大阪の興行元「北村笑店」。
経営者の北村藤吉は中風で倒れたながらも、仕事に復帰し、妻のてんと渡米計画を進めます。
そんな折、アメリカに渡っていた藤吉の母・啄子から、一時帰国するとの連絡が入るのでした。
ともかく新しい笑いを!
一時帰国の件はとりあえず脇に置いて。
北村夫妻の穏やかな日常から始まります。
万丈目の新聞連載は、なかなか面白いようで、
「アハハッハ~」
という、てんのしらじらしい笑いと、
「アホ!」
と、何にでもアホと文句を付ける風太の輩(ヤカラ)ぶりから今日も頑張っていきましょう! ゲンナリ(´・ω・`)
ともかく北村笑店としては、新しい笑いを考えねばいけないようです。
時代も変わったし。と、何か思うところのある藤吉は、てんに興行のイロハを教えるとのことです。
急にどうしたということでしょう。
中高生レベルの思考回路や、長々と続く長屋暮らし、年代不祥のイミフファッションなど、直すことは他にもぎょうさんありまっせ!
※編集部注……雑誌や書籍の編集会議において、成績が落ち始めたときに何かと出がちな言葉が「新機軸」とか「新企画」だったりします。行き詰まりの証拠でもありまして(だからと言って即休刊とかになるのではなく、人のアイデアの行き詰まりが表面化されたときに起こりますw テレビやお笑いでは知らんけど)
ラジオ局で幼稚なリアクションはいかがなものか
ともかく藤吉は本気なようで、ラジオ局との打ち合わせにも、てんを連れて来ます。
そこで落語以外の、若者に受ける芸が欲しいという話に。
このへんも、下手に年代いじりをしたせいでグチャグチャなのです。
桂春団治(本作では月の井団吾)が無断出演事件で揉めたものの、吉本が当時売れっ子のエンタツ・アチャココンビの出演を許す――そんな流れからラジオ曲側も折れます。
このへんをはしょったり、雑アレンジしたりする側は深く考えていないんでしょう。
小さな改悪の積み重ねのせいで、吉本の凄さがどんどん削られてます。
ついでに言うならば、てんのモデルとなる吉本せい。
取引相手のラジオ局担当者を前にして、「ひゃ~」とか言うような幼稚な人じゃありません。
ほんまに、もぅ、いつまで子供みたいなことやってんすか(´・ω・`)
まあ、横でしょうもないことを話している風太もトキも年齢不詳なわけで。
トッチャン坊やにしても限度ちゅうもんがあるわな。
日常生活からネタを拾うとか、話芸を磨けとか
キースとアサリは、長靴によるドツキ漫才の稽古中。
ハリセンでどつくのも賛否両論なのに、靴で人を殴るんですか……。
そこにやって来た藤吉は、突然、ハッパを掛けます。
「もっと工夫してみい!」
あー、それは同感です。
私も本作の、どつけば笑えるフシのあった制作者に言ってやりたかった。ただし、藤吉自らも何かアイデアを出さないと、仕事ができないくせに”長”の立場にいる典型的ダメリーダーになっちゃいますよ。
万々亭でカレーを食べながら、万歳改革のネタを話すキースとアサリ、それと風太。
日常生活からネタを拾うとか、話芸を磨けとか言い出します。
そもそも現時点でキースとアサリの何が面白いのかわからないわけで、もうこちらとしてはかつての寺ギンのように「他の道探したらどうや?」と言いたくなるんですけどね。
ここで風太はガチャンと大きな音を立て、カレー皿を割りかけない勢いで何か思いつきわけです。
役者と言うより演出の問題でしょう。
風太にやたらとうるさく、大げさなことをさせればいいと思っているのは、誰ですか。
皿を割りかねないほど大げさに音を立てるのは、チョット辛い……。
今さらミカンの皮を使ってくれとは……
キースとアサリは、書生ルックで万歳をしています。
ここで観客は「どつけ!どつけ!」の大合唱。手当たり次第に物を投げつけます。
確かに関西の人というのは、阪神戦を見ている限り、容赦なくブーイングするようなところがありそうですが、こんな理屈も何もないような、修羅の世界みたいに描かなくても……。
そもそも「どつくこと」、つまり相手を殴ることを要求しているんですかね?
ローマ時代のコロッセオで、親指を下に向けて「トドメをさせ!」アピールする観客じゃないんだからさあ……。
控え室で、キースとアサリは困り果てています。
日常生活からネタを拾うことが大事ということになり、風呂屋に行けとかそんな流れに。
そこにはなぜか大量のミカンの皮が見えます。
てんは、観客席から投げつけられたミカンの皮を、漢方薬材料の陳皮(ちんぴ)として使ってくれと、妹のりんに渡します。
史実では、ゴロゴロ冷やし飴を始めた頃、つまり寄席を開いたころのアイデアなんですけどね(詳細は後述)。
薬屋と結びつけるためなのか、あるいは兄の新一を登場させるために盛り込んだのか。
ここで、すっかり忘れられていた新一の話が出てきて、藤岡屋がついに自前で製薬できるようになった、と話します。
今まで綺麗に忘れ取ったくせになぁ。父親の遺影には寄席を見せたのに、お兄ちゃんのこと完全スルーだったじゃーん!
