1999年(平成11年)秋。
未来の見えない平成不況の中、アラサーとなった楡野鈴愛は、漫画家を断念して明日の見えない生活を送っていました。
100均で時給750円というバイト生活の中、鈴愛は森山涼次と運命的な出会いを果たします。
出会ってたったの、六日。
それなのに、二人は結婚すると誓い合ったのです。
そんな突拍子もないこと、周囲は理解出来るはずもなく……。
【89話の視聴率は21.6%でした】
もくじ
むしろ気を揉んでいるのは宇太郎のほう
心配性の晴さんは、結婚報告に対して「へえ〜、うん、わかった」と意外とアッサリ聞いています。
むしろ気にしているのは、宇太郎のほうです。
騙されていないのか! 一体いくつか! 初婚なのか! どんな奴か!
と矢継ぎ早に聞き出そうとします。
晴はそのうち連れて来るって、と軽く受け流します。
100均大納言には、店長の田辺が戻ってきました。そして自分が戻ったら客も減ったとボヤきます。
顔が怖いからだと鈴愛がいうと、ガラスの五十代なんだからとぼやく田辺。
しかし鈴愛は怒っています。一番忙しい時に放り出してなんなのか!
ここで田辺、クレソンと鴨の鍋セットをお土産に買ってきます。
「『失楽園』ですか?」
うわぉ!またまた本作、攻めてきましたよ。
当時、流行の不倫小説に出てきたあの鍋やで!
今にして思えば何だったんだろう、あのブーム。いやそれより何より、本当に失楽園していたのか、田辺め〜〜!
涼次の母は四姉妹の長女だった
ここで田辺の口から、涼次の生い立ちが語られます。
あの強烈オーナー三姉妹は元は四姉妹で、長姉(ちょうし)が涼次の母だったんですね。
わずか三歳で両親を失った涼次は、祖父母やあの強烈な叔母たちに育てられた、という。
結婚相手の生い立ちですから気になりそうなところですが、親戚まで頭が回らない鈴愛はあまり興味がないようです。
ともかく両者心変わりしないうちに結婚したいのだと。
しかしナゼ、鈴愛はそこまで焦って結婚するのか?田辺にそう問われ、11時25分を気にする人生が嫌になっていました、銭湯が閉まる12時を逆算して入浴する人生は嫌なのだと答えます。
「そんな黒い本音、言ってもいいの?」
そう問いかける田辺に、【通りすがり】の人だから言えることもあると返す。
いろいろと疲弊しているんだと思います。こういうヒロインが本音を吐くことで、性格が悪いだの、計算高いだの突っ込まれそうですが、鈴愛は逆に何も考えてないんでは……。
それより彼女は、今日、涼次のお見舞いにお泊まりグッズ持参で行くのウフフと打ち明けます。
おもむろに歌い出す田辺。先程は『瀬戸の花嫁』でした。
かなり時代が進んでいますねえ。
売り物扱い、不良品扱い
岐阜の晴さんは、畳の上にお守りをたくさん並べています。
風呂から上がった宇太郎が、神さま同士が喧嘩するぞ!とツッコミ。八幡宮まで行ったそうです。
ここで夫婦の違いがありまして。
宇太郎は職業や年収を気にしています。娘を安売りしたくないんですね。親心だとは思いますが、それでも娘を売り物扱いしてしまうのは寂しいですし。
一方で晴は、三十路手前で左耳が聞こえない鈴愛なら、もらってくれるだけで御の字という態度。これも、娘を不良品扱いというか、そういう感じで悲しい。
楡野家の人々が特別悪いわけでも何でもないのですが、娘って何なのでしょうね。
ここで二人は、自分たちの結婚について言い争いを始めます。
【トウのたった娘をもらってやった】という認識の宇太郎と、私は【モテモテだった】という認識の晴が喧嘩になってしまいます。
それを聞いて、仙吉も呆れ気味。
なんだかシリアスだけどコミカルというか。変に演技していないような、自然な様子で、視聴者にとっては楽しいケンカって感じですね。
鈴愛と祥平は水と油
さて鈴愛ですが、いよいよ涼次の部屋にやってきます。
【クールフラット】って会社名なのぉ、キャキャッ♪と浮かれ調子で奥の部屋に行きますと……。
出たーーーーーーー!
元住吉祥平さーーーーーーん!
