飲み会が終わり、「あかまつ」前で解散する深野組。
残りの日々を過ごすことを誓い合い、立ったまま寝てしまったフカ先生を気遣います。
喜美子は、そんな師匠と兄弟子を見送るのでした。
田舎閉鎖社会の地獄みよ
喜美子は帰宅します。マツが起きて待っていました。
しかもジョーまで起きている。
素面かわかりませんが、少なくとも泥酔はしていないようです。
喜美子は連絡したはずだと戸惑っています。
怒っているわいけではなく、心配しているのだとマツは言います。
飲んで遊んでたんちゃう。仕事の話。
喜美子はそう言うものの、マツは不安そうに、深野先生が辞めることを酒屋で聞いたと言います。
お金ないのに酒を買うのか――そう呆れる喜美子ですが、話を逸らすなとジョーが言います。
本作は会話が逸れていくかどうか、そこを意識的に明確にしていると思う。
話を迷子にしない。これを重視しています。
若社長になって切り捨てられていく。
クビになっているとみんなが話している。
マツはそう言います。酒屋でも、お豆腐屋さんでもみんなそう言い合っているって。
みんなって誰や!
喜美子が反発すると、すかさずジョーも返します。
みんなは世間や!
マスコットガール言うて持ち上げられて、ほんで先生おらんようになって、きみちゃん大丈夫? そう言うてはる。
クビになったのはお弟子さんもそうだって。
このマツのセリフに、悶絶してしまった視聴者さんもおるやろなぁ……。
安心して見ていられなくて、ありとあらゆる層の背中をブッ刺すから、本作はいい意味であかんの。
地方あるあるミッチミチやん!
喜美子はクビやないと否定する。それでもジョーはこうだ。
「お前がわかってへんだけやろ」
喜美子は断固否定する。
一番さんも二番さんも、京大阪で新しい仕事を始める。クビやない。新しいことへの挑戦だ、と。
けどなぁ……。
これが通じない世間なのです。
◆閉鎖的で噂があっという間に広がり、余所者には厳しい
→喜美子のような、地元に根付いているわけでもない。親も貧しい。そういう余所者は尚更つらい。
→ちなみに余所者という意味では、北海道開拓者はちょっと特殊です。
◆「出る杭は打たれる」
→マスコットガール、新聞記事も一長一短。あの頃は可愛らしかったのにね〜とヒソヒソされる。
◆地元を出る=敗北、地元企業が殿様です
→京都と大阪に向かうというのは、とらえようによっては栄転ですが。田舎でずーっと生きてきた村社会ですと、負けて出て行くようなもん。
→『なつぞら』の夕見子は北大卒でした。当時の道産子にとっては、東大よりも北大が頂点です。地元の国公立大学こそ頂点であり、都市部の私大に行くことは「負け組」認識されてしまう。偏差値は関係ありません。地元の名門高校と国公立大学を出て、男ならば地元企業に就職、女ならその妻になる。これが勝ち組ルートや!
→そう、地元の産業が一番。その最大手となればもう、殿様状態です。本作の「丸熊陶業」がそう。
この土地に暮らす人にとっては、殿様のもとにいた弟子が出て行ってしまうという時点で、都落ち感覚なのです。
地元の人々にとって、そんなゴシップがどんだけうまいことか。
ましてやマスコットガールまでそこに含まれている。盛り上がりますわ。
それを聞かされるマツとジョーはつらいんやな……。
働けど働けど……学費も払えぬ川原家
喜美子は反論します。
フカ先生は長崎で絵付けを一から学ぶ。これはすごいこと。
「お父ちゃんはわかる? どんなにすごいことか。弟子になるなんでてきる? いくつになっても学ぼうとしてんや。やりたいことやろうとして、好きなこと追いかけて、いくつになってもフカ先生はフカ先生、すごい先生や。世間が何と言おうと、素晴らしい人間や!」
その目には、涙がうっすらと溜まってきます。
ここでジョーは苦い顔になるのです。
ちゃぶ台を掴むわけでもなく、むしろ力を抜いてドカッと座る。
そして語り始める……。
あ〜。ここんとこな、汗がえらいダラダラ流れて、まあ夏やからな。
手拭いで拭いても拭いても追いつけんわもう。
運送の仕事やっとったら、汗が滝のように流れて。
ほんで、あせもも酷うて。
ここ真っ真っ赤。痛いわ痒いわで。
ほんでも運ばなあかんねや。仕事やさかいな。
なあ、お前。世間の何をわかっておんねん。
ええ?
