スカーレット120話あらすじ感想(2/22)武志にも熱うなる瞬間が

ここから、八郎と信作が息の合った喜美子いじりを始めます。

八郎は国内線は乗ったことがあるそうでして。

飛行機に乗る時は、靴と靴下を脱がなあかん。

国際線はともかく全部ちっちゃくて狭いねん。

喜美子は賢いようで、留守電を知らなかったくらいですので。

「そんな……そんなしんどいねん……」

「うそやうそ!」

「信じてたの、お母ちゃん?」

「かわいいな」

「えっ! どこまで嘘なん」

そう、わちゃわちゃしてしまうと。

朝ドラで旅か。昨年の世界一周麺の旅〜……それはさておき、まぁ、パリに行くことはないとは思いましたよね。行ったら行ったで楽しそうですが。

何かが変わるとき

アンリは、出来上がった花瓶を手にしています。

これは素敵。確かに欲しくなる。あの割れた皿も欲しいくらいです、もったいないわ。

アンリはパリ行きを断られ、残念そうではあります。

行く気にはなった。飛行機で靴と靴下脱がなあかんことがどうのこうのと喜美子は茶化す。冗談で前置きしつつ、シリアスな本題に入る。高度な関西の話術を見たで。

食べ物、気候風土ではなくて、こういう会話にも日本の東西、地域差は出る。北海道開拓民は命に関わるから、話の枕を言っている場合ではなかった。

滋賀、大阪、神戸でこそのノリ。これに慣れた状態で『エール』の福島を見ると、おっとりと素朴に感じられるんじゃないかと思います。期待しましょう。

「前に小池ちゃんが教えてくれたやないですか。うちの作品が小池ちゃんの人生を豊かにしてる。ほんまにそうなら、うちは自分の人生を豊かにするより、誰かの人生を豊かにしたい。今はパリに行くことよりも、ここに座っていたい。作りたい。むしょうに作りたいんです……」

喜美子はますます原点へ遡っています。

荒木荘で励まされ、荒木荘に旅立つ前に拾ったカケラをめざし、草間宗一郎の言葉を聞く。そして慶乃川のことを思い出し、土を掘る。

そして穴窯が成功した今、直子のために紙芝居を作っていた頃まで戻ったようではある。多忙なちや子を励ますために、ペン立てを作っていたこともあった。

喜美子はずっと、誰かの人生を豊かにしたかった。

強い覚悟と、天賦の才能で、そうしたかった。

それではお金にならないと言われ、否定され、曲がりくねった道を経て、ここまできた。

穴窯はわがまま、好き勝手だと言われた。あの過程で、喜美子は「一人もええなぁ」と悟り切ってしまったところもある。

けれどもアンリの言葉で、自分が何のために才能を使いたいのか、取り戻せたようでもある。

「そうか、もう一個、教えたろか。芸術以外で人の人生を豊かにするもんはなんや? 人を思うことや。自分以外の誰かの人生を思うことや。寄り添うこと。思いやること。ほんで時には背負ったりすることや。あんな、誰かの人生を思うことで、自分の人生も豊かになるんやで」

そう言ってから、またいつか、800万で買いに来たるわと〆るアンリ。始まりと終わりは冗談にする。これぞ関西や。

「楽しかったで」

「うちも楽しかったです」

「ありがとう」

「ありがとうございました」

「ほな、さっさとやりぃ」

そう言われ、喜美子は粘土を練り始めます。

さて、退場となった小池アンリですが。

「あいつなんなん? なんで出てきたの?」

そういうことは突っ込まれるかもしれない。

アンリは喜美子の原点回帰を成し遂げた、ものすごい存在感だったと思います。彼女が去ったあとから何かが動いてゆきます。

大久保、さだ、ちや子、三津、そしてアンリ。喜美子人生転換期には、素敵な女性たちがおります。

三津も気になる。泥棒弟子は成功したようですけれども、彼女はどうでしょうね。

福島あたりにいると考えて、次作とバトンをつなぐとか? 相馬焼か本郷焼あたりでどうでしょう。

さて、アンリが去ったあと、こちらも何かが動き出します。

窯業研究所では、武志がタイルのサンプルを見ています。釉薬の色がまるで宝石のような美しさに見える。

その中の、あるサンプルで手が止まります。

掛井に見せると、こう返ってきました。

「亜鉛結晶釉や」

「結晶……」

「綺麗やろ」

「雪か……。花が開いたみたいやな。ええなあ……この感じ」

八郎にも【熱うなる瞬間】が訪れたようです。

そこにあるのは、繊細な結晶がうみだす模様なのでした。

三者三様、用意周到

本作は高度なことをしておりますよね。

川原喜美子。

十代田八郎。

川原武志。

メインの陶芸家3名の個性を、全部別々にする。性格を踏まえている。

豪快で、あるがままに突っ走り、燃えるような情熱がある。そんな喜美子は穴窯。モチーフがそうだとしても、その穴窯から逆算して造形しているわけです。能動的な個性があります。

