もくじ
朝ドラヒロインとして彼女は適切か?
夫の事業で欠かせないアドバイスをする【ぐいぐいタイプ】かと思ったらそうでもない。
どうして彼女が朝ドラヒロインなのか不思議で仕方ありません。
働く女性を応援する――そういう枠だったのでは?
本作は【八割がフィクション】だという逃げを打っています。
その中身を分析すれば、
・主人公夫妻を無能にする
・主人公夫妻の機転を消す
・主人公夫妻のルーツを消す
・主人公夫妻の家族を侮辱する
・史実以上の男尊女卑、女性蔑視を織り込む
というシロモノです。
ここまでするならば、安藤夫妻をモデルにしなければよかった。
主人公夫妻からルーツまで消して、功績だけを盗み取る。
自分たちの乏しい才能を、ヨソから盗んで補う。
実際、劇中でも盗みばっかりですからね(野呂の缶詰・盗電・世良の中抜き等)。
いっそのこと石川五右衛門のドラマでも作ればいいんじゃないですか。
盗んでかっこいいぜ、って言い張りたいんでしょ?
本作は王道ではない、むしろ外道です
【盗み】で思い出したのが、前作『半分、青い。』における秋風先生のルールです。
鈴愛のアイデアを借り受け、勝手に作品化したボクテに怒り【破門】を言い渡しました。
それほどまでに、クリエイターにとってアイデアは大事なもの。
盗みとは【言語道断である】そう示したわけです。
アイデアを生み出すことがいかに大変か。
あの作品では、終始一貫してアイデアを生み出す苦しみと素晴らしさを描いていました。
だからこそ、盗んだらダメ!
チャラい業界人である津曲もアイデアを盗もうとし、途中でこれではダメだと改心しました。
一方で本作はどうか?
立花萬平は製塩を始める際、ろくに調べず考えもせず、いきなり別の製塩業者に作り方を教わりました。
悪いとは言い切れませんが、この後がダメ!
そこから何か試行錯誤をしましたか?
そんな場面はロクにないまま【自分の】スゴイ技術だとドヤ顔をしておりませんでした?
いやいや、それって先人の知恵でしょ。
そう思われたくないなら、どこがスゴイアイデアなのか説明してください。
ダネイホン作りにしたって、試行錯誤の場面もほとんどありません。毒性のあるガマガエルを煮込んだぐらいはしましたけどね。
売り始めたらあっという間に大人気!
家賃150円という金銭価値の中で60円で売り出しバンバン売れちゃうじゃないですか。
ものづくりをすっ飛ばし、くだらない広告でセレブ気分、そして投獄というしょーもなさ。
前作が、創造の素晴らしさ、クリエイターの苦しみと充実感を描いた作品ならば。
本作は、剽窃してホイホイ売り出し、セレブクリエイター気分で胸を張る、そういう世界観ですね。
本作は王道ではない、むしろ外道です。
昭和の一時期を生きた層に受けそうな家族観
朝ドラは、特に大阪制作ですと中盤以降ダラけて来ます。
作り手の疲弊もあるでしょうが、それだけではありません。
モデルの史実から離脱してゆく現象が、顕著になってゆきます。
モデルの偉業を追いかけ、波乱万丈で面白かったのに、中盤以降、ヒロインの子供が思春期を迎えたあたりから、急激におかしくなってゆくのです。
『べっぴんさん』もそう。
あの名作『あさが来た』ですら、そうでした。
本作と『わろてんか』は、序盤から史実を逸脱していたため、そもそも枯れるだけの草すら生えていない状況なので、これは別ですね。
しかし、なんでそんなことになってしまうのか?
原因は明白です。
【昭和の一時期を生きた層】が喜びそうな【家族観】にあわせてしまうから。
では、どんな家族観か?と言いますと要するに『ドラえもん』の世界ですね。
・女は出産育児を経たら家に入り、育児をして夫の帰りを待つ
・働く女は罪悪感を抱くべき
・働く女は育児できないことを悔やみつつ生きていくべき
・我が子を「鍵っ子」にして悪いと思わないのか?