世間のどれだけの人間が、やりたいことやってると思っとんねん。好きなこと追っかけて、それで食える人間が、どれだけおる思てんねん、ええ?
運送な。
これまでいっぺんもほんまに、わあ、おもろいわー、好きで好きでたまらんわー。そんな思ったこともいっぺんもあらへん。思うわけないや。
仕事やもん。
もう嫌やあ思うわ。
ほんでも、お前、どんだけ一生懸命やっても、一生懸命稼いでも、家庭科の先生になりたいいう娘の願いも聞いてやらへんねん。
はずかしいわ。ここだけの話、ほんま情けない思うわ。
先生みたいな、深野先生みたいな人間だけが素晴らしい思うやったらな…………出てってくれ。はよ出てってくれ、もう。
ジョーは立ち上がり、寝室へ向かいます。
蚊帳の下では、百合子が膝を抱えてこの父の言葉を聞いていました。
喜美子の目にも涙がにじんでいます。
喜美子は外に出て、座り考え込んでしまう。ピアノの音が流れる中、じっと父の言葉を考えてしまうのです。
本作はセリフが長い。
そして北村一輝さん、圧巻の演技でした。
ジョーは怒らない。ちゃぶ台もひっくり返さない。
そして淡々と語る。
ジョーの悲しいところは、どうしてこんな暮らしなのかを自己責任にして、社会構造のおかしさに気づかない点なのです。
『なつぞら』の泰樹は言い切った。
真面目に働いてもその対価が貰えないのであれば、間違っている。
そんなところからは逃げ出せ。
もっと怒れ。怒っていい。
彼が属する十勝の農家は、酪農家の誇りのために団結し、たんぽぽ牛乳を生み出した。
そういう怒りのためならば団結し、一揆すら辞さない。道産子の開拓者魂があった。
「ありえないことを本当のように描くこと」
それは労働問題でも発揮されたのかもしれない。
しかし、ジョーには開拓者魂がない。
なんでや……。
NHK東京が持ち得たのに、NHK大阪が見出せないものがあるとしたら、そこではありませんか?
本作は、何が欠けているかすら分析してきたようです。
昨年の放送事故では、ジョーのような末端の肉体労働者を、まるで歯車のように冷たく扱い、笑いものにすらしていました。
塩メンだの製塩ボーイズだの、キャーキャーはしゃいどったけど……あれは搾取される肉体労働者ど真ん中やで。
慰労会でも悪徳経営者夫妻の下手くそな漫才見せられて、ビール一本すら出さなかった。
あの主人公夫妻は、ジョーみたいな帰還兵出身の労働者を薄給でコキ使い、売り上げを中抜きした世良を処罰するどころか仲間にした。
そういう話やぞ?
むちゃくちゃ腹立つやん!
一方、ジョーの言葉は深かった。肉体労働者の嘆きがあると思った。まずはそこからや!
かつてない、そんなパワーを感じました。
※北海道を代表する作家・小林多喜二といえば『蟹工船』
脚本だけでどうこうできるわけもなく、これは北村一輝さんの演技が圧巻でした。
言葉も大きいんやろなぁ。
イッセー尾形さんは、京都ことばの長い台詞に苦労しているとか。
これだけの長い台詞を、淡々と、情感を込めて一気に話す。関西弁でなければできない。関西弁が引き出した、北村さんの演技力なんでしょう。
関西出身の役者さんは、関西弁で話してこそ100ある実力を120引き出せるんでしょうね。
戸田恵梨香さんの目に静かに涙がにじむ。
これも納得しました。
演技力が周囲に及ぼす素晴らしい影響がそこにはありました。
火まつりすごい! そうだ、滋賀県に行こう!
