はい、まずはニュースから。
◆(じぶん流@SNS)北川悦吏子さん 視聴率にない、人の声聞こえる:朝日新聞デジタル
前作の脚本家・北川さんのインタビュー記事で、こう語られています。
私のやっていることがネットニュースで「画期的である」と好意的に取り上げられると、次第に「賛否両論」という雰囲気になり、バッシングに変わりました。私は、ニュースが世論を誘導することがあると感じます。ごく少数の意見が「キャッチーだ」と判断されて報じられると、人々はその意見が世間に浸透しているかのように認識する。「ああ、これがネットなのだな」と、冷めた思いで見ていました。
SNSでしつこいユーザー(ノイジーマイノリティ、エコーチェンバーの住民)の意見や、ネットニュースの信憑性の薄さをズバリと指摘していて、流石だなあ、と畏れいります。
しかも、こうした経緯を得て、北川さんは「自分の信じるものを書こう、それが応援してくれる人に報いることでもあり、作品を面白くする」と転化しており、体調芳しくない中で長丁場を乗り切りました。
凄まじい精神力です。
こうした状況を踏まえ、私も冷静にならんとなぁって思うのですが、一つどうしても呑み込めないのが、
「生意気な女めが!」
というニュアンスです。叩き記事から総じて漂っておりました。
海外でも、SNS投稿で叩かれる対象者は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』出演のケリー・マリー・トランさんはじめ、女性の方が顕著とされています。
まぁ、要するに性差別なんです。
◆『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ローズ役女優、「私はこの世界で努力を続ける」 ― SNSでの嫌がらせ受け、心境と願いを語る
【67話の視聴率は20.9%でした】
盗作疑惑は結局ウヤムヤ?
ズバリ言わせてもらいます。
男性脚本家の盗作疑惑よりも、女性脚本家のSNS投稿が大問題であるかのように扱われるって、どういうことですか?
これは同性の視聴者ですらそういう傾向がありまして。
「あの女、イケメン俳優を出してけしからん! イケメン狙いで釣るつもりか!」
と叩いた同じ口で『まんぷく』のハセヒロさんを、セクシー拷問にうっとりだの、おいで砲だの、もっと脱いで〜だの言ったりしている。
冗談かと思うところなんですが、実際に投稿されてる方がいる。
もう心の底からウンザリ。
前作は、まるで“Let It Go”(『ありのままで』)ですね。
SNSでの信憑性の薄い叩きなんて、少しも寒くないわ♪ ありのままにいいものを作る。
そういう強さがありました。
それに引き換え今作は、不自然な【ナレパッチシステム】(視聴者の反応を見ながら、バグにナレーションでパッチを当てるシステム)疑惑すらある。
あっ、はい……『まんぷく』関連のポジティブニュースも取り上げろ、ですね。
◆大谷亮平、NHK連続テレビ小説『まんぷく』で4キロ減量も 大阪撮影の楽しみ明かす|ニフティニュース
出ました。
役者の減増量だの、現場の雰囲気だのがニュースになる状況は、
・中身に語るべきことがなくなったか
・視聴率も落ち着いたか
・あるいは、好評意見すらSNSで流れなくなった……
という可能性があります。
同じ現象が大河ドラマでも起きておりました。
『西郷どん』関連でも、当初は、現場が雰囲気がいいですとか、主演が増量したとか、そんなのばかりだった。
本作は、年明けを待たずに停滞ムードに入り、さすがに挽回は難しくなってきたようで。
大谷亮平さんが、この脚本家で痛い目に遭うのは二度目。私はそんな目で見ております。
いい意味で予想を裏切ってくれ
そうそう『西郷どん』ですが。
実は、今朝はちょっと爽快感があるんです。
昨日、『西郷どん』が終わりました!!
平日はクソ朝ドラ、日曜日はクソ大河という、10月開始の地獄期間がやっと終わりました。
希望が見えてきた!!
ちなみに悪評のまま終わった『西郷どん』ですが、私は放送前から駄作になると予測しておりました。
詳細は各記事をご覧いただきたいところで、結構当たるんですよ、事前予測。フフフ。
別に、私の予想が当たろうが当たるまいが関係なく、すべて面白いのが理想です。
だって、誰だって毎朝を楽しく過ごしたいじゃないですか。
『まんぷく』が、いい意味で予想を裏切ってくれることは、今のところありません。
はい、そんなわけで本文へいってみましょう!
