まんぷく年内総集編「ここがヘンだよ!ヒロイン像」立花福子と安藤仁子を徹底比較

本サイト(武将ジャパン)で安藤仁子の伝記が公開されました。

まんぷく立花福子モデル・安藤仁子(まさこ)92年の生涯「武士の娘の娘」は史実なれど……

皆様にも一読していただければご理解いただけると思いますが、私は今あらためて本作の異常性に慄いております。

『まんぷく』はあくまでドラマであり、ドキュメンタリーではありません。
そんなことはわかりきっております。

朝ドラでも、現代視聴者にそぐわない要素は削除されてきました。
名作『あさが来た』だって、かなりアレンジされております。

問題はそこなのです。

この手のアレンジは面白くなればよいものですが、以下の場合は言及されて然るべきではないでしょうか。

・変更の結果が差別的

いわばホワイトウォッシング問題ですね。
21世紀になってもこんな恥さらしをするのはレアケースなのですが、本作がまさにこれです。

・そこを削ったらイカンという重要部分を削除する

後世の創作の可能性があり、信憑性が薄いものでも、その人となりをよく表している話は残されることがあります。石田三成の『三献茶』等ですね。
名言、愛読書、座右の銘、おもしろいエピソード等。
その人となりや人生に影響を与えたものをカットしたら歴史作品とする意味がありません。

・悪化させる

その人となりを持ち上げるものならばまだしも、実際より愚かでダメな人にするようなものは、ただの侮辱です。

・モデルとなった人物の信条や宗教をふみにじる

この最悪の一例が『花子とアン』にありました。
敬虔なメソジストであり、生涯飲酒しなかったモデルを劇中で泥酔させています。

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敬意が払われて然るべきでは?

歴史上の人物は、今、目の前にはおらず、何をどう描いたって本人に文句を言われません。

だからと言って、好き勝手描いてよいのでしょうか。

そこには敬意が払われてしかるべきで、例えば近年最も高評価を得ているのが『カーネーション』です。
この作品は、モデルの娘たちコシノ三姉妹の厳しいチェックをくぐり抜けて映像化されました。

朝ドラ『カーネーション』のモデル小篠綾子~最期までパワフル人生92年をスッキリ解説!

モデルとなった人物が「朝ドラヒロインになりたい」と口にしておりましたので、まさに幸せなドラマ化の一例と言えましょう。
作品そのものも高評価を得ています。

あの頃のNHK大阪はどこへ行ってしまったのでしょう?

ともかく
【モデルに対して誠実かどうか?】
というのは歴史作品ではかなり大切な基準であり、その点から見ても『まんぷく』は異常です。

安藤百福のルーツ問題については既に以下の記事でツッコミましたので、

まんぷく事前予想~台湾ルーツ消失でマトリックスの【青いピル】はもう懲り懲り

今回は仁子関連を見ておきます。

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消えた父親

ヒロインの父親は、ドラマ開始時には既に死亡しておりました。

これが妙な話で、史実では仁子がホテルのフロント係になってから亡くなっています。
つまり劇中では最初から登場してストーリーの中で亡くなっていておかしくありません。

さらに不可解なことがあります。
史実ではドラマ開始時の時系列においては、亡くなっているはずの長姉(咲のモデル)の出番はあるのです。

どうしてこんな設定なのか?
ちょっと想像もつきませんが、二本松藩の宮司の血を引く父は、仁子(福子)にとって大きな存在でした。

その死であれば序盤の大きな見所になったことでしょう。

しかしこのドラマでは、不自然なほどに父に触れない。
意図的に消したようにすら思えてくる。
鈴も夫の文句を言うばかりで、娘たちはろくに思い出しすらしない。だから人柄を想像することもできません。

これは中々異常なことです。

前述の通りヒロインは父方の先祖の血を大事にして、誇りに思っていました。
彼女の名前そのものがその血を意識した名付けです。父方の先祖や親戚にいた人物のことを、彼女は誇りに思っていたのです。

それなのに全く触れない。妙な話です。

みなさんもご想像ください。
もしご自身の生涯が誰かによって映像で描かれるとして、人生において影響を受けた身内の話をテキトーに端折られたら?

