やってみろ、搾ってみろ
ここで、なつにとっては大きな一歩があります。
「おい、こっち来い。やってみろ、搾ってみろ」
「はい、お願いします!」
搾乳チャレンジを言い渡された時の、なつの笑顔!
計算づくで笑うのではなくて、心の底からうれしくてたまらない。そんな自然な喜びにあふれています。
「よろしくね、蹴らないでね。大丈夫、大丈夫」
ここから泰樹が指示を出します。
お湯を含ませた布で乳首を拭き、あたためてやること。あまりぐずぐずしないこと。
「搾れ。数をかぞえるように、上から指を折るように」
ここで苦戦していたなつは、ハッとします。
そしてついに、牛乳が出てくるのです。ジュッという音が感動的です。
「すごい、やったな、なつちゃん!」
大人たちがそう祝福します。よく見ていたからこそできるんだ、と好評です。
いいですねぇ。
互いに観察しているのです。ぼけーっとしていないか、きちんと仕事を見ているのか。そう確認しているわけですね。
そんななつを、泰樹も見ています。
なつはやっぱり、そういうタイプでしたか。
この前の『いだてん』では、落語の初高座で後の古今亭志ん生が、話が出てこなくて緊張してガチガチになりました。ところが、人力車を引っ張りながら覚えたことを思い出すと、スラスラと嘘のように出てきたのです。
彼にせよ、なつにせよ、頭の中で要素がぴったりとあてはまると、嘘のようにスイスイとできるようになる。
そういうタイプっているんですよね。
それが詰まった時の苦しさは、『半分、青い。』の鈴愛断筆の前にありましたね。
こういう想像力のスイッチが入ること。尽きてしまうこと。
そういう表現を、きっちりと端的に描ける脚本家さんやチームって、やはりいるものなのです。
照男の焦り
そんななつを見ていた目がありました。
柴田家の長男・照男。
薪割りをしている姿を剛男が近寄って褒め、なつを頼むと率直に言います。
ところが、どうにも照男は歯切れが悪いのです。
なつの方が、じいちゃんに頼られていると気付いてしまいました。
じいちゃんに認められていないと嘆く照男に、剛男は「自分だってそうだ」と励まします。ここで父子は、互いを褒めあうのです。
どうしたんだ、照男?
これも、世代間やジェンダーの問題ではないかと思います。
照男の上にいる世代の男たちは、幼い頃から牛や馬の世話、力仕事をして男らしい世界へ向かっていきました。
しかし、この図式が照男となつの間では、逆転しています。
あんな汚い格好で、力仕事を頑張っている。
そんななつの【男】としての頼もしさを、祖父である泰樹は認めてしまったのか――そんな無意識のコンプレックスが、薪割りという力仕事に彼を向かわせたような気がするのです。
そしてこれは、後の場面でもわかります。
兄の戸惑いとは無縁で、黙々と勉強をする夕見子。
このころの北海道に住む少女精一杯の女の子らしさが、部屋に現れています。
そんな娘に、自分も勉強の方が働くよりも好きだったと、剛男は語ります。
彼は自分が【男らしさ】からは遠いと理解していて、勉強向きだと悟り、強い妻くらいでよいと割り切るタイプなのでしょう。
剛男は、娘の夕見子に【なつを引き取った理由】を話そうとします。
と、そこへ慌てて富士子がやって来ます。
なんと、泰樹がなつを荷馬車に乗せて、どこかに行ってしまったのです!
アニメの原点に戻ろう
ナレーションが、あきらかに『ドナドナ』を意識しております。
※荷馬車がゆ〜れ〜る〜
このあたりがうまい。
ヒロインモデルの出身地や境遇変更に、しっかりと意味と意図があるように思えます。
なつの幼少期は『アルプスの少女ハイジ』に似せて来ました。
アルプスのような大自然がある場所。
酪農のために動物と触れ合う場所といえば、やはり北海道でしょう。
それに、頑固ジジイもいるしね!
草創期のアニメの世界には、ハイジのような女の子がいた。
そう描くことで、日本のアニメーションの歩みをより印象的に描く。
そんな意図を感じます。
※雪も多いしね!
