おはようございます。
今朝は、ポパイの映画を見るところから。
うっとりと画面を眺めるなつと子供たち。
この選択は正しいと思えます。
今見ても、ポパイって動きが面白いんですよね。
最近のアニメにはない動きが、斬新に思えてきました。ポパイというのは、考え抜かれた選択ではないでしょうか。
子役の皆さんが完全になりきっている。
それが見事で、各人の性格の違いまで、考え抜かれていると伝わって来ます。
見終えたあと、ボーッとしているなつ。
夕見子は心配します。その理由がいい。
美少女だってトイレくらい行くでしょ!
「もしかして、漏らしたの?」
おいっ、夕見子ぉおお!
耳打ちするのではなく、どストレートに聞いてくるなぁ。
しかもここで、
「私はずっと我慢してた。先行くね」
と、自らの排泄欲ギリギリを語るという率直さ。すごいぞ、本作は!
「美人は汚いものなんてしないもん!」
かつて、そんな冗談めいた言い回しがありました。検便検尿の時に、好きな女の子が提出していて驚いたとか。
当たり前だろうが!
そう一蹴できる話です。
ところが笑い話でもない。
女性にまつわる【迷信】は今でもあります。
女の子はスイーツ大好きで、着飾ることばかり考えているとか。
女の子はハイヒールでも足が痛くならないとか。
女の子は男の気を常にひきたい、好意を抱かれると喜ぶとか。
母親ならば母乳が出て当然だとか。
母親ならばスマホでなく、子供をずっと見ていろだとか。
そういう女性への固定観念を、容赦なくぶった切っていく――そんな思い切りの良さを感じます。
しかも巧みな入れ込み方なのです。
天陽とその家族、そして【背水の陣】
ここで、天陽の家族が出てきました。
あの親切な郵便屋さんは、父の正治だったんですね。
母のタミも出てきます。
既にニュースにもなりましたが『おしん』の小林綾子さん。
鉄壁の布陣だな!
単なる話題性狙いでもない。
そういう単純なことでもない。
レジェンドクラスの朝ドラ出身者を出すということは、こういうプレッシャーを製作陣にかけるということでもあります。
「本作がレジェンドの汚点になったら……どういうことかわかるな?」
いわば【背水の陣】ですね。
背後に水があったら、間違って落ちてしまうプレッシャーも常にかかる。
そのために、果敢に戦うしかない。
この【背水の陣】の一例は、昨日レビューでも触れた『半分、青い。』記事からも感じた姿勢でした。
戦争を挟む。
実在の人物を使う。
それが王道であることは理解していた――そこを外すことで挑戦してきた。そんな覚悟です。
出演=汚点になっても、王道題材で手堅く数字を取れたらエエ。
そういうNHK大阪と出来が違うのは、当然の帰結です。
「鬼畜米英」と言っておきながら……
なつと天陽家族の会話が始まりました。
無邪気に映画について語るなつ。
郵便のことを話しかけるなつ。
その背後で、天陽の両親からは彼らの痛みを感じさせるのです。
東京から来たというなつの言葉を聞き、その苦労を思いやるタミ。天陽が受け入れられるか、そんな不安もそこにはあります。
北海道で身をすくめて生きてきた家族なのです。
天陽は、なつの無邪気さに救われたのか。生き生きと話しています。
彼がモノクロのアニメは見ていたことがわかりました。
そして兄から、ディズニーについての知識を聞いていることも。
正治は、あんなおもしろいものも、爆弾も作るアメリカについての複雑な感情も見せ始めます。
「鬼畜米英あれほど言っておいて、アメリカ礼賛とは……」
そう悔しがる正治を、たしなめるタミです。
これも戦後のリアリティを感じます。
日本の手のひら返しは、歴史的に見ても稀有なのです。
マッカーサーがアメリカに上陸する際、滑走路整備のために作業員が大動員されました。アメリカを上陸させてなるものかと、滑走路に廃材をばらまいた人がいたのです。
そのマッカーサーが帰国する時は?