いやぁ、出てくるだけで笑わせる、しかも二枚目って、斎藤工さんしかいませんね。
いざシリアスな場面になったら、それはそれでこなせもするし、こうして少しファニーな空気も出せる。
涼次は「世界の巨匠なんだよ」と浮かれて紹介するのですが、両者の間には絶対的に気まずい空気が漂います。
鈴愛は変な名前というし、祥平はロングカーディガンを勘違いしてコートを脱げというし。しかもこの部屋暖房ないし。
互いの性格に問題があるというより、反発する要素があるのでしょう。
草太のお相手は10才年上のバツイチ子持ち
そのころ岐阜の草太は、姉の結婚でてんやわんやの隙をつき、自分もサックリと便乗結婚したいようです。
なんだその作戦、『真田丸』みたいだな!
って理由を聞いて納得です。
お相手は10才年上のバツイチ子持ちだそうで。そりゃあ、そうしたいですよね。
仙吉さんはその策を打ち明けられて、
「なんで俺なんだよ!」
と大慌てです。
さらには、その子供は草太のか?と慌てています。
この年代なら、そういう女性と結婚するならそのくらい理由があると思っちゃいますよね。
でも、草太って、なんだかわかる気がするなぁ。
年上から好かれそうだし、若さとか美貌とかそういうことじゃなくて、相手の誠意や優しさが好きなのでしょう。
それに連れ子のことも可愛がりそうですよね。幸せになれよ、草太!
「二人はゲイか? この結婚はめくらましだな!」
と、たった15分なのに今日も濃度がギューギュー。
まだまだ終わらないのです。
鈴愛たちはキッチンでコーヒーを飲んでいます。
二杯目を涼次に淹れさせて飲み始める祥平に対して、鈴愛は口をつけません。
どうした?
1グラムコーヒーに慣れて濃すぎるの?
と思ったら「コナコーヒーは口に合わない」なんて強がりのような嘘をついてます。
涼次は甲斐甲斐しく、二杯目はミルク入れますよね?と祥平に尋ねます。
と、ここで鈴愛が唐突に爆弾発言を投下します。
「わかった、二人はできているんだ! ゲイか? この結婚はめくらましだな!」
なんか『ブロークバック・マウンテン』で似たような場面があったような。
「釣りなんて嘘でしょ!」
って奥さんがいう場面だ。
しかし、こんなところで時間切れです、とナレーションの廉子さんが宣言。ああ、なんてこと。
今日のマトメ「ノイズが生を与えてくれる」
朝っぱらから清々しいくらい全力疾走しています。
もはや本作は、
「朝、目覚し時計代わりに見る、ゆるくてヒロインが爽やかで可愛い。それが朝ドラ」
というお約束を、ゴジラのようにバリバリと当たり前のように先入観をぶっ壊しました。ま、今更ですけど。
朝から【鴨とクレソン鍋】で軽いジャブを入れつつ、草太の結婚への謀略。
そして最後は「2人はできているんだ!」の爆弾発言。
どういうジェットコースターだ!
草太の結婚なんてこの怒涛の展開でかすんでいますが、これもなかなか異端でして。
普通、主人公のきょうだいなんて、大抵は安パイの女性と、ごく普通の結婚を済ませておくものです。
楡野夫妻の会話も生々しく、朝ドラにおける両親とは人畜無害がお決まりで、笑顔でニコニコ娘の成長を見守るわけです。
確かに嫁いびりする『マッサン』なんてのもありますし、『純と愛』と『まれ』は意図してBADな両親にしていましたが、本作の場合は別にそういう悪い人でもない。
普通の善人が【結婚については娘を売り物扱いにしてしまう】という毒を盛り込んできました。
まぁ、当時の価値観・結婚観かもしれませんが、それでも安パイには逃げていない。
それが証拠に、涼次と祥平を前にして、この世界には男同士が同居していて、かつ偽装結婚がある世界なのだとぶちかましてきた。
確かにボクテの時点から、そうした姿勢は明らかではありました。
ただ、やっぱりこういうのは朝ドラの壁破りです。
朝ドラというのは、世界にあるはずのノイズを排除します。
例えば、戦前戦中舞台の朝ドラであれば、周囲に中国大陸、朝鮮半島出身者がいなければおかしいのです。
この点についてシビアになれば、相当レベルの高い『カーネーション』ですら、一人として出てこない。それはやはり不自然です。
『わろてんか』では、誰一人として満州の映画制作について語らず、外国映画を作るという話になると、戦火に巻き込まれていたヨーロッパにまで登場人物を逃して、話を逸しておりました。
私はここが結構気になりまして。
次の朝ドラ『まんぷく』では安藤百福という台湾ルーツの人物が主人公になります。
そこをどう描くのか?今から注目しています。
……と、話がそれてしまいましたが。
本作は平成の不況、ヒロインを縛り付ける年齢の呪い、性的マイノリティ、昭和的価値観の毒、そういったものを全部、逃げずに入れてきてすごく頑張っている。
だからこそ私も含めて多くの視聴者さんたちがここまで夢中になれるのだと思うのです。
★
ところで皆さん、モーションキャプチャってご存知ですか?
