医者の大変さはあるんでしょうね。それを痛感できた気がする。医者、ましてやこの病気の主治医ともなれば、そこにいるだけで相手は緊張してしまう。普通の関係ができない。
そういうのがつらいこともあるんでしょう。テレビで病気の人物を見ているだけでもつらいのに、接するわけですから。
医療関係者への敬意がわいてくるドラマです。
喜美子は電話で武志を話します。出かけていて留守だったようです。留守電はないのかな。これから友達とたこ焼きを作るとか。
電話を切ってから、大崎と向き合います。
声は元気そうでしたけど。さて、何を聞きたかったんでしょう。そこを探りに、喜美子は動きます。
二人のたこ焼きパーティー
「どこが信楽一なん!」
「おかしいなあ」
武志は真奈とたこ焼きパーティーをしております。
「信楽一どころか日本一へたっぴぃや。このタコはな、タコに生まれたことをものすごぉ後悔してるで」
そう武志が言うのもわかる。原型とどめてへん!
これはアレやで。
関西人がどろどろしとるとコケにしがちがアレや。
「なんやあの東京のもんじゃ焼きは。こう言うたらあかんけど、アレ(※ご想像のお任せします)に似てへん?」
それになんか接近しとるで! あ、もんじゃ焼きに罪はありません。東京の方にケンカを売っておりません。ただ。関西には粉もんへの誇りがありますよね。
真奈はたこ焼きの正しいやり方を教えてと武志に言い出す。真奈をかばっておきますと、ただの不器用という可能性はありますよね。味付けは上手かもしれませんから。
しかし、武志は「やってください!」に対してこうだ。
「あかん、審査員席や。最後までちゃんとやりなさい」
こういうお料理に対して、男性がダメ出しをする。そういうメシマズ展開は、一歩間違えると古臭くて不愉快になるのですけれども。
・武志当人が料理をできる。棚上げはしていない
・関西のユーモアを交えたからかい方
・お互いむしろイチャイチャの一環のようで、怒りはない
このへんをふまえているので、リアリティもあるし、ハラスメントにもならないと思えます。
ネットの巨大掲示板のメシマズ話、漫画のものはフェイクだと思える箇所があるんですよね。
『なつぞら』を思い出しますと……。イッキュウさんは、包丁で指をボロボロにしていた。調味料の“曖昧な適量”を理解できない。そういうメシマズテンプレのような特徴がありました。
それでもおいしい。探究して頑張って作っている。彼なりに楽しそう。事前準備にウキウキしてる。
男だから、女だからだけではなくて、個々人の適性がありますからね。
大河でも、織田信長が元気に魚を捌いていました。彼なりに適性をつかんで頑張っているのでしょう。
真奈は開き直って「全部出したろ」と言い出します。武志は「生焼けやろ」と止める。そうそう、粉もんの生焼けはあかん。
「おう、あがるで」
ここで喜美子が来訪します。
母は我が子の“そういう時代”に戸惑う
「えっ、あのあのあのあの!」
思いっきり動揺する喜美子に、研究所で働いてる、事務やってる真奈だと紹介されます。
ストレートヘアーにスカートの彼女。一方、ひっつめ髪に地味なズボンの喜美子。年齢差がそこにはあります。
真奈は、はじめましてなのかと武志に戸惑ってしまう。俺に聞くなといわれ、もしかして子どもの頃会っているかもと前置きして、挨拶します。喜美子は小学校で講演会でもしていたんですかね。
大輔と真奈は同じ中学。武志は別の中学。地元は狭いようで、学区は違うと。そりゃ判断に迷いますわな。
すごいのは、こういう細かい田舎感覚を出す本作の作り手です。半端ないわ。
武志はたこ焼きのことを言い出しますが、お母ちゃんはそれどころやない!
お母ちゃんは見た!
・息子は一人暮らしやんか!
・そこに若い女の子!
・そういう時代なんか、それともああか、ああいう!