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消された口癖とルーツの誇り

ヒロインの2つの【口癖】も消されています。

まず一つ目が、父方のルーツにも関わるものです。

「ならぬことはならぬ」
これは会津藩校日新館においても有名な教えです。

会津藩校・日新館ってどんなトコ? 授業中にケンカ上等!やっぱり武士の学校です……

現代でも、今の価値観にあわせた「あいづっこ宣言」があるほど。

大河ドラマ『八重の桜』でもおなじみですね。

『八重の桜』の真価とは?明治維新150周年だからこそ見るべき16の理由!

新島八重86年の生涯をスッキリ解説!最強の女スナイパーが同志社&赤十字に身を捧ぐ

彼女の父の血筋は、幕末において会津藩と共に戦った二本松藩(現在の福島県)です。
父の先祖と共に戦い抜いた会津の教えを、仁子は大切にしたのでしょう。

もうひとつの口癖は、母から受け継いだものです。

「不満があっても、鯨のように飲み込むのです」

ヒロインは、人格形成において母の影響を受けており、性格も似ています。
人となりを示す口癖を、ナゼ本作は消したのでしょう?

消すだけならまだしも、こうした武士の血のような誇りを小馬鹿にすらしております。

最たる例が、
「私は武士の娘です!」
というヒロイン母の口癖でしょう。口癖そのものは、モデルの母のものです。問題はそこではありません。

本作では完全にギャグ扱いですが、こんな酷い仕打ちって許されていいものなのでしょうか。
さすがにフザけすぎては?

鈴の長刀稽古も随分とバカにしたもんです。

長刀競技は、現在に至るまで会津藩の流れを汲む福島県が強豪として知られています。
目を覆いたくなるような本作のヘロヘロモーションではなく、『八重の桜』ではしっかりと迫力のある稽古場面が描かれておりました。

ヒロインのルーツに対し、あまりにもフザけた対応です。

侮辱される母

「私は武士の娘です」という言葉だけではありません。
ヒロインの母は徹底してバカにされています。

しかしモデルとなったヒロインの母は、立派な方です。
当時にしても先進的なほど知的な女性であり、娘たちから尊敬を集めておりました。家事や育児を手伝った気丈な女性なのです。

彼女をモデルとした鈴に、敬意が払われたことがありましたか?
「飯炊き女」
「あれくらいで家出して」
そんな風に侮辱されっぱなしです。

能力すら低くされました。
経理をきっちりと勤めていたのに、ヒロインの人生でさほど関わりのない義兄がモデルである真一が、無能な鈴からその座を奪ったかのようです。

女はバカな奴らなんだ

ヒロインやその母だけでなく、本作では、姉や姪御たちも本作では徹底してバカにされます。

本来の彼女たちにあった知性や機転、それこそ内助の功といった要素は消されているのです。
聡明な女性たちが、バカなお人形になりました。

シャドウワーク軽視

本作ではシャドウワークを軽視している――そんな風に何度も指摘してきましたが、これはまさに意図的であることもわかります。

モデルは、従業員が増えたら家事手伝いをする人をちゃんと雇用していました。
当たり前です(続きは次ページへ)。

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立花福子のモデル・安藤仁子の生涯

19 Comments

フリッツ

もし、NHKの制作側に、専業主婦のいる家庭を理想視する考えがあるなら、
「働く母親を認めない娘」を肯定的に描く筈ですが、
実際の番組の中では、未熟で誤っているものとして否定的に描いています。
ですので、専業主婦のいる家庭を理想視するかのような制作側の意図は、やはりそこにはないように思われ、「時代遅れの価値観の再生産」というわけではないと思われます。

また、『あさが来た』の千代はともかく『べっぴんさん』のさくらについては、不満は「母親が家庭を顧みなかったこと」と言うよりも「私は私の思うように生きたい」の方が主体となったと思われ、千代とさくらを同列に論じるのは適切ではないように感じました。

頭大打亜

いよいよ始まった『べっぴんさん』後半。曜日の違いの関係で昨年末に2話分まで進んでいますが、本格的にはこれから。けなし調の評も散見されましたが、見どころはやはり様々な人間関係の展開。

幾人かの人が問題視する点については…
朝ドラの親子の確執の描写について、レビュー筆者氏も殊の他問題視されるようで、この年内総集編においても、『まんぷく』には関係がないにもかかわらず、また自らそれを認めつつも、あえて項目を立ててまでかなり強い調子で言及されていました。
あさが来た』『べっぴんさん』について、「史実から逸脱」「確執は確認できない」ともあります。

