あけましておめでとうございます。
年末恒例の総集編、よかったですね~。
総集編ともなれば「あの場面がない」「あのセリフがない」と気を揉んでしまうもの。
しかし今回は、そんな懸念をよそに、ギュッと詰め込んで伝わってくるものがあり……特に心が熱くなったのは、主人公が挫折したとき、周囲の人がこう言ったときでした。
「無駄に思える時間にだって、意味があるんだ」
あ、すみません。
申し遅れましたが『まんぷく』ではなく『半分、青い。』総集編の話ですね。
今期の朝ドラはむしろ真逆。
萬平が刑務所に収容され、福子がその面会に訪れたとき
「発明ができないお前はもう、死んでいる」
と申し上げておりました。
どんな時間にも意味があると伝えた前作とはまさに対極。
ケンシロウもびっくりの非情さです。
はい、そんなわけで、本作を苦行とお思いの方。今年もよろしくお願いします。
頑張って四月まで耐え抜きましょう!
【78話の視聴率は18.8%でした】
もくじ
長いアバンとキャピキャピナレーション
『まんぷく』は新年明けてもやっぱり『まんぷく』。
ゲスな内容に変わりはありません。
ゲスポイントをさっくりまとめます。
ゲスお年玉なんていらないよ!
まずは、暗い出来事をもキャピキャピと説明するナレーション。
年をまたいで長いアバンはいいとして、相変わらずしっくりこない語り調です。
総集編の感想で、
「ナレーションが落ち着いた女子アナウンサーというだけで、かなりマシに思えた」
というものがあり、深く頷いた次第です。
これはあくまで人選を担うスタッフの問題。
ナレーター本人に非はありません。
今年も【ブケムスメプログラム】はバグ満載
「私は武士の娘ですっ!」
という台詞も酷いですが、いい加減「定職につけや!」攻撃も止めるべきでは?
あのしつこい決めゼリフのせいで武士娘キャラ認定されていますけれども、この年代の人らしさがゼロなんですよ。
んでもって、こちら新潮さんの記事もどうなんですかねえ……。
◆言いたい放題!「まんぷく」の松坂慶子が魅せる、ニュータイプ「朝ドラの母」像(デイリー新潮)
鈴さんはカワイイ、コミカルっていう意見を見る度に、眉間に皺が寄ります。
特にモデルの口癖を考えますと、
「私は武士の娘です!」
という語句が、全く違う使われ方をしている。
「武士は食わねど高楊枝」
という言葉があります。
腹一杯でなくても、不満はないように精一杯胸を張る。だからこそ、武士の娘は弱音を吐かないという、そういう意味合いで使っているわけです。
それが、本作での武士は単なる“ステータスシンボル”です。
平たく言うと「武士だから偉い」という言い方であり、ひいては【学歴自慢】大好きな本作の真髄に繋がっている気がしてなりません。
帝大だからって何なん? 根底に流れる精神が同じなんですよ。
鈴のモデル本来の性格は?
そしてもうひとつの言葉が
「不満があっても、鯨のように飲み込むのです」
です。
立花福子のモデルである安藤仁子にも受け継がれた言葉です。
これが鈴のモデル本来の性格。
何かあればダラダラと文句を言う人物とは真逆なんです。
どうしてここまでかけ離れた性格にしましたか?
鈴だけじゃない。
福子だって。
「まんぺーさぁんをしんじていまぁす!」
そう連呼する、萬平教の信者になっている。気持ち悪いことこの上ないんです。
先ほどの記事から引用しましょう。
好みでモノを語ったり、違和感を素直に口にすると「これだから女は」と言われる時代は終わった。性別・容姿・年齢に関係なく、主語は自分でモノを言う時代に。朝ドラでそれを再確認したよ。
「これだから女は」と言われる時代、全く終わってませんがな。
ドラマの中だって再現されまくり。
鈴の不満は無視され、小馬鹿にされる。要するに、相手にされていません。反応がないだけ悪化しています。理由があっての反対かもしれないのに、毎回馬鹿なババアが何か言っていると流されるだけじゃないですか。
耐え忍ぶ時代じゃなくなったからって
福子のモデル・安藤仁子の時代――女は離婚すれば路頭に迷う他ありません。
賃金も安く、自立は険しい道のりです。
だからこそ、仁子とその母は耐え忍ぶしかありませんでした。
仁子が安藤百福(萬平モデル)との結婚生活に満足していたわけでないことは、その言動からもうかがえます。
それでも不満を飲み込み、堪えるしかなかったのです。
ところが、時代は変わりました。
熟年離婚という言葉も生まれています。
女は不満を飲み込みため込まず、立ち上がることのできる時代になりました。
そんなときチキンハートで矮小な男性であれば、こう考えるのではないでしょうか。
『不満を抱いて立ち上がる女は、ブスかババアだと小馬鹿にしてやろう。痛い女だとビビらせてやろう。おとなしくしていれば、セクシーなご褒美があると思いこませよう。夫の信者になってこそ女は幸せだ、そういうヒロインにしよう!』
考えすぎですかね?
でも、ヒロイン母の口癖を真逆にするスタッフです。
そのぐらい平気でやってもおかしくないと思います。
『いるよな〜、ああいうクソババアw』だと?
