スカーレット75話あらすじ感想(12/25)屁ぇこいて「ほな……またな……」

心を伝えるということやな

「できたでぇ! マッタケご飯や!」

ここへ喜美子が皿を抱えて来ます。

「あぁ、うまそうや」

「この皿、みんなで絵ェ描いたんやで」

「喜美子……」

「うん?」

「皿見えんで。ええ?」

ジョーがそう言うと、皆皿に食いつきます。こっちも食べたい、ええなぁ。

「食べます!」

「おう食え食え」

マッタケ嫌いなオゥちゃんまで食べようとする。思い出の味ってこういうことやろなぁ。
そしてこのあと、ジョーはじっと皿を見ています。

「これ、なんぼや……値段はつけられへんわのう。こういうの作るんいうんは、心を……心を伝えるということやな。よう伝わった。みんなの心がよう伝わった。ええ皿や……ええ皿や」

あのジョーが!

喜美子の紙芝居を金にならんと言うとったジョーが!

美術学校進学の学費を奪い取ったジョーが!

八郎の作品の値段のことをうだうだ言うとったジョーが!

最期の最期で、ここまで来おった!

圧巻や!

おぅ、こんなん……卑怯や!
『論語』でもなんかあったやんか。

鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し。(もうあかん鳥が死にそうになって鳴くと、声がめっちゃ哀しいやん)

人の将に死なんとする、その言ふや善し。(人が死ぬ前に言うんは、ええことだったりするんやで)

そしてこう続ける。

「仲ようせえよ。うん? お父ちゃんとお母ちゃんはいっぺんもケンカしたことなんかあれへん。なっ? 二人仲ようせえ、なっ? 直子も百合子も。ええ人出会えたらええなあ……」

「うちは……うちは結婚しいひん」

これはどうなるのか。
感極まった顔を喜美子夫婦はしておりますが、さて。ゆりちゃんは本気かどうかさておき、直子はどうした。

やっぱりこの皿、割れてしまうような予感がしてきた。

そこへ信作が武志を抱いてやって来ます。

「おう喜美子、起きたわ」

「あっごめんな、おいで」

愛おしそうに孫の頭を撫でるジョー。
武志は「う〜!」と唸ります。まだ死が理解できない幼さなのでしょう。

「もうな、おじいちゃんしてやられへんからな。お父ちゃんにしてもらえ。うん?」

そう言われ、八郎の元へ向かうのでした。

ジョーは苦しそうに言います。

「もう疲れたからもう……もうあっち行けもう。一人にせえ。大丈夫や。ううっ……」

ここで、放屁するあたりが大阪の意地を感じる。

「うそやん!」

皆が笑い転げます。

「大丈夫いうたやろ」

そう笑わせつつ、ジョーは皆を病床から見送ります。そして喜美子が最後に残されました。

「喜美子……頭、何かついとる」

「頭、うん?」

「ちょ……こっち来てみ。ああ……よいしょ」

そう喜美子を横に座らせ、その頭を子どものように撫でます。

「ほな……またな……」

「お父ちゃん……寝んといて、まだ起きてぇや。まだ話したい。話しようや、なっ? せやな何がええかな。どんな話がええかな。あっ、そや、はじめて琵琶湖見たときの話しよか。海やぁ〜、海やぁ〜! お父ちゃん、元気いっぱい走ってたなあ。って、ここは海ちゃうで。またみんなで行こな? 海やぁ! 言うて走ってな。ほんで父ちゃん、また言うてぇな。海ちゃうで、湖やで、日本一の湖や! そう言うて笑てな」

喜美子の言葉に重なり、第一回の川原家の姿が映されます。

元気だった。そんなジョー。
走馬灯のように、ちゃぶ台返し、給与前借り、酒乱、八郎殴打が浮かぶけれども。

うーん、でもこうしていくとええおっちゃんにしか思えないのはなんやろなぁ。
定番でありながら、ベタでありながら、高度。劇中の時系列かつ、滋賀県の宝である琵琶湖を使った。圧巻の回想シーンでした。

居間で百合子は泣く。
マツも泣く。

マツを陽子が慰め、百合子をそっと信作が慰める。大野一家はほんまに仏やな。

「一緒にまた笑おうな、お父ちゃん!」

そう喜美子が語りかけるジョーは、眠るような横顔をもたれかけています。聞こえているのかどうか。

父は、そのままめざめることもなく、逝ってしまいました。

昭和40年(1965年)秋、川原常治、永眠――。

酒はあかん、マッタケご飯とこのドラマは最高や!

さて、そんなジョーですが。
喜美子が昭和12年(1937年)生まれの設定ですから、享年は50前後ということではあります。

北村一輝さんの実年齢と同じ程度で亡くなったと思うと、おっとろしいもんがあります。

酒はあかん!

過労もあかん!

柴田家はもっと長寿だったのになぁ。なんちゅう生活習慣改善啓発ドラマや。

ちゃんと死相がわかるあたり、脚本、演出、演技指導、医事指導、そして北村さんはじめ皆さんの演技が素晴らしいと思えました。

膵臓と肝臓をやられているのに、咳き込むばかりではあかんからな。顔色がどす黒くなって、目から光が消えていくあたり、もう、怖かったほど。

こういう描写が、人の命や尊厳ということでもあると思う。

親の生前葬をお笑いネタにして、
「予告編で死んだと思いました? 生きてますぅ〜生前葬ぅ〜!」
をやらかしたとき。それをネットメディアが強引に持ち上げていたとき。

もう、NHK大阪はあかん。
視聴者の知性と道徳観と正気をぶち壊すことに、受信料を使っているのかと寒気がしたもんですが。

局内でも、あの放送事故を恥じていたことは伝わってきました。

「NHK大阪の本気と良識を見せな(アカン)」

そういうことが伝わる、圧巻の回でした。

これはもう、マッタケご飯で前祝いしてもええんちゃうか。
北村一輝さんはじめ、関係者キャリアにプラスあるで。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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