子連れの出戻りヒロインはおとなしくしおらしく――そんな、お約束は知らん!
とばかりに、いつも元気でドンッと構えている鈴愛。
岐阜の実家で「つくし食堂」2号店をオープンさせることにした彼女は、祖父・仙吉の特訓で五平餅作りも完璧にこなすようになりました。
仙吉の言葉もあって、娘の花野に漫画家としての過去を打ち明けることにも成功し、さぁこれから~というときに、勇気と優しさを持つ祖父の仙吉は、曾孫の花野を抱えたまま大往生してしまうのでした。
【119話の視聴率は21.6%でした】
もくじ
花野がいないと思ったら遺骸の横で!
仙吉の葬式です。
鈴愛の横には、少し遅れて律もやって来まして、一礼。晴がここでとんでもないことに気づきます。
花野がいない!
葬式の最中にそのことを伝言ゲームのように聞いた鈴愛も、思わず「はぁ?」とびっくり。
なんと花野は、仙吉の遺骸の横で寝ておりました!
大物というか、何というか。花野は「おーちゃん(=仙吉)冷たかった!」と一言。
鈴愛は、おーちゃんは死んだ、もういないんだ、と言います。
続けて、あの夏、飼っていたカブトムシのようにと説明すると、偶然、通り過ぎた晴が、もっと他に言い方あるだろと突っ込みます。
「おじいちゃあああん!」
仙吉の亡骸を前に、真っ先に激しく号泣したのは健人でした。
「本当のおじいちゃんみたいだった」と泣き叫ぶ彼の姿を見て、思わず宇太郎も「泣きづらいわ」とボソリ。
これ、面白いんですけど、なかなか奥深いです。
外国人の方が日本の葬儀を見て驚くのは「参列者があまり泣いていないことだ」と聞いたことがあります。葬儀で号泣するプロの方もおられた国や地域もあるとか。
確かにそうかもしれない。
特に仙吉の場合、誰もが感心する大往生ですからね。健人の号泣は、カルチャーギャップというわけかも。
「健人、仕方ないぞ。カブトムシも死ぬからな」
ここで次なるギャップが登場。
花野です。
「健人、仕方ないぞ。カブトムシも死ぬからな」
このセリフも面白いなぁ。
フツーの朝ドラというかいい子ちゃんドラマなら、
「健人お兄ちゃん、仕方ないよ。カブトムシも死ぬんだからね」
ぐらいでしょ?
年上のお兄ちゃんを呼び捨てにして、女の丁寧な言葉を無視。母の鈴愛にもそういう傾向がありました。
女の子はおとなしく、可愛らしくなんてルールなんて関係ないのです。
そのときフッとおじいちゃんが笑ったかのように見えました。
晴が指摘すると、草太も賛同。皆で、大往生、お疲れ様でした、うらやましいくらい、と褒め出します。
健人からすれば”Why Japanese people!?”かもしれない。だから泣き出さないのね。
日本のお葬式ってコメディ映画の題材になるくらい独特です。そういう面白さが、伝わって来ます。
そりゃ心がアメリカンな健人からすれば不思議ですよ。
※映画「お葬式」劇場予告
仙吉の死を消化しきれない花野
鈴愛が洗い物をしていると、花野が母親を呼びます。
「ママ、来てぇ〜!」
仙吉の死後、花野はちょっと変。
「あっという間に来てといったら、あっという間に来て!」
と、眠れないゆえに騒ぐのです。
鈴愛が横に来ると、死んだらどこへゆくのか、天国か、と聞いて来ます。
死んだことないからようわからん、と鈴愛。それでも、何もこわない(怖くない)と。
生まれてきて、生きて、死んでゆく。それが当たり前のことだと自身も諭すように語りかけます。
むしろずっと生きとったら怖い。四百年や五百年生きていたらドラキュラや。死ぬのはこわない。
花野もカブトムシは怖がっていなかった、と納得します。
死んで花野が元気なくなるならおーちゃんは悲しむぞ、と続けると、逆に「おーちゃんはどこにいるのか?」と突っ込まれ、最終的に鈴愛は「カンちゃんの心の中にいる」と結論づけます。
死んでも人の思いは残る。
生きている人々を助け続ける。
そう説明する鈴愛でした。
和子も、何か始めたくなった
そこへ、和子と律が弔問に来ます。
鈴愛たちは、新しい店を見に行っております。律が新しい店は順調かと尋ねると、来月にはできあがると晴が答えます。
きっと仙吉さんも新店舗が見たかったろうなあ、と話していると和子はこう言います。
「ええやないかね、楽しみにしたまま逝くのもええやないかね?」
和子も、何か始めたくなったようです。
実は持病があり、この先短いとされる和子。そんな彼女も、仙吉が鈴愛に五平餅を教えたように教えてみたい、誰かと何かを始めたいと願っているのです。
どうせ先は短いのにと自嘲すると、律は言います。
「そんなことないよ」
律も、鈴愛が仙吉の思いを得て跳ぶように、母の思いを伝えるのでしょうか。
お店の名前は絶対ナイショ!
