川原家の朝食です。
ポテトサラダに、お花形のニンジン。武志の嫌いなものですね。
隠すつもりもない盛り付けの喜美子と、隠す三津。
ほのぼのとした場面のようで、二人の性格の違いがわかります。
喜美子は隠さない――これも重要なことなのでしょう。
それぞれの旅が終わり
喜美子は八郎からの電話を取っています。「サニー」にいるようですが、なんでも駅でばったり会った誰かといるらしい。
ここで、八郎が柴田のことを説明するあたりに、彼の動揺を感じる。喜美子も柴田さんのことは知っとるやんか。
喜美子は、八郎が舞い上がっている、声が明るいと指摘します。
「東京下見に行ってよかったんやなあ。ほんで誰といるの? 電話やとくすぐったいわぁ!」
喜美子はそう喜んでいる。これも穏やかなようで、ちょっと怖い。
八郎の留守の間に、喜美子は自分の本質を再発見した。八郎が東京で、そうしていないとは限らないわけだ。
この夫妻が、旅行中に電話でやりとりをする場面はなかった。
三津には、八郎不在の寂しさを感じているように思える場面があった。
一方で、喜美子はいなくても関係ないと三津に言い、武志にもお父ちゃんとお母ちゃんは別だと断言していたのです。
ジョージ富士川、降臨
喜美子はスカート姿で「サニー」へ向かいます。がんばって揃えた、昭和当時のマダムファッションかな。
『なつぞら』のヒロイン周辺も、NHK東京の個性的な全力レトロがあったものですけれども。NHK大阪は、もう「こんなんアレやん!」としか言いようがない、そういうセンスがあってええな!
レトロなドアベルの音を鳴らし、陽子が「来てるで、来てるで!」と促す中、御本尊がおりました。
ジョージ富士川や!!
「あ〜座りぃ」
この、当然のように自分の隣席をポンポンと叩くあたりに、仏徳がある。宗教はいろいろあるけど、とりあえず仏様で。
そこは八郎と柴田もいる。仕事の話を終え、実演会のことを話し取ったとか。
「ええやん、座りぃ」
関西弁の徳を出しつつ、喜美子と八郎が「着替えてきたん?」と小声でやりとりをしていると、ジョージも察知すると。
「着替えてきたん?」
「着替えてこんなんで、すんません、すんません!」
喜美子がそう言われた瞬間立ち上がって、頭を下げるあたりがおもろい。喜美子は丁寧ではありますが、恥ずかしがり方ひとつとっても、父ゆずりというか、【男らしさ】に満ち満ちているっちゅうか。
「やだぁ〜もうぅ〜やめてくださぃい〜」みたいな、クネクネ感がないんですよね。ああいう粘りつくような甘ったるい演技指導も、NHK大阪はできると昨年にも証明済みですが。
それがこう、キッパリとしたもんがある。
ハッカやニッキ(※八橋のアレやな、シナモンとも呼ぶ)の香りみたいな。
喜美子には、いつもそういう強さがあるで!
熱うなる瞬間は、人それぞれや
ジョージ富士川は、芸術論を関西弁で語ります。
いっつも、もうこれで終わりにしよう思うねん。これ作ったら終わり。これでしまいやぁ!
せやかてな、ぜぇんぶ出すんやで。
全部、出てすっからかんや。もう終わりや〜思うで!
それがそれが、また湧いてくんねん!
作品が完成した途端、次に思いがガーッと、ここが熱い!
わかるぅ?
知り合いのな、定食屋のオヤジも言うてたわ。帰りがけにお客さんが、「おやっさんごちそうさん、うまかったわぁ」言う瞬間、グッとくる!
熱うなる瞬間、あるよなぁ!
そう問われ、ポカンとしていた忠信も、陽子も、こう答えます。
「ありますう!」
「あるよなぁ?」
無理している、背伸び感はあるけれども、彼らにはあってもおかしくないとは思いますよ。
定食屋のオヤジと同じで、おいしいコーヒーを入れた瞬間、お客様の前に置く瞬間。そういうところに、あるんちゃうか。
ジョージに言われて、川原夫妻もこう答える。
「はい!」
「あります!」
八郎は生真面目で、喜美子は熱い。
「まぁ、ない人も……」
ジョージがそう言うと、柴田はこう返す。
「はい、あります。たぶん……」
彼は人を管理する立場ですし、むしろ抑圧しているのかも。それでも彼の場合、ええ作品や作家に出会ったら、熱くなるやろなぁ。
この流れを、関西弁で話した意義は大きいと思う。
熱くなるスイッチが入るとなれば、そこはやっぱり関西弁やないと。そういう気持ちを感じるで!