そういう価値観ですね。
「鍵っ子」が気の毒がられたのっていつの時代なんすか。
昭和30年代から昭和40年代でっせ。もう半世紀も前。
そんなごく一部の時代に着目するって、おかしいでしょ?
我が子との確執なんて特に確認できないのに
『あさが来た』の時代――上流階級の女性は育児を使用人任せにしてもごく普通。
『べっぴんさん』の時代――日本には未亡人があふれており、彼女らがシングルマザーとして必死になって働き、我が子を育てておりました。
それが当たり前だから、こうした作品のモデルとなった女性は、我が子と確執なんて特に確認できません。
「働いているお母さんなんてうちだけだー!」
なんてセリフがあるはずもない。
しかも、子供が反発するのは母親に対してだけ。性格的にかなり問題があるように思える父親でも、彼に反発は向かわないのです。親子対立は、大抵【母と子】の間にのみ生じます。
ところが、NHK大阪はこういう価値観がだ〜い好きなんですね。
時代考証を無視して、ヒロインを押し込める――そういうくだらなさが
【時代遅れの価値観を再生産している】
となぜ自覚できないんでしょうか。
『カーネーション』ではそんなことなかったのになぁ。
それどころか、平成の母親としては特におかしくもない『半分、青い。』の鈴愛が「育児をしない悪い母だ!」と罵倒される始末です。
離婚をしたシングルマザーで、専業主婦ではない。その辺りが叩かれる原因ではないでしょうか。あ〜あ。
ただ、これって何かと象徴的でして。
2018年は、本作が押しつけたい価値観を暴くようなニュースが目白押しでした。
女は医者なんか目指すなと言わんばかりの、医学部入試不正。
女の審査員はダメだと差別意識を剥き出しにして、ズッこけたお笑い芸人。
クリエイターにしてやるとちらつかせながら、女性を搾取したジャーナリストの犯罪行為。
彼らはこう言いたいのかもしれません。
『女が何も言わないでニコニコしているお人形さんだったころには、こんなことにならなかったのにな〜、昔はよかったよな〜』
もうそんな時代じゃありません。
本作が大コケすることで、そうした時代の変化を知らしめてくれることでしょう。
全く笑えない大御所のクソジョーク
はい、ではここで、ある意味今年にふさわしいニュースをお送りしましょう。
◆ビートたけし大暴走 「羽生結弦はゲイ」「ZOZO前澤社長は金なきゃ相手にされない」
いくら大御所だろうと、あんまりです。
今年が『新潮45』がLGBT問題で炎上休刊したことくらい、把握しておいて欲しいものですね。
◆新潮社が「新潮45」の休刊を発表 「深い反省の思いを込めて決断」
『新潮45』が休刊に追い込まれた原因。
それは価値観の進歩を読み切れなかったことでしょう。
「どうせLGBTなんて、小馬鹿にしてエエもんやろ」
そんな読み違いをした結果、致命的な結果に至ったわけです。
オリンピック二連覇という偉業を成し遂げた偉人に対し、
【美男子だったらゲイだと小馬鹿にしてウケを狙ってもいい】
そんなスタンスには、敬意も何もあったものじゃありません。
差別と偏見の上塗り。
醜悪の極み。
もはや老害ではないでしょうか。
熱狂的ファンの多いビートたけしさん。
数字が取れる以上は「殿のちょっと度が過ぎたジョーク」で片付けられ、何事もなかったかのように今後もテレビは続いていくのかもしれません。
そうなればもはや絶望的。
あまりにいも時代錯誤なその感覚が、今後、致命的な結果をもたらすことになりかねませんし、実際、海外ではそうなっています。
◆「移民はアメリカを汚す」FOXニュース司会者が発言、スポンサー24社失う #BLOGOS
日本でも、遅れるだけでこの流れは必ずやって来ます。
今こそ襟を正すときではありませんか。
おまけ『まんぷく』名台詞ランキング
朝ドラでも大河でも、ドラマで楽しみなのが名台詞。
本作でも選んでみました。
第三位「(立花萬平は)バカじゃないのか」
イッセー尾形さんの占い師囚人からいただきました。
私の心の声とマッチします。
第二位「(立花萬平、)君は一体、何がやりたいんだ?」
はい、GHQのMPさんからいただきました。
これは私も言ってやりたい。毎朝、言いたいんです!