三度も逮捕されるなんて、何かおかしい
三度目の逮捕&投獄された萬平(まんぷくモデル→安藤百福)。
鈴が、エエことを言っております。
「三度も逮捕されるなんて、何か睨まれているんではないか?」
これは当時の世相を考えると安藤百福氏の台湾ルーツも一因かと思われます。
そういう人種差別が根底にある重たい部分を描いてこそだと思いますが、本作のスタッフにそんな気概はなかったぜ!
安定した身分との結婚を勧める鈴がゲス――そんなアピールはもうエエです。
てか、戦争挟んでおいた時期で、何が安定した会社員ですか。
『ひよっこ』だってそんなこと言ってませんよ。
まぁ、昭和20年代の中華屋さんに、堂々と「ウーロン茶」を出すスタッフさんですからね。
電話もおかしいし、完全に考証を投げ捨てたようです。今後も妄想の【エエ昭和価値観】に傾倒しそうで、今から心臓バクバクしますね。
ちなみに本作って、不自然な持ち上げ記事としつこい前作アンチが王道連呼しておりましたが、放送開始月の「みなさまの声」では、ここ4作で最も否定意見が多かったそうです。
内訳を見ますと時代考証の不備についてのものが目立ったようです。って、そりゃそうでしょ。
毒性のあるガマガエルを調理する場面とか、さすがにマズイですよね。
考証に自信があるのでしたら、まずはご試食されみるのもいかがでしょう。と、言われても仕方のない描写だったのでは?
(NHKみなさまの声)
本作には、愛がない
さらに鈴への負担につきまして。
セリフや場面から察するに、鈴が源の面倒を見ていることがわかります。
萬平にせよ福子(まんぷく立花福子モデル→安藤仁子)にせよ、仕事の大変さに愚痴をこぼす鈴をたしなめる克子にせよ。
鈴の大変さを気遣う要素がゼロ。
かわいい孫の相手ができてラッキーでしょ、というニュアンスの言葉には呆れるしかありません。
要は、本作には、愛がないんです。
ラーメンへの愛もないし、安藤百福夫妻への愛もない。
そして登場人物の間にも、もちろんない。
夫を亡くし、女手ひとつで三姉妹を育てた母親である鈴に、娘どもは愛情のかけらすら示さない。
たしなめるか、小馬鹿にするか、あきれ果てるか、笑いものにするか、無視するか。
夫たちが失礼な態度でおちょくっても、ニヤニヤしているだけです。
そこには、親子の愛すらないんです。
では、福子と源の場合は?
本作って現役ママ推しの割には、福子の我が子への接し方があんまりよろしくないように感じます。
お人形扱いでおんぶもほとんどせずに、要は「見せびらかす」ようにしている。
鈴の接し方の方がマシに見えるぐらいです。
姉妹愛もあまり感じられません。
妊娠中の福子がそんなに心配なら、克子は東京に付き添ったらどうでしょうか(続きは次ページへ)。
ま、「中華色抹消」に違いはないわな。
テキトー考証の上にね。
現代の日本において中華まんと中華まんじゅうのどっちが一般的か、って話に限って言えば、「中華まん」だと断言できるレベルだと思うよ。
スーパー、コンビニ、飲食店など、目につくのはほとんどが「中華まん」表記。
ついでに、変換候補に「中華まん」があっても「中華まんじゅう」は無いIMEも多いんじゃないかな。
やはりWikipediaからの引用ですが、
「中華まん」は「小麦粉、水、砂糖、酵母、ベーキングパウダーなどをこねて発酵させて作った柔らかい皮で様々な食品を作り、蒸した饅頭である。」とあるのに対して、
