あさは九州出立前に、はつに会いに来ました。
その後は寄合所にも用事があり、多忙の様子。
五代友厚は多数の鉱山を手にし、「鉱山王」と呼ばれるようになっているそうです。
寄合所であさは、他の商人たちから四男坊とか、髭が生えていそう、といった調子でからかわれます。
男が同じことをしたら何も言われないのに、女がそうすると「威張っている」「女じゃないみたい」と叩かれたり、からかわれたりする……気丈な女性でもこれに凹んでしまうというわけです。
あさくらい気丈なら気にしないのではないか?とスルーせず、そこはしっかり描きます。
「私がハズバンドなら」と相変わらず
こんな記事があります。
◆朝ドラ「あさが来た」第7週視聴率をアップさせた女性クギ付けのシーンとは?
「たおやか」の使い方には疑問を感じますが、働く女性の応援をするドラマであることは確かでしょう。
『花燃ゆ』プロデューサーさん、ご理解いただけますか?
奥御殿やら各所でえこひいきされながらやたらと持ち上げられる、コネ頼りのヒロインなんて女性の応援になっていません。
朝ドラヒロインが正統派キャリアウーマンなら、大河ヒロインはコネ入社で仕事もできないくせに、チヤホヤされるパブリックエネミー女です。
シェリル・サンドバーグ著『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲 (日経ビジネス人文庫)』という、働く女性を励ます本があります。
サンドバーグは「ボッシー(威張っている、ボス面をする)」という言葉は禁止しようと呼びかけています。
女性がリーダーシップを取ろうとするだけで「ボッシー」と呼ぶのは意欲を喪失させるからやめましょう、ということです。
本作は明治が舞台なのに、現在のサンドバーグが指摘するような悩みを描いています。
これなら舞台が時代ものでも、現代人の共感を得ることができますね。現代舞台の『まれ』より、ある意味現代的です。
五代から、あのようなからかわれ方が気になるか?と尋ねられるあさ。
彼は大きな目で見たら男も女も、そうたいした違いはないと言うわけですが、その直後に
「私がハズバンドなら、あなたにこんな肩身の狭い思いをさせない!」
と続けるからどーしようもない。
今週もこの五代がキモいっすねー。
ルー語が真意を伝達しておらず、五代のセルフツッコミが救いです。
五代ほど柔軟な薩摩隼人も珍しい
江戸期以前の男女の考え方というのは、実は身分や地域性に差があります。
女性の人口が極端に少ない江戸では、女房は「山の神」なんて言われて結構発言権があったわけですね(政治的な権限などはさておき)。
そんな中でも五代の出身地薩摩というのは、男尊女卑が厳しいお国柄です。
鹿児島県知事の発言「サイン、コサイン、タンジェントを女の子に教えて何になる?」が問題になってしまいました。
劇中の五代はある意味、近代性の擬人化であります。
史実も、ちょっと薩摩武士とは思えないほど柔軟性のある性格です。
幼い頃から世界地図を広げて見入り、日本と同じ小さな島国英国がなぜあそこまで発展できたのか考えていたという逸話もそうです。
また五代は薩英戦争で捕虜になってしまい、武士の恥だとさんざん非難されました。
武士ならば腹を切っておかしくないと憎まれ、刺客すら放たれました。
ところがその刺客を説得し、開国を説いたというのだからびっくりぽん!
