そんな雪の中での卒業です。
演劇部では、FFJを熱唱しておりました。
先に進めなかった元凶ともみなされるこの歌。
その元凶を歌った門倉ともども、熱唱しているのだから不思議ですね。
これには倉田も戸惑います。
「なんで演劇部の歌になってんだ……」
そして倉田は、卒業生たちに向かってこう告げます。
「魂の舞台は、これから幕があがる。北海道でも東京でも、魂はひとつ!」
と、その直後、門倉がかっさらいます。
「良子! 卒業したら言うべと思ってたんだ! 居村良子ーーーー俺の嫁になってくれーーーーー!」
おいっ!
門倉番長ぉ!
「ごめんなさい、それはできない」
しかもふられたーーーー!
理由を問い詰めると、よっちゃんはきっぱりこう言います。
「私は断っちゃダメなの?」
そう言い切るよっちゃんに、なつが抱きつきます。
「なっちゃんは私のもん!」
そして雪次郎が、門倉番長に向かって、実に適切なツッコミをするのです。
「選ぶ範囲が狭すぎる……」
門倉は泣きだします。
「せんせー、せんせぇーっ!」
門倉が面白すぎてもはや卑怯。
そう笑って済ませてもよいところですが、それはどうかな?
また大森氏の技巧全開ですよ。
◆選ぶ範囲が狭すぎる
それを言ったらおしめえよ感もありますが、これは結構重要な指摘だと思います。
会社なり、サークルなり、地域社会なり。
同じ年頃の相手となるとアプローチをする人、あるいはくっつけようとする「おせっかいおばさん」、「余計なお世話上司」的な人がいますが、時に迷惑です。
生活圏が重なるから相性がいいわけでもない。
そういう雑な組み合わせは、不幸につながりかねません。
泰樹ですら、ここでミスをやらかしています。
◆私は断っちゃダメなの?
容姿が優れていない者は、贅沢を言うな、選択肢はない。
こういうしょうもない偏見があるものです。
痴漢被害者に「お前みたいなブス触るかよ〜」と二次的な加害をするとか。
性犯罪の被害者に「それはあまりにあなたが魅力的だったから」と言う愚か者とか。
そういう話じゃない。
被害者の属性は関係ない。
選択肢を奪うこと。強制すること。そこが問題です。
◆なっちゃんは私のものだもん!
「女の敵は女」というセオリーの否定です。
****と比べればハッキリするでしょう。
あの駄作では、画伯のエロモデルになりたいと、義母から実の娘まで嫉妬し合い、アピールする、異常な世界でした。
あの世界観ならば、なつはここで嫉妬していたことでしょう。
コミカルで何気ない場面でも、地雷を踏まず、むしろバイアスを否定する。きっちりと意識しています。
****の脚本家と本作の大森氏は、そこまで年齢差があるわけではありません。
年齢だけが基準ではないと、大森氏は証明しています。
彼のように、学ぶことを忘れず、価値観をアップデートできる人は圧倒的に強い。
泰樹を見ていても、そのことはよくわかります。
君子豹変してこそ強いんじゃああ!
もうひとつの卒業、もうひとつの世界
そしてこのあとなつは、もうひとつの卒業へ。
山田家では、メスの仔牛が生まれています。
単に祝うだけではなく、「初乳を飲ませたか?」と聞き出すなつ。酪農をしっかり学んでいることが伝わってきます。
そして帰り道、天陽はなつを追いかけてきて、雪の大地に倒れ込みます。
本作は雪国の動作がお見事です。
こういうふうに、雪にふかふかと飛び込んでしまう。雪国あるあるです。
天陽は、なっちゃんの帰りは待たないと告げます。
「俺にとっての広い世界は、キャンバスだ」
向かっていると、無力にすら思えてくる。
それでも自分の価値は、流されることはない。そう語り始めるのです。
「なっちゃんも自分のキャンバスに向かってくれればいい」
そうすれば、天陽となつは広いキャンバスでつながっていられるから。
「がんばれ、がんばってこい、なっちゃん!」
天陽は語り、なつとしっかりと手をにぎり合うのです。
ああなつよ、万感の思いを込めて、未来へ向かえよ――。
来週に続けよ――。
美しい余韻を残し、北海道編が終わります。
進歩しない方たちが
はい、ちょっと本論へと入る前に。
面白いことを知りました。
本作にもしょうもないアンチタグができているそうです。
その利用者の大半が前作****であるという観察結果が。某大手掲示板のスレッド、レビュー投稿欄でも、多重投稿を仕掛けているとか。
また同じ戦術かよ!
