駄作ですと、当時の男性が長い独身の末、かつ話題性のためだけに突如再婚話を入れこむものですが。
そうではない。
考え抜かれたキャラクターが本作にはあります。
一通り話し終えると、富士子は、父のもとへ茶を運んでいきます。
なつは、そんなジジイの話を、自身の家族の絵を見ながら考え込んでいます。
机の上には雪次郎から借りた書籍『俳優修業』があるのでした。
そういう演劇を作らなければ意味がない!
「どんな演劇が作りたいのか?」
なつは、学校で演劇部顧問・倉田に問いかけます。
と、具体的なアイデアを絞り出すのはこれからのようです。
再びなつは聞きました。
じいちゃんを励ます、見ておもしろい思える、感動させる、傷つけない演劇になるのか……。
「そりゃ当たり前だ! そういう演劇を作らなければ意味がないんだ!」
力強く答える倉田。
なつは、じいちゃんを間違っているとはいいたくない、寄り添えるようなことを見つけたいと語ります。
ここでの倉田演劇論が熱い!
【演劇とは、生活者が楽しみながら、自分の生活を見つめ直す機会が得られるものである。
地べたで格闘し、苦しむような農民にこそ、演劇が必要なんだ!】
だからこそ、農業高校で倉田は演劇部顧問になったのでした。
感激して、こんな私でも手伝いたいと言いだすなつ。
倉田はここでこう切り出すのです。
「ある。お前にしかできないことがある。女優になれ!」
女優として舞台に立て! こう言われて、なつは戸惑います。
しかし、倉田はこう情熱を込めて誘うのです。
それが一番じいちゃんのためになる。
なつがでなければ芝居を楽しめないだろう、出ていなければ見にくるかわからない。出るしかないだろう!
そう言い切ります。
ここへ、ランニングを終えた演劇部員がドタドタと室内へと入ってきます。
なんと倉田は、そのまま発表するのです。
奥原なつ、演劇部初の女優第一号だ!
ドッと湧く部員たち。
倉田やりおったな!
ここで雪次郎は、彼らしく「みんな下手だからと大丈夫」と笑顔で言い切ります。
実際、高校演劇は、あまりにうまいと客も醒めるんだそうで。
って、そういう問題じゃないんだってば!
牧場を手伝うから時間がないと困るなつに、放課後一時間だけでもいい、日曜でもいいと倉田は誘いかけます。
「お前の演劇、じいちゃんに響かせろ」
そう言い切る倉田。うーん、これは断れないゾ!
いいから出ろ、なつ!
このあと、なつは生まれたばかりの仔牛の世話をします。
そこへやって来たじいちゃんに、なつは謝ります。
「なんで謝る。わしこそ悪かった」
ここで素直に、そう認める泰樹。
本作の、こういう立場の上下ではなく、違いに尊重しあい、あやまちを認める姿勢が好きです。
天陽と会うなってことではない。そう言い出す泰樹。天陽の牛にも罪がない。干し草も持って行ってやれ。そう言い出します。
優しいなぁ……。
こうやって反省できて、かつ自分の悪さを認めるなんて素敵じゃないですか。簡単なようなことでなかなかできることではありません。
「ありがとう。ねえじいちゃん、やっぱりじいちゃん大好き」
やっぱりじいちゃん大好き❤︎
全国の視聴者の気持ちを代弁するような、そんなセリフです。
これを受けてじいちゃん、ちょっと照れくさそうにいちいち言わなくていいんじゃ……って、結局、今週も泰樹無双だな!
この後なつは「演劇をやりたい」と言い出します。
一回だけ。
夏の地区予選一回だけだから、それを手伝いたいと言います。
「やりたいのか」
「ちょこっとだけ」
なにかを表現するのって、面白そう。そう言うなつに、許可を与える泰樹。
その演劇をじいちゃんにも見てほしい、楽しんで欲しいと、なつは訴えます。
じいちゃんを楽しませたいと倉田が言うから、それを手伝いたいというわけです。
なつが出るならわしも見る。そう泰樹は言います。
こんなのそうなるに決まっているでしょ。かわいいもんな。
練習が毎日あるとなつが戸惑っていても、
「いいから出ろ」
そう言い切る泰樹。
こうしてなつは演劇に出るしかなくなったのです。
ああ、なつよ、夕日に向かって来週に続けよ――。
って来週がもう気になって仕方ありません。来週、はよ来い!