ジェンダー論に挑むNHK東京の本気
今朝、読みたいニュースです。
◆アート界のM字カーブやセクハラ、津田大介が芸術祭監督をやったら見えたこと|BUSINESS INSIDER
アートに進みたい女性がいても、性差別や女性としての生き方を押し付けられ、挫折してしまう。
それは、なつや鈴愛の世代だけではなく、現在も起きていることです。
そしてこれは、アニメにおける過剰な性的表現においても言えることなのです。
「ポリコレを取り入れて、よくなったためしがない!」
という意見をお持ちの方へ。
それは違うでしょう。
『マッドマックス 怒りのデスロード』のような作品は、ポリコレを配慮して、専門家のアドバイスを聞いてこそできたものです。
今年のアカデミー賞『グリーンブック』に関しては、むしろそのあたりの不徹底さがスパイク・リーらから批判されています。
リーにせよ、ハリウッドにせよ、ポリコレを受け入れていいことがないどころか、磨き上げねば先がないと思っているのです。
「ポリコレを無視した結果」の一例が、今話題となっています。
日本人女性は(※この動画には日本語が映っています)は下着の臭いを嗅いで性的な興奮を得ている。
人種差別と性差別の合わせ技であり、何も面白いところはありません。
それどころか、人を傷つけるものです。
女性の意見を受け入れてこそ、できることがある。
それは、今後なつの生き方が示してゆくことでしょう。
若者よ、らしさにとらわれるな! 己の信じる道をゆけ
今日は、3話目にしてガッツリとジェンダー論に切り込んで来ました。
彼らはハッキリと意識しているわけではありません。
それでも根底にはあります。
・富士子が嘆いているのは、なつの選んだ道が【女の道】ではなく【男の道】であるから
・剛男はそのあたりに鈍感なタイプ。自分も周囲も【男らしさ】や【女らしさ】を欠いていても無頓着なほう
・照男は、そう割り切れない。なつの存在によって自らの【男らしさ】の危機を察知し、悩み始めた
・泰樹は、人の本質を見抜き、一番ふさわしい道を示す老賢者タイプ
ここで考えたいこと。
それは、ジェンダー論は女性だけを解放するものではないということです。
剛男や照男のようなタイプの男性にとっては【男らしさ】からの逸脱こそが、救いとなり得るのです。
◆カミソリの米ジレット、「男らしさ」を問いかける広告動画が話題に。ネットには賛否の声
泰樹は、さらにそこから上へと踏み出しているとみた。
『ハリー・ポッター』のダンブルドア校長。
『X-MEN』のプロフェッサーX。
『マーベルユニバース』のニック・フューリー。
『指輪物語』のガンダルフ。
こういう老賢者として若者の才能を見抜く。
そしてきみにあう道こそが一番だ、そう語りかけてくる。
そんな存在になる予感がします。
そんな草刈正雄さん、最高じゃないですか!
※草刈さんについていくとか最高っしょ!(気の早い編集さんは泰樹を見て、もう涙が出そうとのことですw)
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
「むぎすけどん」氏の投稿に対しては、一度、反対意見が投稿されたのに、何故か削除になってしまっていました。
改めて読み返してみても、やはり「むぎすけどん」氏の考え方は怖いです。差別問題は、差別を受けたと感じた側の視点・立場に立ってその原因を考えるのが基本中の基本なのに、あろうことか、「ポリコレのせいで作品が影響を受けて台無しになっている」などと公言するとは。
それに、散々一方的な主張を展開しておきながら、その挙げ句に「ポリコレ云々の政治的な話をするのはやめましょう」と。
反論は封じようというのでしょうか。それはおかしいと思います。
これに対して、レビューの方では、性や人種その他の属性による固定的な考え方、無意識的な「決めつけ」から抜け出そう、という考えを基調に書かれています。大いに賛同できますし、勇気を与えられます。
このレビュー執筆の基調方針は、堅持していただきたいです。
この投稿( ↓ )は、「ポリコレ」に対する著しい無理解ないし強い偏見が、顕著に現れていると感じます。