○上流階層では、使用人に子育てを任せるのは普通だった。
○戦後はシングルマザーは珍しくなかった。
いずれもその通りです。

では、働く母親と子とが、皆「成熟した大人の関係」だったのか。不満、引け目、その他不合理な感情がない合理的な間柄だったのか。と言えば、
全然そんなものではありません。

身近に、早くに父親を亡くし、働く母親との母子家庭だった家や、夫婦で事業の経営にかかりきりとなり、子はお手伝いさんに任せていた家もあります。
そうした家の子として育った人と、親である人との間で、「親がいつまでも自分の考えばかりを一方的に押し付ける」「子供が何をしたいのかわからない。いくら教えても聞き入れてくれない」という食い違いはいくらもありました。
では、専業主婦である母に育てられた別の身近な家ではどうかと言えば、やはり同様な食い違いは多々あり。

○働いていて、自信があるがゆえに、また裏腹に「子を放ったらかしにして」という陰口を恐れるがゆえに、一方的になりがちな親
○専業主婦として家を守ったという自信があるがゆえに、また裏腹に「ずっと家にいたのに何やってたんだ」という陰口を恐れるがゆえに、一方的になりがちな親

実質的に、違いはありません。

働く母親の子が、「ろくに顔も合わせず話も聞いてないのに一方的に何だ!」という言い方で逃げることも確かにあった。
専業主婦の母親の子が、職業人でない母親を後進的と決めつけることも確かにあった。

未熟さゆえに。そこに違いなどないことに気づくことができずに。

年月が経っても、当人たちの間では、微妙なトゲであり続けた。でも、不合理であることはわかっているから、互いに触れず、他人に知られることを避け続けた。

ドラマでの表現は、こういう食い違いの一つの形の具体化として見ていました。
専業主婦を理想視するかのような意図は、私には感じられなかったのです。

親・子とも未熟で誤りを犯すという描写であり、どちらが正しいという描写とは感じられませんでした。

ドラマのモデルの人々について、表に出ている記録に確執が見られないとしても、当然と言えば当然。
本当のところは知りようもありませんし。
ドラマの創作の世界ということにはなります。
モデルの方々の側が、容認しているなら、問題ではないでしょう。

「働いているお母さんなんてうちだけだー」などという表現をもって殊更不自然だと強調するかのように書かれると、
また、台詞自体にはそれに類する言葉があったとしても、その言葉の表面ばかり強調して揶揄するかのように書かれると、
あまりに矮小化・単純化されているようで、悲しくもあります。

ドラマの中では、主人公の考え、夫婦の間柄、使用人との関係その他について、様々に脚色が行われたり、創作で補われたりしています。その中で、親子間の確執という設定に対してだけ、著しく否定的な扱いがなされるかのようで、これも悲しいです。

「未熟さを乗り越えるまでにこんな摩擦があった」という表現に対して、「未熟だ。不快だ。こんな人物を出すな」という論評は、違うのでは。

とは言え、レビュー筆者氏が、頑なと見えるまでに朝ドラの「親子の確執」を忌避されるのも、何か理由のあることなのでしょう。

当たり障りのない文章ばかり書く必要はありません。思うところを書くのは良いでしょう。
ただ、違う理解、立場について、想像力を及ぼすことができれば、より作品の理解に資することとなるでしょう。

さんてき

明日から『べっぴんさん』後半もスタートですね。

ダークサイド栄輔の登場は少し先でしょうが、どんなでしょうね。

とひとくくり

元旦早々つまらない投稿をされたあなたへ
「ここの皆さんが口を揃えていらっしゃいますが、・・・」
とひと括りにさておりますが、皆さんは本作の欠点なり、評価できる所なりをそれぞれの言葉で表現されているのに
「・・・申し訳ないが前作もつまらんかったと思います。」の一言では傾聴に値しません。
実のある批判を発信するのでなければ、便所の落書きと一緒だと思います。
せっかくのコメント欄なのですからもっと有効な意見を書き込んでいただけたらと思います。

匿名

ここの皆さんが口を揃えていらっしゃいますが、申し訳ないが前作もつまらんかったと思います。

904bis型

紅白もそろそろ終わり。年明け4日からまた通常番組が戻ってきます。
残念ながらと言うべきか、やっぱりと言うべきか、楽しみなのは『まんぷく』ではなく『べっぴんさん』ですが。