第一位「こんなクソみたいな仕事はしたくないんだ!」
はい、財務省職員心からのシャウトです。
これだな。本作制作チーム心の声、熱いシャウトでした。
こういうセリフランキングって、名作だと逆に辛いんです。
なぜなら良いセリフが多くて迷ってしまいます。
ところが本作はサクサクと出来ました。
※スマホで『半分、青い。』や『八重の桜』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
※レビューの過去記事は『まんぷく感想』からお選びください
※まんぷくモデルである安藤百福の記事、ならびにラーメンの歴史もリンク先からどうぞ!
※コメントにつきましては、
・まんぷくここが好き!
・まんぷくここがアカン!
という意図でご自由に記述してください。
作品に関するものについては全て掲載しております。
攻撃的な書き込み等については、こちらの判断で削除させていただきますので、あらかじめご承知おきください。
もし、NHKの制作側に、専業主婦のいる家庭を理想視する考えがあるなら、
「働く母親を認めない娘」を肯定的に描く筈ですが、
実際の番組の中では、未熟で誤っているものとして否定的に描いています。
ですので、専業主婦のいる家庭を理想視するかのような制作側の意図は、やはりそこにはないように思われ、「時代遅れの価値観の再生産」というわけではないと思われます。
また、『あさが来た』の千代はともかく『べっぴんさん』のさくらについては、不満は「母親が家庭を顧みなかったこと」と言うよりも「私は私の思うように生きたい」の方が主体となったと思われ、千代とさくらを同列に論じるのは適切ではないように感じました。
いよいよ始まった『べっぴんさん』後半。曜日の違いの関係で昨年末に2話分まで進んでいますが、本格的にはこれから。けなし調の評も散見されましたが、見どころはやはり様々な人間関係の展開。
幾人かの人が問題視する点については…
朝ドラの親子の確執の描写について、レビュー筆者氏も殊の他問題視されるようで、この年内総集編においても、『まんぷく』には関係がないにもかかわらず、また自らそれを認めつつも、あえて項目を立ててまでかなり強い調子で言及されていました。
『あさが来た』『べっぴんさん』について、「史実から逸脱」「確執は確認できない」ともあります。
○上流階層では、使用人に子育てを任せるのは普通だった。
○戦後はシングルマザーは珍しくなかった。
いずれもその通りです。
では、働く母親と子とが、皆「成熟した大人の関係」だったのか。不満、引け目、その他不合理な感情がない合理的な間柄だったのか。と言えば、
全然そんなものではありません。
身近に、早くに父親を亡くし、働く母親との母子家庭だった家や、夫婦で事業の経営にかかりきりとなり、子はお手伝いさんに任せていた家もあります。
そうした家の子として育った人と、親である人との間で、「親がいつまでも自分の考えばかりを一方的に押し付ける」「子供が何をしたいのかわからない。いくら教えても聞き入れてくれない」という食い違いはいくらもありました。
では、専業主婦である母に育てられた別の身近な家ではどうかと言えば、やはり同様な食い違いは多々あり。
○働いていて、自信があるがゆえに、また裏腹に「子を放ったらかしにして」という陰口を恐れるがゆえに、一方的になりがちな親
○専業主婦として家を守ったという自信があるがゆえに、また裏腹に「ずっと家にいたのに何やってたんだ」という陰口を恐れるがゆえに、一方的になりがちな親
実質的に、違いはありません。
働く母親の子が、「ろくに顔も合わせず話も聞いてないのに一方的に何だ!」という言い方で逃げることも確かにあった。
専業主婦の母親の子が、職業人でない母親を後進的と決めつけることも確かにあった。
