先生がネームをボクテに見るように頼んだと、たしなめます。

ここまで反射的に反応するということは、羽織も鈴愛に相当思い入れがあるのでしょう。その割に作品を見ていなかったのか?とは思いますが。

もしも羽織が確認できていたら、もっとマシな結果だったかもしれません。
そういう不運な見落としはありえることです。

 

三日目の風船

鈴愛は「おもかげ」にたどりつきます。

マスターのシロウはユーコが心配していたよ、と告げます。気がつけば携帯の充電は切れっぱなし。

「あいつは描けないことに気づいていないのか?」

そう心配している羽織の予感は的中しており、鈴愛はシロウがあきれるほど大量のケーキを食べ、コーヒーに砂糖をガバガバ入れるものの、ネームはなかなか進みません。真っ白いネーム……これは、白い地獄だ。

才能は、尽きてしまったのか?

廉子さん曰く、湧く時は温泉のように湧いて来て、尽きてしまったら三日目の風船のようになる――才能というものは。
そして二度と膨らまない――才能というものは。

なんとかネームを仕上げて、羽織に見せる鈴愛。
燃え尽きたような顔。高熱が出ているように目元までぼうっとしている永野芽郁さんの、演技というよりもはや憑依。

すごいものを、今見ています。

 

安らかに眠れとしか言いようがない

鈴愛は律の奥さんに会いに行っていたと語ります。
羽織の背後にいるボクテやユーコも緊張しています。

痛々しくて、もう見ていられない! 聞いていられない><;

ただ漫画のために、漫画に苦しみを表現するために鈴愛は行ったのです。
だから修羅場。
より子との対決なんて必要ない。

これは、伊藤清のときより辛い話です。
あの時と違って、鈴愛はいわば不戦敗。戦うことすら放棄したのです。

言葉少なに「いいんじゃない……」としか言えない羽織。だってこんなボロボロの人を前に何も言えませんて。

鈴愛は、そんな羽織に怒ります。

なぜ、前のように、カラスの羽のようにネームを投げないのか!
厳しい言葉でダメ出ししないのか!
痛い心をみつめろといわないのか!

「見限ったからですか? 描けない私がかわいそうだからですか?」

鈴愛の言葉は止まりません。

これがクソだからですよね。だから何も言えないんですよね。
前のネームも見たんですよね、どちらがいいですか。どんぐりの背くらべですか。

そう詰めてゆく鈴愛。

もう、楡野鈴愛は死にゆく敗残兵です。
生きていてまだ戦えるのならば、諦めるなと呼びかけて治療のしようもある。

しかしもう、手を施せる段階は通り過ぎたのです。
あとは安らかに眠れとしか言いようがない。

そういう敗者を見てきた羽織にそれがわからないわけがない。

 

映画『八甲田山』の兵士と重なるその姿

激昂した鈴愛は、止めようとしたユーコ、そしてボクテに対しても、とんでもないことを叫びます。

逃げた奴に何がわかる!
売れっ子のボクテは高みの見物をしている!

あーあー。
これはまた視聴者に「わがまま女」「痛い女」って言われちゃうぞ。

でも、私はそうは思わないです。

映画『八甲田山』では、真冬の雪山で遭難した兵士が、服を脱ぎながら、叫び出したりしました。
それは彼がわがままだとか、元気だとか、ルールを守れないからとか、そういう話じゃない。

苦痛のあまり、正気を失ってそんなことをしてしまう。
私には、鈴愛の姿があの兵士と重なって見えました。
冬の八甲田山と、オフィスティンカーベルではまるでちがう。それでも、頭の中で重なったのです。

「私も結婚できる! お見合いきとる!」

そう叫ぶ鈴愛。
しかしユーコは、見合い相手は別の人を見つけたと晴が言っていた、と告げます。

ああ、この、タイミング。
あとになって振り返れば、それもすべて運命だと笑えるかもしれないけれど。

「耳のせいか! 左耳が聞こえないから、結局そういうことか!」

誰もそんなこと言っていないとたしなめられても、もう鈴愛は止まりません。

「ユーコに何がわかる! 結婚して、子供もいて、金もある。私には、何もない」

そう叫び出す鈴愛を、思わずボクテは抱きしめます。

「もういいだろう。何もない楡野に、ひとつ提案がある」

羽織は、鈴愛のネームは確かに壊滅的であると指摘します。
ならばいつものやり方、ネームなしでいきなり描け、と羽織は提案します。

そう、あのはじめて羽織の漫画を読んだときの、あのトキメキから始まっているのだからと。

「私、描きます!」

鈴愛は宣言しましたが、次週予告が不穏な感じしかありません。

 

