おはようございます!
まずはコメント欄から。
・演じる方が、台本を受け取った手応えを語っているとのこと
・名前を言ってはいけないあの駄作にはないものがある。その通りです!マウンティングの虚しさも、ご指摘の通りです。なんか****信徒が暴れていても、どうでも良くなってきますね。
・シナリオ集に掲載されないあの作品。それはそうでしょう。ヒロイン血縁者二名が消失するような駄作は、お手本にしてはなりませんからね。
こうしたコメント欄からも、皆さまの熱気が伝わってきます。
往年の名作アニメを思い出しているという意見も多い。
暗黒部を見つつ、アニメの魅力を思い出す。これって、すごいことではないでしょうか。
見ていた子供の頃を思い出す。
それと同時に、大人の世代としてどう生きるべきか。
アニメの世界にいた大人たちが、いかに優しく、賢く、当時の子供たちを導いていたかを痛感します。
一人一人が、自分のたどってきた人生や思い出。
その中にあったアニメを振り返る。
それを毎朝15分間、味わうことができる。
まさに画期的な作品だと思うのです。
懐かしいだけではない。
自分たちの力で、未来を生きる子供たちにもっといい世界を残したい。
そんな思いを再確認させる、ものすごい作品になる期待感も抱いています。
そして、名作アニメや海外ドラマ女性描写への変なバッシング。断末魔だと思いました。
そうそう。今期BSプレミアムでの再放送朝ドラは『おしん』ですね。
BS鑑賞ですと、この名作とぶつかりあっています。
それでも負けない、レジェンドと当たってもいけるという――そんな強気をも感じます。
広瀬さん、けっぱれ!
さて、ここでインタビューでも。
◆『なつぞら』ヒロインの広瀬すず、『半分、青い。』をうらやましいと感じるワケ(週刊女性PRIME) – Yahoo!ニュース
広瀬さんの頑張る姿、いいですね。
このインタビューでも『半分、青い。』が意識されていると示されています。
創造性と想像力を持ち、ちょっと空気が読めない。地方出身の女性。
確かに、あの作品を踏まえていると思える箇所がありますね。
そういう連続性に、余計なものはいりません。
最終段落が蛇足です。****の*ちゃんは通行人役でも不要でしょう。
NHK大阪はむしろ本作からなるべく遠ざかって欲しい。悪どい北海道侮辱を忘れてないからな。
と、その理由は後述!
絵から家族が飛び出した
父の絵から飛び出したように、抑えていた実の家族への愛、懐かしさがなつの胸に湧き上がって来ます。
絵の持つ力。
亡くなっても忘れられない家族。
そんな目に見えない何かがある。
死んだ父を思い出すどころか、母娘揃ってスペックが低いと罵倒していた。そんな駄作とは比較するのもどうか、って話です。
なつは、願います。
早くお返事ください。
千遥の住所を教えてください。
字が読めない妹にも、手紙を送りたい。三人の幼いきょうだいをつなぐ細い糸は、手紙頼りなのです。
ランプの灯りを頼り、そんな細い糸をたどるなつの姿。
もう、見ていて辛い……。
そして忘れてはならないこと。
なつのような子供たちが、かつてこの国には大勢いたのです。
乳牛は、みんなお母さんなんだね
翌朝。
ここからが朝ドラの限界に挑む、とてつもない場面です。
「牛の赤ちゃん、生まれるよ!」
一瞬、耳を疑いました。
何を見ているのか、信じられないほどでした。
役者さんも、演技なのか、素で驚いているのか。
ともかく生命に圧倒されている、そんなパワーがひしひしと伝わって来ます。
「生まれたよ!」
「ご苦労さん。よし、初乳を搾るぞ」
ここで泰樹がそう言い切ります。
出産してすぐに搾るのが可哀想……というのは素人考えなんですね。
【初乳】を搾ることは重要です。こんな短いセリフに、しっかりと知識を入れてくるって、本当によく勉強して挑まれている。
半端ないな、本作!
ここで、視聴者を代弁するようなセリフをなつが言います。
「牛さんは大変!」
子を生まねば乳は出ない。言われてみればその通り、そんな説明が出てきます。
「みんなお母さんなんだね!」
素朴なセリフ。
子供の純朴な感覚だけではなく、動物福祉問題に迫るものでもあります。
牛乳のために、ずっと妊娠と出産を繰り返させていいの?