親子の確執の描写が話題になりましたが、それはあくまで構成要素の一つ。それを含めて、事業や縁戚関係等でつながった人々との関係性が引き続き描かれていきます。

後半の大きな流れとしては、「対立していた、あるいはわかり合えずにいた人々の和解・和合」だったと思います。

前半あんな嫌な奴だった人物が、わかり合えてしまうとこんな人だったのか…等。
わかり合えず去っていく人もありますが。

親子の確執シーンを嫌う人は、後半全体をマイナスの印象で見てしまう傾向があるように感じますが、それはとても残念なこと。
人それぞれの感じ方なので仕方ありませんが。

違った感性・意見もあることは頭に置きつつ、楽しむべきは存分に楽しんでいきたいです。

塩ラーメン好き。

まんぷく脚本家?にとっては、
チキンラーメン発明に至る部分のみが描きたかったことで、
そこまでは時間稼ぎ、消化試合なのでは?
と、前作の総集編を見ながら、
ふと思いました。
だったら、てるてる家族の、
チキンラーメン発明エピソード
だけで、十分なのですよ。
あちらの方が百福さんに似てるし。
てるてるを夢中で見ていた
実家の父は、
早々に本作をリタイアして、
てるてるの録画を楽しんでいるようです。
十分なわけですよ。

匿名

私も前作総集編をまた見てしまいました。やはり「名作」だと思います。半年間、作り手のテンションが落ちること無く最終回まで突き進んだ感じのドラマでした。

「まんぷく」も含めてどの作品も制作者は懸命に作っておられると思いますが、半年間の長丁場をエネルギーを落とさず走りきるのは大変難しいのだと思います。

ついでですが、ネットで2010年から「半分、青い」まで17作品を対象にした「朝ドラ総選挙」が行われ、結果が出ていますが、ベスト5は私には納得できる結果で、「半分、青い」は健闘したと思います。因みに堂々の1位は私的にはやはり横綱だとうなずける「あのドラマ」でした。

「まんぷく」が参加していない総選挙ですのでこの辺で遠慮します。ご興味のある方、覗いてみて下さいませ。

moon

私も前作総集編観てしまいました。全話を録画保存してあるのに、観ちゃうと止められませんね。心に残る素敵な言葉とシーン。何回観ても涙がポロポロ。
超駄作と超超駄作に挟まった、珠玉の名作。本当に、年明けから2話ずつ再放送してもらいたいですね。
今夜は、紅白で鈴愛と律に逢えるのが本当に楽しみです。
前作について長々と失礼しました。

塩ラーメン好き。

総集編、良かったです。
自然と泣けてしまうシーンばっかり。毎日、目を離せなかったもの。
裕子の最後の言葉のシーンも、
自然でした。
紅白も見よう。
スズメと律に会いたい。
本日、連投すみません。

匿名

総集編(再)のできもいいですねえ。
今のはさっさと打ち切りにして、新年から前作の再放送にしてほしいなー
毎日2本立てで♪
やり切りたい芯があるのに空回りしてるなら仕方ないけど、そんなのまったくなく混乱してるだけにみえる作品、無理して作り続ける必要ない。
不況の続く中、慎ましく暮らしてる人たちからもぎ取ってるお金がほんともったいないと思います。

匿名

半分青い。の総集編を見始めました。ながら見はできません。
いいシーンばっかり。
困ったもんです。

三等航宙装甲艦

『花子とアン』は、ドラマ作品としてだけなら、『まんぷく』などとは比較にならないレベルのもので、物語の主題・方向性は明確であり、人物描写やストーリー展開もしっかりしたものではありました。
西郷どん』と比べても、同じ脚本家が書いたものとは信じ難いほど。
視聴していた頃、違和感を感じたことがなかったわけではありませんが、全体としてはよくできたものとして楽しんでいました。

ただ、モデルが存在する歴史作品として評価する場合、こちらで述べられているように、モデルとなった本人の宗教的背景を全く無視した飲酒描写は、やってはならない改変。脚本家はモデル本人について基本的なことすら調べていないことが強く疑われ、制作姿勢に著しい疑念を感じざるを得ないことになります。

