出戻り子連れシングルマザーはおとなしくすべし――なんて通用しない!
楡野鈴愛、37歳。
実家の「つくし食堂」2号店である「センキチカフェ」をオープンさせて、五平餅を焼きます。
一方、萩尾律の母・和子は病に苦しんでいました。
主治医のキミカから、何かやることがあればいい……と聞いた鈴愛は、あることを思いつくのです。
律に、和子にお願いしたいことがあると頼みこむ鈴愛。一体何でしょうか。
【122話の視聴率は22.5%でした】
もくじ
ココンタから着想!犬を置いて話をさせよう
今日も力強い鈴愛宣言から始まりました。
「ここに犬を置く!」
寂しいから招き猫でも置こうかと思っていたけど、電車といえば「忠犬八ハチ公」もいるぐらいだから犬にするんですって。
ブッチャーの「ハチ公は渋谷駅だけじゃね?」というツッコミは華麗にスルー。
糸電話のときみたいに、とんでもないことになるという指摘も続けてスルーです。
名前はズバリ、そのまんまの「岐阜犬」。
花野に描いたキャラクターをベースに、つくし食堂のペットキャラにするようです。
それもココンタを使って花野から店名を聞き出した時の策をヒントにしたのでしょう。
腹にスピーカーフォンを入れ、お客さんと交流できる犬にするのだそうです。
なんだか面白そうですね。
昨日も書きましたが、こういうアイデアの根底には、左耳が聞こえない鈴愛の障害が元にあります。
そこを感動お涙路線にしないことが本作の良さです。
岐阜犬の応対を和子さんにお願い
「それならば電話回線よりネット回線でやったほうがいい」
と鈴愛のアイデアに改善策を出してきたのが律。
そうそう、2000年代って電話を取り囲む環境も変わりましたね。
時代ならではの技術を入れ込むところも上手で、スマホの普及が2010~2011年ぐらいでしたのでちょうど今は前夜ですね。
少し過去を振り返ってみれば、鈴愛が上京したころ、小銭をじゃらじゃらと積み重ねてピンク電話に向かっていました。
時代は凄まじい速度で変化を遂げていきます。
手抜きドラマじゃあ、放置されがちな細かいところでもキッチリ描く本作。生活に根ざした詳細な部分が、実は人の生活や心の在り方に大きな影響を与えていますもんね。
たとえば今の学生さんには「好きな人の実家に電話するドキドキ」ってのがない。そのぶんLINEやSNSでの愛情表現が生まれている。目まぐるしいです。
と、ここで気になるのが、岐阜犬の「携帯の応対は誰が担当するのか?」ということ。
誰かと思えば、鈴愛が和子さんにしたいと言い出します。
キミカから受け取った課題として鈴愛が考えた、和子さんのやることっすね!
しかし……ちょっと気になることが……。
和子は岐阜犬としてリアルタイムで応答をするのでしょう。
そして、その和子が不在となる日が来ることも、なんとなく予感させます。
そのとき律の技術があれば、録音音声をもとに自動応対できるロボットなんてのも作れたり?
これ、結構重要だったりして?
イラ立ち、作業に集中できない弥一
その和子は、弥一特製のリゾットを食べておりました。
出汁が出ていて、高いフルーツトマトも使っているのだとか。
お茶だけじゃない、リゾットも上手だという弥一さん。
仙吉や律からも感じることですが、本作って男性の殻も破るようなところがあります。
典型的な朝ドラでは、妻が病身の夫に手作り料理を作るイメージはありますけど、こういう逆パターンってかなり革新的だと思います。
「和子さん、どこかに行きたいところはある?」
弥一がそう言うと、和子はここがいいと答えます。
弥一、律、梟町の側、ここがいい、のだと。
「そう」
と答える弥一の気持ちがわかるのは、律の目を通してから。
現像作業を行う弥一は、ピンボケになってしまうと苛立ちます。
集中できないのです。
そんな父を見て、律は言います。
「ちょっと外出たら?」
気遣う息子に対し、お前は大丈夫なんかと尋ねる弥一。
律は、会社あるし、名古屋に行くし、電車に乗るし大丈夫だと笑顔を浮かべます。
ああ、なるほど、出勤が気分転換なのですね。いつも家にいる弥一のように、弱りゆく和子と常に向き合っているわけではありません。
「センキチカフェ」って色々と詰まってる
鈴愛は、岐阜犬ぬいぐるみを作成中。
そこに「花野は宇太郎と寝た」と晴が告げながら来ます。おーちゃん(仙吉)から宇太郎にうつったわけですな。
ぬいぐるみ作りは、服飾専門学校出身のナオちゃんに習ったそうです。
鈴愛の野望「センキチカフェ」って色々と詰まってますなぁ。
インテリアは宇太郎の趣味。
物件はブッチャー父子が手配。
マスコット岐阜犬ぬいぐるみは、ナオちゃんの指導あり。
亡き仙吉は、ネーミングや五平餅指導だけではありません。鈴愛の漫画家としての過去を肯定することで、岐阜犬のデザインへの道を拓いています。
「センキチカフェ」は、鈴愛の人間関係、過去、そういうものが全て詰まっています。
こういうのも、アリなんですね。
気になる点と言えば、律の要素が少なめなところ。これから追加されるのかな?