そんな観点からの指摘が、なされているのです。
10銭が頭から離れない
牛の出産を見届けて、学校へ。算数の時間です。
天陽が気になって仕方ないなつは、先生の話に集中できていません。
ムラがあるタイプなのかな。やっぱり、なつって、鈴愛系の思考回路の持ち主っぽい。
そんな彼女を気になって仕方ないのが夕見子です。この子はきっちりとお勉強ができるタイプなのでしょう。
そして、こういうときに指名される。
学校もののお約束。なつさん、この計算の答えは?
「えーと、えーと……10銭です!」
「金の計算してんじゃねーよ!」
あわてて答えたなつを、クラスの悪ガキがからかいます。
学校ものあるある、懐かしいな〜。
このなつの10銭問題は、柴田家の朝食でも話題に。
富士子にせよ、剛男にせよ、なつが気になって仕方ないのです。富士子は、10銭くらい遠慮するなと叱って泣かせてしまったと、気にしています。
ハキハキとっさに出てしまう。父にだって頑固ジジイと言える。
その反面、ちょっとあたりがきつくないかとあとで悩む。
豪快さと細やかさを備えた、富士子はそんな北海道の女性なのです。
ここで戸村悠吉が、「鬼のような他人に虐待される戦災孤児もいますしね……」とポロリと口にしてしまい、息子・菊介に嗜められるという一幕も。
そんな戦災孤児のバッドエンドが、あの名作アニメです。
そのあたりを、きっちりと繋げておりますよね。
そりゃなつも、兄と妹が気になります。
自分は運が良くても、彼らはどうなっているかわかりません。
ここでうまいのが、泰樹です。
ジッと黙っているようで、会話からなつの状態を察知している。そう撮られています。
本作スタッフには『真田丸』からの方も多いとか。
ナルホド、深慮遠謀をめぐらせる草刈正雄さんを撮り慣れているわけですよ。
おのおの、ぬかりなく。
※一日警察署長時も、ぬかりなかったですね
運命との出逢い
このあとなつは、推し作家を待ちわびるファン心理を見せ付けます。
休み時間、天陽の机へ向かい「馬ばっかりだね」と声をかけました。
牛の出産について語り、馬以外も見たい、と。
うまいとか、すごいとか。そこを通り越して、新作をせがむファン心理!
わかります。そう頷く方も多いのでは? 絵師の新作をせがむ気持ちなんですね。
まぁ、ファン心理ではなくて父の思い出を重ねていると、そこは説明されます。
父の新作はもう見られないから。
なつの語り口にホロリとさせられます。
悲しいだけではありません。
父が絵を描き、娘に見せたからこそ、新たな人との出逢いが生まれ、可能性が生まれていく。
死んでしまった父は、無駄ではない。ある意味、なつの中で生き続けるのです。
母子だけではない、父子の絆。そんな関係がそこにはあります。
このとき、窓から風が吹き込んで、天陽のノートがめくれました。
天陽の絵は、小道具さんの気合が感じる――昨日のレビューでそう書いたものですが、一枚だけではありませんでした。
「馬が動いているみたい!」
なつがそういうと、蹄の音と嘶きまでもが重なってくる。そう、まるでアニメです。
この音はナゼ入るのか?
それは音響効果という単純なことではありません。
なつの心が、奏でているのです。そこには彼女の想像力があります。
父の思い出。
天陽との出逢いと画才。
そして、なつの想像力。
そうした要素がこの瞬間にピッタリとハマる。
子役時代の第一週に、テーマとなるものと劇的な出会いを果たす。
そんな朝ドラの王道を、過去作品の集大成や名作アニメまで絡めて、きっちりと描きました。
同時に亡くなった父の姿が、見えないようで確かにあること。
とても重要なことだと思います。
あの声は誰なのか?
そしてコメント欄でも賞賛されている、内村光良さんのナレーションですが。
本作の場合、ちょっと不思議ではあるんですよね。
なつ自身の回想、心の声は彼女自身が入れています。
これはかなり高度かつ、『半分、青い。』と同じ形式であると思います。
あの作品でも、鈴愛と律自身の声は、彼ら自身があてていたものです。
それとは別に、他界した祖母・廉子がメインナレーターでした。
これをあてはめると、何か見えてきませんか。
・ヒロインをよく知る人物
・ヒロインを呼び捨てにしている=近い血縁関係にある
・故人
・男性
この条件を全て備えた人物となると、ナレーター(内村光良さん)は【なつの戦死した父】という可能性があるのではないでしょうか。
朝ドラや大河ドラマでは、亡くなった近親者、しかも女性が見守るナレーションはよくあるものでした。
それは女性だけが持ち得るという、母性神話の現れであったかもしれません。
それが男性に転換したこと。
母ではなく、父であること。
これは大きな、100作目にふさわしい転換点かもしれません。男性だって、親なのです。そんなことは当たり前です。
ま、現時点でのナレーションについては、推察ですけれどね。
夕見子が腹を立てる理由
なつは帰宅し、親切そうな郵便配達夫に手紙を託します。
「返事があったら、すぐに届けてくれますか」
「もちろん」
ここの仕草も、やさしいのです。
子供のことだと聞き流さずに、目を見て話す。こういう大人になりたいですね。
そんななつを気にしているのが、夕見子。
演じる荒川梨杏さんの北海道弁のイントネーションが素晴らしい!
