進路をどうするか?
そんな男子高校生でも、進路のことは考えています。
第一志望:名古屋大学教育学部
第二志望:あり(不明)
相談相手:おふくろがキイキイ言いよるから、親父に相談しました。
第一志望:大阪大学経済学部
第二志望:なし、一本で!
相談相手:小学校で野球教えてもらって以来、父に相談しました。
おっ、優秀やな。
それに滋賀県のリアルを感じるで。大阪に行くか。中部に行くか。京都もありかな。そういう地理関係ですね。
こういうところも細かいんですよね。
昨年、勉強を全然している気配がないヒロイン姪が、いきなり大阪大に受かっておりました。その夫ともども、学歴はあるけれども中身は不明。専攻は? わからないし、人生になんの影響もないと。
どんだけ勉強嫌い、ステータス好きな奴らが作っとんねん。そう散々突っ込んだけれども、今年は違う。
うーん、勉強が好きで好きでたまらない。そういう熱気を感じる。学歴で威張りたいのではなくて、知識欲があるんですね。
じゃあ、川原武志くんは?
ここで親友二人は、手紙のやり取りをしている父に聞くよう言うのでした。
父の声を求めて
武志は自室に戻ります。
当時、生まれていなかった伊藤健太郎さん。それなのに生々しいほど昭和の高校生になりきっとる。
レトロなファンシーケース。
三角形のペナント。
悶絶する視聴者もいるやろなぁ。
『なつぞら』のレトロ再現も気合入っておりましたが、NHK大阪も本気を出しています。
武志は封筒を取り出します。
職場宛に届く、大野信作様への手紙。その裏には、差出人が書かれています。
十代田八郎
この、生真面目そうな万年筆の筆跡が見ていて悲しさすら感じてしまう。
八郎は、家族を愛していたんですね……。
独身時代、あたたかい家族を作りたいと語っていたっけ。
武志は、中部セラミックという会社に電話をしました。黒電話のカバーが昭和。
「そちらに十代田八郎さんいはりますか?」
そんな孫の声を、マツが聞いています。
編み物をしているこの演技が絶品。富田靖子さんの演技の幅がおそろしいほど。北村一輝さんによる、ジョーの病による衰弱も見ていてつらいほどでしたけれども、マツの、花が萎れていくような老い方も素晴らしくて。
「川原と申します、はい、はい……川原です。お父ちゃん、武志やで」
五年ぶりに聞いた、父・八郎の声でした。
鍵っ子ファンタジーとの決別
ここ数年のNHK大阪朝ドラにおける、思春期を迎えた我が子と親の対立をざっと見てみましょう。
◆2015年『あさが来た』
「他の家はお母ちゃんが家にいるのに、うちは働いていておかしい!」
そうゴネる娘。
母をそうさせる、働かない父のことは責めない。
ちなみにモデル親子は、特にそういう対立はしておりませんでした。
そもそも当時の上流階級は、家事育児を使用人任せにするのは当然のこと。
モデルの広岡浅子は、出産すら妾に任せていたようなところすらある。
◆2016年『べっぴんさん』
娘が唐突にグレる。
やはり母の勤労が気に入らないようだ。
ちなみにモデル親子は、特にそういう対立はしていない。
◆2017年『わろてんか』
父が亡くなっていて、母の事業あってこそ。
それなのに、やっぱり母の勤労に文句つける。
電話もない時代なのに、些細なことをいちいち学校の担任が連絡してくるのも不思議だった。
ちなみにモデル親子は、特にそういう対立はしていない。
むしろ息子の結婚をめぐり、親子で深刻な対立があった。その対立がおさまらぬうちに息子が亡くなっているのだが、そこは出てこなかった。
◆2018年のアレ
いじめられるという我が子。
それに対して、両親は激怒する。
教祖がすごいものを作ってセレブになるから見返せと、極悪非道宣言をしていた。
まとめると、もう、何がなにやら……。
時代背景も、職業もバラバラ。
なのになぜ、こうも似通っているのか?
