昭和20年(1945年)。
北村笑店の寄席は、大阪大空襲で焼け落ちてしまいました。
それでもてんは、疎開先で笑顔を浮かべています。
もくじ
苦しくない戦争描写って
昭和20年(1945年)8月15日。玉音放送です。
それにしてもおてんちゃん、なんでめっちゃ怒っているみたいな、阿修羅像みたいな顔で何かを堪えているんでしょう。
何を表現したいのか、ちょっとわかりづらいんですよね。何もなければ、スルーすればいいのに。
アッという前に秋になりまして。
なんというか、今更ながら、サクサクとクリックひとつでイベントが進んで行く感が半端ない……。
どんなユル~い朝ドラでも戦時中は苦しくて、早く終わらないかと辛い気持ちになるものです。
が、本作だけは別。
『マジでこんなあっさり終わるの?』と困惑してしまいます。
おてんちゃんは息子の安否をもっと真剣に考えていてもよさそうですが、さらっと「隼也も洋平さん(治平の孫)も戻らない」と言うだけ。なんだかなぁ。
序盤は、新一兄さんの快癒を本気で祈ったりしていましたよね。
あのころはまだ人間味がありました。
今はなんだか、完成したばかりのAI搭載のヒューマノイド(人型ロボット)で、これから周囲の人たちが「感情や表情」を教えていかなければいけない、みたいな印象です。
戦争をネタにした茶番は止めて欲しい
おてんちゃんは、子連れのトキとつばきを残し、大阪に戻ります。
西川きよし師匠はこれで終わりでしょうか?
話題作りにしてももったいないなぁ。
もちろん、出番の少なさじゃないですよ。出たことそのものがもったいない。
4月から再放送の『マッサン』では、非常に真っ当な役で、かなりイイ味を出しているので、そちらでお口直しした方が良さそうです。
さて、大阪はガレキの中で呆然とするおてんちゃん。
なんだか違和感あるなぁ。
と、思ったら、ガレキに燃えた跡が見えないんですよね。
これじゃあ大空襲じゃなく、火事の発生しなかった震災後という風に見えてしまいます。
細かいと思われるかもしれませんが、こういう手抜き(あるいは認識不足)が、何度も何度も積み重なってるからこそ
『もう、戦争をネタにした茶番は止めて欲しい』
と心から思ってしまうのです。
「風鳥亭」と書いた灯りが、割と綺麗に残っているのも変じゃないですか。
大道具、小道具スタッフもやる気が枯渇した――というより、ハッキリとわかるように残らせる指示だったのでしょうかね。
だったら、もっとズタボロにして、文字もほとんど見えなくしておいて
「これ、前は、寄席を照らしてくれてたのにな。風鳥亭って書かれてたのにな……」
と涙の一つでも流せば臨場感が湧いてきそうなものなのに。
謝るのならもっと他にあるでしょうに
終始、そんな調子だから、おてんちゃんが焼け落ちた寄席に向かって
「藤吉はん、堪忍な」
と謝られても何も感じない。
私の顔が今や地蔵です(- -)
単なる失火からの全焼とかならまだしも、そもそも戦争中の空襲ですからね。
どう考えても不可抗力。
たしかに藤吉の思いのつまった寄席を守り切れなかった――その申し訳なさがあるのはわかりますよ。
でも、焼夷弾がボンボン落ちてくる中、桶の水一杯被ったくらいで燃えさかる中に飛び込んだり、今更謝ったり。
なんだかズレているんですよね~。
建物を物理的に守ることより、国策落語に取り込まれていったあたりのほうが、
『笑えない笑い、人を攻撃し、戦争協力するような笑いを作ることに協力してしまった』
と思い悩むところの気がするんですけど。
思い悩むのであって、反戦運動しろ、ということではありません。
ひっそりと思い悩む個人の葛藤です。
そういう奥深さがまるでない、中二病みたいな本作。
結果的に、葛藤も何もなく、平気で「戦争はアカン」みたいなこと言っておきながら、実際は協力していました。
本作で、実感と情熱を込めて守りたいと当局に立ち向かっていたのが、お笑いとはさして関係ない「赤いしごき」の恋愛描写ぐらいですからね。
何もかもがズレまくっています。
どんだけ楓に思い入れがあるのやら
「おてんちゃん!」
ここで、大きな荷物を抱えた楓がやって来ます。
彼女が手にしているのは、守っていた原稿。
あのですね……。
楓は、脚本家さんにとって、めちゃめちゃ思い入れのある人物なのでしょうね。
台本を抱えていることで、書くことを大事にしていると言いたいのでしょう。
しかし、台本を持ってウロウロして、何がしたいんですか、この人。
疎開先からここまで来たわけですけど、ガレキに脚を取られるような状況で、こんな重たい原稿持って、危ないじゃないですか。
燃えた寄席に置く場所もないし、おてんちゃんがいたことも予想外でしょ?
