武志のお父ちゃんはすごい人
はい、川原家では。
武志が靴下を繕う母に文句を言っています。新しいの買うたらええって。
「また開くで」
「また繕うで!」
そのうち夏になるし、開いたままはいてけ。涼しくてええやん。
そうキッパリ言い切る喜美子に対し、武志はこうだ。
「うち、お金持ちちゃうの?」
お父さんは先生、先生言われてる。
銀座で個展やる。すごいってみんな言う。
しまいには沢村にも会えるのかと言い出す。
喜美子は、沢村はキックボクサーでお父ちゃんは陶芸家だから会えるわけないやろ、と返答。
「武志のお父ちゃんは銀座で個展やらんでもすごい人。すごくてかっこよくて優しくハンサムでな」
「もうええわ」
「ありがとうございましたぁ!」
そう語り合う母子です。
そこには愛があるのですが、なんだかちょっと怖い。
銀座個展という名声は、八郎にとってよいものなのでしょうか。
喜美子と八郎は違う人間
八郎は真剣な顔で陶芸に挑んでいます。
喜美子に対して、三津はだいたい何があるか覚えたと答えています。今日は休んでいいと喜美子は告げるわけですが。
「見てたらいけませんか」
「今日はもう遅いから、明日な」
「わかりました、お先に失礼します!」
やっぱり八郎は、三津を気遣っていないとわかりますね。どうしたものやら……。
そして三津はここでまた、ちょっと厚かましいことをやらかす。振り返り、思い切って大胆に土を変えてみたらどうかと八郎に提案するのです。
さらには八郎がフカ先生の絵葉書を目指しているはずだと見抜く。
「知らんかった。ハチさん、それ目指してんの」
「すいません、でしゃばったこと言って」
「……そうやったとしても口に出さんでおけ」
「すいません、申し訳ありませんでした、おやすみなさい、おやすみなさいっ!」
妻である喜美子は気づかない。
弟子である三津は気付く。
ここで視聴者も、登場人物も、誤解しそうではありますが、愛の深さの問題ではありません。三津には直感の鋭さがあるのでしょう。
三津は、妻にも気づかないことを理解したという傲りは見せません。
彼女は、八郎だけでなく喜美子にも「おやすみなさい」ときちんと言って去ってゆきます。
けれども、作劇上の意味は考えてゆきたい。
婚前の八郎は、フカ先生の絵と喜美子の絵を、同列に並んで飾っていたはずです。今でもフカ先生の絵はインスピレーションになる。
じゃあ、喜美子のものはどうでしょう?
喜美子は三津の言うことに一理あるという。
そこで桜島の灰、北海道の黒浜などを取り入れてみたらどうかと提案するのですが、八郎はキッパリ断ります。
「さすが喜美子だ!」
そうドヤ顔で何か言う、昨年の放送事故とは違うのよ。
あれは妻を褒めているようで、妻との深い議論はしない、あまりに薄い人間関係だと思えたものですが。
ヨソの原材料や土を取り入れる試みは、とっくに柴田から提案されている。
研究所だけに、そんなものはなんぼでもあるわけです。
それでも、敢えてここらの地域に絞ったもので作りたい――そんな八郎。
何をそこまでこだわるのか?
喜美子が疑問を呈すると、そもそも信楽の土が好きでここに来たという。喜美子の父のように、他所から来てここに根っこをはやしたい。そう思っているのだと。
ああ、ジョー……呪いかけていきおったなぁ……。
あんなジョーの言うことなんて気にせんでええのに。婿入りも、重たかったのかもしれない。
喜美子はそこを否定する。
そういうことがハチさんの可能性を狭めてる。
発想の転換、別の考えがあるはず。
決して八郎を責めているわけではないはずです。
それでも八郎は暗い顔になります。
言われんでも考えてる。どうなったら前に進めるか、ちゃんと考えてる。
すると喜美子は、思わずこう続けました。
「いったん作ったもんを壊さんとあかんちゃう? そこに縛られてるからあかんちゃうの? 壊そうで、一緒に。うちはできるで、ハチさんと一緒やったら、こんなんいくらでも壊せるで」
そう言って自らの皿を叩き割ろうと手にする喜美子。
思えばそれが彼女の人生でもある。荒木荘のこと、絵付けのこと。自分が悪くないのに、いろいろと壊されてきた。
「壊して進もうや。前に進むいうことは、作ったもんを壊しながら行くことや」
「ちゃうわ! 僕は喜美子とはちゃうで、違う人間や」
八郎は喜美子の提案を拒む。
ここで、波乱の音がします。
壊して進めるかどうか? 実は見る側も問われている
壊して進め――。
そんな喜美子の提案に、フィットする記事が出てきたので、せっかくだから考えましょうか。
◆数字が跳ねない原因?「スカーレット」視聴者戸惑う戸田恵梨香のキャラ変ぶり