未熟さゆえに。そこに違いなどないことに気づくことができずに。
年月が経っても、当人たちの間では、微妙なトゲであり続けた。でも、不合理であることはわかっているから、互いに触れず、他人に知られることを避け続けた。
ドラマでの表現は、こういう食い違いの一つの形の具体化として見ていました。
専業主婦を理想視するかのような意図は、私には感じられなかったのです。
親・子とも未熟で誤りを犯すという描写であり、どちらが正しいという描写とは感じられませんでした。
ドラマのモデルの人々について、表に出ている記録に確執が見られないとしても、当然と言えば当然。
本当のところは知りようもありませんし。
ドラマの創作の世界ということにはなります。
モデルの方々の側が、容認しているなら、問題ではないでしょう。
「働いているお母さんなんてうちだけだー」などという表現をもって殊更不自然だと強調するかのように書かれると、
また、台詞自体にはそれに類する言葉があったとしても、その言葉の表面ばかり強調して揶揄するかのように書かれると、
あまりに矮小化・単純化されているようで、悲しくもあります。
ドラマの中では、主人公の考え、夫婦の間柄、使用人との関係その他について、様々に脚色が行われたり、創作で補われたりしています。その中で、親子間の確執という設定に対してだけ、著しく否定的な扱いがなされるかのようで、これも悲しいです。
「未熟さを乗り越えるまでにこんな摩擦があった」という表現に対して、「未熟だ。不快だ。こんな人物を出すな」という論評は、違うのでは。
とは言え、レビュー筆者氏が、頑なと見えるまでに朝ドラの「親子の確執」を忌避されるのも、何か理由のあることなのでしょう。
当たり障りのない文章ばかり書く必要はありません。思うところを書くのは良いでしょう。
ただ、違う理解、立場について、想像力を及ぼすことができれば、より作品の理解に資することとなるでしょう。
明日から『べっぴんさん』後半もスタートですね。
ダークサイド栄輔の登場は少し先でしょうが、どんなでしょうね。
元旦早々つまらない投稿をされたあなたへ
「ここの皆さんが口を揃えていらっしゃいますが、・・・」
とひと括りにさておりますが、皆さんは本作の欠点なり、評価できる所なりをそれぞれの言葉で表現されているのに
「・・・申し訳ないが前作もつまらんかったと思います。」の一言では傾聴に値しません。
実のある批判を発信するのでなければ、便所の落書きと一緒だと思います。
せっかくのコメント欄なのですからもっと有効な意見を書き込んでいただけたらと思います。
ここの皆さんが口を揃えていらっしゃいますが、申し訳ないが前作もつまらんかったと思います。
紅白もそろそろ終わり。年明け4日からまた通常番組が戻ってきます。
残念ながらと言うべきか、やっぱりと言うべきか、楽しみなのは『まんぷく』ではなく『べっぴんさん』ですが。
親子の確執の描写が話題になりましたが、それはあくまで構成要素の一つ。それを含めて、事業や縁戚関係等でつながった人々との関係性が引き続き描かれていきます。
後半の大きな流れとしては、「対立していた、あるいはわかり合えずにいた人々の和解・和合」だったと思います。
前半あんな嫌な奴だった人物が、わかり合えてしまうとこんな人だったのか…等。
わかり合えず去っていく人もありますが。
親子の確執シーンを嫌う人は、後半全体をマイナスの印象で見てしまう傾向があるように感じますが、それはとても残念なこと。
人それぞれの感じ方なので仕方ありませんが。
違った感性・意見もあることは頭に置きつつ、楽しむべきは存分に楽しんでいきたいです。
まんぷく脚本家?にとっては、
チキンラーメン発明に至る部分のみが描きたかったことで、
そこまでは時間稼ぎ、消化試合なのでは?