マザコン気味な誤解をしていると、母が息子に嫉妬する流れにぶっ込みかねない、そんなメディアもあるわけですが。
むしろお母ちゃん、おばちゃんは考えてしまうわけよ。自分が若い娘だった頃の、あれやこれや。
そこにはなかなか言えんようなこともある。喜美子はない方やけども。
自分の息子が若い女に取られることもつらいけれども、自分の息子が若い女を踏んづけてまうのも、母としては嫌なもんよ。女優さんが息子の犯罪に謝るとか、あるあるやん……。そこはもう、脳味噌フル回転よ。
まぁ、ここはたこ焼きを食べる流れに。
「ええの?」
「ええよぉ!」
こういうところに、川原家では深野先生が生きているのだとわかって、よいですね。
適当に座ってと言われて、居場所がなくて台所に座る喜美子がおもろい。
「いやどこや、それどこ座ってんねん」
喜美子はそう突っ込まれつつ、そういう時代、そういう時期、そういう世界……とブツブツ言っております。
ここは照子に相談せんとな! 信作? あれはええわ、むしろ反面教師。
時代は流れるもんです。陽子が信作に、ジョーが喜美子に、ドギマギしていたもの。それがする側になりました。
「どうぞ」
かくして真奈が皿にたこ焼きを盛り付けますが、喜美子は無言で戻す。気がつけば、綺麗にたこ焼きを作っているのは喜美子でした。
これも、一歩間違えると【嫁vs姑】テンプレに突っ込みかねないわけです。
喜美子は大久保仕込みかつ、手先が器用、気が強い。悪意はないし、いじめる気は1ミリがないにせよ、見ちゃいられなかったのでしょう。喜美子はこういう悪意のないキツい振る舞いがあるので。
「ほいほい、まだいけるやろ!」
そう言いながら、たこ焼きを作る喜美子は「わんこそばか!」と武志に突っ込まれる。それもそうやけども、屋台でたこ焼きを売るおっちゃんぽさもある。ほんまジョーによう似とるわ。北村一輝さんがこういう仕草でたこ焼き売ってそうやわ。
「あのぉ、うち、そろそろ帰ります」
真奈がそう言い出す。
まだ早くないかと言われると、平日門限7時、休日8時と明かされます。
「正月休みだから特別に……」
そう語られるわけです。そういう特別な時期にたこ焼きパーティーか。これは責任あるな。
家庭環境と男女の差もあるな。武志は高校卒業前、10時から終電まで交渉してましたっけ。
喜美子はここで、声を低くして、ちゃんと家までお送りして、きちんとご挨拶するよう我が子に言います。ほんまええ親になって。責任感が強くて真面目です。
けれども、真奈はそれだとどういうお付き合いか言われると断り、一人で帰れますと言うのです。
「また来週。あっ、研究所で。ほな、また気をつけてな」
ヤングの青春やな。研究所のモサっとした事務員制服とは違う、かわいらしい真奈さん。びわ湖タワーデートで終わった大輔のコメントを聞きたいところ。
「おくってきたらええやん」
喜美子は我が子にそう告げます。家まで送らんでも、途中までなら。その柔軟な母の後押しに、武志は玄関を出て行くのでした。
赤い本、赤い疑念
喜美子は一人、部屋を見ています。
本棚もカセットテープも、デッサン人形も、ボクシングのポスターも。昭和を生きる、1980年代の青年のものがギュッと詰まっている。
そこで喜美子は、赤い本を見つけてしまう。
『家庭の医学』です。
開くと、しおりでも挟んであったのか。血液の病のページが出てきます。
慢性骨髄白血病
その病名の横にある「?」。余白に書かれた自覚症状。つけられた印。
喜美子は、武志が大崎に聞きたかった問いかけを知ってしまうのです。
朝ドラの新たな境地へ
今日は3月10日――「東京大空襲」から75年目です。
『なつぞら』の奥原三きょうだいの母、佐々岡信哉の家族が犠牲となりました。そして彼らは、戦災孤児となったのです。
※あれから75年
朝ドラには、そういう記憶を伝える使命があります。
萌えだの、ほっこりきゅんきゅんだの、よりを戻したのかだの、カップルだの、不倫だの……そういうことを見せるためのコンテンツやないんやで。
我ながら説教くさくてうんざりしてはおりますが、なまじ本作が、ロングパスを引っ張るのでこういうことは言っていきたい。
NHK大阪は、ここ数年企業の宣伝をしました。
宣伝とは、視聴者の心を動かす効果を期待してのこと。
実際それで売り上げが伸びたのですから、結構なことです。いや、受信料の意義ではなくて、実験成功ではある。
難病になったことで、本作に無理矢理なかなか突っ込めないだろう……そう思っていた私は甘かった。ちょっとだけ返すで!
・「武志の病気はきっとアレやな、今流行の肺炎や!」
→そもそも呼吸器系やない。血液の病気やから……。
・「八郎はなんで厚かましく出てくるん? 不倫したのに? より戻したん?」
→不倫してないし。より戻さな再会したらあかんのか。そのへん描いてきたやろ……。
・「こういう暗いご時世や〜。難病なんて朝から見たないで〜、空気読め」
→コレな……。
暗いから病なり、苦難なりを語るなというのは、口塞ぎなんですよ。
そもそも空気読めってなんなん?
周囲にとって都合のええ人になってへらへら笑ってろってこと?
推しや萌えの話をしていればええ。楽しければええ。ほっこりきゅんきゅん。
そういう楽しいかそうでないかだけを追い求めた結果、厳しい現実対処能力がダルダルになってしまうんじゃないですかね。
蹴鞠、お茶、連歌会は悪いことじゃない。けれども、それだけしていて敗北したら、戦国時代ならば「愚将」で終わります。
これは現代人でもそうではないですか?
楽しさ追求ばかりしていたら、蹴鞠しかできない戦国武将になりませんかね?
難病を描く意図は、水島氏が言葉にしています。
神山清子さんの作品をお借りする。彼女の作品には、賢一さんへ思いが詰まっている。その思いを無視することはできないから、入れるのだと。お涙頂戴じゃないんです。誠意です。
で、これが朝ドラの新たな使命だと思うわけですが。
武志の病気は、特別なのです。
それは死に至るからではない。
テレビの前にいる視聴者でも、彼と同じ病の人を救える可能性があるから。それを啓発することを、ドラマはできます。
このドラマでは、献血ポスターが病院に貼ってあったじゃないですか。
献血ルームに行ってみましょう。その答えは見つかるから。
その答えを探す旅が、喜美子と大崎を待っています。彼らが道を切り拓くのです。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
コメントを残す