まるで進歩していない……。
なつと天陽のハグにも、****信徒はギャーギャー言いそうですよね。
『半分、青い。』の時にも、したり顔で鈴愛と律のハグにギャーギャーなんか言ってましたっけ。
****は、ハンカチを拾っただけでハグをする外人女にウハウハしていました。
心の交流ができなくて、身体接触=エロなんですかね。
どういう精神構造でいらっしゃるのか。想像するだけでゾッとします。
『半分、青い。』ファンにせよ本作ファンにせよ、そんな人たちとは関わりたくない。
もう、それでいいじゃないですか。
愛のかたちもいろいろある
はい、本作へ。
北海道編しめくくりの今回、実は愛のかたちがそれぞれ出てきました。
◆隣のあの子が好き:門倉番長
英語圏では「隣の家の女の子 “Girl next door”」という言葉があります。
近所に住んでいるあの子と意識しあって恋をして、結婚する。
そういう流れです。
気の毒な展開だった門倉ですが、まさにこの典型例でしょう。
よっちゃんが門倉に気があることは、それとなくわかっていました。
なかなかお似合いだろうとも思います。
ただ、そこでくっついてめでたしめでたしと着地させないところ。
よっちゃんのプライドを尊重するところが、大森氏のよいところです。
眠り姫のように、いきなりキスされてくっつくのって、2019年ではもう古い。
ここでよっちゃんが舞い上がらず、ワンクッション置いてこそ、2019年です。
◆ゆっくり回り道して確かめたい:照男
門倉が豪速球で猪突猛進であるのならば、照男は牛乳を届け、じっくりと愛を育みたいと思う誠実なタイプです。
いきなりパンチラする****の**さぁんとは違うのだよ。
そこがじれったいとなつは突っ込むわけですが、彼なりの良さもあるわけでしてね。
育むからこそ、プラスに働くこともきっとある!
相手が砂良ということを考えると、それでこそだと思えるのです。
これは大事な点だと思います。
和人とアイヌの男女が出てきて、時に恋に落ちる『ゴールデンカムイ』。
この作品もかなり気を使っておりまして、和人男性側がきわめて慎重に、強引にならないよう、恋愛へと進んでいきます。
どうしたってそこを踏みつけた歴史があるからには、強引になってはならない。
そこまで考えた描写だと思えるのです。
◆天上の愛:天陽
ここまではまだ人間界ですが、天上界に突き抜けていったのが天陽です。
キャンバスを思い合えば一緒の世界にいられる――。
って、なんじゃこりゃあああああ!