バカみたいに原稿持ち寄らせずに、台詞だけでいいんですよ。
「原稿は、全部うちが疎開先に持って行きました。せやから、安心してください」
そう言ってお互い手を握りあって再会を喜べばいいでしょうに。何なのコレ?
しかもここで、楓が、今は家族の面倒を見るから寄席に手を貸せない、とナゼか頭を下げ出すのです。意味が1ミリもわからん。
本作って、誰のどんな欲望の反映か知りませんけど、風太といい、楓といい、やけにおてんちゃんに頭下げますよね。
そういうとき、おてんちゃんが微笑みながら、
「ええから。頭上げて。あんたも大変やろ」
くらい言えばまだしも、常に地蔵顔でむすっとして、当然だと見えてしまう。
なぜに、そんな芝居をさせるのでしょうか。
貫禄?
バカ言いな。単なる地蔵や。
乙女組・とわ 今さら再登場とは!?
寄席の跡地には、すぐに風で飛んでいきそうな紙が置いてあります。
芸人の行き先のようです。
むすーっとしているおてんちゃん。
風太は励まします。
「てんが笑わんでどうする。笑いの神様、臍曲げるで」
そもそもおてんちゃんは地蔵であって、滅多に笑いません。
せっかくの教え、本ドラマのテーマも、主人公が破綻させています。
昨日の今日だと、風太もカルト宗教「笑いの神様教」信者なのかと思えてしまう。
ここで、とある人物登場。
「とわ!」
すっかり忘れられていた乙女組です。
むしろここは、
「とわ、生きとったんかワレ!」
ぐらいの気分。そこそこイイ歳でしょうに、まだ臑を出して踊っていたんですかねえ。
聞けば、乙女組メンバーの一人・都は、神戸空襲で亡くなったそうです。
うわあ、やっと出てきたと思ったら死亡確認、うーん。
野暮を承知でツッコミさせていただきますよ。
「北村関係者で一人も死なないのは不自然とか言いたいんでしょ! そう言うと思ってぇ、都ちゃんを殺しましたからね!(すっかり存在忘れていたけど)」
そんな脚本のアリバイ感がたまりません。
戦争を痛苦する者の台詞じゃない
おてんちゃん、地蔵顔のまま抱きつきます。
全然出てこなかった使い捨てゲストに抱きついてもなぁ。
【感動する場面用BGM】がここぞとばかりに流れているんですけどね。
ここで、佐助と富夫妻も登場します。
ん? どなたさんですやろ?
と、すっかり忘れていましたが、寺ギンがらみで出てきましたね(わろてんか67話あらすじ感想(12/18))。
彼らの役割は「空襲で負傷したので芸人できません」と言うだけ。
そういう事情のある芸人を労らず、ただひたすら地蔵状態のおてんちゃんです。仕方ないんだから優しい言葉の一つでもかければいいじゃないの。
と、思っていたら
「誰が死んだとか悲しい話ばかり!」
そうブチギレ始める風太です。
やっぱり濱田岳さんの頑張りはナイスなんですよ。
引き込まれるものがある。
しかし、台詞がおかしい。
彼は戦地に近かった上海にも渡り、長いこと戦争体験してきて、空襲で人が死ぬところもたくさん見ている。当然ながら焼死体も見れば、人が生きたまま焼け死ぬ臭いも嫌というほど嗅いだ。
幾度も幾度も戦争の痛苦を噛みしめていて、
「ははっ。もう慣れてしもて、涙もよう出んわ」
ぐらいの台詞じゃないですか?
