スカーレット55話あらすじ感想視聴率(12/2)気付いたら自然に好きになってな

この大作戦があかん!

なんかズレとんねん!
ズレが大惨事の予感や……。

【喜美子の夏と秋】

・夏心ゆれたで……絵付け以外も目に入るようになって。

・何かが違う秋やな……。

・仕事の後のこの時間、ええなぁ……。

→お見合い大作戦? なんやねんもう!

【周囲の見る目】

・なんやねんもう、同級生の照子さんはもうお腹大きくなってんのに。

・あかんあかん、色気も何もないわ! どうせ残業やろ? 絵付けしか目に入ってへん!

・お見合い大作戦? これや、これやで!!

→なんでぇ! なんでお見合い大作戦あかんのや!

誰かが悪意を持って惨劇を起こすわけでもなく。
ただ、ズレが惨劇を引き起こす。

そのズレとは、喜美子と世間のものであり、八郎とジョーのものであり。

ジョーと八郎って、真逆だと思うんですよ。
儲けにならない好きなこと、誰かの心に響くたった一つのものを作る――そんな八郎は、儲けだけでない職人肌。信楽焼の杯で飲みたい酒や。

金にならんもんはいらん。好きなことを仕事にできるわけあるかい! 酒や、酒で忘れればええ!――というジョーはストロングゼロや。缶のままで飲めばええ。杯? 洗うの面倒やし。

ここまで父親像と真逆の相手を選ぶヒロインって、久々ではありませんか。
『なつぞら』では、泰樹とイッキュウさんは似ているところ、開拓者魂への理解があったと思えたのですが。

朝ドラヒロインは、理想のお嫁さん像を生み出すとされてきました。

理想の嫁どころか、喜美子は悪夢の娘やろ。
父親にダメ出しして、父親に劣等感を抱かせ、父親を超越し、父親と真逆の結婚相手を連れて帰ってくる。

おっほっほ!
と、そんなふうに笑いながら。

喜美子が『半分、青い。』の鈴愛や、『なつぞら』のなつのように、叩ける隙があればまだマシだったかもしれない(アンチの観点であって私個人は大好きです)。

彼女は隙がなく、批判を先回りしているから手強い。
生意気だのなんかむかつくだの言うと、かえってコケる。

「おっほっほ、器が小さいなあ! その観点、古いでえ!」

こうなりかねんのですね。
喜美子は朝ドラ版ジョーカー、ここ数年で一番おっとろしいヒロインやと思うよ!

※おっとろしいでぇ……ほんまに

つまらん話やない、ええ話や

アホな「お見合い大作戦!」の後、開発室へ場面が戻ります。

喜美子は聞いてみる。

聞いてもええ?
どうして選んだのか?

陶芸を選んだ理由を聞くのです。

八郎の実家には絵があった。
絵ェ描くの好きで、絵描きになろうとしたこともある。

なので中学と高校で美術部に入ったものの、そこで気づいたのです。

僕くらいの絵ェは誰でも描ける。
喜美子に下手やったのかと突っ込まれ、うなずくしかありません。ここでムッとしないところが、彼の性格なのでしょう。

絵を描くことよりも、好きなことを見つけた。
美術部の先生がやっていて、おもしろそうだった陶芸。

運命的な出会いでも、決定的な瞬間があったわけでもない。

気付いたら自然に好きになってな。
つまらん話や。
そう八郎は謙遜します。

これも本作のおっとろしいところだとは思う。

『カーネーション』で糸子がドレスを見た場面。
『マッサン』でマッサンがウイスキーを味わった場面。

そこは作り手の見せ所であるはず。そういう話を否定する。

「つまらん話やない、ええ話や……」

喜美子と微笑み合い、陶芸をする八郎。バイオリンの音のBGMが聞こえてきます。
本作はトリッキーで難易度高ではありますが、うまいBGMの使い方でそこをカバーしております。

八郎が切り取った粘土を喜美子がじっと見つめます。

ものすごくロマンチックで感動的。しかし、忘れないでおきたいことはある。

それは「お見合い大・作・戦!」と、予告の「男と女の痴情のもつれ……」やな。

なんでそんなんを、陶芸は地味言われなあかんのや!

本作は、反応を先回りしているようなところがあります。

本レビューでのリンクは控えておりますが、ズレたアンチをまとめたニュースも出ておりますので、各自ご確認ください。

作中でそういう叩きを先回りしとって、本作は手強い。
『なつぞら』も、ズレた叩きをするとかえって術中にハマる諸葛孔明じみたシステムを実装しておりましたが、本作も孔明の罠が健在や……。

◆陶芸は地味やん?

→なんでそんなんを、陶芸は地味言われなあかんのや!

そう突き返すような、土と向き合う圧倒的な美を感じさせる。そういう演出があります。

信楽焼のよさ、そんなん知らんの! 何も知らんのやな!! そう言い返すような展開がたまらん。

◆朝ドラはコメディでもないのに、本作はやりすぎであかんやろ

→朝ドラがコメディやないて、いつ誰が定義したん?

コメディタッチにする演出には意味があります。

関西らしさもひとつ。それだけではありません。
シリアスな展開を和ませる。視聴者をミスリードさせる。ひっかけです。

笑いあうことで距離感を縮める役目もある。
今日のふざけている喜美子と八郎がそうです。

笑いの効能をもっと考えていかなあかん。

※パッチ・アダムスさんも、そんなん言うとったで!

◆あんなしょっちゅうちゃぶ台返しをする奴、おらんやろ

→現在はおりません。そもそも、ライフスタイルの変貌によってちゃぶ台がもはや絶滅寸前です。

こういうツッコミがズレている自覚はありますか?
自分が見たことない=存在しないではありません。

ちゃぶ台返しは父の暴力やキレる言動の象徴です。
妻子を殴る暴力描写を繰り返したらそれは流石にきつい。そこを考えて、象徴としてやらせているということは考えられます。

◆実在するモデルがおるんやったら真面目にやりぃ

→おっ?
本作はあくまでモチーフであり、複数の陶芸家や昭和の女性像を組み合わせて作っております。近年顕著だった京阪神実業家広報シリーズとは、立ち位置が違うんですね。

モデルを茶化すという意味では、『マッサン』の竹鶴政孝氏をコケにするようなダメ描写の時点であかんやろ。

自伝や企業見解は、史実であり真面目だという、発信側の意識も見て取れます。
それをベースとした朝ドラは、信憑性が高いと感じていることもわかった。

しかし、問題点も大いにあります。
サクサクっとその辺をまとめてみましょう。

◆企業公式見解と美談をそのまま流し、歴史修正に加担する

→創業当初から労働者搾取と、反社会的勢力や政治家との交際で有名だった企業を、美化して描くこと。2017年です。

→台湾の伝統食を和食扱いにする。モデルが収監中に発明したという、ありえない企業側の嘘を拡散する。2018年です。

二年連続のやらかしと比べたら、本作は問題ないでしょう。

朝ドラの原資は受信料やで。
それで企業広報ドラマはあかんやろ。
堪忍してやほんまに。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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