そう思った視聴者もいるでしょう。
この系統の恋愛で、天界まで突破しなかったのが『半分、青い。』の萩尾律です。
鈴愛を強く思いすぎるからこそ、ストレートになれない。別の彼女を作り、結婚までしてしまう。
脚本家の北川氏は、朝ドラですぐにカップルが成立するのはもったいないと思っていたそうです。
そう考えてああいう構成になっていた。
あれが私は好きなんですよね。
離れていても鈴愛を守ることこそ俺。ラストシーンですら隣にいるわけではなく、贈った傘を通して見守る律。よかったなあ。
その律すら、飛び越えてしまった感のあるのが天陽です。
しかも彼となつは決して結ばれない要素が、いくつも出てきています。
キャンバス越しに、一方的に思い続ける。
こんな大胆な恋愛描写ができたのは、やっぱり『半分、青い。』で手応えを感じたからかな、と思ったりして。
◆番外・踏まれる愛:雪次郎
こいつは今日ではないのですが、番外で。
雪次郎は、夕見子にそっけない態度を取られるとかえって燃えている。そういうニュアンスがあって、悩ましい部門こいつがトップです。
雪次郎は、いつもバカというわけじゃないんですよ。
門倉にも的確に突っ込んでいました。
ただ、夕見子のこととなると、お腹をべろんと出して尻尾をふりふりするわんちゃん状態になってしまう。
恋をするからこそバカ。これだ。
ここで惜しまれるのが、大森氏の『風林火山』でした。
女性描写も秀逸であったにも関わらず、由布姫と勘助の愛はイマイチでした。
これも今にして思えば、柴咲コウさんや栗山千明さんあたりが演じていればよかったかなと。
そういう目つきの鋭い姫君が、勘助に高慢な態度を取る。
それを見て辛抱たまらん勘助……だったらいいなぁ、と妄想してしまうのです。
まぁ、その系統の愛は『おんな城主 直虎』の小野政次という素晴らしい結晶があるんですけどね。
『精霊の守り人』でも綾瀬はるかさんの戦士っぷりを発揮した大森氏です。
期待しちゃうんだよな〜。
本作はキャラクターの描き分けが抜群で、きっちり考えられています。
最終週、泰樹というカリスマの覚醒と個性を描ききり、残り時間でそれぞれの愛のかたちも見せてくる。
見事だと思います。
なつのことももちろん気になりますが。
遠距離の仲になる夕見子と雪次郎。
照男と砂良。
門倉とよっちゃんも気になってしまいます。
ただの時間稼ぎや受け狙いではない。人間の本質や性格を描き出す。
しかも2019年の価値観にアップデートしている。
本作の隙のない構成に、毎日深く頷いてしまうのです!!
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
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一昨年の『ひよっこ』のすずふり亭では、看板メニューのハヤシライスのソースは店側でライスにかけて供するのが作法でした。
本作の川村屋では、カレーライス(ライスカレーだったか?)のルーは客側でかけるのだ、というのが店側のこだわり。
あえて『ひよっこ』でのシーンと対比的にし、視聴者に意識させようという、制作側の意図があったのかも。
次週の予告では、TV局内?と見えるシーンもあったように思え、どこか『ひよっこ』東京編と似せた、意識したような描写をしそうな感じもあります。
現在の本作と『ひよっこ』東京編との間では、作中の時点に10~15年位の差がありますが。
ただ、『ひよっこ』が本作と決定的に違うのは、
『ひよっこ』では、当時まだ多く残っていた都電を、無理に直接登場させることにこだわらなかったこと。
『ひよっこ』ではOPの見事なミニチュア映像で当時の東京の街を表現し、そこでは都電を含む様々な当時の乗り物を走らせていましたが、ドラマ本編では乗り物の余計な登場のさせ方はしなかった。
特に、みね子がすずふり亭で働くようになってからは、映る乗り物は街角のミゼットやスクーター程度。
出かけていくシーンは多々ありはしましたが、直接描くのは、すずふり亭裏庭・アパート玄関まわり等のシーン程度にとどめ、あとの街中については、OP映像での視聴者の脳内イメージに委ねる。
潔く割り切った作りと思えます。
