スカーレット41話あらすじ感想(11/15)うちはフカ先生の弟子になる!

絵付け工房に喜美子を入れる――というマツの計画は、ジョーの暴れっぷりや、酒と水アクシデントで台無しに。

しかし、そのおかげで喜美子はやりたいことを見いだせたというのです。
その中身は?

戦慄! フカ先生工房の秘密とは!?

「決めたて何を決めたん?」

直子も興味津々。
すると喜美子は、深野心仙ことフカ先生のことを語り出します。

その集中している時を、喜美子は見てしまう。
見たらあかん、見んほうがいい。弟子一号と二号がそう言ったのに、気になって止められなかった。

思わず覗いてしまった。

唸り声が聞こえて来る。
照子が「産みの苦しみ」と無駄に語彙豊富な表現を使ったあの声です。

聞いている側も興味津々。

「見たん?」

「見たん?」

「……見た」

「どんなん?」

「こんな顔してた」

ここで喜美子は、口を半開きにして見せます。

すごい顔芸や!

「アホやん」

「アホな顔や!」

そこは関西ですから、アホには即座にアホと言う。容赦なくアホと言う。
あの天使のような、エエ方の妹である百合子でもそうです。

関西以外から引っ越してきた人が戸惑いかねないアホの使い方ですね。範囲が広いからさ。

それを主演女優にさせる、NHK大阪の気合を感じます。
それぐらいやらんとな!

ということだけでなく構成の巧みさに驚かされてしまう。
喜美子が何を見たのか?
引っ張って視聴者の興味関心を高める工夫がすごい。喜美子がマツたち相手に焦らすようなことを視聴者に対してもしている。

これはこのあと、相当自信があるものを見せるということでしょう。

「笑うてたん、へらへらへらへら。笑いながらやっててん」

どういうことかわからへん、どっかおかしくなったんちゃうかと思ってしまう喜美子です。

ここで、じっくりとフカ先生を映す。
カメラワーク、筆遣いをアップ、心の昂りと一致するBGM、そしてイッセー尾形さんの演技。何もかもが噛み合っています。

前任者の絵付け師とも違いが際立つ。
弟子の前でデンと腰掛け、厳しい顔で筆を執っていた親方とは真逆ですね。

「フカ先生、大丈夫ですか?」

「あ、見たな? 恥ずかしい、恥ずかしい……」

「なんで笑うてたんですか?」

フカ先生の反応。
往年の怪奇映画で、行灯の油を舐めてバレる化け猫のようです。

謎のかわいらしさがある。

※みぃたぁなぁ〜! シャーッ!

画家・深野心仙の半生

フカ先生はその半生を語り始めます。

昔、フカ先生は日本画を描いていました。
山や森、空を飛ぶ鳥、滝の流れるところ。日本の美しい風景画です。京阪の豊かな景色を描いていたのでしょう。

若い頃は個展を開き、賞を取ったり、認められてもいたそうです。

百合子もニコニコ、マツも微笑みながら聞いています。
富田靖子さんに決して劣らない、子役の住田萌乃さんがすごいと思う。姉の話に集中しているとわかります。

しかし、戦争が始まると従軍画家として中国大陸に渡ることになった。戦争画をそこで初めて描きました。
空には鳥ではなく、鉄砲玉が飛ぶ。子供が遊ぶ絵ではなく、兵隊が鬼気迫る顔で敵に立ち向かい、勇ましく戦う絵――。

幼い頃から、フカ先生は絵が好きでした。
貧乏だったから、欲しい物を何でも描いておりました。

お母ちゃんが白いご飯が食べたいといえば、よっしゃ〜と白いふかふふかのご飯を描く。欠けていないきれいな茶碗に山盛りてんこ盛りにか描いた。
きっと現実は、ボロボロの茶碗だったのでしょう。

お父ちゃんが胸を患うたとき。行きたい場所を聞き、夏の海を描きました。
海も山も川も畑も。描き過ぎやと叱られるかとか思ったけど、「ああ、ええよぉ」言うてくれた。

お母ちゃんも、「ええよぉ」言うてくれた。
うれしゅうて、楽しゅうて。笑うて描いとった。

「ええよぉ」

「ええよぉ」

話題となったあの言葉には、そんな思いが詰まっていました。

それが一転してしまうのです。

「笑いながら描いとった絵が、もうあれだ、戦争画や。人間が殺し合うんや。のたうち回ってな。まぁ戦地やから。戦争のため言うてもな、そんなん絵にできひんわなぁ。せやからもう、いつだったか、戦争終わった言われてもな、もうあかんわ、絵なんか描けん。絵なんか一生描けんと思うた。他の仕事一生転々としてな。そんな時、こいつと出会ったんや」