短所もあるわけで、ガーっと突っ走る割には、アンリに言われてやっと相手の反応を見いだせたようなところはある。アンリは喜美子の弱点を補ったと。

心優しく、ある程度状況は計算してゆきたい。知識の蓄積が好き。そんな八郎には釉薬を選ばせる。うどん皿にせよ、和食器セットにせよ、食べる側の気持ちを察知する。そういう受動的な優しさがある。

そんな二人の子である武志は、母にはなれないと言い切り、父に接近するようではあった。それがここで、父との道とも決別した。

繊細で、雪や花のような味わいを持つ。そんな亜鉛結晶釉に心ひかれる。繊細な彼の個性らしさにあっているとしみじみと思えるわけです。

作る側もすごく大変だろうとは思います。

人物造形にあわせて、それにあう陶芸の要素を持ってくる。

しかも本作は、喜美子が絵付け火鉢に取り組んだ時期もあるから大変なはず。

準備も。脚本の仕上げも。それがあがってきて動くスタッフも。

余裕を保って挑んだことはわかります。

こんなに難しい八郎役を、朝ドラでブレイクする松下洸平さんに任せたあたりからも、本作の準備期間の長さと用意周到さが伝わってきます。

技術描写の難しさ

朝ドラは、おばちゃん向けだから主人公周辺の技術描写が甘いと言われる。そこをもっと掘り下げて欲しいなんて言われたりする。

これはどうなんでしょうね。

近年ですと、『半分、青い。』の漫画関連。

『なつぞら』のアニメーション。

『スカーレット』の陶芸。

このあたりがそう言われましたっけ。専門的用語バシバシにしたところで、文句は出ると思いますけれども。

脚本家がどの程度調べたか、セリフや用語の使い方、クレジットを見れば大体想像はつきます。

「掘り下げて欲しい」と言いたいのだとすれば、受け手の読解力の問題もあるのではないでしょうか?

この3作は、掘り下げはむしろ真面目にしていると思います。

していない作品はな……台詞や設定でコケるからキッパリハッキリわかる。脚本や下準備の時間が取れないことも、整合性矛盾が出てくるからわかってしまう。

朝ドラレビューをしていて、一番業の深さを感じるのは、スタッフが混乱しながら作っていると察知できた時でして。役者さんも疲れが顔に出ていたりするし……。

はい、そんな例として一昨年の大阪。ハリセンや日本映画史の時期がズレまくっていた。その罪滅ぼしが来年なのかな?

昨年の大阪。有毒ガマガエルを食用にする。中華麺にかん水を使わない。特許関連の法体系無茶苦茶。競合製品の値段がうどん玉しか出てこない。その他、ともかくありすぎた。

それでもこういう作品には「掘り下げて欲しい」と言われないのはナゼか? 想像つくで!

難易度が低過ぎて、見ていて何もひっかからないから。

あまりに雑で、プロの仕事を描いているとすら視聴者が認識できなくなるから。

萌えだのエロだの、餌を盛んにバラまくから。

このあたりやろなぁ。

プロの料理人が出してきたら「もっとここはこうせんとあかんやろ」と言いたくなる。

けれども、文化祭の焼きそばに「もっと焼き方っちゅうもんがあるやろ」とつっこんだら、アホやと思われますよね?

朝ドラの枠は同じ。どちらにせよ原資は受信料なのに、けったいやなぁ。

そういう心理に、見る側も陥っとる。ほんで、相手にバレんようにそういうズルする手段は、実はある。そこを悪用したんやと思いますよ。

こっちはひっかからんけどな!

私は、朝ドラを「所詮おばちゃん向けだという偏見」前提で語ることは嫌いです。

そんなことを言い訳として掲げて、手癖だけでごまかそうとするプロなんて、ありえへんと思いたい。そう信じたいのです。信じられなくなることもありますけれども。

真剣に作る人には、真剣に、偏見なしで向き合いたい。ふざけた相手には、まぁ、そういうことです……。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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