そんな風に思っていたら、鈴愛は「律と和子を助けたいのだ」と言い出します。
幼い頃から、マグマ大使の笛で助けられてばかりだったから、と。
そこで晴は、和子から告げられたことを伝えます。
マグマ大使になれたからこそ、律は英雄になれた。支えたい、助けたいと思うと、自然と強くなる。子を産むとき、母もそう思うものだ。
さらに、こう続けます。
律は、自分の家族と離れているからあまり支えにならないようなことを、晴は言うのです。
ここで鈴愛が即答。
「律の家庭もうまくいくとええと思ってる」
「友達? 親友? 何やろ、もっと特別や」
はい。
田辺店長もハマった『失楽園』ルートをヘシ折りましたね。
ネットニュースや反応を見ていると、より子が怖いことから、鈴愛とのバトルを期待するような空気も感じました。
清と鈴愛の、律を挟んでの三角関係は熱かったですもんね。
しかし、本作はそうはいかない。
鈴愛は、律を大切に思うからこそ、家庭的にも幸福になって欲しい――そう願うことで、鈴愛も律のマグマ大使になったのではないでしょうか。
「ええ友達、ええ親友持ったな」
晴はそう言います。
晴としては娘の気持ちを思うからこそ、より子とのギクシャクした関係について述べてしまったのかもしれません。
「律は友達? 親友? 何やろ、もっと特別や」
そう言う鈴愛ですが、うんうん、その特別な絆を私達は楽しませてもらっています。
「そういうのは人生あんまりないことや、大事にしなよ」
晴はそう告げるのでした。
ここで鈴愛、律に頼まれたことを思い出します。
ぎふサンバランドのボディコン姉さん再登場!
場面変わり、鯖の煮付けを作りながら宇太郎が悩んでおります。
てっきり煮付けのことかと思ったら、どうやら律の依頼であった「弥一を外に連れ出す方法」についての悩みだそうで。
繊細な弥一だけに、宇太郎のように単純なノリではいかないんですね。
そこへ、懐かしのあの人が登場!
ぎふサンバランド誘致を誘ったボディコンお姉さんの瞳が、地味になって再登場です!
本作の衣装センス大好きなんですけど、あのボディコンのお姉さんが、むしろノーメイクでナチュラルな、だぼっとした服装になったのもいいですね。
ああ、あのボディコンは仕事で無理に着ていたんだな、ということがわかります。
彼女がここまで来た理由は、去り際に食べた仙吉の五平餅でした。単なる味だけではなく思い出なんですね。
どんだけ仙吉の徳が高いのか。
思わず遺影の中でもデレデレして、横の廉子さんが「鼻の下を伸ばして」と突っ込むほどです。
瞳はボディコンリゾートは辞めて、別の旅行代理店で働いておりました。
今回は、中学生の修学旅行下見に岐阜まで立ち寄ったついでに、ここまで来たわけです。
あのときはお騒がせしてすみません、とぺこり。
これに宇太郎が、何か思いつきます。
バブルや!
「おしゃれ木田原」の五郎さん、ブッチャーの父・満らも来て、「ともしび」で何やら作戦会議中。
瞳にまたも、派手なピンクのボディコンを着せるようです。
これでいいのか?とワイワイ揉めていると、五郎が「露出度多けりゃ男にはええ」とにべもないコトを言います。妻の幸子が、今はセクハラで捕まるよとぴしゃり。
そうそう、バブルと2008年では、そのへんの感覚もかなり違います。今は更に変わってますね。
かくして仙吉四十九日もかねて、ぎふサンバランドアゲインとでも言いたげな会合が開かれます。
あの弥一さんでも、この会に参加してしまうのです。
バブルや!
ミラーボールにランバダが流れる店内は、まさにバブル!
一方、弥一が留守した萩尾家では、弥一がオシャレして出かけたと話題になっております。
「何を企んでる、律?」
そう和子さんが尋ねます。
今日のマトメ「支えたい気持ちが自然と人を強くする」
今日も革命だぜ、本作!