本作の第27~31話の失敗は、街を引き画で大きく映し込むことにこだわりすぎたこと。だから路上の乗り物を実物大で多く配置しなければならなかったし、更に加えて路面電車については、考証の手抜きまでしてしまい、あり得ない映像にしてしまった。
こういう失敗への反省と、過去作品の成功点を適切に採り入れられるかが、今後の本作東京編の成否を分けることになると思います。
自分の読解力や想像力の無さを、脚本のせいにしてしまう。根拠の無い自信に満ちた、厚顔無恥の方って、思ったより多いのでしょうかね。しかも承認欲求が強いので、場違いなところでトンチンカンな書き込みをしてしまう。自分の馬鹿さ加減をさらけ出しているだけなのに。
なつと天陽君がお互いをスケッチしていたことを思い出しました、二人の思いが絵を描く時に繋がっているといいなと思います。
なつは、
実際に薪割りをした者の絵が描ける。
自然の厳しさも知り、命を育てることもできる、戦争への怒りもある、
家族への愛、演劇の体験も、
開拓者の魂も。
全てがアニメ作りの役に立つことですよね。凄い財産です。
半分青いでの、鈴愛のアイデアが無くなった時のようなことは無いかもしれません。
アニメにも、当時の東京にも詳しくないですけど、なつのこれからの絵に期待しています。
来週の週間タイトルは「なつよ、東京には気をつけろ。」
制作スタッフにも、東京編の制作には気をつけてもらいたいもの。
前回の東京編で、十勝編との出来の差、制作姿勢の相違は少なからぬ人が感じているところですので。
「NHKよ、東京編には気をつけろ。」といったところでしょうか。
感動の連続のなつぞら。しかも感動をお仕着せするような痛い演出とか一切無いナチュラルなドラマ進行。ましてお涙頂戴的な要素などおよそ無縁。まさに十勝の大地と大空のような爽快さが日本じゅうの朝に満ちています。4月から日本の朝の空気は一変しましたね。
ただ、ふと思ったのは、本作のような秀作か、ひどい駄作かに関わらず、NHK朝ドラって結局いつも、田舎の野山で育ったヒロインが東京(都会)に出て行って人生を展開するんだなと。
もちろん、昭和(と平成初期)の日本てそういう国だったんですよね、本当に大多数の国民がそういう人生をたどったわけです。なつのように東京生まれだが田舎に疎開してずっと青春期を過ごし、成人してまた東京へ、という高齢者の方も私の身近に複数います。
しかし、令和になった今、そろそろ逆パターンの朝ドラが出現してもおかしくないかな、という気がします。各局のノンフィクション番組には、都会生活に見切りをつけて過疎地に飛び込みその再興にチャレンジする人々がひっきりなしに登場している時代ですから。
もしくは、私のように首都圏で生まれ育ち、首都圏の中で移り住んで人生を築いている人も非常に増えています。そういう人生を描いても良いはずですね、もう現代は。
「半分、青い。」において、律の鈴愛への想いは重要なものであったはずです。
ですが、鈴愛と距離を置いていた間に清と別れ、再会した鈴愛にプロポーズ、その間の律の心の動きはあまり描かれていませんでした。
描かなかった意図はあったのかもしれませんが、それを描かなかったことに対する嘆きや残念といった意見には、北川氏は向き合うべきだったと思っています。
「なつぞら」でも、泰樹から照男との経緯について話をされて、ショックで遭難し、阿川親子に助けられて一晩過ごしたことによって、どんな心境の変化があって泰樹に謝ることになったのか、アニメーターになりたいと思うことになったのか、そこはもっと丁寧に描くべきではなかったのか、と私は思います。
照男が砂良に牛乳を届けに来たのを、なつに見られてしまい、あとで問い詰められたとき、「牛乳に意味なんかあるかよ」とはぐらかそうとするところ(そして、結局見破られるところ)、軽くツボにはまってしまいました。
レビュー本文でも述べられているように、やはり彼等は兄妹であるのが自然でしたね。
この先、照男は砂良と…と思っていたら、「砂良は天陽君じゃない?」という意見も。今後はサブストーリーになってしまう十勝の人間模様も、引き続き楽しみです。
本作にもアンチが出てきたという話。
