武志の病気は「慢性骨髄性白血病」――。
大崎からそう聞かされ、喜美子の運命はどうなるのでしょうか。
日常を生きる喜美子と武志
喜美子はそれでも、日常を生きるしかない。子ども向け陶芸教室をしております。
喜美子先生の陶芸教室~子ども編
先生の言葉:みんなそれぞれ、好きに、自由に、楽しくやりましょう!
大野桃ちゃん:うちは大きなお皿作りたぁい!
大野桜ちゃん:アイスクリームを載せる皿!
桃:陶芸展金賞取ります! なんでもええ言うたやん、なぁ?
優太:ろくろやりたい! 先生みたいに、ぐるぐるやりたい!
喜美子は大物になりました。
こういうとき細かい人であれば、こうなりかねない。
「陶芸展? ろくろ? 金賞めざすなんてあつかましい。まだ早い。生意気言わんと基礎からやりぃ!」
子どもの態度がともかく悪い。生意気や! そういうリアクションをする先生の記憶はありませんか?
喜美子は違いますね。
何年かかるかな? そう投げかけ、まずは土と友達になるところからと言います。指導者としても最高や!
大野姉妹の性格の差も見えてきて、姉の桜が周囲の空気を読む母親似で、妹の桃は空気を読まない父親似だと思えてきました。
本作の子役ってただのかわいいお人形でなくて、ちゃんと小さな人間ですね。
でも、この素晴らしい場面にも、こんな文句がつくかもしれない。
「視聴者が見たいは、難病告知されて号泣するヒロインや。何のんきなことしとんねん!」
せやろか?
喜美子は武志に電話をします。しかし、武志はめんどくさそう。
学と芽ぐみが来ているのです。ビールとスナック菓子を食べて飲んでいる。
ここで芽ぐみに電話をかわります。少女漫画で女心を教えてるってよ。
「余計なことを……」
そう武志はぼやいています。
喜美子は芽ぐみにこう言います。
「ほな、あったこうして風邪ひかんよう言うてくれる? 芽ぐみちゃんもあんま遅うなったらお母ちゃん心配するで」
こうして電話が切られて、武志はからかわれます。女心というよりマザコン。男はみんなマザコンやで。そうここに書いてあった。
喜美子は一人、病院からもらってきた紙を見ています。
この場面は、本当に何気ない日常そのものでした。武志の病気ということさえなければ、流せるような場面です。
けれども、怖い点はいくつもある。
芽ぐみの「少女漫画で女心を学ぶ!』のはアリなのか?
女心と言いますけれども、女だからこうだという決めつけは偏見になりかねません。
スカートを履かなくなった喜美子を見てください。『半分、青い。』の鈴愛でも、『なつぞら』のなつでもいい。彼女らに、少女漫画的なアプローチが素直に通じものでしょうか?
喜美子でも、女性向けデザインは得意としている。理解はできる。それでも実際にやられるとどうか、そこが難しい。
こういう少女漫画や乙女ゲーを「世の真理!」と思い込む人なんて、いくらなんでもそうそういないと思いたかったんですけれどもね。
少女漫画から女心を学んだ!
少年漫画から世界の正義を学んだ!
そういう芽ぐみの年代が、中高年となり、役職なり肩書きを身につけて、
「あの漫画ではこうだった、だから普通はこうなんですよ」
というようなことを書いている意見が多い。ドラマレビューを書いていてそのことを痛感しています。
これは大河の話ですけれども、朝ドラでも「おいで砲」だのなんだの騒いでいたのと同じ口調で、色気が艶だ、そればっかりを延々と書いている投稿や記事がどっさり出てくる。いつの間に、漫画やアニメが世の真理、古典、経典になったんでしょうね。
どんなに荒唐無稽で、データの根拠がない話でも、複数名がそうだそうだと言い出したら世の真理となりかねない。それでええんか?
いかんでしょ!
