スカーレット38話あらすじ感想(11/12)Because I am a Girl

「はい」

フカ先生から、聞く耳も持たずに工房から押し出されてしまいます。

「あの先生ええんですか? 今 今しかないんですけど。先生、この時間しかないんです! 先生! 先生!」

聞いても貰えない。どういうこと?

ここに弟子の一番と二番が到着します。
喜美子は茫然としつつ、追い出された、怒らせたのかと気遣うわけですが。

弟子たちは説明します。

フカ先生、朝は集中しとる。朝はあかんいうか、見られたない。
見られたないいうか見んほうがええ。

「集中した時のフカ先生、あれやしな」

「あれやしな……」

やめて!
関西人特有(※個人差ありますが)の【そう(詳細省略)なれば、そう(詳細省略)なるやろ】論法やめて!
理解できんよ! 面白いけど。

「怒ったはるんとちゃうから気にせんでいいよ」

「ほな」

「ほな」

そう弟子も話をまとめるわけですが……意味がわかりません。

喜美子は、朝のこの時間しか絵付けができないと説明します。
しかし、弟子さんは絵付けなら昨日やったやん。そう言われてしまう。

その上で、弟子たちは今日から忙しくなると張り切っている。

「また折見て遊びにおいで」

「え? ええ?」

喜美子は遊びと言われて、目をまん丸くしてしまいます。

「遊びとちごたん?」

なんという残酷さよ……。
仕事のつもりだと思っていたのは、喜美子だけです。

工房で、フカ先生が、二番は三年かかったと言います。

「仕事覚えてものになるまで何年かかるかわからん」

住み込みで朝から晩まで修行した一番ですら、一年かかった。
その間、涙と鼻水と鼻糞と耳糞出して泣いてたってそうです。

おおげさな言い回しに、師弟は笑うわけですが、喜美子はそれどころじゃない。

そんなんできる?
朝から晩まで。当然やけど無給。一銭ももらわれへん。

二番は空いてる時間に教わり、寝る間も惜しんで、それで三年かかったそうです。

自分はなんて甘い考えだったのか――喜美子は返す言葉も浮かびませんでした。

愕然とするしかない喜美子。
昭和職人芸の残酷面が出てきたで……。

きみちゃんは雑談ができない できても楽しめない

喜美子は食堂へ向かいます。
呆然としつつも、仕事をこなすのです。

ここで八重子が爆弾発言!

食堂は自分と緑だけでもやれる。ほやのに社長さん新しい人雇ういいだしてよ。どっちが首になるんかびくびくしてん。

緑が止めようとすると、こう返します。

「ちゃうちゃうちゃう! 仲ようしよう言う話やし」

八重子の提案は優しかった。

「お昼時済んだら暇んなるわな。あんたも一緒におしゃべりしようさ。おしゃべり、嫌い?」

お茶飲んだり、お菓子食べたり。
姑や旦那の悪口言ったり。

ここで二人は喜美子がまだ独身だと気づいて笑います。

「適当に楽しくしよう。ほなほな、お茶お茶。お菓子お菓子休憩休憩!」

そうまとめられる。これも辛い場面や。

八重子と緑には悪気は一切ない。ええ人です。
どこにでもいるええ人。真面目に生きて、姑と夫に耐えて、ご飯を作り、お金も稼ぐ。

喜美子もおしゃべりして楽しめると信じている。

この状況では、喜美子がむしろ不満を覚える方がおかしいと思えませんか?
それが普通だとも思えませんか?

