なつぞら6話 感想あらすじ視聴率(4/6)想像力とその欠如のもたらす悲劇

誰にも果たすべき役割がある

明美の面倒を見るなつは、照男が薪割りしている姿を見つけます。

「私にもやらせて」

好奇心いっぱいのなつに、照男は危ないからと断ります。

「これは俺の仕事だよ」

ここで、照男の本音が垣間見えます。

搾乳という本来男の自分がやるべき仕事。それを女のなつが先に習得してしまった。

ここで、薪割りという男の仕事をなつがこなしてしまったら。
自分の役割が消えてしまう。居場所がなくなる。

これは北海道の歴史とも、関係があるのです。

屯田兵たちは、北海道で果たすべき役割があると決意を固め、海を渡りました。

戊辰戦争で負けた。
北海道で、また負けるわけにはいかない。

開拓を成し遂げてこそ、我が主君の名誉回復が叶えられる。そんな忠義心を抱えながら、慣れぬ開拓や農作業に力を尽くしたのです。

余市のリンゴ「緋の衣」と会津藩士たち 北海道移住の敗者は赤い実に未来を賭けた

アイヌの人々もそうでした。

戦場では、際立って勇敢なアイヌの兵士たちがいたものなのです。

戦場に立ったアイヌたち、その知られざる活躍 日露戦争~太平洋戦争にて

これも悲しい連帯責任論でもあります。

勝者が、薩長が、和人が。
マジョリティが失敗しても、それはたまたまダメな奴がいたのだと思われる。

敗者は、賊軍は、アイヌは。そうじゃない。
一人が失敗すれば、あいつらは皆ダメだ――所詮そんな連中なのだ、と言われてしまう。

そうならないためには、一人一人が役目を果たせ!

まだ幼い照男や夕見子からすら、北海道民の、自分の持つ役割を果たしたい――そんな責任感を感じさせるのです。

【天から役目なしに降ろされたものはひとつもない】

これは『ゴールデンカムイ』単行本カバーに記されているアイヌの言葉です。アイヌだけではなく、北海道を生きるものにふさわしい。

『なつぞら』にもあてはまる言葉になりますように。

NHK大阪が本作に関わってはならない理由

ここで、NHK大阪についても言及しておきたい。
それは****ではありません。

ファン投票第1位の大人気作品ですので名指しは気が引けますが、
2015年『あさが来た』
です。

2016年から低調とされるNHK大阪の朝ドラ。
思えば2014年『マッサン』とこの作品が、悪い意味でのターニングポイントであったと思います。

この二作は、まだ破綻を繕えた、いわば最後の輝きでした。

あの作品で、どうしても許せない部分があります。

それは「開拓使官有物払下げ事件」の描写です。
あまりにも酷いものでした。

五代友厚の功績はわかっています。偉大な人物です。

だからといって、彼と薩摩閥が北海道屯田兵や開拓民の苦労をビジネスチャンスにした。そういう行為を見逃すわけにはいきません。

五代友厚(才助)49年の生涯をスッキリ解説!西郷や大久保に並ぶ薩摩藩士の実力

事実関係をきっちりと描けば、この事件も明治の汚職にしてはそこまで悪くないのです。
他があまりにも……という話ではあります。

『あさが来た』実家モデルとも関わりがあったこの政治家の汚職は、こんなものではありませんし。

井上馨81年の生涯をスッキリ解説!鹿鳴館時代を作り大臣を歴任しながら首相になれなかった男

描き方次第では、五代の事情をきっちりと描けたはず。

それを、あの作品はキャラクター人気を盾にして、逃げました。無理矢理、冤罪もどきにまでしてしまった。

北海道は、大阪商人のビジネスチャンスでありません。
勘違いすな!

あさが来た 89話「開拓使官有物払下げ事件」描写が歴史修正では?