さて、仙吉の夢でもあった2号店では……。
宇太郎、鈴愛、健人、そしてブッチャー父・満が盛り上がっております。
出番自体はそこまで多くないのに、いつ見てもやけに濃い健人と満は、本当にラーメン二郎や天下一品ばりに濃厚です。
店の名前をどうするのかと宇太郎に尋ねる満。
本当は、仙吉がつけるはずだったんだけどなあ、しかし、あんなふうに眠られちゃったらなあ……今頃、廉子さんに会っているよ、と言います。
って、そういえば今日は廉子さんのナレーションが少ない!
本作のナレーションって、昨日みたいに多いときと、今日みたいに少ない時とで別れます。
そこも廉子さんが見守っているんだなあ、と面白い点でもあるのです。
ここで実は生前、仙吉が花野にだけ店の名前を託していたことが判明!
早速、大人たちが店名候補を尋ねてみると、
「ナイショ!」
とにべもない返事のカンちゃん。
彼女はおーちゃんとの約束を守ります。
そうだよなぁ、カンちゃん、おーちゃん、ココンタの秘密だったもんなぁ。
母の鈴愛が心臓強く愛をこめて説得すれば吐く――というほど本作の子供は甘くないんです。
聞かれても絶対に言わん。面白い。
何のヒネリもない律の誘導尋問
孫である鈴愛も、草太も、結局名付けられない仙吉のコンプレックスと、花野の律儀さで、まるで名前が最後の謎みたいになってきました。
もしもこれが典型的なイイ子ちゃんの朝ドラヒロインなら、花野が話すのを笑顔で待つかもしれませんね。
徳川家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」です……って、本作にそれは「らしく」ない!
鈴愛はそんな良い子ちゃんではありません。
織田信長の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」は流石にアカンので、豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」で行こうやないか。
てなわけで「鳴かせてみせよう」の手口は、花野と仲のいい律を使って聞き出すことでした。
早速、電話で律にその策謀を相談していると、お風呂に入りたいと花野が通りかかります。
チャンスとばかりに娘を捕まえる鈴愛。
ママも聞きたいと若干野望をギラつかせつつ、律と電話を替わります。
しかし、律は何のヒネリもなしに「お店の名前はなぁに?」と軽く聞いちゃうのです。
すかさず、その策略は何だ、もっと頭を使え!とキレかかる鈴愛。
あぁ、懐かしく愛おしいキャラが甦ってくるわぁ。
2016大河『真田丸』の真田昌幸と、2017大河『おんな城主 直虎』の井伊直虎って奴ですわぁ。
鈴愛には、やっぱり戦国武将の血が通っている。
律の何のヒネリもない誘導尋問に対し、花野が「ご、へ……」と二文字だけ呟いたところで放送終了!
続きは明日だ!
今日のマトメ「彼らの声を伝えるのは」
健人もビックリするであろう、日本のお葬式。
確かに仙吉さんくらい大往生だと、こんな雰囲気ですよね。ちょっとコメディタッチにしているところが面白いです。
皆さん美男美女なのに、日本地方のお葬式の雰囲気、田舎ぽさ、出ています。
花野がいないと伝言ゲームとか、思わず叫ぶ鈴愛とかあるあるですわ。
それと仙吉の名前を聞くために策謀をやらかす鈴愛。ストレート過ぎる律、それを叱り飛ばす鈴愛に笑いました。
草刈正雄さんの真田昌幸もこういう性格だった気がする!
今日、しんみりしたのは、鈴愛の死生観でしょうか。
和子との台詞とセットになって、グッと来ました。
これから先が短いかもしれない。
そんな悲しさを背負う和子は、だからこそ仙吉のように途中のまま、前のめりで生きたいのだと思うのです。
そういえば彼女は、病気と気遣われたくないとも言っていましたね。
それでもさりげなく気遣う鈴愛の優しさには喜んでいました。
病気になった人を、真綿でくるむように接するか?
決まり切った結末だけ見せて生きるようにするか?
重大な問いかけです。それがよい子の朝ドラの気はしますが、病気を抱えた当人たちはどうなのかなんて、なかなかわかりませんよね。
弱った人。
この世界を去った人。
そんな彼らの声を、深く踏み込んで語る人がいるからこそ、本作は覚悟のある作品となるのでしょう。
そういうところが、つくづく私は好きなのです。
◆著者の連載が一冊の電子書籍となりました。
ご覧いただければ幸いです。
この歴史映画が熱い!正統派からトンデモ作品まで歴史マニアの徹底レビュー
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
カブトムを例に出すのが鈴愛らしい 蝉で説明したら人生の苦労と生死の儚さ はかなさ を示す普通の人なのでしょうが