火鉢に絵が描いてある――。

「え、うわー、思うてな。こんな所に絵? 暖取るために絵なんていらんやんなぁ。そやけど絵を描いてあるってどういうこっちゃ! あ、そういうこっちゃ、そうか〜。これが戦争が終わったちゅうこっちゃ。火鉢の絵を見て実感したんや。まぁ、なんと贅沢な! なんと贅沢なことを日本は楽しむようになったんや! 僕は叫んだわ! 火鉢に絵、ええよぉ!」

フカ先生は喋り続けます。

「もうそっからは、絵付けの仕事に猛進や。せやから、今描いててもな、どうしてもな、気持ちがこぼれてくるんや!」

フカ先生、平和を噛みしめつつ、勇ましい「猛進」と口にしてしまうあたり、戦中派や。

「また笑いながら絵を描けることが、どれだけ幸せなことか! この火鉢の向こうのあったまる人のことを考えると、なんと幸せなことか! 絵ェ考えたり描いたりするとな、笑てしまうんや! アッハッハ! もう楽しゅうて嬉しうてな! せやからもうどうしても笑うてしまうんや! アッハッハッハ!」

戦時中、「贅沢は敵だ」という標語があった。
そのころは、絵付け火鉢なんてもってのほか。ありえないものでした。

絵付け火鉢一つでフカ先生が嬉しくなった背景には、そういうことがある。

そんな喜美子の話を聞き、マツはこう言います。

「ええ先生やな」

「うん、ええ先生や」

フカ先生はたまに絵筆を持って踊り出してしまうこともある。

「月を描かんとあかんし〜雲や〜」

戦争が終わった喜びが湧いて来る。
そんなフカ先生なのです。

そこには表現が発散する心の鬱屈という、そういう喜びがあった。

そしてもうひとつ、表現が戦争の後押しをすることへの葛藤もある。

『なつぞら』では、天陽の父・正治がディズニーアニメを見せる学校に、苦々しい思いを抱いていました。
あんなに鬼畜米英と言っておいて、今は礼賛か。そういう怒りと鬱屈がありました。ディズニーは戦時中、日本に対するプロパガンダアニメを手掛けていたのです。

このあたりに、朝ドラは取り組みたいのかもしれません。

喜美子のやりたいこと

フカ先生は見られたならしゃあないと、喜美子の気持ちを聞いてくれました。

「そもそも絵付けがやりたいんか、絵付け師になりたいんか?」

このあと、フカ先生はお茶をいれようとして、喜美子がこう言います。

「うちが、うちがやります!」

「ああええよぉ。どっちや」

この短い場面で、フカ先生の性格もわかります。
喜美子は彼の中で、お茶汲み要員ではないのです。

「……そういうことの前に、うちにはお金が」

「お金の話なんかしてへん。負けたらあかん。なんかやろ思たときに、お金がないことに気持ちが負けたらあかん。どっちや? 絵付けやりたいんか、絵付け師になりたいんか?」

フカ先生は、貧しい家庭の出身です。
幼い頃に父が肺結核になったと思われるわけですから、かなりの苦労をしているのでしょう。

世代的には大久保さん、あるいは『なつぞら』の泰樹やとよと同じですね。苦労したわけです。

うーむ、難しい!
これは喜美子と言う人物を考える上でも、ものすごく難しいと思うんですよね。

喜美子は絵が大好き。
マツが絵付けを習わせたいという気持ちはわかる。

けれども、絵そのものが好きなのか、ちょっと不可解なところはある。

幼少期の喜美子は、草間宗一郎の柔道に憧れて習った。その草間流柔道をずーっと大事にしてきた。投げ飛ばすだけではなく、心理的な修行をしたとわかるのです。

新聞記者のちや子からも、心理的な何かを得ている。

本人もはっきりつかめていないし、視聴者はもっとわからない。
そういう何かを感じる!