「中華饅頭」は、「小麦粉、砂糖、卵などを原材料とする三日月形のどら焼きのようなもの。パンケーキ状の生地(中花種)でこし餡を挟んだ菓子を指す」とあり、焼き菓子であるとされています。
「中華饅頭」の記事は出典が不十分で、信憑性には疑問符が付きますが、それなりの参照サイトも示されています。
他方、「中華まんじゅう」で検索してみると、上記Wikipediaの「中華饅頭」にあたるものがヒットする一方で、「中華まん」にあたるものも「中華まんじゅう」としてPRしている店もあり、「中華まんじゅう」と「中華まん」のどちらが一般的かは一概に言えないと思われます。
ただ、作中では中国由来の「中華まん」にあたるもののつもりで「中華まんじゅう」と言ったわけで、それを出している店から不自然に中華色を抹消していることに変わりはありません。このレビューの「中華色抹消」との主張は理由のあることだと思います。
「『中華まんじゅう』を『肉まん』『豚まん』に置き換えていないから、『中華色抹消』ではない」と強弁する向きがあるけれど、単なる揚げ足取りに過ぎない。
この「中華まんじゅう」の単語一つの使用だけを以て、他の不自然極まる中華色抹消を全て払拭しようとするかのような主張。全く論理が成り立っていない。
「中華まんじゅう」「肉まん」「豚まん」が、どれも当時用いられていた名称だとするなら、そのいずれで呼んだとしても不自然ではない。
これに対して、「ちゃんぽんライス」は、当時使用されていたのか極めて疑わしい名称。「中華丼」と呼ぶのが自然だった筈で、わざわざ「ちゃんぽんライス」などと不自然な置き換えを図るところに意図的な「中華色抹消」が疑われる、とレビューでは説明している。
そもそも、作中では「支那そば」ではなく中国語由来の「ラーメン」(←拉麺)を使っている。当時「ラーメン」という名称は広く用いられていたから、その使用自体に不自然はない。それでも、作中ではその料理を出す店の内装や調度その他を含め、不自然極まりない表現になっており、意図的な「中華色抹消」と受け取れる、というのが、このレビューでたびたび説明されてきたこと。
「ラーメン」にせよ「支那そば」にせよ、その名称は「中華風の麺料理」を表現したもの。なので当時その料理を出す店は、中華色を強調するのが普通だったのに、不自然にそれを抹消しているので、意図的なものすら疑われる、ということ。
単に、「いい加減極まりない考証」というオチもあるかもしれないが。それはそれで極めて不適切な制作姿勢。
「私は『中華色抹消』とは感じない」という感想を持つこと自体は自由。
でも、「だから『中華色抹消』だとするこのレビューは間違い」と主張するような根拠は成り立っていない。
ウーロン茶、以下、ウィキより引用です。
↓
【1978~79年頃に話題となったことから脚光を浴びて、年間輸入量が2トンから280トンに急増し、第1次ブームとなる。
1983年にポッカコーポレーションが缶入りの宇治の露製茶とほうじ茶を、1985年に伊藤園が缶入りの緑茶を発売したこともあり、烏龍茶は清涼飲料水としての市民権を得た。】
市民権を得たのは1,985年頃とありますので、昭和60年前後ですね。
どう考えても進駐軍のいる時代とはあわない。
あの店が本格的な中華店だったらまだしも。
>とどさん
メニューに「ウーロン茶」がある時点で破綻している。
その状態で中華まんだけが狙いだったなんて、
不自然の極みです。
中華まんが狙いだったとしたら、
ウーロン茶はどうなるんですか?