数字が跳ねないかどうか。
確かにそこまで高くないのですが、枠の持っているポテンシャルを考えないといけません。
大河も紅白歌合戦もそうですが、単独だけでみているとわかりにくくなります。
どの枠も、地上波そのものが衰退傾向ですので、過去の比較で言うと誤認が起こりかねないんですよね。
そしてこれは『なつぞら』でもそうだった。
100作目でイケメンが多いのに伸びないだのなんだの、言われておりましたっけ。
私として不思議なのは、その前です。
あの放送事故も、視聴率は跳ねていなかったどころか、後半失速していたのに、そこは目をつむって大仰な褒め言葉を書く記事が多かったんですよね。
あのドラマは、モデル企業や関連番組の援護射撃も盛んだったというのに。
さらに遡ると。
視聴率でそこそこきっちりはねていた『半分、青い。』も、そこを無視してネットのアンチ投稿を針小棒大に扱う叩き記事が盛んだった。不思議だなぁ〜。
はい、視聴率のことはさておき、記事の中身を見ていきましょうか。
「ネット上で、《あそこまで語気を強めなくてもイイと思う。もう少し柔らかい印象が欲しい》《何であの下品な笑い方と、乱暴な口の利き方をさせるのかね》との声も上がっているように、大阪で女中として働いていた時の明るくて健気な喜美子が実家に戻ってから、やけに怒鳴ったり泣いたり、果てはすねてみたりと、少々わがままで気の強さばかりを強調するような場面が多い。大阪での女中時代に学んだ丁寧な暮らしぶりが信楽に来てからはあまり生かされておらず《(大阪時代の)荒木荘の時のように、困った事も静かに受けとめきちんと考える落ち着いた性格が消えてしまっている》などと、キャラ変ぶりに戸惑う指摘も多く見られるんです」(テレビウオッチャー)
「キャラ変」ってなんですかね。
喜美子の幼少期の性格は、ホウキでガキ大将を殴り飛ばすくらいアグレッシブだったものです。
荒木荘時代も「とやぁ〜!」と草間流柔道の掛け声を放つ、元気な子でした。
大久保さんに怒り、投げ飛ばすイメージトレーニングもする――そもそも初日に柔道の受け身で戸を跳ね飛ばし、ちや子の部屋に倒しましたよね。
つまり記事の「キャラ変」というのは、前提からしておかしいんですね。
喜美子の根本的な部分は、幼少期から一貫性がある。
荒木荘時代がおとなしくて健気に見えたとすれば、それはジョーに給金を奪われ、エロエロ大学生・圭介相手に気の毒な失恋をしたせいでしょう。
ああいうかわいそうな未成年少女を叩くと、下劣な人間だと思われるかもしれない。
無意識のうちにそう考えて、SNS投稿も控える。それが人間の本性でしょう。
ご意見を述べたのはテレビウオッチャーですか。
テレビよりもSNS投稿反応見過ぎやろ。こっちとしては、そう突っ込みたいところ。そういう私は、テレビウオッチャーウオッチャーやけども。
考えたいのは、このテレビウオッチャーの取り上げたSNS投稿の背後にある心理です。
下品な笑い方。
乱暴な口の利き方。
怒鳴ったり。
泣いたり。
すねたり。
わがままで気が強い。
いや、喜美子よりジョーの方が……いやまあそうでなくて。
こういう喜怒哀楽を叩く、そういう層が好きなヒロイン像はわかる。放送事故ヒロインやろなぁ。
これまた不思議なんやけども、下品という意味ではあっちの方が酷かった。
歩きながらズベベベと麺をすすりながら歩く様は、もう、ほんま『彼岸島』を彷彿とさせたで。
それでも、この手の記事で見逃されがちだったのはどうしてなのか?
彼女は目上には逆らわず、従順なのです。空気を読むスキルは抜群にあった。
こういう投稿をする心理は、発言小町的と言いますか。
はしたない女を嗜めるふりをして、空気を読まない女をいじめる心理でしょう。
私は空気を読んで大人しくしているのに、朝ドラにいるこの女は生意気だから許せない!
『半分、青い。』のとき、『なつぞら』のときは、女性脚本家と主演女優に憎悪がぶつけられた。
けれども今回はできないから、喜美子そのものを叩きにいく。
どうして女を叩くのか。その心理に向き合わねば、同じことの繰り返しよ。
まぁ、ささやかなストレス解消だとは思いますよ。
実在の人物にぶつけてない限りは、無害でええんちゃうか。
喜美子叩きももうすぐ終わるでしょう。
そして次のターゲットは三津やろな。
なので、そこんとこ先読みして、三津をフォローしたいと思ってます。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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