喉風邪でしょうか。声が出ないマツ。
武志はランドセルを開けたままと注意され、傘を持っていけと釘を刺されつつ、出かけてゆく。
そんな川原家の朝です。
喜美子は母の喉を気遣い、我が子を見送ります。
へそくりもお小遣いもない、イカス〜!
一方で八郎は、電気窯の修理中でした。
傍の三津に、直りそうだけど買い替え時かもしれないと言います。
そこに武志が入ってきて、手紙が布団に落ちていたと父に訴えかけます。
お母さんにばれたらどつかれる!
武志は、女が怒ると怖いって知ってると言います。
芽ぐみちゃんは怖いもんね、とみつが同意。
誰かと思えば、照子の娘で、同じ飼育係なんだそうです。
こうやって幼い頃から刷り込みがあるんやろなぁ。なんか納得感はあります。
ジョーの暴虐、ちゃぶ台返し、それをやられて涙ぐむ川原家の女性たち。
それを見ていたって、キレて暴れて怖いのは女より男だと突っ込めるわけですが。なんでか、女の悪事の方がカウントされて、男はやんちゃで済まされる。そういう一因を見た気がするで。
八郎は中古でもええから買うてあげたいけど、財布の紐を握っているのは喜美子だと言います。
三津からへそくりもお小遣いもないのかと聞かれ、認める八郎です。
「イカス〜!」
三津はそうはしゃぐわけですが。
うーん、本作の生々しさが地獄みを感じさせる。
喜美子は幼い頃から金銭感覚抜群、八郎はザルでした。
そういう姿を見てきたこちらとしましては、どういうことなのかと突っ込みたくはなる。
「めおと貯金」の頃は、ここまであかん感じではなかった。八郎だって、へそくりや小遣いあってもいいと思いますけどね。
それに、釉薬その他諸々、仕事の諸経費はもらってるわけでしょうに。
八郎の金銭感覚がザル、あかんだけやと思う。
それが、三津の目からすると「イカス〜!」となる。これは不倫ファンタジーを感じる。
三津は、今度の個展の売り上げで電気窯とテレビを買おうと促すわけです。
家計をやりくりする喜美子と、そういう責任のない三津では、言うことの厳しさだって当然変わるわけです。
それすら見抜けなくなる、そういうあかん男に八郎がなりそうで、怖いところではある。
喜美子が変わった。夢を認めない。だから三津を選ぶ。
それでええんか?
いやいや、いかんでしょ。
変わった。向き合わないのはむしろ八郎でしょうに。
喜美子は今回、冒頭から実母、そして息子と向き合い、気遣っています。八郎はその間、工房に篭りきりだ。
武志とだって、可愛がるだけで向き合っていないと伝わってくる。対話せんから、テレビという物質でご機嫌とるしかなくなっとるんちゃう? そんな嫌味の一つも言いたくなる。
あれほどあかんかったジョーが、相対的にマシに思えるのはどうしたもんやろなぁ……。
結果的に失敗したとはいえ、ジョーですら娘に赤い手袋を買おうという気持ちはあったっけ。あれはジョーの借金のせいでダメになったし、困った話ではあったんですけれども。
それでも、ジョーはジョーなりに、娘が喜びそうなもんを一生懸命考えて、買うだけの金を見繕う。そういうことはできたわけです。
八郎が苦しいのはわかる。
彼の苦しみを描いているところは、突き放しているだけでもないのですが。
作品をせっせと作る八郎に、顔を近づける三津。
「電気窯とテレビ、買えたらええなあ」
「はい、がんばりましょう、絶対成功させましょう!」
三津がそう言ってきて、独り言だと当惑する八郎。
どこからどこまでが独り言か、ポーズつけてくれと三津はおどけます。
ロダンの『考える人』やいじけるポーズをしてみせる三津。
あきれながらも喜ぶ八郎なのです。
喜美子は一家を気遣う
マツは水を飲んでもあかん。声がかすれてる。
どうやら、おかあさん合唱団で張り切りすぎたらしい。
うーん、マツよ。すんごく人生をエンジョイしてはる。
ジョーがいたころには出来なかった。羽根を伸ばすとはこういうことよ。
こういうマツが、八郎と並んで出てくるところも興味深い。
八郎――つまり夫の側からすれば、家庭に入って自由でなくなったということにもなりましょう。
ジョーは自分勝手なようで、喜美子相手に稼がねばならんこと、フカ先生のようには生きられないことを語ったことがある。
一方で、そんなジョーの妻であったマツは自由であったかというと、そうではなかった。
結婚というものを、肯定だけしているわけでもない。
これも本作の、生々しさを生み出す挑戦だと思います。
百合子がここで出勤です。
「慣れへんことしたからよな。大事にしてな」
そう母を気遣う。姉はそんな妹を気遣う。飲みすぎんようにな。傘持っていきや。
そしてこうです。
「お酒残ってへんか」
はい、息の臭いチェックや。
「はあ〜ハア〜っ!」
「ああ、ああ、大丈夫やんな」
うーん、喜美子にあるジョーで慣れたという貫禄。
「いってらっしゃい、気ぃつけてな」
姉に見送られ、出かける百合子です。
なんやろな。
大黒柱は男だとはいう。八郎は川原家にかつてない豊かさをもたらした。でも、そういうことができるのは、喜美子あってだとありありとわかる。
思えばこれは荒木荘の大久保さんもそうだった。
荒木荘は意味があったのか?
