スカーレット33話 感想あらすじ視聴率(11/6)ツケツケツケ……まだツケや!

「信作はキャーキャー言われてる。照ちゃんも楽しそうに学校行ってる」

「手紙もらうわ」

マツとしては、喜美子がそういう幼なじみのような青春を送っているのか。心配なのかもしれない。
大丈夫、荒木荘は楽しいですよ。

さて、照子と言えば、丸熊陶業では雑用募集中でした。
今度こそ喜美子が雇ってもらえると、ジョーはフライング気味でやる気になったそうです。

回想シーンでも前のめりのジョー。
うまいこといけばと話しかけるマツに、こうです。

「うまいこと言うて来る、待っとけ!」

言い出したら聞かんさかい。関西人らしい、そんないらちなジョー。
道産子がこれをやると、酪農やヒグマとの戦い等において危険極まりないので、なかなかそうはならない。『なつぞら』にはジョーみたいないらちはおらんかったもんね。

喜美子もいらちなのか?
何か気になったのか?

これ飲んだらいくわ。そう切り上げ、喜美子は微笑むのでした。

丸熊陶業で何やら揉め事が?

丸熊陶業看板前を通り、帰路を目指す喜美子。

看板からすると儲かっているようには思える。
しかし、火鉢はそろそろ下火ではないのか?

そこが気になりますよね。

帰路の途中で丸熊陶業へ向かいます。そこでは前掛け姿の従業員が働いておりました。

しかし、何やら揉め事が。

親方・城崎剛造――。

すまん、この親方とその弟子が画面に出てきただけで吹いた。
また、なにわの喜劇俳優枠からや。渋谷天外さんやで。

顔がおもろいということでなくて、昭和の親方っぷりが出来上がりすぎていて、吹いた。

背後の弟子。
メガネのフレームから髪型、生真面目そうな顔と表情まで、当時の写真から抜け出てきたみたいで、吹いた。

この頑固職人という概念を擬人化したような、そんな親方と労働条件が折り合わんらしい。

強気な親方は待遇改善を訴え、組ごと抜けてゆきます。

今朝もおもろい照子様

そして照子様や!

◆‪大島優子、スカーレット照子役に周囲の反応は笑い

初回放送から1カ月が経過し、周囲の反応を尋ねられた大島は「反響がありますね。『照子が登場するたびに笑う』って言われます」。司会の近田雄一アナウンサーから「なぜ?」と問われると「分からないです」と首をかしげた。

木本が「コミカルなお芝居?」と突っ込むと、大島は「(コミカルでは)ないですよね。一生懸命に生きています」と胸を張った。 「キャラがおもしろいんでしょうね」と木本の言葉には「ありがたいですね」と笑顔。

わかるわ。
子役時代から、出てくるだけで笑いがこみ上げてくるもんな。そんなおもろい照子様、暴走開始や。

「喜美子!」

「照子? なんで? 学校ちゃうの?」

ここで、照子様の妄想が止まりません。

今日は試験だから午前中までや

そんな予定を知って、喜美子は会いに来てくれたんや!

喜美子ぉ〜〜❤️

どういうプラス思考や。ウザすぎるやろ……。
そんな喜美子と視聴者の戸惑いを無視して、ダッシュして抱きつく照子。久々に飼い主に会ったワンちゃんか!

「もう離れぇ離れぇ!」

「喜美子ぉ、かわいくなった?」

「人の話聞けぇ!」

「うち、大人になったやろ」

「聞けぇ!」

はい、ここでやっと落ち着く。

なんでも丸熊は絵付けの親方と揉めているとか。
そんなことはどうでもええから。

照子の優先順位は、
【喜美子が大阪から引き払って丸熊で働く❤️】
が、第一位です。高校で親友はできなかった模様。

喜美子は訝しみますが、父親同士で話をつけていたと母から聞いたとか。
今度は一筆書いてもらったわけですね。そこで、手紙を書こうと思っていたそうです。

「大阪引き払うん?」

ワクワクしている照子様。喜美子は素っ気ない。

「ありがとう。汽車の時間やから」

「えっ、帰るん?」

「うちで働くの、働かんの、どっち?」

「勉強しぃ」

「勉強しんでもできる! 喜美子待ってるで帰ってきてなぁ! 絶対やで、信楽帰って来てな! きーーーーみーーーーーー!!」

「うるさい!」

そう怒鳴られつつ、別れる親友二人でした。

ええと思う。おもろい!