と、前作の総集編を見ながら、
ふと思いました。
だったら、てるてる家族の、
チキンラーメン発明エピソード
だけで、十分なのですよ。
あちらの方が百福さんに似てるし。
てるてるを夢中で見ていた
実家の父は、
早々に本作をリタイアして、
てるてるの録画を楽しんでいるようです。
十分なわけですよ。
私も前作総集編をまた見てしまいました。やはり「名作」だと思います。半年間、作り手のテンションが落ちること無く最終回まで突き進んだ感じのドラマでした。
「まんぷく」も含めてどの作品も制作者は懸命に作っておられると思いますが、半年間の長丁場をエネルギーを落とさず走りきるのは大変難しいのだと思います。
ついでですが、ネットで2010年から「半分、青い」まで17作品を対象にした「朝ドラ総選挙」が行われ、結果が出ていますが、ベスト5は私には納得できる結果で、「半分、青い」は健闘したと思います。因みに堂々の1位は私的にはやはり横綱だとうなずける「あのドラマ」でした。
「まんぷく」が参加していない総選挙ですのでこの辺で遠慮します。ご興味のある方、覗いてみて下さいませ。
私も前作総集編観てしまいました。全話を録画保存してあるのに、観ちゃうと止められませんね。心に残る素敵な言葉とシーン。何回観ても涙がポロポロ。
超駄作と超超駄作に挟まった、珠玉の名作。本当に、年明けから2話ずつ再放送してもらいたいですね。
今夜は、紅白で鈴愛と律に逢えるのが本当に楽しみです。
前作について長々と失礼しました。
総集編、良かったです。
自然と泣けてしまうシーンばっかり。毎日、目を離せなかったもの。
裕子の最後の言葉のシーンも、
自然でした。
紅白も見よう。
スズメと律に会いたい。
本日、連投すみません。
総集編(再)のできもいいですねえ。
今のはさっさと打ち切りにして、新年から前作の再放送にしてほしいなー
毎日2本立てで♪
やり切りたい芯があるのに空回りしてるなら仕方ないけど、そんなのまったくなく混乱してるだけにみえる作品、無理して作り続ける必要ない。
不況の続く中、慎ましく暮らしてる人たちからもぎ取ってるお金がほんともったいないと思います。
先のコメントは、塩ラーメン好き。でした。
半分青い。の総集編を見始めました。ながら見はできません。
いいシーンばっかり。
困ったもんです。
『花子とアン』は、ドラマ作品としてだけなら、『まんぷく』などとは比較にならないレベルのもので、物語の主題・方向性は明確であり、人物描写やストーリー展開もしっかりしたものではありました。
『西郷どん』と比べても、同じ脚本家が書いたものとは信じ難いほど。
視聴していた頃、違和感を感じたことがなかったわけではありませんが、全体としてはよくできたものとして楽しんでいました。
ただ、モデルが存在する歴史作品として評価する場合、こちらで述べられているように、モデルとなった本人の宗教的背景を全く無視した飲酒描写は、やってはならない改変。脚本家はモデル本人について基本的なことすら調べていないことが強く疑われ、制作姿勢に著しい疑念を感じざるを得ないことになります。
放送当時違和感を感じたのも類似したもので、その一つは、実在の人物「伊藤伝右衛門」を登場させるにあたり、名を「嘉納伝助」にしてしまったことでした。
人物の名として、「○右衛門」と「○助」とでは重み、格が全く異なります。「筑豊の石炭王」たる「伝右衛門」が「伝助」とは! まるで使用人の名のようで、たとえ知識がなかったとしても、そのセンスの無さは絶望的と感じたもの。
今にして思えば、脚本家はセンスも無ければ勉強もしてなかったということだったのでしょう。
まあ、不満はあるとは言え、伊藤伝右衛門の主なエピソードはうまく作中で表現され、演者さんの好演もあって話題を呼び、広く知ってもらえるに至りましたので、そこは評価すべきではありますが。
『花子とアン』のときは、考証担当等のサポートがまだしも適切だったのか、脚本家本人も耳を傾ける姿勢があったのか、全体として破綻は来さず物語として成立しましたが、『西郷どん』では何があったのでしょうね。
904型さまの、親子の確執の表現に関するご意見、なるほどと思いました。これから『あさが来た』と『べっぴんさん』を武者さん、904型さま双方の視点を意識しながら見てみようと思います。来年の楽しみができました、ありがとうございます!
