夜分におばんでした!
このあと、なんとも微笑ましい恋愛を鍋にぶつけているのが、照男です。
味噌と牛乳を組み合わせた鍋料理を作っているのでした。
砂良の作ってくれた味。
食べることで思い出せる――そんな幸せがそこにはあります。
「なにしてんのさー。いらない!」
牛乳嫌いという前提はあるにせよ、イジワル軍師・夕見子が無意識のうちで純情を粉砕しに行っているのが罪深くて好きです。
やはり、直江兼続はこうでないとね。
夕見子はここで、なつのことも部屋で落書きしているとバッサリ。
ったく、なんなんだよコイツ、ういやつじゃの!
「おばんでした!」
ここで、北海道らしい挨拶があります。
過去形ですが、それはそういうもの。
やってきたのは弥市郎です。
「おばんです」
「おばんです」
富士子と砂良が挨拶を交わします。
「元気かね、しっかりした子供!」
なつが出てきて、弥市郎が喜んでいます。
彼は、牛乳のお礼として、熊の彫り物を贈るのです。これには照男も喜んでいます。立派な彫り物だな〜。
鮭を加えているを見て、明美がラブレターだと言うわけですが、そこで咄嗟に照男がたしなめます。
「何言ってんだ、失礼だべ!」
もう、砂良が好きすぎて、ヒグマ相手に嫉妬しているぞ!
「飯でも食ってけ」
奥から声をかけたのは泰樹でした。
ほぼ初対面なのにフランクなやり取りに思えるかもしれませんが、これぞ北海道ですね。しかし弥市郎は夜分に失礼したと断ります。
「弥市郎さん、また森に行ってもいいですか?」
なつがそう言います。
「いつでも来い。森は誰のものでもないから」
「はい!」
咄嗟に返事をするのが、なつではなく照男。
そこを突っ込まれると「兄としてだべ」と言い返すのでした。
森は誰のものでもない
「森は誰のものでもないから」
この弥市郎のセリフも、奥深いものがあります。
アイヌが暮らしてきた土地を、松前藩のもの、日本政府のものとして収奪したかのような歴史があります。
第七師団の駐屯地であった旭川は、もともとはアイヌに分け与える土地として定義されていました。
しかし、札幌や他のエリアで地価が高騰してしまった。
ならばアイヌとの約束を反故にして、旭川にすればいい。そんな背反があったものです。
先日成立した「アイヌ新法」も画期的ではあります。
ただ、他国の先住民族との法律と比較すると、土地所有権では詰めが甘いと改善の必要性が指摘されております。
◆(私の視点)アイヌ新法成立 先住権の保障、なお課題 テッサ・モーリス=スズキ:朝日新聞デジタル
そのことを考えていきたいものです。
照男の恋心
そしてもうひとつ。
照男は、あの子が可愛いとも、気になるとも言っていない。
「なまら綺麗な子がいる」と指摘したのは、なつでした。
雪次郎のように「ゆみちゃんラブラブ!」というオーラはありません。
それでも、照男の恋心が芽生えてかつ、燃えていることは行動の端々に出ています。
恋の芽生えた味である牛乳と味噌の鍋を作る。
彼女にラブレターを送ったヒグマにすら嫉妬してしまう。
森で待っていると言われて、即答してしまう。
あの冷静で控えめ、自己抑制的な照男から、恋心がキラキラと光っているんだわ〜。
照男を応援したい。
脇役の恋愛って、朝ドラだとしょうもない時間稼ぎに使われるものです。
しかし、本作はそこまで尺を割いているわけではない。
その年頃とタイミングがはまった脇役たちが、花開くようにそういう顔を見せてくる。
朝ドラの脇役恋愛でも、ここまで考え抜かれていたらオッケーです。素晴らしい!
そしてここ。
もしも女性がこういう恋愛をしたら、可愛い乙女で終わりになるかもしれないところを、男の照男ですること。
この高慢軍師が恋にデレてやらんこともない状態が、夕見子であること。
大事です。
男が上、女が下とか、そういうことじゃない。
夕見子様に引き摺り回されてこそご褒美です!
そういう雪次郎もいいじゃない!
しっかし、大森氏、怖いよね……。
パンチラとエロマンボでウッハウハ〜!なんていうシンプルな欲求じゃなく、心の奥底にある何かに点火してくれる。朝からなんてことを……。
賢者は弟子を送り出す
やっと夕見子が、
「ん、あれ、うまいわ!」
と、ケチをつけまくった牛乳味噌汁(石狩鍋?)に納得した頃。
泰樹は、なつのことを「雪月」に頼んだと話しました。
雪次郎と東京に行けばいい。
そう決めたのです。
なつは複雑な顔を見せます。
「じいちゃん、私はもう、家族でいられんの?」
「いつでも戻って来ればいい。ここがお前のうちだ、いつでも戻ってこい。先に東京の用事を済ませてこい。したけどおまえがもし、東京で幸せになるなら。それも立派な親孝行じゃ。それを忘れるな。絶対にそれを忘れるな」
そう言い切る泰樹です。
知略99の君子豹変。
そばにいることだけが家族じゃない。そこまでたどり着き、この結論に至ったのです。
魂で家族になるんじゃあ!