関わって欲しくない。
そう強く断定したのも、こんな悪事をやらかした過去があるからです。

前作ヒロインが通行人で出ようものならば、げんなりさせられます。

勝てるわけないと絶望していた人々

話を薪割りシーンに戻します。

なつには照男の危機感なんて、わかりません。
そして、自分の兄のことを語り出しました。

タップダンスを浅草で習っていたこと。
戦争で、それができなくなったこと。

ここから、なつの家庭像が見えて来ますね。

映画を楽しみ、アメリカ文化を受け入れて来た。ジャズのレコードが家にあったかもしれない。
そういう環境にあった人々は、真珠湾攻撃のニュースを聞いて絶望したものでした。

あんな映画がある国。
自動車があり、タップダンスを楽しむ国。
勝てるわけがない――。

例えば陸軍人であった西竹一もそうです。彼はチャップリンはじめ、多くのハリウッドスターとも交流がありました。

西竹一(バロン西)42年の生涯を解説!世界のセレブに愛された貴公子の凄絶な最期

その西は、硫黄島で命を落とします。

まだ少年だった笠原和夫も、冷めた気持ちで開戦を受け止めておりました。

真珠湾攻撃を「裸の王様」と自覚していた中学生・笠原和夫(仁義なきシリーズの脚本家)

後にこの少年は、映画史に残る名作の脚本を手がけます。

彼の人生経験が脚本にも生きています

なつの父や兄も、そんな人であったのかもしれません。
その絶望は、いかばかりであったか……。

そういう日本人もいたものです。しかし、名前を言ってはいけないどうしようもない駄作では、キンキン声のナレーションが能天気にこう言い切ったものです。

開戦当初、日本人は誰もが勝てると思っていました――。

って、侮辱にもほどがあるでしょう。

兄に会いたい、妹を抱きしめたい

ナゼ、このときなつは兄のことを一方的に話したのか?
照男に聞かれ、本人すらわからないと答えるわけですが、そこには無意識の動きもあります。

なつは、柴田家で安堵するとともに家族のことを思い出してしまったのでしょう。
タフに生き抜くためには、回想や感傷は封じ込めなければならない。しかし、そうではなくなった。

柴田家の子供の構成はなつの家と同じ。
照男を見ていると、兄を思い出してしまう。そんな無意識の動きなのでしょう。

兄も、妹のゆくえもわからない。
なつは、妹と重ねて明美を抱きしめてしまいます。明美が不安がって泣いてしまうのでした。

夕見子から明美が泣かされていると聞いた富士子。

富士子は、明美はいいからおじいちゃんを手伝って、と告げるだけなのです。

誰も、なつの心の変化には気づきません。

どうして返事が来ないの?

ナゼ兄から手紙が来ないのか?

なつはこう想像します。
手紙には、兄に会いたいと書いておりました。

兄は、返事を書くとかえって恋しいと思わせてしまうかもしれない。
そう思ったのだろう、と。

だからなつは、柴田家での生活が楽しいことを書いて送るのです。

大丈夫。
幸せだから。
心配しないで。
そう書きながら、泣いてしまうなつ。

この描写も秀逸です。
戦時中やシベリア抑留中、検閲を恐れて兵士や抑留者は、このときのなつのような手紙を書いていたものです。

そうではない本音を記した手紙を交換しあったことから、なつの父と柴田家の交流は始まったわけです。手紙がなつの運命を変えてゆきます。

そしてその翌朝、なつは夜明け前にある行動に出ます。
兄と妹を探すために、家出してしまうのです。

なつよ、東京は遠いぞ――。
来週に続くぞ――。

空から響くような、ナレーションがそう告げるのでした。

どうして想像できないの?

なつが如何に想像力に満ちた子であるか――本作は実に丁寧に描写しています。
そして、そのマイナス面も、ハッキリ描いています。

何度も指摘してきましたが、『半分、青い。』において「この作品を信じられる」と確信したのは、明治村デートで想像力のもたらす悲劇を描いてからでした。

【想像力豊かな女の子=誰からも愛されるゆるふわちゃん】

そうではない。周囲からすると、突拍子もなくて戸惑う。イライラさせられる。
【空気を読めないいじめられっ子】になり得る。

本作も、そこをきっちりと示しました。
同時に、視聴者にもそのことを求めてくるのです。

表層的な意味だけではなく、本心はどうなのか。
そうお互いに考えてこそ、よりよい世の中になるのではないか――。

不愉快でありすぎるため、敢えてリンクは貼りませんが、最近も、そんなニュースがありました。
父から性的虐待を受けていた少女が「抵抗できたから」という理由で無罪になった事件です。

ナゼ、彼女の痛みや苦しみ、絶望感が、想像できないのか!
この事件では、そんな想像力の欠如に対して、怒りの声が巻き起こっています。

コメント欄でもご指摘がありましたように、想像力の欠如はしょうもない海外ドラマや名作アニメバッシングの背景にもあるものです。

「最近のディズニーは、女性解放ばっかり訴えていて過激だ!」
なんてしょうもない意見もあるものです。

※コレとかね

女が考えることそのものが不愉快だ。

女が上に立つことそのものが嫌なのだ。

女の痛みや抑圧なんて、想像したくない。

そうした結果が、クールジャパンがドツボに陥る原因そのものでしょう。

海外ではオルタナ右翼(オルトライト)やインセル(女性蔑視主義者)の聖典やアイコンとして、ジャパニメーションが使われていること。
その深刻な状況から目をそらし続ける期間は、もう終わりつつあるのです。