荒木荘は待っている

そんな照子を振り切り、帰って行った喜美子。そのころ荒木荘には電報が届いておりました。

【キミコ モドラン スマン】

【キミコノ ニモツオクレ スマン】

どっちもジョーからです。
なんやこの、電報とはいえそっけない文面は。

さだも雄太郎も、ショックを受けた顔。

大久保は、母がよほど悪い、しょうがないとは言う。
そう言いつつ、喜美子の荷物をまとめておりました。

その少なさに、全員唖然とする。
きみちゃんの少ない荷物。そこに哀愁を感じる三人です。

「明日、運送屋さんに送ってもらうよう頼むわ」

「ほなお給金もな」

さだと大久保の会話。喜美子が荒木荘に残ると知った時の、あの大久保のウキウキした笑顔を思い出すと辛い……。

はい、せーの!

【諸悪の根源はアカン方のジョージです!!】

ジョーよ。よくもあの可愛らしぃ大久保さんの笑顔を台無しにしおったな!

皆がため息をついている。私もため息をつきたい。
ここで、こう声がします。

「ただいま戻りました!」

三人は出迎えます。

「すみませんでした、ただいま戻りました!」

喜美子の笑顔です。

辛いです。荒木荘が好きだから。
喜美子は喜んで荒木荘を出て行くわけではない。ジョーの借金なんてなかったら良かったのに……。

そうこっちまでジョーへの恨み辛みを募らせつつ、明日へ!

照子は「いけないお嬢さん」かも

喜美子と照子。
いろいろおもろいこの二人。実は本作で一番愛情が濃いのは、この二人じゃありませんか?

まぁ、照子様のストーカーじみた執着と片付けても良さそうではある。
けれども、照子の愛は信作よりも喜美子への方が強い

エロエロで浮かれていた、そんな圭介だってこんなに情熱的ではなかった気がする。

めげないし。くじけないし。ともかく執着心がすごい。

しかも!
これを書こうか迷ったんですけれども、この二人って性的なニュアンスがあるんですよね。

【いけないこと】を味わったわけやし。女同士のシスターフッドは、朝ドラでも近年のトレンドだとは思う。

NHK大阪のこのチームは、それだけで満足できなかったのでは?

時代背景的に、法的に、この二人がカップルとして結婚することはありえない。
でも、だからといって深い絆のある女性たちがいなかったはずがない。認識されてなかっただけ。

どこまで本気かわからないけれども。既に現時点において、二次創作アートならば二人がそういう仲になっても違和感はゼロだ。

NHKは大河あたりで男性同士のそういう方面は、プッシュして来たと思う。

それが、今度は、女性同士で、押し付けるわけでもなく、狙い過ぎているわけでもなく。
ただ、濃いニュアンスを漂わせつつ、新境地へ挑む。

そこまで来たのでは?
見せもんにするわけでもなく、女性同士の関係性を考える新ステージに、本作は挑んでいるのではないでしょうか。

同性愛描写は難しい。
女性同士となると、ハードルがあがる。

むしろ男性が喜ぶんじゃないかと思うような、「お姉さま」と呼び合う女子校ものでもなく。
単純に男女や男子同士を置き換えただけでもなく。

同性愛でも、男性同士と女性同士では、どうしたって権利や描写でいろいろ難易度が上がってくる。

そこまで朝ドラでやる必要はない。
ニュアンスを匂わせるだけでも、そこはいいチャレンジだと思う。エロエロだけでなくて、人間としての感情的な絆もあるわけだし。

褌男をまとめて同室に放り込んで一丁あがり。そんな雑な放送事故とは違うわけ。

そういうニュアンスがあろうがなかろうが、喜美子と照子はええと思うよ!