そして信楽には祭りの日が訪れます。
真夏、七月末です。
神社では神主が火を起こす。子どもたちが太鼓を叩いています。
これぞ陶芸ならではの町。
町の真ん中の神社から、山の上の社まで担いで登る。
これは地元大喜びのシーンと言いますか。
神主さんも子どもも、法被も、本物だと思うんですよね。
2013年『八重の桜』で、彼岸獅子が出てきまして。地元の方がそのまんま踊ったということで盛り上がっておりましたが、それはそのはずなのです。
こういう地方の神事は、部外者には再現できないもの。
ですので、そのまんま本物を使うのが一番効率的なのです。
まさに朝ドラの醍醐味。
地方にしかない、風習や景色を全国に見せてこそ。
そんな原点をNHK大阪はここ数年忘れとったやろ。
スタジオに引きこもって、京阪神実業家広報シリーズみたいなことばっかりで、もっと西日本の魅力を真面目に発信せんかい! そう思ってたところですわ。
当日の朝――八郎は法被を着て帯を締める。
金魚鉢がある家なんですね。そして貼ってある二枚の絵を見つめます。
彼の中では、フカ先生も喜美子も絵を並べて貼るくらい大切になっているのでしょう。
それから挨拶をしながら、会場へと向かってゆきます。
ここで開発室の二人が彼を迎えます。
「ごくろうさん」
「怪我せんようにな」
三人の中でも最年少の八郎です。
胡瓜とトマトが水で冷やされている様子が映され、夏の気配が感じられます。
敏春は社長として、升に入った酒を配っております。
社長は祭りでこういうことをする。
顔見せ――妊娠していなかったら、照子も隣にいたのでしょう。
これが地方企業社長の仕事やで。祭りはそういう意味でも大事なのです。
信作は、カメラを構えている。そして八郎に嘆きます。
「演歌歌手、呼べんかったああ!」
「カメラですか?」
「広報担当に回されてえん……」
ちょっとしょんぼりしている信作。計画では、演歌歌手のお付きでもしたかったんやろなぁ。
また来年にでも。役場勤めにとっても、祭りは大事です。
大野さんと呼ばれて、カメラマンとして重宝される信作が、年代物のカメラを構えるところが斬新です。
高校時代、照子に鍛えられたもんな。
記念撮影として、カメラマンの信作が呼ばれるわけですが。
「ほな八郎さんも」
「ああいいです!」
「ええから、ええから!」
「いいですって!」
八郎は誘われるのですが、ちょっとパニック気味になっている。社交辞令でなくて、本当にオロオロしてしまっています。
社長を挟んで記念撮影しても、一人だけ顔がこわばっている。こういう性格なのです。
こういう祭りや行事で浮くことをちょろっとしてしまうのも、イッキュウさんや彼の特徴でしょう。
イッキュウさんは披露宴でもひたすらマイペースに食べまくっていて、カッコいいキメ顔をするどころではありませんでした。
記念撮影のあと、法被姿の喜美子もやって来ます。
信作はこうです。
「婦人部代表か」
「婦人部ある?」
「なんや、おまえ一人か」
喜美子は信楽初の女性絵付け師として参加すると言い切る。
タフで賢い。使えるもんなら使う。立場を使ったのでしょう。
「十代田さん、いたん!」
喜美子は気がつきます。これも八郎の個性が出ている。
絵だの壁ドンだのなんだかんだ言われているのに、ぬぼーっと相手が気がつくまで立っている。距離感の縮め方が不器用なんです。
そういう不器用な八郎にとって、自分を誘ってくれる喜美子は相性がいいのでしょう。声をかけられると嬉しそうに、二人並んで向かってゆきます。
信作はそんな二人の背中をパシャリ。
うーん、この一枚、この先重要な使われ方をするんやろなぁ。
信作が世間に「あの二人できとるんちゃう?」と広げたら、状況次第では許さんけどな。
陽子さんが知ったらもう……あっという間に広がるで! 雑貨店やしな。
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