野村萬斎さんが『シン・ゴジラ』でゴジラの動きをこれで撮影したとか、『ホビット』シリーズで、ベネディクト・カンバーバッチがスマウグの動きを撮影したとか。
要するに、ピタピタのスーツにモーションを感知するセンサをつけて、その動きをCGやアニメに合成する技術です。
映画だけではなく、プリキュアダンスになんかも使われています。
この技術はものすごく動きが生々しくて、ちょっと引いてしまうことすらあるほど。
どうして、単なるCGより生々しいのか?と申しますと、動きにノイズが入るからなんだそうです。
ただのCGならば、右腕だけを綺麗にあげるモーションができます。
実は、そちらの方が綺麗です。
ところが、人間が体を動かすと、右腕だけを綺麗にあげるということは、なかなかできない。
左腕や足、人体の他の部分も反応して、動いてしまうのです。
こういう無駄な動き、「右腕だけをあげる」以外の動きも、モーションキャプチャならば拾って、反映させる。それが、動きのぬるぬるした生々しさにつながり、見ている側を惹きつけるのだそうです。
本作には、
【そこは別にいらないのではないか】
と感じるほどノイズが入っていて、生々しい魅力を視聴者の五感に染み渡らせているんではないでしょうか。
一見関係ないようで、そこがまるでモーションキャプチャを使った映像のようだ。
私は思うのです。
◆著者の連載が一冊の電子書籍となりました。
ご覧いただければ幸いです。
この歴史映画が熱い!正統派からトンデモ作品まで歴史マニアの徹底レビュー
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
なるほど。
ともすれば「青い」方を描くか、あえて「青くない」部分を描くか。
・・・
この物語はその両方をバランスよく描こうと云うことかな。
今日は13日の金曜日 カオスの極み あさいちも暑苦しい松岡修造とNHK掟破りで爽やかな朝路線から離脱か トランプ登場で予測不能なことだらけの現実と対峙し世俗を超越したか まあ3連休の人も多いだろうから許容されるかも
そうそう、鈴愛がりょうちゃんのアパートに持ってきた紙袋を落とすシーン、自分は偶然起きたことをそのまま残した、
と考えたのですが、武者さまの解説を拝読し、ああこれもリアル感を出すための意図的なものかもと。恐ろしい。突拍子もない展開なのに、それぞれのセリフに違和感が無い。これから斎藤工さんが、どのように存在感を増していくのか、今日の鈴愛との絡みで楽しみになりました。
本作は、朝から
全力”疾走”ではなく
全力”失踪”してしまっているのでしょうか?
************
ノイズのお話、その通りですね。
「動き」だけではありません。
例えば声
名優による朗読劇
音声読み上げ機能に読ませる朗読劇
例えば音楽
名演奏家が奏でる音楽
MIDIに打ち込んだ音楽の再生
機械は完璧です。句読点における間の取り方すら数値でプログラミングされていてブレません。噛んだり、つっかかったりもしません。
でも聴いている方は疲れはしても感動はできません。
「ブレ」が私達に呼吸する間を与え
過去の記憶とシンクロさせる余裕を持たせてくれるのだと思います。
デジタルには無い、アナログの味わい、といったところでしょうか?
>本作には、
【そこは別にいらないのではないか】
と感じるほどノイズが入っていて、生々しい魅力を視聴者の五感に染み渡らせているんではないでしょうか<
そうそう、ノイズとか揺らぎ、ブレ、です。人間にはそういう所が沢山あります。
良い解釈だと思います。