兄に手紙を出したというなつに、ガーッとこう迫るのです。
「この家にいたいの? 仕方なくいるの? あんたの気持ちが知りたい。どう受け入れたらいいのか、わかんないんだもん」
そこがわからないと、どう接したらいいのかわからない。
夕見子はしっかりしていて、かつ母親に似ているのだと思います。何でも白黒ハッキリさせて、本音でぶつかりあいたい。
それがマイペースで、ちょっとずれたなつとはテンポがあわない。
もしも、私を頼りたいなら、受け入れる。
でもどうなの? どっちなの? 受け入れると決めたらそうする。
そういう不器用な優しさが、富士子ともどもあるのです。それが、まだ子供だから、富士子のようにはできなくて、ちょっとイライラしちゃう。
悪い子じゃない。意地悪な子ではない。まだちょっと子供なだけ。
それなのになつにはそのあたりが伝わらず、富士子に手伝いを申し出て、明美の世話を任されてしまうのでした。
「あの子、腹立つ!」
夕見子がイライラしてしまうのは、彼女なりになつの運命を受け入れたい。
そんな真剣さの裏返しなのでしょう。
私はこんなに真面目に考えているんだ、ちょっとは話を聞いてよ!
そういう熱い心の裏返しが、実にお見事です。
「日本が米国に勝てるわけがない」というのは、必ずしも断言できないと思います。
日米の経済格差は確かにありましたが、日露戦争時点での日露の経済格差と比べると小さかったはずです。
日本が敗れたのは、経済格差ではなく、真珠湾攻撃を筆頭に、太平洋上の島々を戦略的合理性もなく取りたいだけ取って、米軍の反転を相手に長い補給線を無理やり維持しようとしてジリ貧になったことが原因です。
日米戦争を「不要」と批判するのは正しい姿勢ですが、敗因を「経済格差」と決めつけて論じるのは、教訓を得るうえでミスリードを犯す恐れがあるので、注意が必要です。
以前は私は北海道にご縁が薄かったのですが(寒いのが人一倍苦手なせいもあり)、ここ数年は訳あって頻繁に足を運び、知人も増えました。とりわけ帯広市の柳月(正確には音更)のお菓子が気に入ってしばしば購入しています。
本作で「帯広の雪月」が登場した時は当然おおっと反射的に身を乗り出しました。どうもモデルは六花亭の方だそうですが、いずれにせよ半年ぶりにまっとうに制作される朝ドラの復帰を実感して私の心は弾んでいます。70年も昔の、奥まった開拓地の牧場という都会の華やぎから隔絶した大自然の舞台でのドラマだと思いこんでいたところに、東京人をも魅了する北海道のファッショナブルなスイーツの製造元の出現は、意表をつく新鮮さがありました。ちょっと考えてみれば、酪農家と洋菓子店はミルクの仕入れで結びついた取引先であって、いきなり現れてなんら不思議ではないわけなのに。
やはり私のような都会者は北海道の牧場というものに対して、メルヘンの世界かもしくは畏怖の対象となる神秘の世界、いずれであれ「スイーツのような日常生活の次元」とはかけ離れた空間という固定観念を知らず知らず抱いているんだな、と改めて気づかされましたね。
ナレーターつながりで。名前を言ってはいけないあの作品の割と初期に、主人公の姉を「克子おばちゃん」と呼称しているナレーションがありました。続柄を推測するに、構想段階では芦田愛菜さんが後に主人公の娘の成長した姿として登場する予定だったのではないかと思います(西郷どん菊次郎ナレと同システムで)。芦田さんサイドが途中できな臭さを感じ取り断ったのか…。素人の勘繰りですが。
『なつぞら』第一週、感情移入なしには見られませんでした。亡くなった曾祖母が北海道の出なのです。ちらっと出てきたご当地寝具・丹前、曾祖母が私の母、つまり曾祖母から見たら孫の嫁入りに手づから縫った夫婦そろいの丹前。大事に使って今でも真冬は現役です。
こちらのサイトで北海道移民の情報に触れたり、『なつぞら』を見るにつけ、曾祖母の昔話を聞いてみたかったと、情がこみ上げてきます。世代的には富士子くらいでしょうか…。ひいばあちゃん、頑張ったんだねぇ…。