あのカケラを探して
ここでジョージは「かわはら工房」にある、古い焼き物のカケラのことを思い出しております。
前に来たとき、気になっていたそうでして。
この辺に徳があるっちゅうか、大物ぶって自分の作品自慢をしないわけです。
常にアンテナが張り巡らされていて、子どもとの会話でも、見かけただけのものでも、いつも何かを吸収している。そういうインプットがあればこそ、アウトプットもどんどんできる。
尽きぬ泉に見える才能は、吸収をしていればこそできる!
そういう本物の芸術家論を見た気がするで!
静止画モデルがエロマンボダンスを踊ると、色覚異常が治る――ああいう描写からわかるのは、あの放送事故の作り手には芸術家論がないちゅうことやね。
陶器のかけらを前にして、喜美子は室町時代のものだと、調べた情報を語ります。
「なんや心惹かれるなぁ、この色合い。ええなぁ。芸術がこにこにも宿るやな……」
うっとりと見つめる、そんなジョージです。
柴田は、室町時代のただの焼き物が、昭和の時代に芸術品になることを面白がってはおります。
その当時は何でもないカケラ、ただの日常品。
そうそう。大河ドラマで描かれている当時のインフルエンサーたちは、明からの輸入品を堺あたりで買いあさっておりましたから。そのへん、博物館にようけあるで〜。
当時は電気窯など当然ない。
薪で焼くだけで、こういう色合いが出る。
そう柴田から聞かされ、喜美子の目にカッと火が入ります。
釉薬なしでこうなる?
ええ感じで灰がかぶさって、溶けて釉薬代わりになる?
そのことに興味津々になるのです。
よそでは見かけん色になるのは、土のせい。
琵琶湖が生まれる時にできた、信楽特有の土、その鉄分や成分が生み出す色です。
「信楽の土ならではの色合いや」
「そういうことになりますな」
そう締め括れられ、「ういっ!」と声を上げてジョージは去ってゆきます。
やはり彼の出番は、仏様が降臨するようで何かがある。喜美子の胸には、幼なじみとの一夜以来、薪がくべられていたようなもの。
そこに、父と同じなを持つ、エエ方のジョージが火をくべたのでしょう。
緋色の炎が、燃え始めました。
赤い糸が見えてくる二人
八郎が工房に行くと、三津がおります。
「あっ、おかえりなさいませ!」
ジョージ富士川が来たことに、彼女は驚いている。
「自由は不自由やでぇ〜」
そんな決めセリフも言うわけですが。
あれっ? ジョージ本人は、言ってませんでしたね。あのセリフも、マスコミ経由で作られた虚像の部分はあるのではないかと思えました。
八郎は銀座のことを語ります。
人の流れも数も違う。有名な子供服の店もあって、若い家族連れが歩いていた。
ん?
それって2016年『べっぴんさん』のキアリスがモデルのファミリアかな?
そう思いましたが、当時はまだ数寄屋橋、銀座はもっと後ですね。そこはまあ、ええわ。
八郎は、松永さんみたいな子も歩いていて、松永さんかと思ったと言うわけです……これはあかん。
そうこちらが思っていると、三津本人も察知しまして。
「あの……おかえりなさいませ!」
そう可愛らしく挨拶をしてしまうのです。さっき言うたと突っ込まれると、独り言ポーズをしてしまう。
「はい、お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました」
あー、もうこれはあかんあかん!
何があかんって、作中でキッパリと、【八郎が銀座にいたとき、三津のことを考えていた】とわかるところですよ。
大勢の中で、三津の面影を探す。その時点で、意識が向かっている。切羽詰まって作品や家族のことだけを考えていたら、そうはならんでしょ? ただでさえ、喜美子は八郎の不在は無関係だと言い切っていることですし。
三津は無意識ながらそこを察知し、それがあの「お帰りなさいませ」につながったようにも思える。
もう、水面下でこの二人は結ばれとるよ……。
『喜美子の野望・金賞』
※天下取るで
八郎は約束通り「めおとノート」を読んでいます。
新しい作品つくる。
金賞受賞。
ハチさん喜ぶ。
うちも喜ぶ。
加賀温泉、結婚十年目に向けて二人でお祝い。
八郎は笑顔ですが、私は「喜美子があまりに自分本位じゃないかと?」不安を感じるのです。
加賀温泉にしたって、これは喜美子両親の思い出を踏まえている。
そして、じっくり語るわけでもなく、喜美子はいそいそと出て行く。一応、工房を八郎が使うか確認してはいるものの、明日と言われるとそこに反応はない。
気はそぞろで、物作りに集中している喜美子。
三津には銀座の印象を語ったのに、喜美子とはそうしない八郎。得たであろうインスピレーションを物作りに向けることもない。そしてそれは……
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