涙ながらに、帰らないでくださいと手を振る人が大勢おりました。
余談ですが、これがアメリカのイラク戦争後対策マイナスの影響を与えたともされております。
あれほど鬼畜米英と言い張った日本でもおとなしくなったのだから、とイラクに駐留したところ……恐ろしい結果が待っていました。
じゃあ正治は反米的なのか?
そうとも言い切れません。
彼の中には、日本政府への不満や不信がある。この心理は重要です。
山田家の絵
そこへ、柴田家の富士子たちもやってきます。
天陽と仲良くしてもらって、とタミが頭を下げます。
「なんだーそだったのー」
そう言う富士子。
その前で、天陽はなつを家に遊びに来たらと誘っています。
しかし、父の正治は「あんな粗末な家に柴田家から招いたら失礼だ」とたしなめるのです。
ここで子供たちが戸惑うところを、柴田家側がそんなことはないと言い切ります。
ほのぼのしているようで、辛い。
そこには、明確な上下関係があります。柴田家が上。山田家は下。
そうして、なつが北海道の大自然の中、天陽に案内されて家まで行くわけです。
その先にあるのは、本当に小さな家でした。
柴田牧場と比較するのも失礼なほど小さくて、暖房もお粗末で、森の中にあります。
家の中には、天陽の兄が描いた絵が、びっしりと飾ってあるのでした。誇らしげな天陽です。
ここで、山田家の事情が説明されました。
画才があるのは、兄も弟も一緒。
父としては、伸ばしてあげたい。だからこそ無理をして、絵を描くために無理して絵の具を買ってあげている。
しかし、それも兄だけ。
弟には我慢してもらうしかない。
弟は、あまり兄が使わない、安い黒だけを使って、絵を描いている。
赤や黄は使えない。
絵を描きたいのに、色が制限される悲しみ。
駄作ドラマにはなかった、絵を理解しているとわかる表現です。
そして兄弟間の譲り合い。
貧しい時代、才能あるきょうだいを優先するために、他のきょうだいが譲ることは当然のことでした。
卵をあの子だけに食べさせる。
きょうだいのために働いて学費を稼ぐ。
『いだてん』でもそうでしたね。
駄作だと、そこをふまえずに何人子供がいようと当然のように全員を進学させてしまいます。
そうでないんだわ。
天陽のような子供たち、元子供たちは、大勢いるものなのです。
オープニングのアニメの最後のところでなつが動物たちと一緒に駆けているシーンで、少しだけなつが遅れてきたところ、なつは少しだけスピードを上げて動物たちを追い抜く。でも、つまづいてコケてしまう。でも、周りの動物たちはなつの周りで立ち上がるのを見守る。ムリに急がなくてもいいよと。そしてみんなで笑顔。何気ないシーンだが、こんな暖かい触れ合いが当たり前のようにできる事がこのドラマのテーマのひとつなんだろうな。
人口吸収を目的とした、安易とも言える移民政策・拓殖政策の不合理に焦点を当てたのは意義があると思います。
空襲被災者を対象としたこの「拓北農兵隊」事業が多くの失敗を生んでいたにも関わらず、終戦直後は外地引揚者や復員者を対象に緊急開拓事業が行われることとなります。恐らく、この『なつぞら』の劇中の時点では、各地で農耕に適しない旧軍用地や未利用地の開墾・入植が始められようとしていた筈。
拓北農兵隊の教訓は活かされることもなく(それどころではなかったのでしょうが)、入植者の人々の多くは数年を経ずして入植を諦めることとなります。
しかしながら、国の政策の不合理にも関わらず、入植にこぎ着けることのできた少数の人達は、おもに畜産や酪農で生計を立てることになります。僻地で牧場を営んでいる方の中には、そういうルーツがある方も少なくないそうです。今も少数残る「開拓農協」という農協や、「開拓牛」というブランド牛などもそう。
苦境の中で入植者の中から、新たな泰樹のような人々がまた立ち上がっていったであろうことを思うと、感慨深いものがあります。
だからこそ、天陽に救いの手が差し伸べられて欲しいのです。
今回の話はちょっと情緒不安定の人が多かったかな、というのが正直な感想です。
天満くんも唐突に爆発したり(そして聞き取れない)、なつも恋愛脳を拗らせて、じっさんに怒鳴りつけたり。