『まんぷく』はもうダメでしょうね…
実は、打ち切りを求めるWEB署名でも集めてやろうかと息巻いていたのです。あまりにも差別表現が露骨で、目に余るものでしたので。ですが数日前のレビューの「オワコン」という言葉で、ストンと腑に落ちて冷めてしまいました。メディアが旧態依然を続けるならば、遅かれ早かれ他のエンタメに淘汰されるでしょう。沈みゆく船に火矢を放つ暇は、貧乏暇なしを地で行く自分にはありません(笑)
剽窃と盗難のめくるめく御縁
こんなニュースも出るようになりましたね。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181229-00000014-pseven-ent
朝ドラの制作スタイルを根本から変える時期に入ってきたのかもしれません。海外ドラマの作り方を日本でも導入すべきという意見に賛成ですね。
本作を見る前に、下記の発表されたあらすじを期待しておりました。
“究極のマネジメント能力”を身につけるヒロイン・福子と、“発明家”として「世の中の役に立つこと」を理想に掲げ、邁進し続ける夫・萬平が、インスタントラーメンを創り出すまでの物語。
しかし蓋を開けたら連日期待を裏切る内容ばかり。武者さんのレビューにうなずく日々です。ふとNHKの番組ホームページをのぞくと下記の番組内容となっていました。
何度も失敗してはどん底から立ち上がる”敗者復活戦”を繰り返した末、二人は世紀の大発明へとたどりつく――人生大逆転の成功物語です。
マネージメント能力の文言がありません。いつからでしょうか?もう福子はマネージメント能力を身につけてもつけなくてもNHK側に責任は無いようです。
前にも「まれ」でも同じようなことがあったと思います。世界一のパティシエを目指す物語だと思って見ていたら、どうもなりそうにないし、ストーリーの展開上無理だろうと思っていたら、ホームページ上で「世界一」の文言が消えていました。制作側の責任逃れだと感じました。
「まんぷく」もあと3ヶ月となりましたが、これまでの雰囲気が一気に変わるとは思えず、冷めた目で見ることになるのは寂しい限りです。
本レビューでの主張に概ね賛成です。ドラマは決して単なる再現ドキュメンタリーではないとは言え、目的を見失った創作の行き着く先が、今の『まんぷく』の体たらくなのでしょう。
ただし、「朝ドラの中盤以降のダラけ」「親子の確執」については、私の理解は異なります。
レビュー筆者氏のご理解は、朝ドラ中盤以降で描かれる親子の確執と、「『働く母親の子はかわいそう』という古い価値観」が直結してしまっているかのよう。それでどうしてもマイナス評価になってしまうように思われます。
私は、朝ドラの親子の確執について、「子がいくつになっても、従順さを求めてしまいがちな親」と「自己が確立していく子」の差・食い違い という理解です。
家庭環境は様々あれど、また程度・形の差はあれ割と普遍的にありがちな現象の描写と捉えていました。
なので、『あさが来た』『べっぴんさん』とも、確執のシーン自体はもどかしく、苛立たしく感じるものではありますが、意味のあるものと感じ、このシーンをもって作品自体のマイナス評価には繋げていませんでした。
『あさが来た』の本放送当時、同じ筆者氏によるレビューが書かれていましたが、中盤以降感覚の違いを最も著しく感じたところでもあります。
これは、見る人による受け止め方・感じ方の違いであって、どちらが正しいというものではありませんが。
『まんぷく』は、このレベルにすらたどり着いていませんね。