浅はかなのかどうかは、もうええ。そういう決め付けを窮屈になる人もいることを忘れてはいけない。
武志にせよ、大河の主人公にせよ、
「普通じゃない、鈍感、女心をわからない、真面目すぎてつまらない、硬すぎる!」
というツッコミを受けております。
ほんまにそうなん?
これは【陽キャの感性】やないの?
誠心誠意があるとか、シャイであるだけに、エロエロに乗っからない。空気を敢えて読まない。モテモテセレブになりたい気持ちすらない。
むしろよくわからない人にチヤホヤされると困惑する。
喜美子もそうでしょう?
そういう【隠キャの感性】からすると、【陽キャ=普通】と言い張られると、精神が疲弊する。互いに放っておけばいいのになぜなのか。なんで陽キャが正しくて、陰キャがおかしいと馬鹿にされなあかんねん。
野球でもいろいろおるやろ。王、長嶋の両氏と、野村氏。そういうことよ。
カリスマ性があって、社交的で、モテモテのスターで、パーっと明るい。そういう人だけでなくて、データと向き合って、自分の頭で考えて、組織をよくする人もおる。
暗い? 無愛想? 感じ悪い? ほっといてくれへん?
ヒマワリだけでのうて、月見草も愛でたってええやん。
ある美形の役者さんが、趣味は「大工仕事、家具を作るのが好き」と答えていた。それだけで嘘つき、面白い人扱いされていた。
なんでやねん……。
ひとりで作業すると心落ち着く人もいるで。顔がいいからモテる、エロエロウハー! そういう考えはもう古いんやで。
ハチさんの松下洸平は、陶芸にハマりました。きっとそのタイプやな。
余命があまりに短い
喜美子の心をよぎるのは、大崎の言葉です。
大崎先生の語る「慢性骨髄性白血病」
はじめは緩やかに進行します。武志くんは今、慢性期の状態にいます。ご本人にもご説明しましたが、この期間は通院で構いません。状態が安定していれば、普段通りの生活の中で、薬を飲みながらの治療となります。移行期を経て、最終的には急激に進行します。
最終的には死に至る、難儀な病気です。
服薬は一時的な効果しかありません。他の治療法が全くないわけではありません。「骨髄移植」という方法があります。
白血球型が一致するドナーが見つかれば、移植できます。
親が一致する可能性は1パーセント未満。僕はこれまで親御さんと一致したケースを見たことがありません。
奇跡のような確率だと思われます。
個人差がありますが、3年から5年です。
稲垣吾郎さんは声も落ち着きがあります。艶っぽいとか、そういう単純なことではなくて、心に寄り添う声です。理想の医師だと思えるのです。ゆっくりとしていて、発声もクリア。
その声で、こう言われ、喜美子は唖然とするしかない。我が子の余命の短さを受け止めきれないのです。
「……このままだとそういうことになります」
「短いなあ、短すぎるわ」
最後の一つ、そう切り出す大崎。
「僕は患者さんに、本当のことを伝えたいと思っています。病名の告知をするということです。病と向き合う力は、治療には必要です。僕は生きて欲しい。しっかりと最後まで生きてほしいんです。ご家族の判断にお任せします。僕の方からお話してもかまいませんよ」
「考えさせてください」
喜美子は考え込んでいます。ボロボロと大げさに涙はこぼれない。
本作の喜美子は、実はそこまで泣かない。圭介との失恋でも、もくもくとおはぎを食べていた。父の死も。八郎との別れも。それが喜美子だと、戸田恵梨香さんは理解できているのでしょう。
戸田さんは言い切りました。「スカロス」はないと。
◆戸田恵梨香『スカロスはない、前しか見ていない』の言葉が”かっこよすぎ”と話題!
役を演じるだけでなく、生きている方なのだと。だからこそ、選ばれたのだと。
喜美子はそのときを全力で生きる人。戸田さんもそうなのでしょう。
「なんとかロス」は、この言葉が一般的に普及してから、もう何年も経過しましたね。感情の表現を否定するわけではありませんが、アピールになっているという印象は受けておりました。
そういう気持ち、孤独、寂しさって、本当は一人部屋でお茶を飲んでふっと思うもんだったりせん?