このコメント欄にもそれらしきのが時折現れるようになってきましたが、やはりそうでしたか。
そういう類に対して格好の攻撃材料にならないように、東京編ではいい加減な考証等をやめ、真剣に取り組んでもらいたいところ。
馬についての、わんわんわん様のご指摘。
私は馬車の方にばかり注意が向いていましたが、馬についても的確な設定がなされていたのですね。
やっぱり十勝編はよかったです。
さて来週、再び始まる東京編。
昭和30年代。都民の最も日常的な交通機関が都電だった時代です。
前回の東京編のような、「幽霊電車の如き明治期の電車が街中を走り回る」などという虚構は、今度こそ見たくありません。
本来、都電の電車は、首都の都市交通機関にふさわしく、外観も技術もその時代時代の最新のものを採り入れており、他都市の路面電車事業者が参考にするほどでした。
にもかかわらず、本作第27~31話の東京編に登場した路面電車は、明治期のものを再現したもので、昭和30年代の東京には全くそぐわない、時代錯誤も甚だしいものでした。
今後の東京編で、なつが都電で移動するシーン等を制作する場合は、町を広く映し込む引き画は不要であり、十勝編第32話の通学シーンのように、電停での乗降や車内等のシーンを、部分的なセットで良いので正確に作って、しっかり撮影すれば、当時の都電の雰囲気を表現するのは十分に可能なのではないかと思います。
また、他都市で現実に昭和30年代初期の都電を参考に製作された電車は、函館市の市電にも現存しており(函館市電710形・800形)、必要なら現地ロケも可能ではないでしょうか。
実車を函館市から運んで来る必要などないのですし。
前の東京編の失態の汚名を返上していただきたいものです。
(NHKお問い合わせメールには、早期に提案済み)
スタッフの姿勢について、わんわんわん様ご指摘のように「東京だからこんなものだろう」等と構えていたとしたら、とんでもない話。現在の東京ならいざ知らず、60年以上昔の東京を描くのですから、十勝編と同じく詳しい人のアドバイスを求めたり、文献をあたったりするのは当然の筈だと思うのですが。
なお、前の東京編の問題点や、十勝編との制作上の違いについては、第30~33話のコメント欄に投稿させていただいていますので、詳細はそれらをご参照ください。
放送時間帯は仕事に向かう途中なので、土曜と祝日しか見ることができませんが、それでも十勝編での細かいところまで気を配ってる描写がよいと思いました。
今回でいえば、雌の子牛が生まれてお祝い、とさらっと書いてるけど重要。天陽くんのお家のような零細酪農家だと、生まれた子牛が雌か雄かが農場の存亡に関わってきます。乳を出すのは雌だけですから雌と雄では、宝石と石ころくらい価値が違います。
馬もよかった。なつが学校に行くときに乗っていたのは道産馬、荷馬車を引いたり畑を起こしたりしているのは重種馬と、きっちと使い分けをしていた。十勝でロケしたからこそ道産馬も重種馬も調達できたとも言えますが、並のドラマだったらどこかの動物プロダクションから借りてきた軽種馬で済ましちゃうところでしょう。
来週からは、昭和30年代になぜか明治・大正時代の市電が走っている東京編ですね。思うに、地方ロケだと東京出身が大半を占めてるであろうスタッフにとっては分からないことだらけだから、地元の人のアドバイスに素直に耳を傾ける。だから違和感のないものができるが、東京が舞台だと、なまじ知ってるばっかりにこんなもんだろうと思い込みでやってしまう傾向があるのではないかと考えてしまうのですが、どうでしょう。
なつを交えた山田家の食卓。おやつ時なのでしょうか。美味しそうなそば掻き。
やっぱり山田家ではソバ栽培も手掛けていたのですね。
天陽はその後の弥市郎との会話の中で、ジャガイモ、ビート、ソバの栽培と、牛飼いをしていると語っていました。
そんな山田家・天陽とも別れ。
あの雪原での別れのとき、なつは天陽の思いに気づいたのでしょうか。
十勝での歳月は、なつの心の原風景になるんですね(←「原風景」って、そりゃ『やすらぎの刻~道』だろ!というツッコミはもっともなれど…でも今回の『なつぞら』にもピッタリ当てはまります)。
そんな十勝編も、とうとう終わってしまいます。
十勝ロスになりそう。