今週も泰樹じいちゃん無双でした
土曜日を終えました。
今週も泰樹がかっさらいおったわ――そう言うしかありませんよね。
お茶が欲しい、からの背中。
そして語られる、妻への愛。
自分の愛がかけがえのないものだとわかっているからこそ、富士子の剛男という選択を理解する。
なつと天陽の恋愛を邪魔しちゃったかな、と反省する。
泰樹とは、そんな愛に満ちた男でした。
駄作では、親が我が子の恋愛にエロチックな関心を抱いているような、性的虐待まがいの描写がありました。
そうではない。
心と心で通じ合う、そんな愛を見守りたい。
あれが愛で選んだのであれば、横から言えることはない。
それも愛だね!
泰樹の愛。そして、そんなじいちゃんへ捧げる愛の演劇。そういう週でした。
演劇論がそこにある
ドラマの作り手が、ドラマに登場するクリエイターを通して語る「ものづくり論」。
これは重要ではないかと思います。
『半分、青い。』における秋風羽織先生の漫画論。
興味深かったなぁ。
そんな秋風先生の書籍『秋風羽織の教え 人生は半分、青い。』も未だに愛読しているくらいなので。
そういう意味において、第3週に持って来た倉田の演劇論は、とても重要だと思います。
・きちんとした演劇のためには、言い分を聞く取材をしなければならない
→本作もそうでしょう。毎朝、クレジットロールが長い!
・視聴者を励ます、見ておもしろい思える、感動させる、傷つけない演劇でなければ意味がない!
→それが当たり前と言い切る本作。序盤の時点で、そうですよね。本作には、朝から励まされますし、クスッと笑える場面も多いですし、弱い人に寄り添っている。
イジメを無視したり、ハラスメントでウケを狙ったり。そんなスタンスとは無縁です。
・演劇とは、生活者が楽しみながら、自分の生活を見つめ直す機会が得られるものである。地べたで格闘し、苦しむような労働者にこそ、演劇が必要なんだ!
→これぞ、朝ドラ100作にふさわしい言葉ではないでしょうか。
これぞ朝ドラの真髄だ!
朝ドラとは何なのか?
平日朝の15分間――家庭で労働する主婦が「小説でも読むかのように」という趣旨で始まった。
それが朝ドラだったはずです。
ドラマを通して、自分の生活を見つめ直す機会。
ドラマを見てこそ、労働で疲れ果てた視聴者が、ほっと一息する。
そんな、視聴者にとって、本当に必要な15分間であること。
アップデートしながらの原点回帰をしたいという気炎を感じました。
「どうせ暇なおばさんが、15分間ダラダラ見ているだけでしょ。バカなおばさんなんて記憶力もお粗末だから、伏線なんていらないでしょ」
そういう嫌な開き直りをした朝ドラがついこの前あったばかりで、脚本家の雑な取り組みには呆れるばかりでしたが、本作はそんな駄作とは真逆のところにあります。
月曜日が待ち遠しいです。
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
おじいちゃんにお茶をあげたい!
って思った人がたくさんいたのでは。
あのタイミングで次回、っていうのは。
上手いなあ、頑固じいちゃんの可愛らしさが出てましたよね~。
蘇生から発情、と行くのでどぎまぎして見ていると、おじいちゃんの深い愛で週末をむかえるなんて、すごい。
なつがおじいちゃんに見せるのは、
北海道の開拓民の話なのでしょうけれども、なつの青春でもあるんですよね。
楽しみです。
なつ、家族になれて良かったね、
天陽君も辛い冬を越えてこれたんだね、
朝ドラを見る幸せを噛みしめてます。
武者さんの真田丸のレビューには大笑いしてました、楽しいです。
前作レビューのコメント欄で、並行再放送の『べっぴんさん』の感想を書かせていただいていた頃、私も「第○回」ではなく「第○話」と書いていました。特に気づいてのことでもないですし、自分に馴染んだ言葉が自然に出ていただけ。他の方がどちらを使っていたか等気にしたこともないですね。
さて、それはともかく
朝ドラは、登場する自動車の考証には非常に凝るところがあります。『ひよっこ』での、みね子らの故郷のバスや、東京の工場でのトラックなど。
『半分、青い。』でも、商店街の店先のスクーターや、鈴愛の上京時の高速バスなど。
大きな楽しみの一つでした。
『なつぞら』でも、集乳のシーンでフォードのトラックが登場していたことを、どなたかがコメントしていらっしゃったかと思います。
これは、結構重要なポイント。
戦前~戦後の間、国産車は信頼性・耐久性で米国車に全く及ばず、特に未舗装路ばかりの農村部だと、国産トラックはサスペンションがすぐ駄目になってしまうので、米国トラックが好まれていたという話は、クルマの歴史の本の他、地域史の本でも目にすることがあります。
日本の軍隊ですら、配属されたトラックがフォードやシボレーだと兵隊たちは喜ぶものの、国産車、特に民間規格のものだと壊れないように気を遣いながら使わねばならなかったという体験談も伝わっています。
荒れた道だらけの北海道の開拓地で、重いミルク缶を運ぶというこれまた荒っぽい仕事に、フォードのトラックが重宝された、というのは、リアルな話です。
次にまた登場するシーンがあったら、よく見てみたいです。
「話」だろうが「回」だろうが、気になりますか、そこ?w
>ポッペリアン様
編集人の五十嵐利休です。
僕としては第何回でも第何話でも構いません。
気にしたこともありません(つか、もともと僕が書いた気がするw)。
大事なのは本質です。
役所の書類じゃあるまいし、何を求めてこちらに来ていらっしゃるんですか?