出発点が純粋であっても、今は"バッジ”のように他人に見せるものになってへん?
そんなモヤモヤ感があったんだなぁ。喜美子と戸田さんは、そこに答えを出すようですごい。
照子と竜也が届けに来たで
そんな喜美子のもとへ、親友がやってきます。照子です。
「早う!」
「はいはい……」
「喜美子〜? 喜美子? ここ置くでぇ!」
おばちゃんらしい派手なコートで、野菜を置いて行きます。ヒョウ柄でないところに、大阪と滋賀の違いを感じます。けれども、たぶん当時の東京よりかなり派手なセンスやろなぁ。
すぐに去ろうとする竜也に「挨拶せんと」と叱る照子。まだプリン頭の竜也ですが、お母ちゃんの野菜を運ぶくらいにはコミニケーションが回復したんですね。子猫を拾っちゃう、電車の席を譲るヤンキーになってきて、好感しかない。そんな竜也です。
ここで「挨拶せんと」と言われ、丁寧に頭を下げる竜也。
「元気か? 久しぶりやな」
そう返す喜美子は、やっぱりカッコええ。
「あらぁ〜♪ 元気だったぁ〜?」
ではないんだよな。そりゃ竜也も「お世話になってます!」と舎弟のように挨拶するわ。喜美子のすごいところは、大物ぶっていないのに、そこにいるだけで器がデカくて、相手がこういう状態になるところですね。
照子は冬休みに大阪へ行くと言い出します。
いつもはお姉ちゃんと一緒なのに、今回は二人きり。まぁ、お姉ちゃんである芽ぐみは、お母ちゃんでなく学と行く方がよいのでしょう。大津デートかな。
季節的にアレや。
「恋人がサンタクロース❤︎」とか言うてイチャイチャしとるんやろなぁ。
※それが1980年代やから
「恋人同士と間違われるかもしれんで❤︎」
そう腕組みをする母を鬱陶しがっている竜也が、あまりに生々しい反応。演じる側はそうであってもおかしくない年齢差なのに、圧巻のおばちゃんオーラで説得力を出す大島優子が新境地に突っ込みました。
ここ数年の暗黒時代はさておき、NHK大阪は加齢表現に手を抜かないと『カーネーション』で証明済み。
新境地を目指すようです。オバチャーン路線やな。
※ヒョウ柄とかでな
そうふざけつつも、照子も武志の体調不良を心配しているとわかります。
喜美子は野菜だけではないことを確認中。近江牛もあるってよ。遠慮のういただくわ。そう言います。
滋賀はやっぱり近江牛やな。神戸牛? 但馬牛? それは兵庫やし。
照子の言葉で現実に戻ったのか。それとも母と子の姿が辛いのか。喜美子は自室でもう一度、病院からもらった紙を見て、台所へ戻ります。
すると照子がまだおりました。
「武志、県立病院に連れて行って見てきてもらいや。いや言うても連れてって血液検査とか……」
「わかった」
「わかった? 連れていかなあかんで」
「わかったからもう帰って」
「うちもわかったで。何かあったな」
「なんもないわ!」
「何年のつきあいやと思てん? 武志か、どないした?」
喜美子が苛立ってそう言っても、照子には通じません。そのうえで理解をしています。
これは昨日の喜美子と直子と比較するとわかりやすい。
直子の場合、本心を隠したいから関係ない雑談をペラペラとする。
喜美子の場合、本心を隠したいから相手を追い出す。
どちらも、相手は見抜くのです。
感情が爆発するとき
「怒るで? うち怒ってまうで?」
喜美子はこうです。ここで「なんでうちが怒られるん?」と照子が思っていたら、この友情は続いていない。喜美子は、しっかりと自分を受け止めきれる相手を選んでいる。
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