この問いかけは、序盤からありますね。
慶乃川の焼き物を馬鹿にして、宗一郎にたしなめられた頃からある。

ちゃんと身につけていて、それが大久保にも伝わったとわかる。

「どう違うのん?」

百合子が聞きます。マツはこうだ。

「遊びでやるか仕事にするか?」

そして直子はこうや。

「お金になるかならんか?」

桜庭ななみさんは、直子は父親そっくりだと語っておりましたが、わかる気がする。

喜美子はこう結論づけます。

「覚悟があるかどうかやな」

絵付け師になりたいなら、基本からしっかり叩き込む言われた。
それでどう答えたのか? マツが尋ねます。

「わからへん。そんなんすぐには答えられへん。わからんと帰って来た」

これもうまい。
そういう葛藤の中身を描かないから、喜美子が絵付けができないことに落ち込んでいるかと視聴者は騙される。

それがもっと高次元の葛藤があったとここでわかります。

「ほしたらお母ちゃんが……」

「お母ちゃん、余計なことを……」

「ちゃうよ」

喜美子はこう言います。

これは思えば本作冒頭で示されていたかも。
マツは窯の火を火事だと思って消そうとする。喜美子はもっと強くすると言い切る。

マツは喜美子を完全には理解できないけれど、悪意はない。
そういう人物像なのでしょう。

アニメすらよくわからないながら、なつの精神性を理解していた。そういう『なつぞら』の泰樹とは異なる。
どちらが上でも下でもない。ただ、違うだけです。

喜美子はマツのことを悪いとは思わない。
むしろ、週一回の永山陶業で習う話は、何かちゃうと気づくのです。

直子はこう来る。

「お父ちゃんあかんいうたで」

喜美子も何かちゃうと感じた。
ジョーは関係ない。ここも今朝の朝ドラHELLですよね。

ジョーは相変わらず【俺のちゃぶ台返しが効く】と誤解していそうですが、何の効果もありません……つらい。

これはちや子とヒラさんもそうかもしれない。
ヒラさんは、新聞記者道を教えた自分を失い、ちや子は諦めるか、結婚するか、そう思っていたかもしれない。

しかし、おっちゃんの庇護なくとも、彼女は生き生きとしているわけですよ。

本作の、
「おっちゃん、そっちが思うてるほど、女はあんたらの影響受けてへんで!」
というスタンス。おもろいやないですか。

「ほしたらうちはどうしたいん? 今の気持ちはどうなん? 考えたんよ。絵付けをやりたいん? 絵付け師になりたいん? いやどっちでもないわ。わかった、うちはフカ先生についていきたい!」

バイオリンの音が流れます。
サントラが抜群にいい本作です。

「フカ先生に学びたい。学ばせてもらいたい。他の誰でもなくて、あの嬉しそうに笑いがら、あの楽しそうにやってるフカ先生に! 決めた、うちはフカ先生の弟子になる!」

喜美子はその結論に至ります。
これも、彼女の意地と誇りで決めた道です。

ごっつおもろいおっさん同士や

場面変わりまして、赤提灯の「あかまつ」へ。

「おっちゃんの危険信号一位!」

圧巻のあかんパフォーマンス、朝の連続酔態、カス打線の四番打者、視聴者の殴りたい気持ち待ったなし! ジョーが満を持して登場です。
待っとったで!

ジョーの話題は、おっちゃんの酔態ランキングです。

「一位は……おしぼりとちくわを間違えて食う!」

爆笑するジョー。

映像は嗅覚には訴えかけないはずですが、もうジョーが映るだけで悪臭を感じる。汗と酒と加齢臭や……。

いや、これは別に北村一輝さんを貶しているわけじゃないんです。
すごい演技だと思う。
酒臭い息まで伝わるもんなぁ。

しかも、隣で飲んでおしぼりをちくわのようにかじっとるのは、フカ先生です。
もうあかん……そうとしか言いようがない。

ここへ大野忠信登場。ちょっと安心かな?

「おぅ、オゥちゃん、来た来た! このおっさんごっつおもろいでほんまに!」

なんちゅう流暢な大阪弁。
本作は大阪ことば指導もおりますが、相手が北村一輝さんならば、一体何をするというのか? むしろブレーキを踏んでいるんでしょうねえ。

フカ先生は、大野雑貨店の人だと気づきます。
ジョーは大野雑貨店で何か買ったと特に気にしていない模様。ええの?

「おしぼりちゃうか!」

ジョーはバシバシとフカ先生を叩いています。
忠信は焦り始めます。

「こちら丸熊陶業とこの絵付けの先生ですよ!」

はい、ジョーカス、顔は真っ赤ながらも酔いが飛んだ顔になっております。

演じる側が素面であることが信じられない、圧巻の酔態。
フカ先生の半生語りを台無しにしかねない、ようわからん状態で明日へ。さあどうなる?

ジョーがええところを見せるのか?
期待はしているような、していないような……。

フカ先生は大陸にいたということは、ジョーとオゥちゃんやその戦友とも関係があるということですね。
明日の伏線になるのか? 気になるところです。

ジョーはカスではありますが帰還兵なんだよなぁ。
戦友オゥちゃんを背負って運んだ過去があるのです。

そこも絡んでくるのかな?
ジョーの戦時中の体験はぼんやりとしか明かされていませんので、期待が高まります。

本作は現代的だともされますが、現代人の父は戦争帰りであるとは限らないわけでして。
当時の世相が背景にあることは、考えたいところです。こんな世相は、二度と来なくて結構だということも含めて。