◆「オルタナ右翼」とは何か 知的エリート風の白人たちが放つヘイトの恐怖

◆女性を憎悪する「インセル」とは? モテない男性の心の闇をネットが加速させる

リブート版『ゴーストバスターズ』、『キャプテン・マーベル』にも、こうした層からのバッシングがありました。

こうした苦い経験を経て、海外では対処がなされるようになっています。

遅くはなるでしょうが、日本にもその流れは到達することでしょう。

◆『キャプテン・マーベル』米レビューサイト荒らし問題、運営側がユーザー検証制の導入を検討「信頼性を確保したい」 

ノイジーマイノリティの踊りも、そろそろ見納めどきなのです。

※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!

【参考】なつぞら公式HP

 

14 Comments

Susuka

「日本が米国に勝てるわけがない」というのは、必ずしも断言できないと思います。
日米の経済格差は確かにありましたが、日露戦争時点での日露の経済格差と比べると小さかったはずです。
日本が敗れたのは、経済格差ではなく、真珠湾攻撃を筆頭に、太平洋上の島々を戦略的合理性もなく取りたいだけ取って、米軍の反転を相手に長い補給線を無理やり維持しようとしてジリ貧になったことが原因です。
日米戦争を「不要」と批判するのは正しい姿勢ですが、敗因を「経済格差」と決めつけて論じるのは、教訓を得るうえでミスリードを犯す恐れがあるので、注意が必要です。

ビーチボーイ

以前は私は北海道にご縁が薄かったのですが(寒いのが人一倍苦手なせいもあり)、ここ数年は訳あって頻繁に足を運び、知人も増えました。とりわけ帯広市の柳月(正確には音更)のお菓子が気に入ってしばしば購入しています。
本作で「帯広の雪月」が登場した時は当然おおっと反射的に身を乗り出しました。どうもモデルは六花亭の方だそうですが、いずれにせよ半年ぶりにまっとうに制作される朝ドラの復帰を実感して私の心は弾んでいます。70年も昔の、奥まった開拓地の牧場という都会の華やぎから隔絶した大自然の舞台でのドラマだと思いこんでいたところに、東京人をも魅了する北海道のファッショナブルなスイーツの製造元の出現は、意表をつく新鮮さがありました。ちょっと考えてみれば、酪農家と洋菓子店はミルクの仕入れで結びついた取引先であって、いきなり現れてなんら不思議ではないわけなのに。
やはり私のような都会者は北海道の牧場というものに対して、メルヘンの世界かもしくは畏怖の対象となる神秘の世界、いずれであれ「スイーツのような日常生活の次元」とはかけ離れた空間という固定観念を知らず知らず抱いているんだな、と改めて気づかされましたね。

孤独の胃弱

ナレーターつながりで。名前を言ってはいけないあの作品の割と初期に、主人公の姉を「克子おばちゃん」と呼称しているナレーションがありました。続柄を推測するに、構想段階では芦田愛菜さんが後に主人公の娘の成長した姿として登場する予定だったのではないかと思います(西郷どん菊次郎ナレと同システムで)。芦田さんサイドが途中できな臭さを感じ取り断ったのか…。素人の勘繰りですが。

『なつぞら』第一週、感情移入なしには見られませんでした。亡くなった曾祖母が北海道の出なのです。ちらっと出てきたご当地寝具・丹前、曾祖母が私の母、つまり曾祖母から見たら孫の嫁入りに手づから縫った夫婦そろいの丹前。大事に使って今でも真冬は現役です。

こちらのサイトで北海道移民の情報に触れたり、『なつぞら』を見るにつけ、曾祖母の昔話を聞いてみたかったと、情がこみ上げてきます。世代的には富士子くらいでしょうか…。ひいばあちゃん、頑張ったんだねぇ…。