言い返すのもバカバカしいんですが、そんなことで「資質を疑う」というあなたの資質を疑います。
名字間違いのご指摘は、本当にありがとうございます。
今後も間違いを見つけたときはご指摘いただければ幸いです!
※ちなみに「奥村」で検索かけたら5箇所の誤りがありましたw
関係者様には申し訳ありません。
ポッペリアン様、重ね重ねありがとうございます。
ほとんどの読者は、細かなミス入力は気にならないのではないでしょうか。品が悪くなりますので、不必要な攻撃的書き込みは差し控えていただきたいです。
私はそんなこと( ↓ )気にならないんだけどな。
問合せメールでなく、公開のコメント欄に質問を書き込んだ以上は、それが第三者からどんなイメージを以て受け取られるかも承知の上なんでしょうけど。
閑人さんのご指摘のとおりなんですが、第7話の感想あらすじでも「奥原」とすべきところを「奥村」としているところが2ヶ所あります。
あとオープニングを見るかぎり、近年の朝ドラは「第何話」ではなく「第何回」と表記しているように思うのですが(少なくとも「なつぞら」については間違いなくそうです)、あえて武者さんがレビューに際して「第何話」という表現に拘っておられる理由はなんですか?
曖昧な理由だとレビュアー(ひいてはライター)としての資質を疑われますよ。
以上につき、よろしければ「揚げ足取りの嫌みなコメントがきている」とわめきたてるレビュアーでもなく、編集部又は管理人という曖昧な名義でもなく、五十嵐利休様の名義によるきちんとしたご回答を希望します。
「混ざる」という言葉からは、何となくマイナスの印象が出てしまう。で、やや誤解もあるように思いますが。
余程特殊な取引・販売方法でもなければ、昔も今も、牛乳は、地域の各酪農家が生産した生乳が集められて(確かに「混ざる」とも言えますが)作られていることに、違いはありません。
本作中で、泰樹のように農協の共同出荷に参加せず乳業メーカーに直接生乳を出荷しているケースでも、乳業メーカーは、集めてきた生乳から牛乳を作る。やっぱり「混ざる」。
実際は、
農協にせよ乳業メーカーにせよ、酪農家から生乳を受け取る時点で、ロット毎にサンプルを取り、品質検査を行う。乳業メーカーの直接買取なら、それを元に買取単価が決まるし、農協の共同出荷の場合も、代金の配分は単なる数量割りではなく、品質等級にも基づいて行われる(農協の米等の販売とも似たようなものです)。
農協の共同出荷の場合、共同出荷には組合員しか参加できないから、出荷メンバーは互いにわかるし、農協の集出荷の運営は組合員としてチェックが可能。
共同出荷への参加可否について、生産者が気にすることがあるとすれば、「得体の知れない牛乳と混ぜられる」ではなく、「乳業メーカーの買取りの前に混ざることになるが、品質の評価や代金の配分はどうなるのか」
最近は、牛乳の販売も様々な形態が出てきているようですし、牧場に生乳から牛乳を作る施設を設けた完全に個別の販売者もあるのかもしれません。でも大規模な販売は難しいですし、長期的に安定して牛乳を供給するには、広域的にまとまった集乳の仕組みが必要なのは間違いないと思います。
そういえば、ちゃんと取材してなさそうな、物語が浮いてきますね。
演劇も何のため?って、朝ドラも何のため?で、これが脚本家の意識の差ですかね。
例えば、他の得体の知れない牛乳と混ぜられたくもないだろうし、今は生産者の質の時代に戻っている。でも北海道の開拓期では貧しさを皆で乗り越えることが必要だったと、リアルに感じ考えさせられる体験は今までに無く、作劇者が与えてくれる醍醐味ですね。
先週までのこなつちゃんパートがあまりにも良すぎた為、どうなるかな~と思ってましたが、、、
やっぱり良い!