放送当時違和感を感じたのも類似したもので、その一つは、実在の人物「伊藤伝右衛門」を登場させるにあたり、名を「嘉納伝助」にしてしまったことでした。
人物の名として、「○右衛門」と「○助」とでは重み、格が全く異なります。「筑豊の石炭王」たる「伝右衛門」が「伝助」とは! まるで使用人の名のようで、たとえ知識がなかったとしても、そのセンスの無さは絶望的と感じたもの。

今にして思えば、脚本家はセンスも無ければ勉強もしてなかったということだったのでしょう。

まあ、不満はあるとは言え、伊藤伝右衛門の主なエピソードはうまく作中で表現され、演者さんの好演もあって話題を呼び、広く知ってもらえるに至りましたので、そこは評価すべきではありますが。

『花子とアン』のときは、考証担当等のサポートがまだしも適切だったのか、脚本家本人も耳を傾ける姿勢があったのか、全体として破綻は来さず物語として成立しましたが、『西郷どん』では何があったのでしょうね。

孤独の胃弱

904型さまの、親子の確執の表現に関するご意見、なるほどと思いました。これから『あさが来た』と『べっぴんさん』を武者さん、904型さま双方の視点を意識しながら見てみようと思います。来年の楽しみができました、ありがとうございます!

『まんぷく』はもうダメでしょうね…

実は、打ち切りを求めるWEB署名でも集めてやろうかと息巻いていたのです。あまりにも差別表現が露骨で、目に余るものでしたので。ですが数日前のレビューの「オワコン」という言葉で、ストンと腑に落ちて冷めてしまいました。メディアが旧態依然を続けるならば、遅かれ早かれ他のエンタメに淘汰されるでしょう。沈みゆく船に火矢を放つ暇は、貧乏暇なしを地で行く自分にはありません(笑)

羅蜜王

本作を見る前に、下記の発表されたあらすじを期待しておりました。

“究極のマネジメント能力”を身につけるヒロイン・福子と、“発明家”として「世の中の役に立つこと」を理想に掲げ、邁進し続ける夫・萬平が、インスタントラーメンを創り出すまでの物語。

しかし蓋を開けたら連日期待を裏切る内容ばかり。武者さんのレビューにうなずく日々です。ふとNHKの番組ホームページをのぞくと下記の番組内容となっていました。

何度も失敗してはどん底から立ち上がる”敗者復活戦”を繰り返した末、二人は世紀の大発明へとたどりつく――人生大逆転の成功物語です。

マネージメント能力の文言がありません。いつからでしょうか?もう福子はマネージメント能力を身につけてもつけなくてもNHK側に責任は無いようです。
前にも「まれ」でも同じようなことがあったと思います。世界一のパティシエを目指す物語だと思って見ていたら、どうもなりそうにないし、ストーリーの展開上無理だろうと思っていたら、ホームページ上で「世界一」の文言が消えていました。制作側の責任逃れだと感じました。
「まんぷく」もあと3ヶ月となりましたが、これまでの雰囲気が一気に変わるとは思えず、冷めた目で見ることになるのは寂しい限りです。

904型

本レビューでの主張に概ね賛成です。ドラマは決して単なる再現ドキュメンタリーではないとは言え、目的を見失った創作の行き着く先が、今の『まんぷく』の体たらくなのでしょう。

ただし、「朝ドラの中盤以降のダラけ」「親子の確執」については、私の理解は異なります。

レビュー筆者氏のご理解は、朝ドラ中盤以降で描かれる親子の確執と、「『働く母親の子はかわいそう』という古い価値観」が直結してしまっているかのよう。それでどうしてもマイナス評価になってしまうように思われます。

私は、朝ドラの親子の確執について、「子がいくつになっても、従順さを求めてしまいがちな親」と「自己が確立していく子」の差・食い違い という理解です。
家庭環境は様々あれど、また程度・形の差はあれ割と普遍的にありがちな現象の描写と捉えていました。
なので、『あさが来た』『べっぴんさん』とも、確執のシーン自体はもどかしく、苛立たしく感じるものではありますが、意味のあるものと感じ、このシーンをもって作品自体のマイナス評価には繋げていませんでした。

『あさが来た』の本放送当時、同じ筆者氏によるレビューが書かれていましたが、中盤以降感覚の違いを最も著しく感じたところでもあります。

これは、見る人による受け止め方・感じ方の違いであって、どちらが正しいというものではありませんが。

『まんぷく』は、このレベルにすらたどり着いていませんね。

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