「悲しい話ばかり!」と憤るのは、戦争を知らない現代人が、戦争ドラマを見ながらのボヤキに聞こえてしまう。
いや、それどころか、
「俺らがせっかく寄席再開したいのにできへん! あーーーーっ、イライラする!」
と、自分勝手に喚いてキレているようにも捉えられかねない。
カルト宗教「笑いの神様教」信者は、人の心すらなくしてしまうのか。
おてんちゃん、ついにぶっ壊れ! 風太も怖くて近寄れず
それにしても、大阪、人がいないですね……。
空襲の後でも、焼け跡を探し歩く人がもっといてもいいような。
これだと空襲後の大阪というより、核戦争後を描くディストピアSFっぽいんだよなぁ。
このシュールな世界観、地蔵、そして叫ぶ風太。
本作の駄目さが濃縮されたような場面です。
風太がキースを探しに行った関東大震災後も酷かったけど、あれすらマシに見えます。
しかし、おてんちゃんは、何しに来たのでしょう。
啖呵切って焼け跡まで来たからには、テキパキと何かするのかと思っていましたが、地蔵顔で座っているばかり。
これが普段テキパキとしたごりょんさんならば、呆然とした様子に見えますけど。
おてんちゃんは、焼け残ったセーブポイントまで来ます。
あの空襲でどうやって藤吉の遺影、隼也とつばきの家族写真が焼け残ったのかは不思議です。
これもネクロマンサーおてんちゃんの魔力でしょうか……って、いい加減にせーい。
そしていつもの……。
→はい
いいえ
非常時ですので、流石のネクロマンサーおてんちゃんもMPが足りなかったようです。
「藤吉はん! なんで出てこないの?」
真っ暗闇で鈴を振りながらつぶやくおてんちゃん。
いやいや、いやいや、怖いってぇえええええええええええええええええええ!
完全に壊れたな。
カルト教祖様の壊れっぷりだけに、何をしでかすやら、マジで怖い。朝ドラなのに子供には見せたくないシーンです。
外でそれを聞いている風太が本当に気の毒。
もしも自分だったら?と思うと、心底ゾッとしました。
はいはい、スグに再登場のあの方ですよ
そして昭和21年(1946年)春。
闇市ですいとんを振る舞うおてんちゃん。
このへんはなんだかよくわかりませんが、安直に『ごちそうさん』でも真似したんでしょうね。
「とーんとーん、すいとんはいかが~」
「姉ちゃん、俺にもひとつ」
風太が目を離した隙に、チンピラがやって来ます。
そして売り上げを取り上げようとするのですが……。
何者かが颯爽と現れ、チンピラを撃退します。
って、恥ずかしさのあまり、この場面を直視できない><;
なんだこの拷問。
朝から、キツイ、辛い、恥ずかしい!
はい、そうです。
栞さんです。
ガレキの中だろうが、汚れ一つないパリッとしたジャケットで、アメリカでは強制収容所にいた可能性も高いのに、やつれた様子もなくご登場。
「ねえ見て見て! 初登場と同じなの! かっこいいでしょ!」
と、はしゃぐスタッフの声が聞こえてくるようでやるせない。
ナゼこんなにも苦しいんだろう。
「この御方は!」
とかはしゃいでいるナレーションも辛い。
辛い。
もう何もかも嫌だ、イヤなのだ!!!
「今日はこのへんにしておいてやる」
かくして物語上では6年ぶりの伊能栞様降誕です。
放送だと1週間ぶり?
2週間?