これからも目が離せない朝ドラになりそうです。

Zai-Chen

広瀬すずさんも、おそらく「こっち側の人」、鈴愛タイプの方なんじゃないかと思います。
実際、彼女の言動もしばしば炎上します。しかし、どれもが、誰かを傷つけようとなどしているのではなく、その時の自分の感じたことを歳相応の素直さでポンと出したまでのこと。自己の感性に忠実であるのは、女優という職業にとっては必須条件の筈なのに、一体いつからこの国は、就活生の面接の模範解答のような受け応えを表現者に求めるようになったのでしょうか?こんなんじゃ、かつて秋吉久美子さんが記者会見で放った「(自分の子どもは)卵で産みたい」のような名言など生まれるべくもありません。本当に、詰まらん世の中になったものです。
しかも、類まれな容姿と、おそらく芸能界政治のようなものも相まって、彼女は「叩きがいがある」女優であることは確かなようです。しかし、「広瀬すず」という存在は、今の日本映画界で、スクリーンに映った眼の輝き一つで多くの観客を惹きつけることができる唯一無二のスターだと、私は思っています。
多分、今回も、子役の粟野咲莉ちゃんの予想を超えた熱演もあり、朝ドラ恒例の「子役の方がよかった」という声がいつも以上にあがるかもしれません。また、ちょっと数字が下がれば「そらみたことか」的なバッシングが芸能ネットメディアが涌いてくる恐れもあります。NHK東京の関係者や彼女のスタッフの皆さんには、そんなノイズから広瀬すずさんを全力で守って、是非彼女の全身を賭けたパフォーマンスを届けてもらいたいと思っています。

いししのしし

 一年前、初めて朝ドラに完全にはまり、あんなに夢中になったあの半年間。そのあと辛い時期がありましたが、やっとこのコメント欄に帰って来られました。
 月曜から淡い期待を持ちつつも、半信半疑で見始めましたが、良作を確信しています。嬉しい限りです。
 キャラクターの描写がそれぞれとても丁寧で、学校の子供たちにしても、薄っぺらいものは一つもありません。会話の掛け合いも自然で、違和感が無く、無理なく感情移入出来ます。心の機微が感じられる脚本となっています。
 でも前々作で、主人公の一見過激とも思われるセリフや行動を批判した方々には、今回も夕見子などは単なるワガママな子供として映っているのでしょうかね。
 武者さまも、素直に肯定的なレビューを書くことが出来て、筆が進むのではないでしょうか?相変わらず、鋭い的確な指摘ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
 しかし、今の子役さんがあまりに好演していますから、もう少しこのまま幼少期を見ても良い気がしています。

ガブレンツ奮戦

太平洋戦争の描写に対する批判と言っても、正当なものといい加減なものでは、その内容は正反対。

正当なものは、「このような描写は甘い」「事実と違うのでは」といった内容のもの。

いい加減なものは、「こんな暗い話を朝から流すな」「日本を悪く描くな」という類いのもの。

まともに耳を傾け、検討の対象とすべきものがどちらなのかは言うまでもない。
なのに、その区別さえつかなくなったのが、『わろてんか』以降のNHK大阪。

匿名

『あさが来た』は、非常に面白い作品ですが、幕末から明治を舞台にしたのは、太平洋戦争の描写からの逃げもあるのかもしれません。その後の『べっぴんさん』の序盤の戦争描写などで批判が多かったから、以後のあの描写につながったと思います。要するに、暗いシーンなんて誰もうけないのだと。

904bis型

あの鬼叔母と同じ松嶋菜々子さんが富士子なものですから、本作で富士子がなつを抱き締めたり、諄々と諭すシーンは、一層胸が熱くなり、印象深いものでした。

なつの髪型が、『火垂るの墓』の節子と同じなのも、更に印象を強めることに。

匿名

子供達と大人達の健全な関係が爽やかです。
とりわけ草刈さんが良い味を出していますね。
昌幸を越えるベストファーザー(グランパ?)になるのか?
楽しみにしております。
そして『想像力の欠如について』の問題に関して。
すでに言及されたコメントに加えて、こちらの記事も参考になるかと思います。

女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56931
美人や若者はヒトではなくモノとして見られ易いという、題名の通り残酷な実験の結果が記されています。

904型

いきなりフルスロットルで始まったという印象で一杯の第一週。

文章力の乏しい私は、下手に感想を考えても、どんな言葉でも表現しきれず白けてしまうかのようで、まずは作品をありのまま受けとめてみることに徹してみました。

「考えるな。感じろ」とは、少し前にラストを迎えた某長編アニメ作品でしたが。

本作に関しては、手応え、印象はもう十分すぎる程。

レビュー本文で述べられているように、なつが、受けとめてくれる人々に辛うじて巡り会えた背後には、遥かに多数の不幸な人々があったのが事実。
富士子と同じ松嶋菜々子さんが出演したドラマ版『火垂るの墓』でも、その他ならぬ松嶋さん演ずる主人公の叔母が、主人公らを追い出し死に至らしめ、それでも鉄面皮で戦後を生き延びていく姿が描かれていました。