そういう高みに辿りつきました。
彼と同じタイプである天陽ほど突き抜けてはいないものの。
「雪月」でのとよババアによる修行とクリーム覚醒。
富士子の言葉。
そういったもろもろを通して、ここに至ったのです。
それでこそ泰樹じゃあああ!
迷ったら、とよババアに頼れ!
しかし、ナレーターである父は見抜くのです。
このナレーターは、なつの深層心理を暴きます。
なつよ、どうした浮かない顔をして――。
お前の魂は、今どこにある? 抜けちゃったのか――。
そんな迷える魂を救う道場は「雪月」です。
出迎えたとよババアに打ち明けるなつ。
「ばあちゃん、私はずるい!」
「ずるい?」
「じいちゃんを裏切ってしまった!」
二日連続で、とよババアが救世主展開です。
朝ドラで飲食店が溜まり場になることは、あるある。
しかし、本作はそれを凌駕した、魂の鍛錬場レベルになりました。
帯広の喫茶店が『少林寺三十六房』だったとはな、おいっ!
※少年漫画でも定番の修行場って、多分この辺りが元ネタです
あー、もう、とよババアファンクラブでも結成したい。
※編集注 「入会待ってます」
#なつぞら とよさんファン倶楽部作りたいなぁ。
とよさんに
「何バカなこと言ってんだ! いいから働け、この」
と言われたい人の場。— 武将ジャパン (@bushoojapan) May 15, 2019
勝手にいい話にすんな!
今週の展開で、こういうレビューや感想を見るとちょっと疑問を感じました。
「泰樹の厳しい言葉に、なつはどう対応するのか? どう成長するのか?」
そういう要素はあります。
しかし、やっぱり違和感がある。
ナゼ、なつだけが変わる必要があるのでしょうか。
あの対応は、泰樹側にも問題がある。
五分五分かどうかはさておき、彼だって反省点はあります。
対面衝突の交通事故みたいなものでしょう。どちらか一方が悪いなんて、ありえないはず。
一方で、明らかに加害者側が100%悪い場合もある。
保育園児に自動車が突っ込む痛ましい交通事故がありました。
あの事故へのコメントで、こんなものを見かけたときは唖然としたものです。
「そこを散歩させていた保育園側にも問題があるのでは?」
いやいやいや……こういうコメントが出る背景には、日本の病巣があるとも思えるのです。
性犯罪でも、抵抗しなかった被害者が悪いという無罪判決が立て続けに出ています。
風呂覗きのニュースには
「この程度を微笑ましいと許さない昨今の女が生意気だ」
「許さないで騒ぐ女がおかしい」
というコメントがあるほど。
無茶苦茶です。一体どういう判断基準なのでしょうか。
年上、男性、力ある方が上。その顔色を伺えない年下、女性、力なき方が悪い。
女子供と分類される人間に、反省しろと強制してくる。そんな社会構造があると思うと、心底うんざりしてきます。
おかしくありませんか?
しかし、そういう声が、あがりつつあります。
この動画を見ても、ひしひしとそれを感じました。
「勝手にいい話にすんな!」
部下がそう叫び出す後半は圧巻です。
上司の無茶振り。それに耐える部下。それをいい話にしてきたけれども、それは違うでしょ。
泰樹は反省し、成長した
今週のポイントは、なつが反省して謝るのではなく、泰樹がとよババアの修行を経て反省し、覚醒、成長をするところでもあると思うのです。
序盤、圧倒的なカリスマを見せつけ、白の大魔導士ぶりを見せつけたレジェンド泰樹。
そんな彼が、崩壊しきったのが先週土曜日でした。
ここで、彼が背中を見せてニヒルを気取って、なつが反省したら?
それはもう古いんです。
泰樹のような高年齢男性が、頑固でわがままで、背中で語っても許されたのは、結局は甘えです。
年齢や地位で許されるから、増長しているだけとも言えます。
それでは何も成長しません。
本人だけが楽で甘えていて、気持ちはいいのかもしれない。
しかし、その下で目下の者は苦しんでしまう。
あまりに不平等で不幸な社会で、何の成長も進歩もありません。
停滞します。
前作****がまさにそうでした。
**さぁんは若者の声を受け入れると言っても、何にでも口を出しダメ出しします。
現場を引っ掻き回す。最終決定権は自分にあると確認して、やっと折れたふりをする。
おそるべき独裁者だと不気味さを感じたものです。
「女は感情的だ!」
とはよく言われますが、こういう**さぁんタイプこそ感情的ではありませんか?