もうどっちでもいいや。
息子の隼也よりも早く出てきたあたり、優先順位がわかろうというものです。
まぁ、水を差すようなこと言いたくないですけどね。
これ、120パーセント伊能栞の自作自演やろ。じゃないと話がとても成立しない。
なんせ終戦後の闇市って言ったら120%カオスですよ。
拳銃も出回っているし、生きるか死ぬか。
『仁義なき戦い』を見たらわかりますけど、闇市で柄の悪いお兄ちゃんというのはヤクザとか、そのへんなわけです。
絡んでくるのも、理由がある。
ショバ代どうした、誰の許可とって商売してんのや、というお話です。
そんなヤクザ者相手に、アラカン(=60前後)、収容所帰りの栞が勝てるわけないでしょ。
むしろボコボコにされて、
「今日はこのへんにしておいてやる」
「何言っとんねん」
と池乃めだかで締めてほしかった。
本作が本気で笑わせるつもりなら、それくらいやってくれると思ったんですけどね。
まぁ、そんなセンスは皆無なんですよね。
おてんちゃんは「お姉ちゃん」呼ばわり。
栞も立ち回り。
脚本家の脳内では、彼らはまだティーンか20代なんでしょう。
今日のマトメ「復興描写は『あまちゃん』でお口直し」
焼け跡からやっとそろそろと、一歩踏み出す。
そんな定番中の定番ならまだ外さないと思っていたのに、本作はやっぱり大暴投でした。
焼け跡で「悲しい話ばかりや!」と叫ぶ風太。
無事を報告する人に地蔵顔のてん。
最低最悪です。
想像力の欠如している脚本家さんには思い浮かべることができないかもしれませんが、これを東日本震災のあと、自分のラーメン屋さんを再開したい話と仮定してみます。
主人公が、何日かぶりに戻って来た故郷。
そこで聞く話は、人が亡くなった、復興が進まない、そんな悲しい話ばかり。
ここで彼は叫ぶ。
「あーっ、常連が死んだとか、知人が死んだとか、悲しい話ばかり! 俺のラーメン屋はどうなるんだ!」
って、なんだ、こいつ! どんな「人でなし」だよ、と思いません?
今回の風太の言葉は、つまり、そういうことです。濱田岳さんの演技が迫真すぎて見逃されがちですが、台詞だけ読んでみればそうなります。
なんなんでしょう、本作を貫くこの傲慢さ。
生きて行くうえで必要な笑いを提供してやっているんだ、ありがたがって俺らの思う通りにしろ、そうならないのが腹立つ、みたいな開き直りに見て取れます。
これがカルト宗教「笑いの神様教」の実態です、と言われたら納得できちゃうんですよね。
反射的に『あまちゃん』の再放送が見たいと思ってしまいました。
人の心に寄り添う、あの復興描写はよかったなぁ。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
ほんとに大阪に何しに行ったんでしょうか。うずくまっているだけ。すいとん屋になったのも不自然。仕入れや調理器具や食器はどうしたんでしょうかね。
「わろてんか」のレビュー、毎日楽しみにしています。朝ドラは小学校以来50年ぶりで見ましたが、時代背景は無視、辻褄は合わない、人物は薄っぺらで魅力がない、すぐに視聴は脱落しました。こんなドラマのレビューを毎日書くのは大変と思いますが、こんなものでもきちんとした批評があって良いと思うし、先週(?)の駄サイクルとかメアリー・スーとかとても面白かったです。
「わろてんか」と言う題名自体がぞんざいな物言いで感じ悪い、「笑い」のコンセプトがきちんと整理できてない、人物の行動と言葉がいつもチグハグ、時代背景について非常識、主演女優さんに演技の指導をしてあげてない。。。制作サイドでこういうことに疑問の声は上がらなかったのでしょうか。侃々諤々の末、すこし改良されたのが今の形かも知れないと思うと可笑しいです。小学校の時見た「朝ドラ」は「放浪記」と「おはなはん」。林美智子さん演技上手で記憶に残っていますが、あれもこの程度のものだったのでしょうか。
半年間お疲れさまでした。もうあと数日、頑張ってください。