五代は、器にあわせて変わることのできる水のように柔軟な性格なのですね。
劇中では柔らかい男の代表として新次郎が登場しておりますが、五代も相当柔らかい。
しかも五代家は次男の友厚以外、母や兄もガチガチの国粋主義者のような性格で、友厚がいくら成功しようとそれを受け入れなかったらしい。
劇中でもユニークですが、史実を調べて見ても驚異的な人物です。
レディーファーストと誤解
もうひとつ、五代が影響を受けたであろう欧米の女性について。
幕末から明治にかけて外遊した日本人が驚いたのは、女性の活躍でした。
レディファーストであるとか、パーティに夫人同伴であることを見て、これではまるで男が尻に敷かれているではないか、と衝撃を受けたんですね。
とりわけアメリカ女性は、男性と共に苦労して開拓をしてきたという誇りがありました。
そうした姿を見て、これからは日本も女性の時代だというわけで、日本初の女子留学生が決まったりしたわけです。
しかし、これには誤解もあります。
『マッサン』でもエリーがやたらとイギリスではもっと女性が尊重されていると主張しておりましたが、必ずしもそうであったわけではありません。
この時期に来日した外国人は、美和のように三味線の師匠として生計を立てる多くの日本人女性を見て驚きました。
当時の欧米では、そこまで自立できる女性はなかなかいなかったからです。
あさのような女性の実業家は欧米でも珍しい存在でしょう。
「優秀な母親が優秀な子を育てる」は明治以降
さらに脱線して、明治期の女子教育について。
大河でも朝ドラでも出てきておりますが、これも現代の感覚で見るとちょっと注意が必要です。
女性の自立自学よりも、母親となる女性の知性を磨くことが重視されていたからです。
江戸期までの日本は「腹は借り物」という考えで、母親側の資質は問われませんでした。
教育も男子に対してはあくまで男親が行うという考え。
昭和のドラマで、妻が子の教育のことで愚痴ると夫が「教育はおまえの役目」と放り投げる場面がありましたが、あの考え方も実は結構最近のものなのですね。
明治以降、優秀な母親が優秀な子を育てるという考えが生まれたのです。
『花子とアン』では女学校の生徒たちが次から次へと結婚したのは、女子の高等教育=優秀な母親という考えでしたから、ごく当然のなりゆき。
村岡花子のような例はあくまで少数派なのです。
明治の女子教育ということで頭の隅にでもチラッと入れておいてもらえれば。
榮三郎が子を作ればよい
話をドラマに戻します。
加野屋でもやっと炭坑商売が認識されつつあるようで、おかげで借金が減っている、ありがたいと思われ始めています。
ただし雁助は不機嫌です。
商売に興味のないよのは、犬張り子をいくら作っても孫ができないと不機嫌そう。
正吉はもう新次郎とあさ夫妻の孫はあきらめている、榮三郎が子を作ればよいと発言!
夫婦が幸せなんだから、とよのをなだめます。
よのは不満そうにいっそあの二人の仲が悪ければな〜とまで言ってしまいます。
この会話をばっちりと新次郎が物陰から聴いているのですが……。
女がキャリアを取れば子はあきらめて、子を産むならキャリアをあきらめる――これまた現代女性にもありがちな悩みですね。
惣兵衛は和歌山の土地に大喜び
新次郎は相変わらず三味線に夢中です。
「浴衣の会」で発表の機会があるそうで。
趣味にのめり込むのも、寂しさを紛らわすためでしょうか。
新次郎はあさを労りマッサージもします。
あさは炭坑の労働者について、いったん心を開いたら女だからと馬鹿にしないところはよいと言います。
それからあさは福沢諭吉『學問のすゝめ』の一節「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」を引用し、平等にはまだまだ遠いとつぶやき、そのまま寝てしまいます。
そこを新次郎が得意技お姫様だっこで連れ去ります。
ここまで仲の良い夫妻に割り込もうとする五代は、相当のガッツですなぁ。
はつはやっと惣兵衛に和歌山の土地について打ち明けます。
惣兵衛はこれこそが前に踏み出す機会だと感謝し、頭を地面にすりつけんばかりに下げます。
デレ後の惣兵衛って本当に素直。
けれど、誇り高い菊がどうするか不安だと気を揉む惣兵衛でした。
九州に向かったあさは炭坑で歓迎されます。
しかし、亀助からある納屋頭に問題があると報告を受けるあさ。
一体誰がそんなことを?
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※レビューの過去記事は『あさが来た感想』からお選びください
※あさが来たモデルの広岡浅子と、五代友厚についてもリンク先に伝記がございます
【参考】
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