指摘する人が周囲におらず、だから問題視されないだけでしょう。
そういう**さぁんの対極が、泰樹です。
傷つき、倒れながらも立ち上がり、信頼できる師匠に助言を聞く。そして新境地・魂の家族にまで到達し、なつを送り出す。
先週から今週にかけて、成長し育ったのは、実はこの泰樹もそうなのです。
若者だけが育つのではない。柔軟性があるわけではない。
人間はいくつになっても、自分以外の幸福を追い求めれば、成長することができる。
そんな幸せのかたちが、そこにはあります。
そしてここで、大賢者役がとよババアっていうのがね。
前作****では、性的な魅力を失った女性は役立たずという描き方でした。
そんなもん、女の存在価値を性的なものとしてしかみなせない側がゲスでバカってだけでしょう。
老女には、知恵が伝わっていた。
これこそがゲスによって曲解されていない本来の見解です。
とよババアが、スーパーレジェンド女大賢者として降臨する本作は、お見事だと思います。
とよババア〜〜〜、私にもダメ出ししてくれええええ〜〜〜〜〜〜!!
朝ドラっていいけど、全部見る必要ある?
朝ドラっていいな、というニュースがありました。
◆「楡野家!ふぉーえばー!!!」 「半分、青い」松雪泰子&永野芽郁&滝藤賢一、久々の“家族”3ショットにファン大興奮 – ねとらぼ
さて、ここでちょっと考えたいこと。
今作で100の区切りを迎える朝ドラレビューを担当していて思ったことがあります。
SNSで、私が全ての大河ドラマなり朝ドラを見ていない、投稿者よりも少ない分際で批評をやりやがって――という意見を見かけました。
これに反論しておきますと。
選挙の出口調査なり、中間発表があります。
開票率がまだこれしか出ていないのに、ナゼ結果がわかるのか? と疑問に思いませんか。
それが統計学のマジックです。
さんざんこのレビューで、作風の分析をしてはおりますが、その脚本家さんの作品を全て見ているわけではありません。
私は実は、そこまでテレビドラマを見ているわけでもありません。
むしろ昔はテレビを見ないほうであり、学校や職場では話題についていけませんでした。
それでは批判ができないのか?
違うでしょ。
シナリオのセオリーなり、創作技術については、一応これでも勉強はしています。
ドラマをじっくり見ていれば、脚本家さんの癖なりスタンスは見えてくるものです。
「私はこれだけ見ている!」
「朝ドラは全部好き!」
そんなアピールに、正直、意味を感じないのです。
打率やホームランの本数でアピールできる打者は、1日何本素振りをするのか、吹聴する必要はないでしょう。
あの作家、あのジャンルをコンプリートしている、リピートするというアピールは、ファンやオタクではマウンティングに利用できても、レビュアーの場合は違うと思うのです。
自動車評論家がいたとしましょう。
A「ともかくあのメーカーのものは大好き! 全部好き、ともかく好き!」
B「あのメーカーは好きだ。初めて乗った時の興奮は一生忘れない。とはいえ、この新作はどうしたことだろうか? 持ち味である優美さも、エンジンの力強さもない。これはどういうことだろうか。デザイナーの交替、それに伴うスタッフの離反が原因だろうか? このメーカーの熱狂的なファンである私ですら、高評価はつけられない」
どちらがより信頼できる評価でしょう?
言うまでもありませんよね。
私は、朝ドラそのものへの思い入れはありません。
作品次第――それが私のスタンスです。
以上。
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
思えばこの『なつぞら』、始まってまだ二ヶ月にならないんですよね。
にもかかわらず、視聴者に挑んだ真剣勝負の数々。これほど真剣に物語に向き合うことを要求する朝ドラがかつてあったでしょうか。
もちろん視聴する当方も、制作側に「手抜き」と感じる兆候が見られたら、容赦なく責めましたが。
まだ三分の一にも達していないんですよね。
まだまだ真剣勝負は続きます。
泰樹がなつに、東京行きを雪月に託したことを告げる。
そして、もし東京で人生を歩んでいくことになったとしても家族に変わりはないこと、いつでも帰って来れる場所であること、を説いて聞かせる。
このときの泰樹の、目の奥に悲しみをたたえた表情。
見ているこちらも胸に迫るものが。
だからこそ、ラストのなつの、「じいちゃんを裏切ってしまった」と泣き崩れるところにつながるのです。
とよはなつに、どんな言葉を授けるのでしょうか。