まずはこちら、本作のテーマソング『アイデア』の歌詞をご覧ください。
↓
うたまっぷ.com
歌詞がすごいです。
朝ドラオープニングで流れる1番にはない、ダークな世界観があります。
世の中そうそううまくいくばっかりじゃねえ、中指立てないとな、みたいな。これはすごい。本作ファンなら必読&必聴です。
さて本日は、和子を支える弥一にも注目が集まりました。
弥一も、仙吉も、それに律も。
本作の男性像って、朝ドラとして新しいと思います。
支えたい、助けたいと思うと、自然と強くなる――
この劇中のセリフ通り、彼らはそういう強さを持っています。
妻にリゾットをせっせと作る弥一を、尻に敷かれた情けない夫なんて、言えますか?
弥一は、妻を支えたい、助けたいと思うことで、強くなろうとしている。英雄になろうとしているのかもしれませんよね。
それだけでは疲れるから、律が息抜きさせてあげます。
今にして思うと、NHKの好きな戦前成功マダムといい、夫婦が出てくると大抵夫が先に亡くなっておりました。
例外は、史実で妻に先立たれた『マッサン』くらいです。このドラマも、妻に先立たれた夫の奮闘は最小限のまとめ方でした。
しかし、それって現実的でしょうか?
通常の朝ドラヒロインみたいに、(設定はともかく)演じているのはせいぜい20代の美しい女性が、甲斐甲斐しく夫を見送る――非現実的ですよね。
弥一のように、夫が弱りゆく妻を支えることだって、当然あります。
先立たれて、思い続ける仙吉のような例もあります。
今日見ていて思い出したのは、このニュースです。
◆りゅうちぇるは「常識」に流されない 男も女も関係ない夫婦像
女性が男性の「胃袋をつか」んで、結婚「してもらう」とか、妻に家事をやってもらうことで夫は「大切に扱われている」と感じ充足感を覚えるとか、そもそも妻が家事をするのが普通で夫が「手伝ってくれ」たら褒めるべきとか、そういった「常識」がこの社会では形成されてきたが、りゅうちぇるにとってはそんなもの、どうだっていいのだろう。りゅうちぇるとぺこは、男も女も関係ない(性別役割のイメージに捉われない)対等で尊重し合う夫婦像を見せてくれている。
考えてみれば、絶品レシピで胃袋を掴んで人脈広げ、鈴愛の店を持たせ、瞳まで呼び寄せているのは男性である仙吉ですね。
支えたい、助けたいと思うと、自然と強くなる――
というのも、ヒロインにばかり適用されてきました。
NHK大阪の戦前マダムもので違和感キツかったのは、女性実業家として成功、資産家だしおそらく家事育児も使用人にさせていたであろうヒロインが、
【家を守ることまでやらされていた】
点です。
大傑作『カーネーション』みたいな例外もありますが。
本作はそこを崩すどころか、男性人物の成長要素にブン投げたところも、革命だと思います。
弥一みたいに、一番大切な相手が困っているとき、好きな料理で励ましたいのは、男女問わず人にある気持ちじゃないですか?
男だから台所になんか立てないと、弱り苦しむ妻を、放置できるんですか?
弥一は、そう問いかけているようにも思えました。
ただ、鈴愛も支えたいと助けたいという思いはあります。
その相手が、夫や子供だけではない点が、本作の特徴です。
本作を見ていて、思い出した話があります。
宇太郎さんと同年代、ある男性の話です。
彼は書道が趣味で、地元文化祭に出展、依頼されて賞状等を書いていました。
彼にはとある同年代の女性がいました。高校時代の書道部仲間で、つきあったこともあります。
実はお互い、結婚すら考えていました。
しかし、彼の家のとある属性が、彼女の家に嫌われ、互いに別人と結婚することになったのです。
二人は互いの伴侶と、幸せな家庭を築いていました。
それから何十年も、彼は彼女のことを家族に時折語っていたそうです。古いアルバムには、筆を持つ二人の写真が残されていたとか。
彼は書道教室の教師となった彼女を懐かしみ、よく手紙を送り合っていました。彼女が文化祭で出展したら、必ず見に行き、その年は自分も出展したのだとか。
彼らは年に数度、お茶を自宅で飲みながら、書道について語っていました。
そんな彼女が亡くなってから、彼は筆を執ることはなくなりました。あれほど愛した書道をやらなくなったのです。
彼にとって、生涯を捧げた書道とは、彼女と繋がるための手段だったのかもしれません。
この二人、もしかしたら。
鈴愛と律だったのかも……。でも、ご家族にそんなことをなかなか聞けませんよね。
だって親に、「他に運命の人、特別な相手がいたのか」なんて、聞けませんから。
私は思うのです。
運命の相手とは、実は思ったよりこの世界には多いのかも。
しかし、そんな相手同士も結婚して子供をもうけない限り、残らないのでしょう。
当人たちの記憶のみにとどめられ、消えてしまう。
子作りした男女、若くして子作りできる相手を手にした異性愛者だけが、本物の愛を得た生産的な人々だと。
そんな考え方に、本作は挑んでいる気がします。
いや、宇太郎と晴、仙吉と廉子、弥一と和子には愛がありますよ。
でも、子持ち夫妻の彼らだけではないでしょ?