思えばまだ破綻が数ない序盤において、綺麗な思い出だけを残して退場した新一は、ラッキーでした。
儀兵衛すら、途中からなんかおかしくなりましたからね。
栞のスカしたトークもさすがに飽きられてるのでは?
いつ仕事をしているかわからないことで定評のある、伊能栞さん。
ニューヨークの劇場から取り寄せたというパンフレットを持って登場です。
その資料を麻痺しているはずの左手でめくる藤吉。おいおい。
ここで感動的なBGMを流しながら、いつもの藤吉と栞のスカしたトーク。
このカッコイイセンパイ同士が屋上で語り合っている胸きゅん♥みたいなの、もういいから。
「トーキー映画を作ろうと思っている」
「とーきーえいが?」
栞の話をいちいちオウム返しするてんにもウンザリです。オウム返しが多すぎなんじゃ!
活動写真にせよトーキー映画にせよ、見ているこちらとしては、それもいいけど宝塚歌劇団をやれと突っ込みたくなります。
というか、かっこつけて好きな女の家にネチネチあがりこんでは気持ち悪い色目使っている暇あるなら、はよ結婚しろと。
結婚する・しないなんて個人の自由ですけれども、当時の大実業家がこの歳まで未婚ってさすがにおかしいです。
この藤吉と栞がスカした会話するだけのパターン、本当に疲れました。
入院先でも似たようなことをしてたし。
それにしても生前なのに、もう死ぬ準備バッチリで、思い出補正がかかり始めている藤吉。
ナレーションが語るほど、仕事熱心でもなければ、有能でもないでしょうに。
今日のマトメ「そんな簡単に暴れていいの?」
突然どっさりと出てきたミカンの皮。
これは本来、冷やし飴や物販(わろてんか47話あらすじ感想(11/24))と並んで語られるはずのものでした。
観客席を掃除する時にミカンの皮を拾い集め、乾燥させて漢方薬店に売り払っていたのです。
本作では物販のタイミングが夏にあたったためか。
あるいは、ゴミとして広い集めたものを売り払う感覚がせこいと思われたのか。
カットされるのかと思いましたが、まさかこんなところで出てくるとは思いませんでした。
言っとくけど、褒めてへんよ!
結果的には、終演後の観客席から回収する方がはるかにマシでしょうに。
こんなに大量のミカンの皮が出たということは、観客がそれだけ怒るほどにつまらなかったからですよね。
でも、大阪の観客は、ちょっと気にくわないことがあると、あそこまで暴れるんでしょうか?
ただただガラが悪いように感じてしまいまして。
本作は大阪制作です。
それなのに「大阪の人は米の味なんて気にしない(値段だけや)」とか、ドツキを要求する暴力的な人間だとか、まるで馬鹿にしてるかのようにも思えてしまうのです。
そんな姿勢だからなのか。
万歳から漫才への移行も、無茶苦茶です。
なぜか本作は「ドツキ万歳」から「しゃべくり漫才」にしているわけですが。
本来は、
◆祝い事での出し物由来の「万歳」:和服で演じて、小道具を持ち、歌舞伎口調でおもしろおかしく演じる
◆新しい「漫才」:洋服で演じて、小道具は持ち込まず、歌舞伎口調はやらない
こういう変革です。
「万歳」は、ハリセンやら長靴で人をしばくのことで笑わせていた、そんな暴力的で下品な演目ではありません。
そもそもハリセンを使った「ドツキ漫才」は「漫才」から派生したものでして。
このへんグチャグチャと適当にいじったうえに、「大阪人はともかくブン殴り芸が好きです」みたいに改悪になってません?
それと、本日、本当のお笑いネタかもしれないのは以下の記事です。
◆【わろてんかの舞台裏(9)】物語進行とともに…「年相応」に見せるかがスタッフの腕の見せどころ
いやいやいやいや、ないッス、ないッス。
公式HPによると、「おてんとうさまのおてんちゃんだから、テーマカラーは赤」だそうで。
年齢を意識するなら、あの真っ赤な着物はやめてください。
限度ってモンがあるでしょうよ。赤い着物に赤い羽織の組み合わせは、異常といってもよいレベル。
今だって赤いワンピースに赤いコートを着た人がいたら、えらいこっちゃでっせ。
そもそも、いくらシブい格好させようと、志乃や啄子含めた登場人物まで全員中高生みたいな発想・言動していたら無意味じゃないですか。
ええ加減、大人になっとくれやす!
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
コメントを残す