そういうことは言われておりますが、あれは重要だったとわかってきます。
喜美子も、あの大久保さんになりつつある。
それはよいことではあるけれども、世の中に埋没してもええの? 信作ではないけど、そう問いかけたくなるのです。
今はディナーセットが売れます
三津は生活様式の変化を語り始めます。
今はちゃぶ台でなくて、テーブルに椅子になりつつある。実家の松永家もダイニングテーブル!
作業を手伝いながら、そんなことを言い出します。
これは『なつぞら』もそうでした。あれの柴田家は北海道らしい、木目を大胆に生かした食卓でした。
そんななつも、結婚後の坂場家ではテーブルと椅子。
生活様式が変われば、食器も変わる。ディナーセットがブームです。
スープ皿、パン皿、サラダ皿、ケーキ皿、フルーツ皿、カップアンドソーサーにシュガーボール。
と、団地の奥様に大人気!
そう言われても、この辺には団地がないと八郎が返します。
団地の奥様には綺麗な人が多いとはしゃぐ三津。
うーん、団地妻やな。
今の人はピンとこなくてもええんですが、オゥちゃんがはからずも晒してしまった【人妻のよろめき】とセットでアレな概念ができつつあるこの時代よ。
「それ、陶芸と関係ある?」
そう八郎が突っ込んでも、三津は止まらない。
ご主人はいい所にお勤めで専業主婦! あこがれの団地住まい〜! ベランダから出勤する主人を見送る〜。
アホみたいにはしゃいでいるようで、すごく重要だとは思う。
喜美子。照子。信作。彼らの母は、こういう団地の専業主婦でしょうか?
喜美子の母・マツは、専業主婦のようでそうとも言い切れない。夫のために、いろいろと気遣っていたわけですし、喜美子がかなり手伝ったとはいえ、家の畑で野菜を作るような暮らしでした。
照子の母・和歌子は、優雅な奥様のようで、社長室で夫に意見をすることもある。
昭和の「内状の功」でしたね。
信作の母・陽子は、雑貨店でも「サニー」でも頑張って夫と働いている。
彼女らはそれでも夫が戦死していないだけ、この世代では恵まれている方です。
喜美子や『なつぞら』のなつの子ども世代が、『半分、青い。』のヒロイン世代です。
彼女らは専業主婦なんてできてはいない。
女だろうと結婚後も働いて当然になっている。
何が言いたいかというと……団地で夫の出勤を見送り、着飾っている専業主婦。
三食昼寝付きだなんてバカにされる専業主婦の像なんて、高度経済成長期のごく一部にあったものに過ぎないということです。
それなのにどういうわけか、令和のご時世でもそういうファンタジーじみた専業主婦像が当然だと思う。そういう偏見があると。
テレビを見ながら、これみよがしに専業主婦がバリバリ煎餅を食べる。不必要なまでにそうする。
そういう昨年の放送事故。あれはまさしく、ファイナルオヤジファンタジーやったな……。
ベランダで見送る奥様の話を聞き、八郎は、高い所におる人が苦手という。
三津は、そんな彼を面白がる。
高い所でなくて、高い所にいる人なのかと。
地に足ついてない人が苦手――八郎はそうも語りますが、顔色は冴えません。
柴田や佐久間から、「外国語を喋って綺麗に着飾った」そんな陶芸家の妻の話を聞いた時はムッときていた。
けれども、三津が語る団地の妻の話は、弱々しく抵抗するだけになっているようにも思える。
かつての八郎ならば迷いはなかったのかもしれないけれども。
今はもう、地面に足をつけて歩く――そんな喜美子よりも、地面から浮き上がった何かを求めるようになったのかもしれない。
三津は無邪気で、色気がないような造型ではある。
それでも、彼女は魔性を持つ女性になりつつあります。
けれどもその魔性は、女自身のものではなくて、弱り傷つき癒しを求める――そんな男心が生み出すものなのです。
喜美子と三津の差
八郎がろくろに向かっていると、三津が大学でのやり方と違うと言い出します。
そこで八郎はこう提案します。あ
「やってみる?」
「いいんですか!」
「一回だけな」
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