今日のマトメ「天は鈴愛を見放した」

「天は我々を見放した……」

安らかに眠れ、敗残兵の楡野鈴愛。
きみは逃げずに戦い、傷つき、倒れた。
そして戦場から永遠に立ち去るのだ。

いや、あの、その……。
なぜ土曜の朝から、連続テレビ小説『八甲田山、死の彷徨。』みたいな壮絶ドラマが流れているのでしょう。

こんな調子じゃ、主人公、死んでまうでしょ。
いや、物理的にはピンピンしていますよ。
けど、精神的には、撃たれて倒れて、衛生兵を探せ、でも手遅れだ、みたいな状態でクリフハンガーしないでください><;

大河の『西郷どん』は、流刑に処されていても死の予感はせず、リゾートライフを満喫しているように見えてしまうのに、どうして朝ドラのヒロインが精神的に死んでいるのでしょう。

いや、もう、きついってもんじゃないです。
疲れました。
ああ、辛い。
辛い。

でもそこが好きなんだから仕方ない。

さて、本作へのありがちなツッコミに対して、私からツッコミ返しをさせていただきます。

◆「秋風塾」は失敗したのか?
三人弟子をとって、三人ともデビューさせて、一人は条件付き成功。
二人引退ならばまずまずでは。
いや、むしろ、マンガで食べていくことが極めて厳しい現状から考えてみれば、「成功しすぎ」と見るべきかもしれません。

◆くっついて離れて繰り返さないと話が展開できないのか?
人生とはそういうものでしょ。
むしろ鈴愛は28にしては恋愛経験がなさすぎる。

◆漫画の製作現場の技術的な詰めが甘い
創作上の取捨選択の結果では?
たとえば『マッサン』のウイスキー作りは、熟成期間がプロットに絡むこともあり細かくやるべきですが、本作はアイデアを出してねりこむ作業重視だから、手先のテクニックはさほど重視していないのでは。
これは、漫画家および漫画家志願者だけに見せているドラマではありません。

例えば『わろてんか』、『べっぴんさん』、『とと姉ちゃん』、『花子とアン』、『まれ』などは、かなりきついレベルのものでした。
主人公の仕事内容と中身をからめてよかったのは、『カーネーション』、『あまちゃん』、『マッサン』、『あさが来た』等、一定水準以上のものに限られます。

てなわけで、来週を楽しみにしています。

「死が運命なら 生もまた運命である」
(映画『八甲田山』予告編より)

あぁ、なんて土曜日の朝だ。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
NHK公式サイト

※編集注 私はマンガ専門の編集ではありませんが、漫画家に発注したり、あるいは発注したマンガが〆切に間に合わず、私が【背景を貼ったり、トーンを削ったり】した経験が何度かあります(今はデジタル処理が普通なのでありません)。

その経験から見て、本作のマンガ製作現場で、ドコに問題あるか正直わかりません。
ドラマにケチを付けられている方は、本物のマンガ家か、大手漫画誌の編集経験者さんですかね。

そもそもナカノガタの中野を演じる河井克夫さんは、ご本人が漫画家です(河井さんはガロ出身で秋風みたいな大手版元で描くタイプではないにせよプロはプロ)。
河井さんのリアルな体験談とかも、ドラマの現場に反映されたりしている気もします。

だとすれば鈴愛の技術的レベルが足りないにせよ、マンガ製作現場の再現性としては十分に達しているのでは?