答えは簡単です。
「作り手の業界人、ならびに彼らの想定する視聴者の脳がアップデートできない」
これやで。
本作でも言及された鍵っ子。
母親が苦労していることを本作は描きましたが、そうでない作品はこういう結論になる。
「働く母親が異常で悪い。そこにコミットすれば視聴率取れるで!」
武志世代がトップに立ったテレビ業界はイージーにそう考えて、動こうとしないということでしょうね。イノベーションだの改革だの掛け声は勇ましくとも、人間は基本的に改革は嫌いなんです。
慣れ親しんだ世界観、価値観を味わって、再確認して、ほっこりきゅんきゅんできる。これが圧倒的に気持ちいい。しかも数字が取れれば、その方が楽じゃないですか。
本作はそこを明確に、はっきりと否定してきた。
鍵っ子という単語を出して、署名活動をする母親の活動を見せて、反論してきたと思えるのです。
そりゃ、鍵っ子ファンタジーが好きな層からは反発されるでしょう。
『半分、青い。』の鈴愛、『なつぞら』の、なつへの反発も納得できます。
母親が、ずーっと365日24時間我が子のことを考えていないと嫌! そう、いい歳こいた大人が思っている。
マザーコンプレックスの裏返しです……。
この親子対立は違う
そこを今年は変えてきた。
武志は、グレてません。
シンナー吸引とか。飲酒とか。喫煙とか。破壊活動とか。バイク暴走とか。学校の窓を割るとか。
学ランがそもそもおかしいとか。カバンが潰れているとか。
そういうことはしない。
いや、流石にそれはできないか。
※これは武志世代よりは上やけども、昭和の不良は半端なかった……
武志はむしろ好青年に育ちました。
工房の母へコーヒーを持っていく。年下の従妹の似顔絵を描く。母にきついことを言ったと、落ち込んでしまう。
性格は父親に似たのかな?
優しい子です。
親子の対立は、喜美子と八郎を継承しているとも言えるのです。
喜美子のように、何かを捨てて破壊してでも燃やすことが、自分にはできるかどうか?
八郎はできなくて、身を引いた。武志もそこが怖い。だからこそ、父の意見が聞きたいのでしょう。
母だからとか。女だからとか。
父だからとか。男だからとか。
そういうことではない、人間の本質に迫る意義を感じる、そんな本作です。
二世の苦労
この母子のことも、語りたいことが尽きません。もうちょっとだけ。
彼らで思い出したのが、スティーブン・キングとジョー・ヒルのことです。
言うまでもない大御所作家のキングは、妻・タビサも小説を執筆します。
そんな二人の息子が小説を書いているとなれば、そりゃもう出版社は飛びつきますよね。
ところが子供のジョー・ヒルは、経歴を一切伏せて応募し、デビューをしたのです。
ヒルの作品はおもしろい。
そして彼の作品には、おそろしい父親、父の象徴のような怪物の姿が見えます。
※父・キング原作がこれで
※息子・ヒル原作はこちら
二世ともなれば、そこにはきっとおそろしいことがあるんだろうなぁ。
そう思えて、こわい。武志を見る喜美子の目には、そういう何かがある。
喜美子って、武志を褒めるにせよ、自分の血のことは一切口にしないんですよね。
我が子の道をなんとかしてやろうとか。
期待をかけるとか。
親としての愛は一切なくて、むしろ突き放すものを感じる。
そういう世間の影響をまるで信じていなくて、内側から湧き上がる炎を燃やせと焚き付けているようで。
喜美子と武志の対立――。
柳生但馬守宗矩が、我が子・柳生十兵衛を鍛えすぎて、隻眼にするような何かを感じる。
いや、それは『柳生一族の陰謀』あたりの話。そうなるのは松永久秀顔の吉田鋼太郎さんと、エロエロ医大生から剣豪になる溝端淳平さんですけどね。
そもそも史実では、十兵衛が隻眼であるか不明……と、そういう脱線はもうええですね。
二人だけでは解消できない――そんな何かがそこにはあります。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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