2015年下半期に放映され、傑作として名高い『あさが来た』。
再放送の始まった2018年になって、あらためて考え直しますと、初回時よりも評価が上昇しております。
これはひとえに、2017年下半期『わろてんか』が、本作のヒット要素を踏襲しながら、見事に失敗したことが大きいでしょう。
簡単には真似できない――。
何より巧みなのが、朝ドラの王道展開である視聴者に受けそうな要素と、史実を見事にすりよせたところです。
特に、あさが来たモデルとなった広岡浅子や、ディーン様で一躍話題になった五代友厚は、ドラマでは、史実よりも遙かに甘く、ご都合主義的に味付けがされています。
それが!
足を引っ張るどころか、むしろ朝ドラとしては成功につながっているのです。
朝ドラは何を描けばよいのか。
その成功例として、本作は今後も強い輝き放ち続けるでしょう。
大河を越えた朝ドラ
本作の放映年度は2015年下半期です。
放映前のワクワク感を、今でも思い出すことが出来ます。
その理由は、事前告知や秀逸であったこともあります。
美しさと凛々しさを兼ね備えたメインビジュアルポスター。
今でもはっきりと覚えております(TOP画像のイメージと同一)。
しかし、それ以上に別の理由もありました。
それは、当時放映中の大河ドラマ『花燃ゆ』が、歴史ドラマとしてのクオリティがあまりにも酷かったことです。
『花燃ゆ』について深く突っ込んでも虚しくなってくるので控えめにしたいところですが、これだけは言わねばなりません。
薩摩藩描写が酷かった!
薩長で手を組んだにも関わらず、顔と名前が一致する人物は西郷隆盛のみ。ワンマン薩摩藩状態でした。
そんな中、『あさが来た』本作ではカッコイイ薩摩藩士が出てきたため、半ば本気で、
「これはNHKなりの薩摩への贖罪では?」
と思ってしまったものです。
2018年現在、何が悲しいかって……薩摩テーマの『西郷どん』よりも、本作の薩摩描写がうまく出来ていることです。
例えば『あさが来た』で、五代友厚と大久保利通が口ずさむ「日新公いろは歌」。
これが『西郷どん』では出てこないんですね。
薩摩藩士の教育には欠かせない大切な歌です。
それがナゼ、西郷隆盛を描いた物語で出てこないのか? ワケがわかりません。
2015年と2018年がたまたま異常だった点は否めませんが、少なくともこの2年の大河ドラマよりも、本作のほうが歴史ドラマとして上であることは確かなのです。
これは本作の褒めるべき点というよりも、いかにその歳の大河がおかしいかという話でもありますが。
五代様! ディーン・フジオカ様!
本作は様々な名演技が詰まっておりました。役者の個性と役柄の一致にかけては最高峰といえます。
玉木宏さんの、ちょっと気の抜けたような、柔らかみの新次郎の絶品ぶり。
宮崎あおいさんの、はつの苦労を重ねてしっとりとしてくる演技。
そして波瑠さんの、意志の強さを秘めながらも柔軟性がある個性!