投稿では、「いったいぜんたい、黒人が受賞しなかったからといって、なんだというのでしょうか?」「今や黒人や女性を主要でカッコいい役に入れないと総スカン喰らう時代」などと仰っていますが、まさにその発想自体が、問題の根源、差別的発想の典型としか言いようがありません。
差別は、やっている側はそれと気づかない。差別されたと感じている側が何故そう感じたのかを、寄り添い理解しなければ、同じことが繰り返され、傷つく人は生み出され続ける。
「そんなのは差別じゃない」などという決めつけは、やってはならないことの筆頭。
こちらのサイトにおいて、あえてこのような投稿を掲載しているのも、考えがあってのことでしょうし、多様性は大切で、「間違っている考え方も、覆い隠すのではなく、『見たうえで、何故間違っているのかをそれぞれが自ら考える』」ということもあろうかとは思います。
それならば、反対意見の投稿も、掲載させてほしいと切に思います。
幼少期に乳搾りのエピソードを入れたのは、もしかしたら、後年、旦那とともにハイジ制作に関わってくるからかもしれないですね。
ポリコレの弊害によって制約が加わり生まれなかった作品を考えると良いことばかりとは思えません。
2016年のoscarsowhiteの運動も人を肌の色で判断する偏狭な思想から始まっています。
いったいぜんたい、黒人が受賞しなかったからなんだというのでしょうか?その年にアジア人は受賞したでしょうか?本当の多様性を考えるなら、移民の子であるレオナルドディカプリオが受賞したことに関して賞賛するべきではなかったでしょうか?肌の色で受賞を決めるのは誤ったやり方です。
今や黒人や女性を主要でカッコいい役に入れないと総スカン食らう時代になっています。そんな時代に本当に自由な作品は生まれるのでしょうか?
Netflix版聖闘士星矢で瞬が女性になった件もそうです。
気がつかないうちに様々な作品が影響を受けて台無しになっていきます。それが怖いところだと思います。
アメリカは変な制約で作品を縛ってしまえばいいが、日本は違います。
まぁ、何が言いたいかというと、この作品にポリコレが云々の政治的な話をするのはやめましょう、ということです。
リンクされているとと姉ちゃんの記事を読みましたが、
史実のモデルがスカートを履いていないのはヒロインではなく、編集長の花山のモデルであった花森氏と記載されております。
うろ覚えですが、女性のための雑誌を作るということで女性の気持ちを感じ取ろうと男性である花山がスカートを履くシーンが劇中にありました。
どちらかというと、「事実と違う俗説を採用しジェンダーに囚われない姿勢を強調しすぎたため」モデルサイドから抗議を受けたのではないでしょうか。
この抗議を肯定的にとらえることはこのコラムの主張とは正反対となってしまうと思われますので、訂正なされた方がよろしいかと思います。
なつぞら、最高です!
初日から掴まれっぱなしです!
いきなりタンポポを愛でるでなく喰らうシーンに、アシリパさんを。
焼け野原の回想シーンに火垂るの墓の兄妹を。
草刈さんには真田昌幸を、それぞれ重ねて見てしまいました。
本日の放送で、さらに昌幸度アップ
(簡単には腹の底を見せない懐の深さ)
北海道弁も良いですね。
~かい?、~っしょ、自然に感じます。
家の昭和感も良い。
玄関開けたら、広めの土間にすぐ茶の間。
開墾時に出た伐採材を使ったであろうテーブル等の家具類。
農作業で使っている器具類。
画面から滲み出る当時の空気感がたまらん!
で、本日のなつのセリフ
「乳が出ないから力出さないと」
子供らしく無いのは、焼け野原を生き抜く為に早く「大人」になる必要があったから。
そんななつを、大人と言うか1人の人間として扱うじーちゃん。
まだ丁稚奉公の名残があった時代、田舎では幼児労働は割と当たり前。
学校よりも農作業優先。
同時に、学業優先で将来は都会に出て働くべきと考える新世代。
そんな過渡期が感じられます。
前作では出来なかった感情移入が、初日から全開です。
すでに、初日ラストの泣きシーンで、ここに来るまでの戦後ならではの背景や殺していたであろう感情の発露を感じ、ひと泣きしてしまいました。
今後に期待大です。
前作と言えば、
最近流れる焼きそばUFOのけたたましいCMに触発され、ついついコンビニへ。
まるちゃん正麺焼きそば買って帰りました。(笑
やはり、日清マークに手が出ない。