カッコいいだけでも嫌なので、カスっぷりも合間に発揮して欲しい。
嫌いどころか、ジョーのカスっぷりを見ないと朝がこない。

こちらはもう、そういう心境です。

名優の使い方

今日は……いや、今日も圧巻でした。
脚本と演出で引っ張って、イッセー尾形さんを出して来た。

あの長いセリフを、ガーっと、読み上げる。悲哀や人情味をにじませ、引き込む。
朝ドラでこれほどまでの超絶技巧を見せて来るとは。驚かされました。

盟友を出せばいいというわけじゃない。
考えに考え抜かねばできない。圧巻の場面です。

ここまでできるのか!
朝ドラの限界突破すら感じました。

NHK東京の『なつぞら』での、草刈正雄さんと比較すると面白い。

泰樹はセリフそのものは短くて、無表情でぼーっとしていたと思ったらいきなり前振りなしに必殺技を繰り出す。そういう演出。『真田丸』からも踏襲していて、圧巻でした。
彼が馬車に乗っている、牛を撫でているだけで圧倒的。そして【抹殺パンチ】。

一方のイッセー尾形さんは、彼の特性である長い台詞回しと、コミカルな動きを見せて来た。

どうすれば役者のパフォーマンスを最大限に引き出せるか?
そのうえで東西の違いを見せられるか?

100作目と101作目は、東西それぞれが、最大限の力とそれぞれの違いを見せてくる。そういう気合いを感じます。

「NHK大阪の本気と違いを見せな(アカン)」

毎朝、そんな熱気を感じさせる。
今朝もものすごいものを見せてもらいました!

ドラマとしてだけではなく、もっと別の気合いまで見えるような。凄まじい回でした。

芸術と戦争協力

一昨年と昨年のNHK大阪朝ドラは、戦争の描き方が最低最悪を突き抜けていた――そう思えたものです。

一昨年は、ヒロインが戦時中のプロパガンダと映画検閲に巻き込まれるのです。そして戦地にお笑い芸人が派遣されるけれでも、サラッとした描写。戦時中の映画検閲に至っては無茶苦茶でして。

「戦時中って、恋愛ものはダメなんでしょ〜」という、誤解を前提した描写でした。
いや、満州映画は、恋愛描写のあるプロパガンダ映画を量産しておりました。

とりあえず、プロパガンダ映画制作を背景にした傑作映画『人生はシネマティック!』を見てくれ……そう嘆いたもんです。

※『支那の夜』

昨年は、発明家である主人公夫周辺がウキウキワクワクと戦争協力しかねない描写。

軍部が求めた発明品にせよ、
「戦地で野菜がサクサク切断できる根菜切断器」
という、何もかもが間違った描写でした。

小学生のキャンプ用品か!と脱力したものです。

どうして戦争描写をこんなにもミニマムにしたいのか?
天変地異、せいぜい強い台風程度の描き方にするのか?
疑問を感じていたわけです。

NHK東京は、先にこの点は反省したと思うんですよね。
2016年『とと姉ちゃん』で主人公を導く人物のモデル・花森安治は「贅沢は敵だ」、「欲しがりません勝つまでは」といった戦時標語を作った人物でした。

戦後はそのことを反省し、『暮しの手帖』に結実させたのです。
そのへんの描写がぬるく、モデル側から絶縁されるという屈辱を経験済みでした。

どうにもそのあたりからNHK東京朝ドラは戦争について真面目になったな……と思えるのですが。

◆朝ドラ『とと姉ちゃん』を、本家「暮しの手帖」が痛烈批判! 花森安治の反権力精神を描かないのは冒涜だ

ここ数年、朝ドラの東西差はどうしてついたのか気になってはいた。

慢心、環境の違い……企業コラボで味を占めたかそうでないか。
答えは、この点じゃないか?と個人的には思っております。

2014年『マッサン』あたりから定番になったと言いますか。
それがNHK東京で先にコケて、何かを変えて来たと感じていました。

数年遅れで、NHK大阪もそうなったんちゃう?

NHK大阪も、一昨年と昨年で反省したんやろなぁ……あの暗黒期を補って余りあるものを、本作からは感じる。

NHKというエンタメの作り手からすれば、先の戦争の反省点は、自分たちの作るものが戦争に利用されたことでしょう。
そういう生々しい苦しみ。

『なつぞら』では、エンタメで戦争を描くことで、平和の素晴らしさを伝えられる。そんな踏み込み方をした。

そして本作のフカ先生は、戦時協力当事者だからこそ、その痛みと開放感がわかると踏み込んできた。

来年の『エール』は、主人公が戦時協力ど真ん中を体験するわけで、逃げられない。
脚本家降板で不安はあるのですが、逃げないで描くと思いたいところです。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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