わろてんか57話あらすじ感想(12/6)お夕夫婦が主役なら

時は大正。
大阪は、「東洋のマンチェスター」と称されるほど、商工業都市として発展しておりました。

その大阪で開業4年目を迎えたのが寄席「風鳥亭」。

席主の藤吉は、次なる一手として「通天閣と並ぶ大阪名物」の売れっ子落語家・月の井団吾を迎えたいと画策します。

一方、ごりょんさんのてんは、他の芸人たちの不満にやきもきしています。
そんな中、てんは行き倒れの女性を見つけるのですが……。

 

行き倒れのお夕はナゼか三味線も弾ける

雨の中、傘も差さずに歩いて倒れ、てんに介抱された謎の女性。
次の場面ではすっかり着物も髪の毛も乾き(うーん、衣装の都合とはいえ気になる……)、食事も済ませて一息ついております。

女性の名はお夕と言いました。
ワケあって夫ともに大阪にやって来ていて、その夫とはぐれて探している最中だそうです。
旦那さんはうちの若い者らで探すから、しばらくここにいて休みなさい、とてん。

そこへ藤吉が、「団吾がちっともつかまらへん」とぼやきながら戻って来ます。
すると、亀井が、そこに赤い人力車がいたとご注進。

お夕は、団吾と何か因縁があるような表情を見せます。

回復したお夕は、お茶子としての才能を見せます。
さらに、体調不良で欠席した三味線のお囃子も出来るのですから、ただ者ではありません。

 

凄みを利かせながら寺ギンがやってきた

てんが素性を尋ねると、お夕は、十人は弟子を取っていた落語家の娘であると打ち明けます。
これはトンデモナイ拾い物。ずっと側に置きたいほど有能な人材で、てんとしては一時的な手伝いではなく、自分たちの長屋に住んだらどうか、と持ちかけます。

ちょっと気になっているのですが、北村夫妻は商売が軌道に乗っても引っ越さないところですね。
あの長屋、ボロっちいと言われる割りには広々としていているなぁ、と引っ越した際に思ったものですが(第5週)、それにしてもちょっとなあ。

ここへ寺ギンが凄味を利かせながらやってきます。
まさか太夫元(芝居興行の責任者)である自分をさしおいて団吾を抱える気やないやろなあ、と凄むのです。

風太も後ろにくっついて来ていますが、いい加減てんは眉間に皺を寄せて、
「私に惚れていたくせに、この裏切り者め」
みたいなジットリした暗い目で見るのはやめた方がいいと思います。

藤吉はリリコ、てんは風太と栞、鈍感なふりして相手の好意につけこむようなことをしているように見えてしまうんですよね。
純粋に気づいていないのであれば、人情の機微を扱う有能な経営者になれるわけないですし、じゃあ、やっぱり好意に気づいているんだとしたら、今度はそこにつけこんで利用しているの?となってしまいます。

ともかく、寺ギンとの確執というか、月の井団吾を巡るヤリトリがなんだかややこしいことになっています。

史実ですと、寺ギンのモデルの人物・岡田政太郎が他界して、そのあと吉本が反対派を吸収し、乗っ取るようなかたちで「吉本花月派」が出来ています。
敵対勢力は壊滅状態になり、吉本の一人勝ちになりました。

吉本の強みであり、革新的であり、かつ芸人からは「金で縛る」と叩かれもした、芸人専属契約はそういう過程を経て、上方芸能界を支配した上での話なんですね。

それを、ドラマでは何故か寄席小屋を二軒目にしたところで、売れっ子専属にすると言い出すのだから、どうにもしっくり来ません。
年表通りにすれば破綻しないところを、何故か本作は大胆にずらして、おかしくなっているのです。

 

「金比羅ふねふね」

一方、藤吉は、団吾獲得のためにお座敷遊び「金比羅ふねふね」をしています。

金毘羅船々(こんぴらふねふね)
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう)
那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん)
一度まわれば

こういうのを朝ドラで見られるのは、なかなか楽しいですね。
名もなき背景の人も、芸妓さんも、艶っぽくて色っぽくて。

団吾も品はないけど、軽妙でおもろい。遊んでいそうな感じがします。

そのいい雰囲気をぶち壊すのが藤吉。
無粋にも団吾に商売の話を持ちかけて、「閻魔の次に遊んでる最中に仕事の話をする奴が嫌いなんや」と軽くあしらわれます。

うーん、この異物感はどうにも……。
上方のしゃれた遊び場、社交の場をぶち壊す、「無粋な東男」って感じがしてしまいます。
粋な旦那衆にさんざん茶化される、無粋な無骨侍みたいな。

 

アタマを抱える藤吉の前に芸人4人組がやってきて

翌朝、ボサボサの髪とうつろな目をした藤吉がぼけーっと風鳥亭で座っています。

「ほんまもんや、笑いの神様がついとる」
ワンパターンの感想しか言えない藤吉。
それはわかったから、そこをどうスカウトするか。無謀でもいいからアイデアを画策して欲しいです。

前述の通り、これが史実通りなら、反対派を乗っ取って上方を牛耳った吉本が、札束積み上げれば終わる話なんですけどね。
「金で動かした」と思われるのがイヤであれば、相応の見所を考えるのが脚本家さんのオシゴトかなぁ、と。

藤吉がアタマを抱えているところへ、やってきたのが芸人四人組。
彼らは早速、第二回団体交渉に挑みます。

1. 芸人を尊重すること
2. 二軒目の寄席も含めて、出番を増やすこと

ここまで相手が読み上げた時点で、藤吉が言い出します。
「そら飲めん」
そして冷酷な表情を見せて相手に迫ります。
「おまえら新ネタはあるんか?」

うん、まぁ、視聴者もそこには突っ込みたいですよね。まるで成長していませんもんね。
こう反撃されて、芸人たちは答えに詰まり、誤魔化そうとします。

 

藤吉、ようやく言ったな!