前回まで家族として受け入れられた暖かい感動する話だったのですが。
まぁ、でも「幸せだからの感情の爆発」だという、ナレでの内村さんのフォローがあったりしたので、早計に評価決め付けるのはまだ早いとは思います。なんといっても、題材がいいですし。
武者さんの強引なフェミ論を押し付けたドラマレビューにはやはり疑問を感じます。
今回のなつは典型的な「気になっている男の子を何とかしたくて理不尽に感情的になっている」女の子にしか、今んところ見えないからです。
藤木直人だけが、なつの怒りにそんな単純な理由でなく、何か理由があるのではないか、と疑っていたのですが、武者さんにはそれが逆に少しボケた男に見えるのでしょうか。あれだけ感情的な恋愛脳の女性像を嫌いながら…解せぬ。
武者さんには是非とも以前のような考察とキレのあるレビューに戻ってもらいたいものです。
小林綾子さんが天満くんの母ということをこのブログで初めて知りました。
BSのおしんを見ていてあの子役がどうなったのか気になったので感慨もひとしおです。
今回のOPの橋のアングル、実写でも出てきました。どことなく「赤毛のアン」のオーチャードスロープに至る橋や、アイルドワイルドのような風景もあったり、プリンスエドワード島っぽいな、と思いました。
もしも剛男が、古代ギリシャの4つの概念を知っていたら
きっとうまく、説明できたのでしょうね。
エロス(eros)=男女間の性愛… 古代ローマではキューピッド
フィリア(philia)=友人間の友愛… 多分、フランスの「Liberté, Égalité, Fraternité」のFraternitéとほぼ同じ
ストルゲー(storge)=親子、兄弟間の家族愛
アガペー(agape)=無償の愛
萌え(≒eros)だけに頼ったドラマは心に残りません。
(朝ドラだけでなく深夜ドラマでも)
その他の3つの愛(philia、storge、agape)を排除したドラマ、最悪です。
そういえば、脚本が『てるてる家族』と同じ方ですが、子供時代にも貧困の描写をきちんと描いていましたね。
「女性にまつわる迷信。」
これで思い出したのが、↓こちらのコラムでした。
https://yossense.com/discrimination-against-men
軽快かつユーモラスな筆致の下、男性にまつわる迷信(差別・偏見)が取り上げられていて、それは女性にまつわる迷信(偏見)と表裏一体であるという厳しい指摘がなされています。
こうした迷信は「できない人」「そうではない人」を追い詰めるだけでなく、最悪の場は差別や自殺さえも招いてしまう恐ろしいものです。
「なつぞら」には、この調子でこうした迷信をガンガン打ち砕いていって欲しいと願っています。
今日の天陽くんの「くそーっ」には、悔しさ、やりきれなさが表現されていて、とても心に響きました。
あの超駄作の「くそっ」の連呼には、また汚い言葉を吐いてるなーとか、脚本家の語彙の少なさしか感じませんでしたが。
「半分、青い。」や今作と、超駄作の差は、脚本家の力の差でしかないのでは?と思います。脚本が良かったら、現場の士気も上がりますよね。
東京のNHKドラマならば、キャラ人気に媚びずにドラマを描けると思いたいです。
なつが泰樹に発した「うそつき!」には少しハラハラしました。世話になっている泰樹にそんなきつい言い方をするなんて。でも誰もきつく咎める者はいませんでした。そこまでなつが本当の家族のように柴田家に馴染んでいること、また本音でぶつかっていく性格である彼女の良さを周囲が認めていること、が良く伝わってきます。「半分、青い。」で鈴愛が羽織に対して当然の不満を爆発させたとき、世間からは理不尽なバッシングが起きましたが、現状に妥協せず、自分の世界を切り開いていくクリエーターには必要な要素として描かれているでしょう。 「本作の怒りは、幸せな感情なのです。心を開き、幸せを感じ、守るものを見つけなければ、怒ることすらできないのだから。」なるほど、素晴らしい解説。レビューし甲斐のある良作品ですね。