もうひとつ気になった記事がこちらです。
◆田中圭ブレイク、異色の朝ドラ『半分、青い。』……2018年振り返るドラマ評論家座談会【後編】
西森:鈴愛は、自分のために生きてるんですよね。そういうところは、これからの朝ドラには必要になってくるのではないかと。やっぱり、今、人のために生きてることを描くと、抑圧的に見えてしまうんですよね。だから、『まんぷく』ではその役割を鈴さんが担ってくれていると。
この記事全体は面白いのですけれども、上記引用部分にはあまり同意できないのです。
鈴の世代は、モデルとなった方もそうですけれども、自分のために生きるキャラクターと一致するのかというと、やはり違う。
鈴愛と重なるとしたら、鈴の造形が決定的にぶっ壊れているからとしか思えないのです。
鈴というのは、鈴愛のように型を破っているキャラクターだとはまったく思えません。
鈴はご都合主義の塊です。
『いるよな〜、ああいうクソババアw』
そうやって笑いものにしている枠でしょう。
鈴は、萬平はじめ男たちをしっかりと支えていて、実は自分勝手な人じゃありません。
本当にそんな人であれば、あんなに重労働なシャドウワークを背負わされた時点でもっと早く逃げるなり、飛び立っています。
そういう家事奴隷的な悲惨さを視聴者に意識させないよう、わざとコミカルにされておりました。
視聴者を、
「鈴さんはなんでもズケズケ言えて、自分勝手で、おもしろいなあ」
というふうに誘導しているのだとすれば、モデルを侮辱しているうえに悲惨さを隠蔽している。
悪質極まりない造形だと思うのです。
ゲスの極みシスターズ
そんな鈴の娘である福子。
常にラベンダー色を身につけた克子もゲスの極み。
今年も実母を小馬鹿にして、意地の悪い笑みを浮かべていく路線が見えました。
本当にこの二人の性格がきつくて、しんどい。
それと母子や姉妹の会話もおかしいんです。
克子の、
「アンタはそう言うけどぉ、マイダーリンは売れっ子画家になってぇ、私はセレブ妻ですけどぉ〜」
みたいな勝ち誇り方が朝から最悪でした。
克子が忠彦の芸術に興味を持ったり、関心を持ったり、そんな場面はない。
忠彦もそう。
彼の仕事内容、影響を受けた画家、売れるようになった作品の提示もなければ、最近では制作過程すらない。
やっぱり親から仕送りもらっていたころのネトゲ廃人まんまなのです。
急に「売れっ子になった」ってどうしたん???
わけわからんです。
2019年も最低演出で突っ走ります
新聞記者やデモ勧誘のお誘いも酷いものでしたね。
いきなり用件を言い、ズケズケとやって来る。
電話でも名前を名乗らずいきなり用件を怒鳴っておりましたが、このドラマの世界には【普通の挨拶】という概念がないのでしょうか?
今年も山守モリモリ!
12万円が手元にあり、10万円納税し、残りは2万円。
この2万円から少しでもロリメンこと従業員に手渡したらしき描写があれば、見直そうかと思いましたけれども。
そんなことはなかったぜッ!
今年も、超絶腹黒い山守路線バリバリですね。
まあ、そうですよね。
慰労会でも下手な漫才とハーモニカで誤魔化した上に食費ゼロでした。
自分たちの尻拭いで解雇する時だって、名前を呼んでお手紙渡しただけでしたもんね。
マトモな経営者なら、パーッと食費かけた慰労会をしますし、解雇の時だって金一封渡しますでしょう。
ついてくる人間にびた一文渡さない。
こんな人物のどこに魅力があるのでしょう?
そういや東太一にもギャラを支払ったんですかね?
余計なお世話と思いつつ、不安になってきます(続きは次ページへ)。
NHK大阪は『あさが来た』以降加速度的に朝ドラの質を下げて来ています。
あの名作『カーネーション』を作った局とは思えません。
時代考証、演出、登場人物への敬意や愛情、番組制作への矜持、真摯な姿勢、などが失われて来ている気がしてなりません。幼稚で知性も感じられず、要するに子供っぽいのです。
時代考証のいい加減さ、笑えない「笑いどころ」、特定の登場人物へのイジメのような扱い、サブカル好きな層へ媚びるような演出や公式のツイート。
それらをトータルして感じるのは「世代交代によるスタッフの若年化と質の劣化」なのではということです。
世代交代はどの世界でも行われていますが、NHK大阪の朝ドラ関係では次世代を育てることに失敗しているのではないかと感じます。
子供っぽくてもそこにウィットがあれば面白いのですが、全く感じられません。
このころの女性の大学進学率を探してみたのですが、統計自体無いようです。
一番古いのが1954年度あたりで、女性の進学率4.6%という数字が見つかりました。短大大学あわせてなので、大学だけだとこれより低くなります。
高校進学率ですらやっと4割超えたかどうかの時代ですし、いずれにせよ、ちょっと成績がいいからいってみるかという程度で目指すものではなかったはずです。
他にもいろいろ指摘されていますが、時代考証とか事前リサーチとかが雑過ぎて評価にすら値しません。NHKさんも以前はもっとしっかりしていたはずなんですが。
「めんたいこで、人を幸せにした夫婦の物語」
『めんたいぴりり』映画版の劇場公開を控えて、今日(1/5)、TNC(テレビ西日本)等ではドラマ版『めんたいぴりり』の総集編が放映されました。
題材、時代背景、登場人物等、様々な点から見て、やはり『まんぷく』は、この『めんたいぴりり』を安直に模倣しようとして、しかも大失敗した、どうしようもない代物だとの思いを強くしました。
模倣するにしても、「模倣の元を凌駕するようなすごい作品を作ろう」というような意気込みで作られたなら、それなりのものになったのでしょうが、
現実に毎朝示されているのは、
「こんな出来で『模倣』とは、片腹痛いわw」
という惨状。
2013年の『めんたいぴりり』本放送当時は、「NHK朝ドラにも比肩しうる作品」との評もあったもの。
「なら、簡単だ。どうせ地方局の番組だし」とばかりに足元を見て飛び付いたかのような様子を、『まんぷく』には感じてしまうのです。