秋風先生と菱元。
同性愛者のボクテ。
秋風塾の三人。
涼次と祥平の、クズかもしれない映画コンビ。
そして鈴愛と律。
彼らが結婚し、子に恵まれた男女ではないから「愛とは無縁の人生でした」なんて言われたら本作ファンは怒るでしょう?
それこそが、本作の開いた扉の気がします。
そんな風に、誰かの人生に愛があったか、限定要素で決めつける世間を拳で打ち抜いたのだと。
何が正しい愛かなんて、他人にはわかないはず。
しかし、朝ドラの文法でいけば答えは明白。
子をもうけた夫妻が正しいのです。
不倫を扱う勇気ある『カーネーション』のようなドラマもありましたが、あくまで例外でした。
そこへ、本作の鈴愛と律です。
愛の歪み、愛を抱く苦しみまで、本作は扱うのです。
そしてそれは男女間だけのものではありません。
人だけではなく、故郷、創作、夢、思う用にいかない世界相手にも、愛があります。
先ほどあげた星野源さん『アイデア』の歌詞には、3番に象徴的な一節があります。
その中の「君」とは誰なのか?
そういう関係もありなのだと、本作は歌い続けます。
この音が止まる日まで、見続けましょう!
◆著者の連載が一冊の電子書籍となりました。
ご覧いただければ幸いです。
この歴史映画が熱い!正統派からトンデモ作品まで歴史マニアの徹底レビュー
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
“当人たちの記憶のみにとどめられ、消えてしまう。”
その通りですね。
胸がキュンとなっています。
瞳さんのサンバランドからの去り際が印象的だったので、きっと再登場されると思っていました!(東京で会えるかと思っていた…)登場人物の一人一人に起承転結がつくところ、これぞ脚本のお手本だと思います。少しずつお別れが近づいてきましたが、視聴者が愛したこの世界の皆さんがどうなっていくのか、楽しみに見守りたいです。
「岐阜県のデザインのへの道」・・・岐阜犬ですよね
もう少しでインターネット常時接続の時代だ。律、あなたのような創造的な仕事に取り組む人にとって質のよい睡眠は必須です!定時出勤のメーカー系企業じゃなくても、あなたの才覚を生かす働き方ができる時代がもう少しでやってくるよ。奥さんも社宅?交際で疲弊しているし、古い体質の企業から離れてみるのはどうだ?
上っ面だけ見てしまえば、より子は全くのヒール役。一部の方のコメントのような擁護・同情する視聴者は今のところは少ないでしょうね。なかなか弁護の余地はありませんよ。律がああいう男(悪気はないが対人関係があまりに不器用)なのを承知で結婚しちゃったのはあんたでしょ、ぶっちゃけ、彼が将来を保証されたエリートでしかもイケメンだからなんでしょ、自業自得だよ…と他人からはそう意地悪く見なされても止むを得ないですよね。
しかし、武者さんの言われる通り、本作はそんな単純な《正義が悪に勝つ》物語なんかじゃありません。現に鈴愛は既に「律夫婦にも幸せになってもらいたい」と言明している。彼女の言葉に表裏や虚偽が一切無いことはもう誰もが知るところです。やがて鈴愛は、フクロウ町の衆と共に、律夫妻を救う行動に出るに違いない、と期待します。
その際にやはり、キーとなるのが弥一和子夫妻の動向でしょうか。
とてもスマートでかっこいい弥一さんも、サンバランドのノリに誘われて出てくるあたりが、このドラマっぽくてとてもいいですね
(気分転換の必要性を律に指摘され、それを素直に受け入れる萩尾家の理性的な家風もあると思いますが)
一手間かけて、あえてキャラの駄目っぽい所を付け足すからこそ、世界観が生きて見えます
弥一さんを演じる谷原章介さん趣味料理できょうの料理にも何年もでています 中国語講座にでていたこともあり昨夜のきょうの料理月1生放送COOK9に出演中華粥でしたがカンフーの真似もしながら上手い進行でした 1980年代以降趣味料理という男性を散見し50過ぎ60過ぎで料理始める人も増えています 今後も弥一さんが和子さんに料理を出す場面出てくるかもしれないと思います
犬の銅像全国各地にあり北海道から鹿児島まで有名な犬45例はあり本になってます愛知県名古屋市岐阜県郡上市は盲導犬サーブ像あります 岐阜犬の成功祈ります