これからも目が離せない朝ドラになりそうです。
広瀬すずさんも、おそらく「こっち側の人」、鈴愛タイプの方なんじゃないかと思います。
実際、彼女の言動もしばしば炎上します。しかし、どれもが、誰かを傷つけようとなどしているのではなく、その時の自分の感じたことを歳相応の素直さでポンと出したまでのこと。自己の感性に忠実であるのは、女優という職業にとっては必須条件の筈なのに、一体いつからこの国は、就活生の面接の模範解答のような受け応えを表現者に求めるようになったのでしょうか?こんなんじゃ、かつて秋吉久美子さんが記者会見で放った「(自分の子どもは)卵で産みたい」のような名言など生まれるべくもありません。本当に、詰まらん世の中になったものです。
しかも、類まれな容姿と、おそらく芸能界政治のようなものも相まって、彼女は「叩きがいがある」女優であることは確かなようです。しかし、「広瀬すず」という存在は、今の日本映画界で、スクリーンに映った眼の輝き一つで多くの観客を惹きつけることができる唯一無二のスターだと、私は思っています。
多分、今回も、子役の粟野咲莉ちゃんの予想を超えた熱演もあり、朝ドラ恒例の「子役の方がよかった」という声がいつも以上にあがるかもしれません。また、ちょっと数字が下がれば「そらみたことか」的なバッシングが芸能ネットメディアが涌いてくる恐れもあります。NHK東京の関係者や彼女のスタッフの皆さんには、そんなノイズから広瀬すずさんを全力で守って、是非彼女の全身を賭けたパフォーマンスを届けてもらいたいと思っています。
一年前、初めて朝ドラに完全にはまり、あんなに夢中になったあの半年間。そのあと辛い時期がありましたが、やっとこのコメント欄に帰って来られました。
月曜から淡い期待を持ちつつも、半信半疑で見始めましたが、良作を確信しています。嬉しい限りです。
キャラクターの描写がそれぞれとても丁寧で、学校の子供たちにしても、薄っぺらいものは一つもありません。会話の掛け合いも自然で、違和感が無く、無理なく感情移入出来ます。心の機微が感じられる脚本となっています。
でも前々作で、主人公の一見過激とも思われるセリフや行動を批判した方々には、今回も夕見子などは単なるワガママな子供として映っているのでしょうかね。
武者さまも、素直に肯定的なレビューを書くことが出来て、筆が進むのではないでしょうか?相変わらず、鋭い的確な指摘ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
しかし、今の子役さんがあまりに好演していますから、もう少しこのまま幼少期を見ても良い気がしています。
太平洋戦争の描写に対する批判と言っても、正当なものといい加減なものでは、その内容は正反対。
正当なものは、「このような描写は甘い」「事実と違うのでは」といった内容のもの。
いい加減なものは、「こんな暗い話を朝から流すな」「日本を悪く描くな」という類いのもの。
まともに耳を傾け、検討の対象とすべきものがどちらなのかは言うまでもない。
なのに、その区別さえつかなくなったのが、『わろてんか』以降のNHK大阪。
『あさが来た』は、非常に面白い作品ですが、幕末から明治を舞台にしたのは、太平洋戦争の描写からの逃げもあるのかもしれません。その後の『べっぴんさん』の序盤の戦争描写などで批判が多かったから、以後のあの描写につながったと思います。要するに、暗いシーンなんて誰もうけないのだと。
あの鬼叔母と同じ松嶋菜々子さんが富士子なものですから、本作で富士子がなつを抱き締めたり、諄々と諭すシーンは、一層胸が熱くなり、印象深いものでした。
なつの髪型が、『火垂るの墓』の節子と同じなのも、更に印象を強めることに。
子供達と大人達の健全な関係が爽やかです。
とりわけ草刈さんが良い味を出していますね。
昌幸を越えるベストファーザー(グランパ?)になるのか?