善悪が完全区分じゃなく、清濁混じりあう複雑な感じ。
だからこそ、観ているこちらにも考えさせてくれる面白さ。
今期は、日曜から土曜まで、感動に休みがありません!
とつけむにゃ~ですな。
予告で、なつがアイヌ衣装を着ていたような気が。
「ちゃんと取材をした上で演劇を」発言もありましたし、、、
来週も感動展開が確定?
半年の苦行が実りました!(笑)
まさに、ヒンナヒンナ
毎朝が楽しみで来週が待ち遠しいってほんとうに幸せ。
富士子さんがお父さん(泰樹さん)お母さんのことを話した時、それを聞いていたなつ、広瀬すずさんの顔、表情、目がよかった。私もちょうど富士子さんの話を聞きながら泰樹さんを思ってじわーときていた時の広瀬さんの表情だったから、私の気持ちをすずさんがすくいとってくれたような気がして。
やっぱり演劇にはカタルシスがなくちゃと思う。『なつぞら』を見ているとまさに魂が浄化される。見ていて心に澱が溜まってくるようなやつは嫌いだ。
倉田先生の演劇論が好き。部室に貼ってあるスローガンも気になるから先生の演説を聞きながらも画面を必死で見てしまう。「演劇で人間を社会を映す」
白蛇はんも愛すべきキャラクターだったけど倉田先生はかっこいい。柄本佑さんめっちゃかっこええわー。
草刈さんは言わずもがな。真田昌幸以上にかっこいい役はないと思っていたけど、泰樹さんも素敵すぎる。「お茶が欲しい」の丸い背中がいとおしくて、絶妙のタイミングでお茶を持っていった富士子さんがええ娘だ。いい父娘関係だ。
で、これ偏見ですけど、普通上の人が、男の人が自分から謝りませんよ、ふつー。それができるってかっこよすぎる。
「やっぱりじいちゃん大好き」「いちいち家族にんなこと言うな」。河原でこなつちゃんを抱きとめた時は家族はおらんけどわしらがおる、だったのが、今はもう家族なんですね。
当初、「考えるな。感じろ」で見始めた『なつぞら』でしたが、今週に入って「あなたはどう考えるか」が問いかけられる展開が続きました。
泰樹が農協に歩み寄れないでいることについても、農協側の姿勢は、「きちんと考えれば、正しいとわかるもの」でした。
泰樹の方も、貧しさの中で妻を亡くし、開拓民・農民の共助組織の必要を自ら痛感していた一人。
その経緯からすれば、農協設立の発起人メンバーになっていたでしょうし、初代組合長に推されていてもおかしくない。実は理事の一人ではあるのでは?とも思いますが、何故か農協とは距離を置いてしまう感じ。
この泰樹の姿勢は、理屈では割りきれないものに突き動かされてのことなのでしょう。理屈で考えて理解できることではない程の。
開拓期の辛苦。その中での乳業メーカーからの有形無形の支援は、乳業メーカー自体にとっての利害を度外視したものもあったでしょうし、そのような中で培われた信頼関係は、やはり理屈でどうこうというものではない。
でも泰樹も、農協の共同出荷の意義や必要性を、理屈ではわかっているのではないかと感じるシーンも今回はちらほら。天陽の家にいる農協預託乳牛のことを認めていないわけではなかったり、なつがその世話を手伝うことを許したり。
泰樹の真意は、来週また少しずつ見えてくるのでしょう。それが楽しみです。
約半年ぶりに、朝ドラを楽しみに待つ生活が戻って来ました!なつぞら、本当に良いですね。笑えるところ、ジーンとするところ、そして学ぶところ、まさに、自分の生活を見つめ直す機会を毎朝貰っています。悪者がいるのではなく、それぞれが、ちゃんと意思を持っているからこそ、対立も時には生まれる。半分、青いもそうでした。その対立をどうやって乗り越えていくのか、それを見たいんです。天からのお告げとかで解決するのでなく。ここから、なつが演劇に参加する事でどう変化していくのか、とても楽しみです!武者さんのレビューも毎日楽しませて貰っています。
NHKだからこそ、周囲の批判を恐れずにやりたいことをやれるはずなのに、最近はSNSの声に媚びてる感じです。
主人公は奥村ではなく、奥原なつさんですね。