 

7 Comments

同年代(*^^*)

今週の展開を見ていて、スズメちゃんくらいの時?に読んだ「ブルーもしくはブルー」という小説を思い出しました。別れた恋人と、実は別れずにもう一つの人生を歩んでいた自分と出会う物語。人は人生から逃げられないんだ…と刺さった感覚が重なりました。本作を支えるすべての方の覚悟の深さに、、目が離せません。

ビーチボーイ

律の家のベランダで洗濯物を干すより子、それを見上げるシーン、ごく短時間でしたが手に汗握りました。明るいスマートな住宅街が舞台だけに、かえって恐怖感が増幅。こうした鬼気迫る陰惨さは、たとえばワロテンカのおてんが父親に蔵に監禁され食事も拒否してやせ細っていった、あの場面でもちっとも感じなかったんですが、今回は本当に背筋が冷たくなりました。
前半終了は、半分青いどころか全面どす黒い底無しの闇で折り返し。まさに管理人殿の言葉「血まみれ」「八甲田山死の彷徨」です。羽織菱本ユーコボクテのファミリーと故郷の父母の暖かい支えがなければ、スズメもう本当に生きていけない感じ。朝からこんな過酷な人生を見せられ、にも関わらず(いや違う、「だからこそ」だ)後半がますます楽しみ。とても目が離せません。
ついでに言っておくと、ワロテンカの描く戦前の大阪は、いかにも嘘っぽい作り物のコテコテ浪花ワールドでしたが、つかの間登場した今回の律の住む街は何の装飾もないリアルな平成の大阪、と強く印象付けられました。(ただ、都島区といえば京橋や桜ノ宮界隈ですが、それにしてはずいぶん郊外っぽい雰囲気でしたが…まぁそのあたりの細かい点は地元の方々の判定にお任せします)

匿名

ちなみにこの回、副音声をONにして見ると相当なホラー体験ができるそうです。特に鈴愛の描写で。
夜視聴で試してみよう。

匿名

脚本家さんが最初に設定したキャラ設定から少しもブレない。
例え成長しても、世間体を多少身に付けても、人の本質はそうは変わらない。
これを残酷なまでに突き詰めていますよね。
岐阜に山奥で、家族に無条件に愛されて(障害の事もあり余計に守られて)、計算高いところもありつつ基本的には感性に従う。生まれた日からずっと運命の幼なじみがいる。
こんな少女漫画の主人公的キャラクターを神様がこんな運命に放り込んだら、まさにこういう行動に出るだろう、というのをシミュレーションしてるよう。しかも限りなく現実に即して。
二流、三流に創作者は、視聴者の目を気にして数々の「言い訳」を用意して、主人公を嫌わせないようにするものです。(だって姑が意地悪だから〜、だって差別されたから〜、だって理解してくれない周りがアホだから〜)
それが一切ない。凄すぎる。我が子というキャラクターを谷底に突き落として、上から石降らしてるようなものですよ。そこでどういう行動に出るか、じっと観察してるんです。
相当な覚悟がないとできないです。だって受け入れられない人は絶対にいるし。実際アンチの声が大きいですが、気にせず信念を持って突き進んで欲しい。

しおしお改め、七歳上

2回見て2回とも泣けました。
昼間のは見れなかったので、
夜また見ます。

匿名

永野芽郁さんの演技ホントすごいなぁと思いました。一歩間違えば痛々しいだけのキャラクターになってしまいそうなのに心から応援したくなるのは脚本家の愛情と永野芽郁さんの演技力なんでしょうかね。
わろてんかおてんちゃんは過保護な脚本で応援しなくても成功が約束されていたので、心が動くことが全くなかったです。
キャラクターをちゃんと育てるっていうのは脚本家と演者の愛情と苦しみの賜物なんですね。鈴愛ちゃん表向きは子供みたいに周りに甘やかされまくってるけど、作り手には厳しく育てられてるなぁって思いました。
おばあちゃんになってからでもいいから鈴愛ちゃんに名作漫画描いて欲しい!!!そして読みたい!!!

いししのしし

鈴愛が、高音の割れ声で、「私には何も無い!!」と叫んだのがとても切なくて、心に響きました。永野さん、素晴らしい。周囲の反応もキャラ通りで違和感ありません。一つ一つのセリフ、表情、カメラワークが、反復視聴に値するものです。しかし、鬼の展開ですね。その分、最期は期待してるのですが。

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