スカーレット135話あらすじ感想(3/11)芸術こそが希望

大崎先生、改めてよろしくお願いします!

かくして二人は、病院の大崎のもとへ向かいます。

「これからは俺にも言うてください」

「では、あらためてよろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」

大崎先生の治療方針

 

・今の薬の量では、効果が不十分です。

・少し入院して、抗がん剤の量を増やしたいんだけど、どうかな?

二人が握手をしてから治療方針が説明されます。

大崎はプライベートでは割とマイペースで、話がズレるのですが、仕事だと極めて明瞭に要点を伝えられるのがすごいと思います。「大崎先生を主治医にしてくれ」コールが全国で渦巻いとるやろな。

顔だけの話でもない。喋り方が落ち着いていて優しいし、佇まいに安堵感があるんですね。

こうして、一週間後に入院することが決まりました。

八郎が名古屋からやって来ております。

なんかあったんか?
そういうちょっとした違和感が、八郎もあるらしい。

どうやら電話で、ハガキ持ってきて言われたそうです。

八郎は離婚理由がモチーフと異なるとは言われております。

それには意図があるのでしょう。名古屋から葉書を郵送せずに持ってくる。愛の深い人なのです。

ハガキとは、深野先生のあの青い渦。八郎は喜び、この色、このイメージで作品作りをすると言い出します。

「お父ちゃんができなかったもん、できるんやろか?」

そう言われて、彼は誓います。

「根性なしちゃう、やると決めたらやる、これが目標、これが夢! やったるでー!」

そう叫ぶ武志。かつてそれができなかったこともあってか、別れてしまった八郎の作品作りに挑むのです。

喜美子は、夫婦仲を壊した穴窯を一時封印している中、武志の挑戦が続きます。

芸術に生きるものの業と救済

本作は、モチーフの一家から意図的に変えている要素はあります。

神山清子さんの作品はそのまま使っております。しかし、武志と八郎の場合は作風もかなり変えてあるのです。そもそも八郎は、劇中ですと陶芸家休業中ですので。

ここまで変えていると、息子の白血病こそ変えて欲しいという声はあるでしょう。あっ、離婚もか。

ただ、当然ながら話し合いはしています。

事前の擦り合わせが雑だった場合の失敗が、過去の朝ドラにはあります。2016年上半期『とと姉ちゃん』です。モデルから絶縁宣言をされ、批判されるというかなり悲惨なことになりまして。

『カーネーション』でコシノ三姉妹チェックを乗り越えたNHK大阪ですから、そこはぬかりないはず。

企業実績と乖離していても、特に企業側からクレームがつかないどころかノリノリだった。そんな一昨年と昨年はそういうことやで! 企業認定のアレや……まぁ、それはさておき。

本作が変更した上で、敢えて描きたいもの。それが芸術に生きる業と救いだと思いました。

穴窯が離婚に至る道は、まさしく芸術の業。

あのカケラを見つけ、穴窯へ導かれる喜美子。

本人は納得していたけれども、それで結果的に八郎との仲まで焼き尽くしたわけですから、残酷といえばこれほど残酷なこともありません。

『ゲーム・オブ・スローンズ』のデナーリスが、

「愛とかどうでもええ。王座や、王座の話しとんねん!」

と、あれやこれやを燃やしたり。

『アナと雪の女王2』のエルサが、

「未知の旅やで。せや、うちが他と違うんはこれを見出すためやな!」

と、納得しつつも、安寧な暮らしから離れるとか。

そういう業がメラメラとしていて、朝ドラでこれはありなのか? 救いがないような気がすることもありました。

でも、武志の白血病という試練に直面したとき、芸術こそが彼らにとって希望になって残ると思えてきた。

八郎が断念したもの。喜美子と八郎を結んだ、そんな深野先生から着想した作品。それを武志が完成させて、両親の間に残せるのだとしたら。

それは陶芸を選び、陶芸に選ばれ、陶芸家として生きた人にとっては、救済にはなるのかもしれない。

普通じゃないし、ハッピーでもない。

でも、虚しいだけでもない。そういう終わりへと向かって、このドラマは走ってゆく。それを最後まで見届けなあかん!

記憶と認識の罠

おまけです。
今日は「3.11」です。あの日から9年が経過しました。

現代が舞台の朝ドラでは描かれることがあり、『半分、青い。』ではバッシングがありました。

蒸し返すのもどうかと思いますが、お勉強になるのでやっておきましょう。

どうして『半分、青い。』の震災描写が叩かれたのか?

あの展開は、北川氏自身のプランというより、スタッフからの要望があり、話し合って決定したことです。

あれから数作を経て、見えてくることがあります。

・2018年:死傷者多数、モデル人物も回復手術をした戦時中の憲兵による拷問に対し、セクシーだと萌える投稿があり、むしろ見どころだとプッシュされていた

・2019年:夫が育児に協力的というだけで、被災孤児であるヒロインが「苦労知らずのイージーバカ女」「主演女優のかわいらしさしか描かない薄っぺらいドラマ」という声があった

要するに、これは認識能力の差です。

ローマのルクレティウスはこう言いました。

「この世で一番高い山を問われとんのに、自分が知っとる範囲の山だけで答える奴おるやろ」

唐の柳宗元はこう言いました。

「(日照時間の短い)蜀の犬は、お日様見ると怪しんで吠えるんやで」

ほんで、ルクレティウスも柳宗元はそれを厳しくこう言い切っとるわけです。

「アホちゃうか!」

朝ドラ視聴者が、自分が体験していない憲兵拷問、東京大空襲について見解がなく、事実誤認したままでいる。

その反面、育児や東日本大震災については自分の経験を起点として、批判を浴びせる。

認識外のことについて調べもせず、テキトーなことを言ってしまう。そんな人の性という罠にハマっている。それなのに、悲しいことに本人すら気づかず、元気にSNS投稿をしているわけです。

こういう認識能力の罠につけこもうと思えば、簡単っちゃそうですよね。

せやけど、そこを悪用してええんか?
いかんでしょ。それやで!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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