でも、ここまで見てきたらわかりますよね。

喜美子は、お茶菓子食べて愚痴るよりも、手を動かしている方が落ち着く。

内職でもしている方がいい。
仕事に磨きをかけている方がいい。

勤勉――社交性がゼロというわけではないけれども、一人になって、集中しているとき、何かものすごいアイデアが湧いてきてしまう。そういうところがある。

そういう意味で、きみちゃんはちょっとズレていて普通じゃないかもしれない。
他の人に見えないものが見えて、何かが引っかかって、辛いこともあるかもしれない。

そういう雑談が辛い。
飲みニケーションで潰される。そういう性質が見えてきた気がする。

きみちゃんにはもちろん頑張って欲しいのだけれども、周囲も彼女を理解できるように頑張ってほしいなぁ。

作中の世界観は変えられない。
特にジョーは厳しい。

でも、見る側もきみちゃんのような子を、
「あいつ空気読めないよね〜」
と除け者にするのではなくて、ちょっとでも理解してもらえたらええなあ。そう思うのです。

そう訴えることも、ドラマの力ではありませんか。

帰宅するとそこにいたのは……

暗い顔をして帰宅する喜美子。
これが喜美子です。おしゃべりでエネルギーを取り込むどころか、弱ってしまう。

百合子はシャボン玉で遊んでいます。
そしてこう笑顔で言うのです。

「お客さんやで!」

「おかえり」

そこにいたのは、ちや子でした。

「ちや子さん!」

そうや。喜美子はおしゃべりができないわけじゃない。気が合えばできる。
ちや子とはそれができた。BGMも盛り上げる。

ちや子を見て笑顔になるきみちゃんから、こちらまで元気をもらえる、そんな朝です。

うちが女やから

正直、昨日の今頃の自分を考えると天国と地獄――すごい落差でした。

喜美子は自分が悪いと思ってしまう。

遅く帰宅したから家庭が荒れる。

絵付け志願の気持ちは甘かった。

そうは言いますけれども、それは喜美子自身というよりも、女であることがやっぱりあるわけじゃないですか。

こういうプロジェクトがあります。

◆Because I am a Girl

世界の発展途上国のために――。
そう言われているわけですが、これは海を超えた世界での話ではなく、日本のことだとは思えませんか?

男が遊んでいる間、女の子だから労働をやらされる。

早すぎる結婚と出産。ジョーの計画ですね。
収入がないから発言権もない。マツです。

そんなに遠い話じゃない。
祖母や母がこういう女の子だった。今だって、進学や進路、職場の待遇でそういうことがあると認識されるようになった。

彼女らは悪くなんですよ。
絵付けの修行ができない。それは甘いからでなくて、女は家事をやれと強制されるから。家があるから。

それを、女のやる気が甘いとすり替えられる。

そんなんおかしいやろ!
喜美子は悪くない。

弟子さんもフカさんも、ジョーですら。悪いとは言い切れない。

『なつぞら』の夕見子と違って、理論武装していないから喜美子は自分を責めてしまうけれども。
同じく柴田剛男ほど先進性がないから、男も迷走しているけれども。

偏見が悪い。

そこをどう描いていくか?
どう見出すか?

伝統はそれでええの?

ついでに言いますと、昭和の【職人芸を見て覚えろ】という世界も、無茶苦茶ですわな。

フカ先生は悪い人ではないとは思うけれども、こういう伝統の世界は衰退する一方ですよね。
着物業界が典型例だと思います。

そうして見て覚えた技に、ちゃんとみあう給金を払っていたのか?ということです。

それどころか、コスパ重視で生産拠点を海外に移した。
結果、空洞化を招いた。この指摘は見逃せないと思うのです。

◆「着物業界」が衰退したのはなぜか?「伝統と書いてボッタクリと読む」世界 (1/4)

◆「半年給与なし。仕事保証なし」 京都・西陣織職人の「弟子募集」はブラックと言えるのか

浅草で、日本の伝統技能を展示する観光施設に入り、ため息をついてしまったことがあります。
かんざし、帯、いろいろ展示してあって、それそのものは素晴らしかったけれども。こういう職人芸を覚えて、素晴らしい工芸品を作っていた。そんな喜美子と同世代の女性を知っています。

彼女の作品は、デパートで高い値段がつけられていた。
それでも薄給。彼女は女性で夫がいる。そういう「おばちゃんの内職」は薄給だとされてきたから。

技術ではなくて、性別や既婚かどうかで給与体系は決まっていたのです。

技術に金を払わないで、何に価値を見出せというのか?
中間搾取?

そう虚しくなったのです。

『なつぞら』でも、アニメ業界の労働構造に切り込んでおりましたが。
本作は、喜美子が緋色の炎で伝統が持つ搾取に焼き討ちを仕掛けるのかと思うと、ワクワクが止まりません。

緋色や。
せや、ドラカーリスの色やん!

※ほら燃やすのよ デナーリスのように〜♪

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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