キースはここで「我々を恫喝しています!」とわめくのみ。新ネタないのは、図星なんやな。

「ハッキリ言わしてもらう。お前らは新ネタもない。他の芸人と比べて笑わせてやろうという気概もない。文句言う前に団吾師匠より笑い取ってみいや!」

いや、その通り!
ただ……。これまで、ぬるま湯で浸かったままでいい、仲間やからな、と甘やかしていたのは、席主の藤吉さんでは?という根本的なところにループしてしまって、見ている方もフシギになってきます。

そしてここでまたてんが
「いい加減にしい! うちらは家族です!」
と、すっトボけた発言で横槍してくるから困りました。

しかもてんは何故か、「うちも妻と息子の待遇改善の要求書を出す!」と明後日の方向に大暴走。
なんでやねんっ!
なんで、芸人の労働争議が夫婦喧嘩になっとんねん!
これでは、芸人のことを思いやるフリをして、便乗して自分の不満をぶつけているだけに見えても仕方ないでしょう。

盛大にズコーッとしていると、芸人たちは解散宣言して、尻に帆を賭けてシュラシュシュシュと退散するのでした。

そこへトキが、団吾が歌子の一膳飯屋にいると告げに来ます。
この場の全員が団吾の元へ向かう中、お夕もなぜかついていきます。

飯屋で大量の食事をモリモリと勢いよく書き込む男。
羽織の紋は月の井一門のものですが、団吾ではなく別人でした。どうやらこの男、勝手にツケで注文していた様子です。

一同が戸惑っていると、お夕が駆けつけます。
なんと偽団吾とは、お夕の夫でした。

 

今回のマトメ「お夕と偽団吾が主役なら全員活きる」

今日はよいところがありました。
中村ゆりさんのお夕と、北村有起哉さんの偽団吾です。

出番はまだ少ないとはいえ、夫婦らしい息の合い方や、しっとりした風情。おかしみがあって、もっと見たいと思いました。
三味線を弾くお夕のうなじから襟にかけてのラインなんて、艶っぽさにうっとりです。

これは禁句だとは思うのですが、ここでどうしても考えてしまうのが……
「この二人が主役ならばなあ」
ということ。
本作一番の異物感があるのが、生真面目で陰気なところを感じさせる、主役夫妻なのです。

そして今日はもうひとつ、よいところがありました。

それは藤吉が芸人相手に凄むところです。
言いにくい本音をビシバシと容赦なくぶつける藤吉の、冷酷さ。
『軍師官兵衛』の黒田長政役で、黒田家の後ろ暗い悪いことを一手に引き受けて、存在感と説得力があったことを思い出しました。

これが正しい松坂桃李さんの使い方かもしれません。
一見爽やか好青年で、その仮面の下には冷酷非情な顔があった、という役目をやらせたら滅法うまい。
陰翳のある青年を演じさせたらばともかくうまい!
あぁ、だから、もったいない><;

と、ここで気づいたのですが……
『そもそも藤吉ってそういうキャラだっけ……?』
ということです。

彼はダメ男であっても、血も涙もない人ではなかったはず。
そもそもそんな男、大河はともかく朝ドラでヒロインの夫役になれるハズがありません。
うーん、おっかしーなー。

松坂さんは寺ギン役の方が適役だったかもしれません。
これはてん役の葵わかなさんにも感じることでして。二人とも陰翳のある役の方が似合うんですよね。
てんがよい表情だと感じるのは、底抜けの笑顔よりも、風太をジトッと睨むような、暗い情念のこもった困惑顔だと思います。

八の字眉がチャーミングな女優さんといえば、大阪製作2007年朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』でヒロインを演じた貫地谷しほりさんがおります。
葵さんは、貫地谷しほりさんと同じく、八の字繭の困惑ヒロインが似合うんではないでしょうか。

「日本一のゲラ」設定ではなくて、史実の吉本せいよりで悲観的、笑うことにコンプレックスすらあるものの、藤吉のおかげで笑うようになる……そんな設定の方が活きた気がするのです。

あと今日の最後のツッコミ。
本作の脚本における関西弁は、ネイティブチェックをされているのですよね。
なんだか「言い回しだけは関西弁で、実際、関西人がこれは言わないという言い回しが多い」ような気がして。

こればかりは文化・風習の問題ですから、脚本家も西の人に担当させた方が良かったのでは……という今更なことを思ってしまってスミマセン(´・ω・`)

なお、大阪が「東洋のマンチェスター」という話は、以下の記事をご参照していただければ。

大阪日本一の時代がホンマにあったんやて! 東洋のマンチェスターと称された栄華を振り返る

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【関連記事】吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

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