なつのみならず、富士子らの側にとっても、幸運な出会いだったとも言えるのでは。

戦争という極限状態が人を狂わせる恐ろしさも、改めで思い起こさせられるところです。

しろばにあ

何故想像できないのか?
この問いで思い出したのは
「男が痴漢になる理由」斎藤章佳 著
「彼女は頭が悪いから」姫野カオルコ 著
でした。いずれも
・優位に立っている者には(無自覚・無意識に)劣位の者を征服・支配できるのは当然であるという、認知の歪みがある。
・被害者への共感・想像を無意識的にストップ(もしくは劣位の人をヒトではなくモノだと認識)しているので、いくら正論を訴えても響かない。
※破られた紙を指差して「この紙の気持ちを考えろ!」と訴えられた所で、(余程想像力・妄想力のある人でない限り)全く解らないのと同じ。
どころか『俺は訳の解らないことで因縁をつけられ、虐められている!!』と被害者意識や恨みを募らせてしまう。
・裁く側の心情が犯人寄り(男尊女卑・選民思想的な価値観を内面化)である事は多々ある。
という、やるせない事実が述べられています。
ただ、こうした事実に目が向けられ、これらの著作が注目を集めるようになったのは、良い傾向だと思います。
これまでは「当たり前」の事として、スルーされてきた事ですから。
朝ドラと関係のない事を長々と失礼しました。

あしもと

語りは亡くなった父親、その通りかもしれません。もし劇中で明かされなくても、脚本家さんはその目線で書いているように思えます。もし、どこかに家族写真が残されていて、何も説明なくちらりと内村さんが映ったら胸がいっぱいになりそうです。誰にも知られずになつを見守っているわけですね。

また、男性が語りだからという観点、これもその通りに思えます。ほかの作品でも主人公に語り掛けている語りはあったのに、なぜ心にとまるのかと不思議に思っていました。

火垂るの墓では、もう命の尽きてしまった清太が、過去の自分たちを振り返る形式だったと思います(悲しいので、1度しかちゃんと見ていません)。彼の眼差しからは、当時の自分たちに、節子に駆け寄ってあげたい、でも何もできない、そんな絶対的な無力の悲しさを感じました。内村さんの語りも、慈しみのなかに悲しみを抱えているのかもしれないと思いました。なつを支えたくても、側に立っているしかできない。自分がなにか起こせるわけではないと分かっているからこそ、あの語り口なのかもしれません。

火垂るの墓とは違い、なつの未来はまだわかりません。なつが自分の人生を生きられるほど、語りの男性の気持ちは報われるはずだと思います。その時の語りも楽しみになりますね。

むんむん

「通行人でも良いから~」
個人的には、これは「ま○●□ではなく、こういう作品に出たかった」という、本音が漏れたように思えました。

さて、なつのキャラクターですが、漫画家さんや作家さんのエッセイや自伝、コミックスのオマケに描かれる『過去の私』そのものだなと思いました。
彼ら彼女らも、やっぱり空気が読めず、何かにハマるとトコトン資料(本)を読みあさり、脳内は常に別の世界にトリップしていたというのです。
(代表的なのはさくらももこ先生でしょうか。そういえば代表作の『ちびまる子ちゃん』もヒロインまる子はじめ、都合の良い女の子がおらず、リアリティあふれる子供ばかりの作品ですね)
かなり作り込んでキャラクターを設定したのか、それとも製作陣がそういった人々を多く抱えていたから、自然にそうなったのか。
興味深いですね。

匿名

内村さんが亡きお父さん、という意見、確かになるほどそうだなと思いました。ヒロインの父親に自分を重ねて見ると言われる男性視聴者層を死後の世界に置いてみる、というのは新たな試みかも知れませんね。(「父」が完全に無視された画期的作品としての前作「まんぷく」という分析もできるかもですが)
第1話で見ると決めた第一週、大人たちばかりでなく子供たちそれぞれの行動の原理や心情が垣間見えるドラマでしたので、非常に面白かった。
来週もよろしくお願いいたします。

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