他にも名演技、ハマり役しかいないような作品ですが、そんな中でも最大の役柄が五代友厚役のディーン・フジオカさんでしょう。
彼は海外では演技キャリアを積んできたものの、日本では無名で本作が逆輸入という、実に珍しい方です。
これが五代友厚という役柄ともマッチしておりました。
五代は、忘れられた英雄ともいえる人物です。
明治時代の大阪経済に絶大な貢献をしたにも関わらず、知名度は高いと言えません。
教科書に必ず出てくる、彼に関する事件といえば、
「開拓使官有物払下げ事件」
です。
そのせいか、ぼんやりと【汚職に関与した商人】程度の印象しか残らない人物といえました。
日本人にとって印象の薄い人物を、これまた日本人にとっては未知の人物が演じる――そんな組み合わせが、まさに絶妙な効果を及ぼしたといえます。
彼の端正な容貌や個性ともあいまって、五代様が出てくるとフィーバー一色になりかねないほどの印象を残しました。
五代の死まで時間を掛けすぎた
五代様フィーバーが大きすぎたのか、ドラマ後半には悪影響が及んだほどです。
・五代とあさの交流が強くなり過ぎて、夫婦仲に割り込んだ感がある
・「開拓使官有物払下げ事件」の描写についてはかなり問題があった
ただ、こうした欠点がドラマ終了後には忘れられてしまうほどです。
五代友厚を再発見したという点をとってみても、本作は価値があると言えます。
ちなみに、これを真似たと思われる作品が『わろてんか』の伊能栞です。
接点がさしてない男女を、大阪経済発展に貢献したからと取り上げたところまではよかったものの、事業内容も意味不明ならば、ドラマを盛り上げる役目も果たさないという、実に中途ハンパな役割でした。
本作における五代様の使い方が、いかにドラマのヒストリーメーカーになったか、歴史を作ったかという証拠となってしまったわけです。
史実再現度の基準点となった本作
もう既に指摘しておりますが、実は本作の史実再現度は高くないのです。
トンデモ大河と比較すると相対的に高く思えているだけです。
これは、傑作『カーネーション』と比較するとハッキリします。
あの作品は、母がモデルとなったコシノ三姉妹チェックの目が光る中、モデルの性格や賛否両論となりそうなエピソードまで、細やかに再現しました。
その点、本作はかなり違っております。
・五代友厚と広岡浅子の接点は、史実においてはそこまでない
・はつのモデルとなった人物は、夭折している
・新次郎のモデルとなった人物には、妻公認、推奨した妾がいた
・千代のモデルである亀子は、まったく性格が違っており、彼女は母の仕事に不満を抱いていない
本作の場合、視聴者のニーズに寄せていった印象が強いのです。
姉の夭折とか、夫が妾を持つといった、視聴者が見ていて不快感をおぼえそうなエピソードは改変しております。
『カーネーション』において、夫が夭折し、ヒロインが不倫したことと照らし合わせてみますと、際立っているでしょう。
娘が、働きすぎる母親を責めたてるというエピソードも、これまた朝ドラ定番です。
明治時代は女性の権利が制限されており、広岡浅子もそれをかいくぐって事業に邁進しておりました。
しかし、女性は家庭を守り、家事育児だけに尽くすという考え方はありません。
むしろ、大商人の妻ならば育児を使用人に任せても問題はありません。
千代がしつこく「働く母がおかしい!」と主張する姿は、朝ドラの定番ややや古い昭和的な家庭観に迎合したとしか思えないものでした。
この描写も、ヒロインがいきいきと仕事に邁進していた『カーネーション』と比較すると、どうしても見劣りするものです。
史実の広岡浅子の業績を否定するようにも思えて、残念な点でした。
ただし、こうした視聴者迎合があったからこそ、人気作品となったと思われるのが、本作の巧みさです。
『カーネーション』の不倫描写は、批判の対象にもなっております。
批判を恐れずに進む姿勢よりも、器用に受けるように進む巧みさが、本作には確かにありました。
その巧みさを充分に分析しないまま真似てしまったのが、『わろてんか』であったと言えましょう。
見終えた当時は不満があった本作ですが、『わろてんか』と比較するとやはり巧みだったのだなあ、と唸らされました。
親子の確執のシーンの評価については、以前の本放送当時のレビューで示されていましたが、個人的には疑問を感じていました。
レビューで論評する際、「登場人物の未熟さの表現として、このような台詞はそぐわないのではないか」等と客観的に論ずるならわかりますが、実際のレビューはそうはならず、「こんな未熟な登場人物は不愉快だ。嫌だ」という感情的な方向へ偏って行ってしまい、その挙げ句、作品自体についてまでマイナスに評価するに至ってしまいました。
『あさが来た』再放送に対するレビューが進行中(しばらく中断しているものの)ですが、この点についてはご再考いただき、同じことの繰り返しでない、冷静で客観的な分析・解説がなされるのが望ましいと考えられます。
なお、朝ドラの「親子の確執」シーンの解釈について、レビュー筆者の武者氏とは異なる理解・解釈が、『まんぷく』レビューの第76話及び年内総集編の各コメント欄に投稿されています。
いろは歌、西郷どんで出ていましたよ。「ろ」だけかもしれませんが。