いよいよ東京へと出発!
昭和31年(1956年)。
戦後の新宿は発展し、庶民の街は浅草から新宿に移っておりました。
東洋映画の採用試験は6月です。
それを控えて、なつは川村屋にお世話になることになりました。
そこは新宿、川村屋
雪之助が、角筈という地名は変わったけれど、川村屋は元の場所にあると感動しています。
そして店内へ。
ギャルソンの野上に抱きつく雪之助ですが、露骨に嫌そうな顔をされてしまいました。
「あまりに老けていて気づきませんでした」
再会を果たした相手に、そう言い切る野上。
そういうそちらは変わっていないと雪之助が言いますと、苦労を顔に出さないようにしているとしれっと言います。
なんと彼は大正元年から下働きの小僧としてここにいたそうです。
『いだてん』時空にいてもおかしくはないってことですね!
雪次郎となつも大声で挨拶します。と、野上は露骨に嫌そうな顔に……。
「店先で大声で頭を下げればいいってもんでない」
店の事務所に案内されると、マダムの前島光子も登場しました。
「光子ちゃん!」
あんな可憐な少女が大人になっちゃって!
そう浮かれる雪之助ですが、野上はあくまで、
「マダムです!!」
と言い切るのです。
マダムは、雪次郎を励まします。
「お父さんのような立派な菓子職人になってくださいね」
「まだ立派かどうかは……」
「マダムのお気遣いを無駄にしないように」
うーん、野上がかなり面白いなぁ。
あと鋭い視線を送っていたウェイトレスの三橋も気になりますねえ。
不安を和らげる言葉を求めないの
マダムはなつにも、ここで働くのかと訪ねます。
スタジオでの試験である6月まで働きたいと告げると、そういう中途半端なことでは表に出せないから、裏で皿洗いでもしてもらうと告げるのでした。
それでいいかと問われるとなつは、感動しています。
「いすぎるくらいです!」
同時になつの絵のことも聞かれました。
先代マダムである祖母のころから、川村屋は多くの人を支援して来ました。なつのように、芸術を目指す人を応援して来たわけです。
「見ますか? マダムの絵で確かめてください」
なつが絵を見せると、マダムは表に出さず、野上が露骨に小馬鹿にするような表情を浮かべます。
野上は確かに嫌味に思えますが、当時はそんなものでした。
子供向けの低俗なもの。それが漫画とアニメの扱いだったのです。
そこを日本人だけが進歩させた、とは言わないでくださいね。
アメリカンコミックスやバンド・デシネ等、海外にも素晴らしい歴史と奮闘があります(もちろん日本の漫画が果たした世界進出も素晴らしい功績です)。
なつは漫画に絵を吹き込む、絵で演じるアニメーションへの情熱を語ります。
雪次郎が、
「演劇部での経験が生きるかもね!」
と言うわけです……すでに彼がなつの大きな助けとなりそうな予感がして来ますね。
それなら演劇を見たほうがいいと盛り上がり始めると、雪之助はいいから修行しろとやんわりと釘をさすのでした。
なつはマダムにどう思うか聞きます。
マダムに聞いてどうするのかと野上からツッコミもありますが。
「不安を誰かの言葉で解消するのは良くないわ」
自分で対処しないとダメ。マダムはそう言います。
なかなか奥が深いですねえ。
そうそう……ともかく褒めてもらって楽になりたいけれども、そういうお世辞を求めてもどうしようもないことってあります。
現実にプロレベルの創作物をつくれなければそれまでなのです。
大森氏の創作論には、中身が詰まっていますね。
『半分、青い。』の秋風塾。
『いだてん』の落語パートにも、そういう良さがあります。
ようこそ、開拓者の街へ
先代マダムの意思をついだ川村屋。
ある意味新宿も、開拓者の街だとマダムは語ります。
確かに浅草ほど江戸っ子っぽさがない。
江戸時代からずーっと住んでいる人が多いという、そういう街ではありません。むしろ新参者の街です。
だからこそ新たな文化の開拓者が集まる街。
そういえば新宿ゴールデン街は、文壇バー(※文学関係者が多数集まる)が多いものです。
「川村屋」もそんな新宿でありたい――。
「ようこそ、開拓者の街へ」
そうマダムは言い切るのでした。おおっ、いいなあ!
※続きは次ページへ
川村屋にカレーを伝えたのは「日本に逃れたインドの革命家」というので、てっきり、スバス・チャンドラ・ボースのことなのかと思ったら、
モデルはラース・ビハーリー・ボースという人だったのですね。
しかも当時も、同じインドの革命家ということで紛らわしく、「中村屋のボース」と呼ばれていたとも。
そして二人とも、インド国民軍の設立・拡充に関わり、1945年に命を落としているとも。
この番組をきっかけに、意外なことを知る機会となりました。
軍隊経験。例えば、
新兵が、隊長の将校から「安心していいぞ」「固くならなくていい」等と声をかけられ、それで気を抜きすぎると、すかさず古兵や下士官が活を入れ…
というようなやりとり。軍隊経験者の方の書かれた戦記などにはしばしばあります。
杉本と、雪之助・雪次郎のやりとりは、それを思わせるものが。
****での、「こいつらが軍隊経験者? へー(冷笑)」というレベルの描写とは、比べるのも失礼。
新宿を「開拓者の町」と表現した光子の言葉。
言い得て妙です。
現在までの新宿の形成史については、『ブラタモリ』で紹介されたことがあったと思います。江戸の西郊で、元は山野や耕作地も広がっていた地。明治以降に形成されていった都会。
それに、冒頭ナレーションのとおり、戦災を受けたあと復興し、再び立ち上がった歴史をも背負っているでしょうし。
そこに集まってくる人々。
正に都市としての「開拓者の町」と評するにふさわしいと思います。
野上の味のある人物描写は、確かに今後の展開が楽しみではありますし。
それなのに
考証の不徹底ぶりが、こういうせっかくの良いところを大きく減殺してしまっているのは否めません。
ちなみに、
同じ今日の『やすらぎの刻~道』第32話では、本編『やすらぎの刻』側で、主人公・菊村栄が、脚本制作にあたって登場人物の来歴・背景、作中世界を正確・詳細に作り込むことの意義を語っていました。
****はもとより、本作の欠点に対しても痛烈な批判とも受け取られる結果となりました。
雪之助を先頭に、新宿にやって来た一行。
その前に現れたのは、
またしても、昭和30年代の都電では決してあり得ない「明治の幽霊電車」!!!
時代錯誤の塊!!!
「出すなよ! 出すなよ! 絶対出すなよ!」
と言ってるのに、思いっきり出す!
ダチョウ倶楽部のコントかよ!!
わかってますよ。
「新宿の街角のシーンは、まとめて撮影済み」だと言うんでしょ。
そういう事情があるとしても、
出演者に逮捕などの不祥事が起きでもしたら、躍起に・必死になって、画面から消し、キャストを入れ替えてまで撮り直しに奔走するのに、
「この考証はとんでもない間違いですよ。あり得ないものになってますよ」との指摘は完全無視!
というのは、非常に気分が悪いです。
時代考証をその程度にしか位置づけてない、という結果に、なってしまっています。
何のための「NHKお問い合わせメール」なんだか。
この考証の問題は、とうとう『あさイチ』の朝ドラ受けで、博多華丸さんが言及するにまで至ってしまいました。
せっかくアニメーション制作者を主人公とする作品を作るのだから、新宿の街角もアニメーションでリアルに描いても良かっただろうに。
第1話の東京大空襲のシーンのように。
嫌なことはとりあえずここまで。
良いところについては、気分を改めて、別途投稿します。