ウーロン茶が日本で一般に普及したのは昭和の終わりのほうです。
>「中華色抹消」に抜かり
そう見るには疑問があります。
中華色抹消ミスだとしたら、もっとすっと出てくる「中華まん」を使うでしょう。
「中華まんじゅう」という、他の呼び名に比べて馴染みが薄い単語を使うということは
つまり意図的に使っているという可能性が高いわけです。
↓ これもいい加減な仕事ぶりの現れ。躍起になっている「中華色抹消」にすら抜かりがあったんだろう。
全体に流れる修正主義・歪曲主義は変わらない。
以前、東京のラーメン屋の場面で、肉まん(多分)が「中華まんじゅう」と呼ばれて出てきました。
「肉まん」や「豚まん」は、現代の人にとって「中華まんじゅう」より馴染みのある単語です。
もし制作側が、中国色を必死に消そうとしているなら、わざわざ「中華まんじゅう」呼びにはしないのではないでしょうか。
「『男女平等度』日本はまたしてもG7最下位」という不名誉なニュースが出ています。
まあ、朝ドラの前作と今作を巡って飛び交った妙な評価を見れば、確かに男女共にまだまだ意識が低いと言わざるを得ないところ。
前作の主人公をこき下ろす女性というのは、私の職場にもいます。何でそんなやっかみで「貶め合い」のような真似をするのか。こんな考え方が堂々とまかり通っているうちは、日本が上位になることはまだまだ遠い。
男性の意識の低さもさることながら、「女性の最大の敵は他ならぬ女性」という情けない実情は早く解消されてほしい。
愛がないドラマ、まったく同じことを感じます。愛を描くのが面倒なんでしょうね。家族が多いといちいち人物設定をして家族愛を描かないといけないからできるだけ省いている気がします。まず福子には父親がいません。そして祖父母が全くでてきません。すでに死亡している設定なのかも知れませんが、その説明もありません(たぶん)。祖父母がひとりも出てこないのは朝ドラでは珍しいです。また克子は夫・忠彦の両親から多額の援助を受けているという話ですがその人たちは一切出てきません。そして萬平には両親がいません。
もう作家が最初から、面倒なことを避けているとしか思えません。今思えば子供時代を飛ばしたのも単に面倒だったのではと思えてきます。家族のことだけではなく一事が万事そんな調子なので、ドラマ全体に血が通ってないのだと思います。ダネイホン製造の場面がラベル貼りばっかりではちっとも大変さが伝わりません。『半分、青い』で大量の岐阜犬をはじめ、まーかん袋、鏡よ鏡、その他いろいろな小道具が出てきて楽しませてくれましたが、熱量が全然違いましたね。
土曜日のタカちゃんの容姿品評会の日は怒りで盛り上がっていたTwitterが、今日は大恋愛、今日から俺は、西郷どん最終回、シンゴジラの話ばかりで朝ドラが話題にもなってなくてびっくりしていたところです。
未成年の女の子に向けられるあまりに心ない言葉や表現が最後の一押しとなって見限られたのか、たまたま話題性のあるもの、語りたくなる物が重なったのか…
確かに年内には評価が定まってしまいそうな予感がしますね。
他の掲示板を覗くと始めの頃のような「萌え〜」「セクシー」といった下品なあげあげはさすがに減っているような…。むしろコメント数そのものが少なくなっているようですね。
狂信的前作アンチは全く内容のないコピペの繰り返しを本作だけでなく前作のスレッドにまで貼付けているようです。武者様も再三指摘されている「生意気女憎し」が異常なレベルに達している人がいるのでしょう。「半分青いよりはまんぷくはずっとまし」というのもほめほめの常套句で、もう本作をまじめに理由をあげてほめる気力もなく、末期的症状というべきでしょうか。
「まんぷく」は評価が定まらない滑り出しからこのような普通でない人々に前作への当てつけのために利用されて評価がメチャクチャになっていたと思います。前作から今作への様々な流れを見ていると社会の病んでいる部分が見えてくるように思えます。そんな中でこちらの的確なレビューやコメントは、自分の軸足を確認するのに役立たせて頂いています。
呆れてしまうほどに同じことの繰り返し。逮捕→成功(塩)→逮捕→成功(ダネイホン)→逮捕。歪んだ時空の中で、ループにはまってしまったような世界観のドラマです。その合間合間に、鈴さんを軽んじる笑えない〈しつこい笑いどころ〉とゲスな〈女性の容姿品評会〉。
人に対しても仕事に対しても愛を感じない、という武者さんの言葉に同感です。前作に於ける、北川さんと制作陣の覚悟や本気のようなものを全く感じない、中身のない薄っぺらさにも辟易しています。
前作でしつこく「朝ドラが好きだからこんな作品は許せない」と怒りと正義を振りかざしていた人たちはこのドラマをどう見ているんでしょうね。「拷問シーンに萌える~」とか「おいで砲セクシー~」などと言っているのは見ましたが(吐き気)
前作を”Let it go”に例えるのは、言い得て妙です。
制作者はこういう構えでいてもらいたい。と言うより、そういう覚悟のない人には関わってもらいたくないですね。
「無定見。なのに発言力だけは強い。自分の浅はかな考えを押しつけるばかり」のたぐいの人物など論外です。
最近「みんなでおゆうぎしているよ」というフレーズがよく浮かびます。なぜかな。
邪悪ルフラン、つらいです。狙いもあからさまで。審議会マターにならないものでしょうか。