※現在、こういう映画が高評価なわけですよ

ジョー、やはり圧倒的なカスっぷり

それにしても、ジョーはしみじみとあかんと思う。

実はジョーって、モデルとされる方から下方修正されている珍しい例。
意図的に「より意識が低い」造形にされていると。

どうしてそんなことを?
それは主人公の壁にしたかったんでしょうねえ。

近年朝ドラの同年代男性と比べてみてください。

『半分、青い。』
→ギターで歌うことが趣味。孫・鈴愛の漫画家としての道に理解があった仙吉(NHK東京、岐阜県出身)

 

『なつぞら』
→娘の北大進学、アニメーターとしての上京を応援した剛男(NHK東京、北海道出身)

 

『スカーレット』
→酒を飲んでばかり。芸術への理解、なし! 絵は腹の足しにならんと全否定! そんなジョー(NHK大阪、大阪府出身)

うーん、この最低最悪のおっちゃん感。
同年代でもあかん方やろなぁ……。

武田信虎があかん父親にされることで、信玄の奮闘を強調するようなもんよ。

とはいえ、ジョーは極悪非道というわけでもない。

酔っ払って娘への愛を剥き出しにするシーン。

無言電話で喜美子の声を聞いたシーン。

大阪に給料を前借りしに行ったシーン。

泣けるわけですよ。
娘への愛はある。

それにただのカスでもない。喜美子の【旅のお供】はジョーが行かせた場所にあった。

愛しているからこそ、お互い辛い。
どうすれば尊敬し合える父娘になれるのか?

そこが辛い!

昭和の父娘あるあるかもしれない。
自分の父親を否定する、そういう娘の側だって辛いんや!

柴田泰樹や剛男のように、ヒロインが何の曇りもない笑顔で、「大好き!」と言える存在であれば、どんなに幸せだったことでしょう。

そういう関係は、娘のせいでなくて、実は父の側に大問題がある。
NHK大阪はそこまで踏み込みたいようだ。

ジョーカス報道って、面白いんですよ。
投稿をまとめたネットニュースですら、「ジョーはカスや!」という怒りがそこまであがってこない。

やっぱり配慮やろなぁ。

『マッサン』で泉ピン子さん、『あさが来た』で萬田久子さんが演じたような、姑いわば年上の女性枠は、ボコボコにしてこそ見どころのような宣伝をされる。
ところが、ジョーのようなリアリティを伴った酷い昭和の男性描写でも、なんだか配慮があるとすら思えてくる。

でもええんちゃう?
報道は報道や。本作には思い切って、昭和クソ親父の脳天めがけてホームランを放つような、ものすごい思い切りがある。

『なつぞら』が「ありえないような父親像、男性像を、本物のように描くこと」だとすれば。

『スカーレット』は、ありのままのクソ親父、男性像をかっ飛ばすのでしょう。

それでこそ、描く意味がある。

ただのおばちゃんと片付けられて来た。そういう人生や。うちにとってのジョーはもう墓の下。思い出してもええことないし。仏壇に今朝もお線香そなえたろ。

そう割り切って生きとった。そんなおばちゃんたちが、
「ジョーみたいなおっちゃんの理不尽に耐えて来たうちらは、きみちゃんみたいにすごかったんちゃう?」
と真顔になってこそ、本作の深い意義があるのかもしれない。

そういう、埋もれた女性の奮闘を再生させる、熱いドラマや!

昭和の行動原理はモテやし……

昭和のあかん男性像――。
これは無害なような信作ですら感じるところ。

おもろいし、ええ奴だけど、あいつは古い。

どこが?

行動原理が女、モテってところやね。
キャーキャー言われて調子こいとると。

NHK東京との比較がこれまたわかりやすい。

モテを度外視をしていた『なつぞら』のイッキュウさんはじめとする男性陣。
『半分、青い。』では、律もモテたい気力が薄い。

そして津曲父子。
チャラいバブリー広告マンである父は、「音楽やるならモテるためだよな」という認識がありそうではあった。

それに対して、ボーカロイド動画投稿をする子は、純粋な自己表現として音楽を発表する。

あれは昭和と平成の価値観の違いとして、秀逸な描写だったと思う。

例えばYoutuber。
金儲けを考えている人もいるわけですが、純粋な自己表現として取り組んでいる方も多い。

そういう方がマスコミからインタビューを受けて、モテだの注目だの金儲けだの誘導されて、げんなりすることはあると言います。

自己表現をどう描くか? ここも注目しておりまして。

喜美子の内心がどうあれ、昭和ならではの創造と自己表現の壁にぶつかっていくと思う。

「一銭の金にもならん!」そうどやすジョーカスの声は、ずーっと喜美子の胸に響き続けるでしょう。

そこをどうするか?
ここが、すごく気になるところなんです。

この数年、東西共に創造や自己表現に取り組んでいる。作り手だって自己表現に悩んでいるからこそ、気合が入る。

そういう、自己表現の生み出す、緋色の炎が見たいんや!
期待しとるで!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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