楽しみにしております。
そして『想像力の欠如について』の問題に関して。
すでに言及されたコメントに加えて、こちらの記事も参考になるかと思います。
女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56931
美人や若者はヒトではなくモノとして見られ易いという、題名の通り残酷な実験の結果が記されています。
いきなりフルスロットルで始まったという印象で一杯の第一週。
文章力の乏しい私は、下手に感想を考えても、どんな言葉でも表現しきれず白けてしまうかのようで、まずは作品をありのまま受けとめてみることに徹してみました。
「考えるな。感じろ」とは、少し前にラストを迎えた某長編アニメ作品でしたが。
本作に関しては、手応え、印象はもう十分すぎる程。
レビュー本文で述べられているように、なつが、受けとめてくれる人々に辛うじて巡り会えた背後には、遥かに多数の不幸な人々があったのが事実。
富士子と同じ松嶋菜々子さんが出演したドラマ版『火垂るの墓』でも、その他ならぬ松嶋さん演ずる主人公の叔母が、主人公らを追い出し死に至らしめ、それでも鉄面皮で戦後を生き延びていく姿が描かれていました。
なつのみならず、富士子らの側にとっても、幸運な出会いだったとも言えるのでは。
戦争という極限状態が人を狂わせる恐ろしさも、改めで思い起こさせられるところです。
何故想像できないのか?
この問いで思い出したのは
「男が痴漢になる理由」斎藤章佳 著
「彼女は頭が悪いから」姫野カオルコ 著
でした。いずれも
・優位に立っている者には(無自覚・無意識に)劣位の者を征服・支配できるのは当然であるという、認知の歪みがある。
・被害者への共感・想像を無意識的にストップ(もしくは劣位の人をヒトではなくモノだと認識)しているので、いくら正論を訴えても響かない。
※破られた紙を指差して「この紙の気持ちを考えろ!」と訴えられた所で、(余程想像力・妄想力のある人でない限り)全く解らないのと同じ。
どころか『俺は訳の解らないことで因縁をつけられ、虐められている!!』と被害者意識や恨みを募らせてしまう。
・裁く側の心情が犯人寄り(男尊女卑・選民思想的な価値観を内面化)である事は多々ある。
という、やるせない事実が述べられています。
ただ、こうした事実に目が向けられ、これらの著作が注目を集めるようになったのは、良い傾向だと思います。
これまでは「当たり前」の事として、スルーされてきた事ですから。
朝ドラと関係のない事を長々と失礼しました。
語りは亡くなった父親、その通りかもしれません。もし劇中で明かされなくても、脚本家さんはその目線で書いているように思えます。もし、どこかに家族写真が残されていて、何も説明なくちらりと内村さんが映ったら胸がいっぱいになりそうです。誰にも知られずになつを見守っているわけですね。
また、男性が語りだからという観点、これもその通りに思えます。ほかの作品でも主人公に語り掛けている語りはあったのに、なぜ心にとまるのかと不思議に思っていました。
火垂るの墓では、もう命の尽きてしまった清太が、過去の自分たちを振り返る形式だったと思います(悲しいので、1度しかちゃんと見ていません)。彼の眼差しからは、当時の自分たちに、節子に駆け寄ってあげたい、でも何もできない、そんな絶対的な無力の悲しさを感じました。内村さんの語りも、慈しみのなかに悲しみを抱えているのかもしれないと思いました。なつを支えたくても、側に立っているしかできない。自分がなにか起こせるわけではないと分かっているからこそ、あの語り口なのかもしれません。
火垂るの墓とは違い、なつの未来はまだわかりません。なつが自分の人生を生きられるほど、語りの男性の気持ちは報われるはずだと思います。その時の語りも楽しみになりますね。
「通行人でも良いから~」
個人的には、これは「ま○●□ではなく、こういう作品に出たかった」という、本音が漏れたように思えました。
さて、なつのキャラクターですが、漫画家さんや作家さんのエッセイや自伝、コミックスのオマケに描かれる『過去の私』そのものだなと思いました。
彼ら彼女らも、やっぱり空気が読めず、何かにハマるとトコトン資料(本)を読みあさり、脳内は常に別の世界にトリップしていたというのです。
(代表的なのはさくらももこ先生でしょうか。そういえば代表作の『ちびまる子ちゃん』もヒロインまる子はじめ、都合の良い女の子がおらず、リアリティあふれる子供ばかりの作品ですね)
かなり作り込んでキャラクターを設定したのか、それとも製作陣がそういった人々を多く抱えていたから、自然にそうなったのか。
興味深いですね。
内村さんが亡きお父さん、という意見、確かになるほどそうだなと思いました。ヒロインの父親に自分を重ねて見ると言われる男性視聴者層を死後の世界に置いてみる、というのは新たな試みかも知れませんね。(「父」が完全に無視された画期的作品としての前作「まんぷく」という分析もできるかもですが)
第1話で見ると決めた第一週、大人たちばかりでなく子供たちそれぞれの行動の原理や心情が垣間見えるドラマでしたので、非常に面白かった。
来週もよろしくお願いいたします。